三一王、七九王。 塚田は自分の手番になつて考へるとき、落ちつきがない。盤上へ落ちたタバコの灰を中指でチョッと払つたり、フッと口で吹いたりする。イライラと、神経質である。二年前の名人戦で見た時は、むしろダラシがないほど無神経に見えた。午前中ごろは木村は観戦の人と喋つたり、立上つて所用に行つたり、何かと鷹揚らしい身動きが多かつたのに、塚田は袴の中へ両手を突つこんで上体を直立させたまま、盤上を見つめて、我関せず、俗事が念頭をはなれてゐた。今と同じやうにウウと咳ばらひをしたり、ショボ/\とタバコをとりだして火をつける様子は同じであるが、それが無神経、超俗といふ風に見えた。今日は我々にビリビリひゞくほど神経質に見えて、彼は始めからアガッてゐるとしか思はれない。木村が次第に平静をとりもどしたにひきかへて、塚田の神経はとがる一方に見えた。 塚田八分考へて、七三桂。消費時間、合計三十一分。 木村、十六分考へて、八八王。 茶菓がでる。木村すぐ菓子を食ひ終つて、お茶をガブガブとのみほしてしまふ。 塚田、六五歩(八分)それから菓子をくひはじめる。ちよッとしか食べない。お茶もちよッとしか飲まない。 木村、三七桂(十四分)パチリと打ち下して、タバコをグッと吸ひながら、記録係の方をヂロリと睨む。 塚田、四分考へて、ウフ、ウフ、ウフ、と咳ばらひをしながら、二二王。 木村、九六歩(二分)。塚田、九四歩、ノータイム。 木村、片手をついて身体を記録係にすりむけて、何かヒソヒソと云ひかけると、塚田が便所へ立つた。すると記録係も立ち去り、塚田が便所から帰つてまもなく、オバサンが例の小笠原流、板敷の上をグルッと一周して、お茶を捧げてきた。今度も、木村のヒソヒソ声はオ茶の注文であつたらしい。すぐガブ/\と飲んでしまつた。塚田も一口お茶をのむ。二人は同じやうに腕組みをしたまゝ、全々身動きがない。木村の手番なのである。沈々黙々たるまゝに、午後一時がきて、昼休みとなる。 二時半、再開。 見物人は、午前中の中程から、私ひとりである。ほかの人たちは、みんな控室にゐる。控室は二つあつて、一つは毎日新聞の招待客。一つは各社や、ラヂオ、ニュース映画などの記者控室である。 一手指すたびに、記録係が指手と使用時間を書いた紙片を屏風の隙間から出しておく。毎日新聞の係りが見張つてゐて、ソッと忍び足でやつてきて、これを控室へ持ちかへる。こゝには、土居、渡辺、升田、大山、原田、金子等々の八段連がつめかけてゐて、指手の報らせがくるごとに研究がはじまるのである。 人々は畳の上を歩く時は、注意して忍び足で歩いてゐるが、どうしてもブルブルふるへる。対局場に人の姿がへつてヒッソリすると、どんなにひそかに歩いてもダメである。 「ブルブル地震のやうだね」 と、木村がふと顔をあげて云つた。 「終盤になつたら、歩くのに、注意してくれたまへ」 と、記録係に念を押した。 休憩後、坐つて十分間ほど考へたと思ふと、木村は立つて、便所へ行つた。生理的なものよりも、気分的な必要によるものゝやうである。 木村、四八飛と廻つた。昼食前から考へて、合せてこの手に六十六分。消費時間は合計百六十一分。塚田はまだ四十三分である。 塚田、ここで、長考をはじめる。ここが策戦の岐路、運命の第一回目の岐れ道ださうである。 小笠原流のオバサンが三時の茶菓を運んできた。見物人は私ひとりである。木村、ふと私の前に茶菓のないのを認めて、坂口さんにも、とオバサンに言ふ。木村、便所へ立つ。私へも茶菓がきたので、私はゼドリンをのむ。どうも、ねむいから、仕方がない。 私はこの二月以来ゼドリンを服用したことがない。アドルム中毒で精神病院へ入院して、退院以来、一般の発売も禁止されたし、これを機会に、覚醒剤も催眠剤も用ひない決心でゐた。けれども、この日は考へた。眠くなることが分つてゐるのである。ほかの参観人は将棋の専門家、又は、好棋家で、棋譜をたのしむ人たちであるから、控室で指手を研究して愉んでゐるが、私は将棋はヘタクソだから、さうは、いかない。もつぱら対局者の対局態度を眺めてゐるのが専門で、だからこそ、ほかの見物人はみんな控室でワア/\やつてゐるが、私だけは盤側を離れたことがないのである。哀れな見物人である。指手の内容が分らないのに、二時間の長考にオツキアヒをしてゐるのだから、バカみたいなもので、ねむくなるのは当然だ。仕方がないから、覚悟をきめて、ゼドリンを持つてきた。昔、たくさん買ひこんだゼドリンが、まだ残つてゐたのである。 塚田、ぼんやり立つて、足をひきづるやうに便所へ去つた。もう四十分ちかく考へてゐる。塚田が立ち去ると、木村は記録係に向つて、ニコニコした笑顔で、 「濡れたタオルがあるといゝね」 と相談をもちかける。旅館だつたら、そんな気兼ねもいらないだらうが、皇居の中では事面倒で、記録係も立ち上つてウロウロして、 「あるでせうか。忘れまして」 と悲しさうな顔である。 「あゝ、いゝよ。なければ、いゝよ」 木村は笑顔で慰める。年若い方の記録係が不安な面持で去つた。 「対局は冬がいゝね。夏は暑くて」 記録係の山本七段に話しかける。木村の笑顔は澄んでゐる。彼の心の平静さが、よく現れてゐる笑顔である。私は彼と一しよに名古屋へ旅をしたが、汽車の中では、彼はこんな風に平静で、いつも静かに笑つてゐる男であつた。然し、対局の最中に、こんなに静かに冴え冴えとした笑ひをうかべて、気楽に話してゐるのを見たことはない。 非常にむし暑い日であつた。外はどうやらポツポツ雨がふりだしてゐる。湿気の深い暑さなのである。山本七段と私が立つて、道場の窓をあけてみた。いくらか涼気がはいつてくる。 「ねえ。羽織、とらうか」 彼は私に笑ひかけた。 「その方がいゝでせう」 と私は答へた。 木村が羽織を脱ぎ終つたところへ、塚田が便所から戻つてきた。羽織をぬいだ木村の姿をチラと見て、彼も黙々と羽織をぬぎ、無造作にグチャリと投げだした。 小笠原流のオバサンが冷水でしぼつた手拭ひを持つてきた。 塚田は、また、長考をつゞける。 木村、今度はヒソヒソ声ではなく、茶を一杯ください、とハッキリと云つた。山本七段が立つて、しばらくすると、毎日新聞の係りが私をよびに来て、 「一番むつかしいところださうですから、ちよッと席をはづして下さい」 私はすぐうなづいて去つた。道場を出るところで、佐佐木茂索氏にバッタリ会つた。 「今、来たところでね。どうです、形勢は」 と、見に行かうとするのを、これも注意をうけて、 「あゝ、さうですか。さうだらう。無理もない」 と、私と一しよに控室へはいつた。二年前の名人戦はさうではなかつたが、この名人戦は、むつかしいところへくると、見物人に退席してもらうことになつてゐたのである。 控室へ行くと、佐佐木氏が、 「どうです。君の予想は。どつちが勝ちますか」 「木村ですね」 私は即坐に答へた。 「木村の落ちつきは大変なものです。あんなに平静な木村の対局ぶりは見たことがありませんよ。気持が透きとほるやうに澄んでゐますね。アベコベに、塚田は、堅くなつて、コチコチだ」 茂索さんは、ふうン、といふ顔をした。彼は塚田に賭けてゐたのださうである。
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こんなに賑やかな控室風景は珍しい。将棋の八段が〆めて五十何段つめてゐるところへ、碁の藤沢九段、素人五段安永君など勝負師がより集つて、碁将棋に余念もない。遊び事に専門の方をやりたがらぬのは自然の情で、将棋指しが面白さうにのぞきこんでゐるのは碁の方であり、碁打ちは将棋をのぞきこんでゐる。 そのうちに、面白い勝負がはじまつた。大山八段と二枚落ちで指しわけた安永五段が、よし、碁でこい、と七目おかせて、やりだしたのである。大山八段は、碁の射ち廻しは私と同じ程度のやうである。違ふとこをは、彼が天成の勝負師だといふことである。安永五段は下手名人と自称し、下手をゴマ化すのに妙を得てゐる。そのゴマ化しに大山八段はかゝらない。ヂッとひかへて、ムリを打たない。よく置石を活用してガッチリと押して行くから、安永五段は文句なしに二局やられてしまつたのである。 「大山に七目おかせて、安永が勝つもんか。てんで勝負にもならせん。七目なら、オレはいつでも大山にのる。どうだい。やらうぢやないか」 倉島君がひやかした。よし、やらう、といふことになつて、安永君も真剣である。よッぽど、口惜しかつたらしい。白の方が黒の何倍も時間をかけて考へこんでゐる。かなり良い碁に持つて行つたが、やつぱり白がつぶれてしまつた。 私は大山八段を見たのは、この日が始めてゞある。原田八段も、さうだ。将棋の力といふものは私には分る筈はないのだが、勝負師といふ点では、大山はちよッと頭抜けてゐるやうだ。 私は木村、升田とは碁を打つたことがある。どつちも力碁で、升田ときては、ひッかき廻すやうな碁であるから、まだ力の弱い大山は升田にひッかき廻されて負けるさうであるが、力が弱いのだから仕方がない。然し、持つてゐる力をどれだけ出してゐるかと云ふと、大山は十分に出しきつて、ほとんど余すところなく、升田は勇み肌でポカも打つ。 碁に於けるこの性格は、本職の将棋の場合も当てはまるに相違ない。大山にはハッタリめいたものがないのである。非常に平静で、それを若年からの修練で身につけたミガキがかゝつてゐるのである。兄弟子に升田のやうなガラッ八がゐて、頭ごなしにどやされつゞけて育つたのだから、平静な心を修得するのも自然で、温室育ちといふ生易しいものがないのである。勝負師の逞しさ、ネバリ強さは、升田の比ではないが、大山がこゝまで育つた功の一半は升田といふ柄の悪い兄弟子が存在したタマモノであつたかも知れない。これに比べると、東京方の原田八段は、棋理明であるが、温室育ちの感多分で、勝負師の性根の坐りといふものが、なんとなく弱々しく見受けられた。 大山と私は、この対局がすんでから、NHKの依頼で、対談を放送した。私は将棋を知らないのだから、対談なんて云つたつて、専門家を相手に語るやうなことはない。アナウンサーが私に質問してくれゝば、それに応じて感想ぐらゐは語りませう、と引受けておいた。 イザ放送がはじまると、アナウンサーはひッこんで否応なしに対談となり、なんとなくオ茶は濁したけれども、まことにツマラナイ放送になつた。そのとき、大山八段が、いかにもションボリした顔で、私に向つて、 「坂口さん、打ち合はせておいて、やれば良かつたですね」 残念さうであつた。大山は、かういふグアイに、放送に際しては、演出効果まで考へてゐる男なのである。対談に於て、構成を考へてゐる。心底からの図太い勝負師であつた。 夕食休憩になつたが、私が対局場を去つて以来、塚田が七十五分考へて、七四角、と一手指したゞけであつた。それからの二時山間あまり、木村が考へつゞけて、まだ手を下さぬうちに、七時夕食となつたのである。 八時に再開。対局場の中へはいつちや悪いから、道場の片隅から、私はそッと見てゐた。木村がにわかに駒をつかんで、パチリと叩きつけ、もう一つ、強く、パチリと叩きつけた。それが八時二十分。外は雨。宵闇がたれこめて、明暗さだかならぬイヤラシイ時刻であつた。 木村の指手は、四九飛。この手に百五十七分つかつて、合計三百十八分であつた。 塚田、六四金(四分)木村、二十六分考へて、二六角。それから、四三銀(三分)四五歩(二十七分)五四金、四四歩、四四同金左(三分)四七金、八六歩(三十八分)同銀、五五銀、四五銀(二十五分) このとき、凡そ十時半。四囲はとつぷり闇につゝまれ、光の中へ照らしだされた屏風がこひの緋モーセンは、いよいよもつてハラキリの舞台であつた。 ここで、又、塚田二回目の長考がはじまつた。この時までの消費時間は、木村の三百九十六分に対して、塚田はわづかに百六十三分であつた。 控室へきてみると、もう碁将棋で遊びふけつてゐる者はゐない。部屋の中央へ将棋盤をだして、土居、大山が盤に対し、金子八段が盤側にひかへて、駒をうごかし、次の指手の研究に余念もない。将棋はまさしく勝負どころへ来てゐるのである。 土居、大山、金子の研究では、どうしても木村よし、といふ結論になる。そこへ倉島竹二郎がやつてきて、オイ、記者室の方で升田と原田がやつてるが、あつちぢや、塚田よしの結論だぜ。大山は木村に似た棋風だから、木村の思ふ壺の結論がでるんだよ。升田は塚田に似た棋風だから、この部屋の連中の気がつかない手を見つけてゐるんだ、と報告した。 「そいつは、面白い」 と、豊田三郎が記者室へ走つて行つた。私も記者室へ行つて、原田八段から説明をきいたが、必ずしも塚田がいゝといふ結論ではない。結局、ここの指手の研究では、原田八段が最も偏せず、あらゆる場合を読みきつてゐたやうである。彼の研究相手は渡辺八段。升田は私と入れ違ひに、私たちの控室へ行つてゐた。 問題は、つゞいて、四五金、同桂、四四歩まできて先の変化で、下手からは六三金と打ちこむ手がある。大山はこのあたりで、も一つ控えて、上手の銀の打ちこみを防ぐことを主として考へてゐたやうである。この方法で、大山の通りに行くと、木村必勝の棋勢となつてしまふのである。 このへんの細いことは無論私には一向にわからない。わからなくつて書いてゐるのだから、私自身もバカ/\しいが、まア、怒らずに読んで下さい。間違つてゐても、責任は負ひません。大山は木村に近い棋風だから、木村のいゝ将棋になるのだと倉島竹二郎がいふ。そして、升田は大山の気付かぬ手を指してゐるぜ、といふ。それが三八銀と打ちこんで飛車に当てる手であつた。 ところが、これも八段連が考へてみると、飛車が七九へ逃げる。銀が二三へ成る。角が五九へ逃げて、つゞいてこの角が七七へ廻ることになると、やつぱり木村がいくらかいゝといふ話だ。塚田の成銀が遊び駒になる上に、この角が敵王のコビンに当る急所を占めるからである。 ところが原田八段は、この当りを消すために先づ六六歩、同歩と歩をつきすてゝ一歩呉れておくことを考へてゐた。そして、かうなると、まだ形勢は不明で、わからん、と云つてゐた。
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