芸に於てドストエフスキーに敗れたやうに、ワイルドに対してはその芸人根性に敗れたとでも申しませうか。いくらか誤解されさうな言ひ方です。机に向つたのちの芸術家ではなく、文学以前の文学の世界で、生活者としての作家の世界で、ワイルドに気分的な敗北を感じ、不安にみちびかれてゐたやうです。あるときワイルドはジイドの唇を指して、なんといふ毒々しく堅く結んだ唇だらう。まるで私は決して嘘をつきませんとしよつちう言ひ張つてゐるやうだと憎たいをつきました。私はそれを書いてゐるジイドの文章を読んだとき、さう言ふワイルドの面影が躍るやうな目覚ましさで浮かんだやうに思ひましたが、それも実はその文章の行間にひそむところのジイドの反感と軽蔑をまぜた失笑のせゐにほかならぬやうに思ひ直したのです。実際に当つて文章にさういふニュアンスがあつたものか、私の生活態度や視覚の方向がさういふことを勝手に捏造して感じたがる傾向にあつたものか、ちよつと判断がつきかねます。 ジイドはワイルドが出獄後の別人の如く恐怖を知り内面的な地獄に堕ちた姿も書いてゐるのですが、ワイルドの様な姿に向けられたジイドの多少の共感と愛情自体が、いはばそれも復讐の結果のやうに思はれたのです。然しながらその時すら、やつぱり敗北してゐるのはひとりのジイドだけであつたと思はずにゐられなかつたのでした。ワイルドは内面的な地獄に堕ちても、その堕ち方が、畢竟するにやつぱり傍若無人でした。それはジイドの及びがたい、否ジイドには有り得ないものなのです。結局彼はその若かつた時代に、彼が当然さうでなければならなかつた自然の不安と敗北を、ワイルドを手掛りにして深めるやうなめぐりあはせになつてゐたと言ふべきでせうか。そのやうに言ひ得ることも事実でせう。 書き忘れましたが、たしか誰かの文章に、芥川龍之介のうつる活動写真があつて、その写真の中では芥川が臆面もなく小僧のやうに木登りをしてみせるさうです。それを見て不快だつたといふ意味が洩らしてあつたと思ひました。私も甚だ同感でした。恐らく私もそれを見たら、同じやうに不快を覚えてしまふでせう。 芥川は不均斉を露出する逆方法によつて、先手をとりながら危なさを消す術の方を採用してゐたのでしたが、日本人の生得論理と連絡のないニヒリズムの暴力の前では、映画の中で行ふ種類の木遁の術の手並でも、却々もつて彼等のひねくれた眼力を誤魔化し、安定感を与へてやることはできません。さらに今日の時世が、そのやうなそれ自体としても決して愉快ではない眼力を一層深めさせてもゐるのでした。 私が縷々万言を費したことはたかが表情に就てですが、然しながら私は実は女占師の敵意の視線を前にしてその表情がどうならうとその方のことは意にしたくないつもりでゐました。物のはづみであつたわけです。私が真実書きたいと思つたところは、そのやうに顔面にすら不自由な束縛を加えるところの内部の複雑な渾沌について、いささか所信と修養の一端をひけらかしてみてはと思ひついてからのことです。然しながらそれは結局私の生涯の作品の後に、小説の形をかりて語る以外に法のないものでしたでせう。 結局私は他人の表情の棚下しをして、自身の表情に就てはとんと語りたがらぬ風でありましたが、それも亦私の生涯の作品の後に、自由に発見していただく以外に仕方がないと思つてゐます。余言ついでにあはせてテーブルスピーチの要領で、かういふ便利な言ひまはしを教へてくれたアンドレ・ジイド氏に末筆ながら敬意を表したいと思ひます。そしてまたこの言種が江戸の戯作者の亜流にすぎないといふ御叱言と失笑がでるなら、それは新年の初笑ひのために作者が甘んじてその光栄を担つたところの余興であると思つていただかねばなりません。そしてまたこの言種が――もはや何派の亜流であるかは恐らく誰も気をまはしたくないでせうね。御退屈さま。
●表記について
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