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突貫紀行(とっかんきこう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-4 10:04:16 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 

鳥目ちょうもくを種なしにした残念さ
   うっかりかったくされ卵子たまご
やす玉子きみもみだれてながるめり
   知りなばしき銭をすてむや


 これより行く手に名高き浪打峠なみうちとうげにかかる。末の松山を此地という説もあり。いずれに行くとも三十里余りをずば海にうことはなり難かるべし。ただし貝の化石は湯田というところよりいづるよしにて処々ところどころに売る家あり、なかなか価安からず。かくてすすむほどに山路に入りこみて、鬱蒼うっそうたる樹、潺湲せんかんたる水のほか人にもあわず、しばらく道にして人の来るを待ち、一ノ戸[#「一ノ戸」の「ノ」は小書き]まで何ほどあるやと問うに、十五里ばかりと答う。駭然がいぜんとして夢かうつつ狐子こしへんせらるるなからむやと思えども、なお勇気をふるいてすすむに、答えし男急にびとめて、いずかたへ行くやと云う。不思議に思いて、一の戸に行くなりとなまいらえするに、かれ笑って、ああおのし、まようて損したり、福岡の橋をわたらねばならずと云う。余ここにおいていよいよ落胆らくたんせり。されどそのままあるべきにもあらず、日も高ければいそぎて行くに、二時ふたときばかりにして一の戸駅と云える標杭しるしぐいにあいぬ。またまたあやしむこと限りなし。ふたたび貝石うる家の前にで、価を問うにいと高ければ、いまいましさのあまり、このはまぐり一升天保てんぽうくらいならば一こくも買うべけれと云えば、亭主ていしゅそれは食わむとにやと問う。元よりなりと答う。るかと云うに、いやなまこそことにうましなぞと口より出まかせに饒舌しゃべりちらせば、亭主、さらば一升まいらせむ、食いたまえと云う。そのつらつきいと真面目まじめなれば逃げんとしたれども、ふと思い付きて、まずからをとりてたまわれと答えける。亭主噴飯ふきだして、さてさておかしきことを云う人よと云う。おかしさはこれのみならず、余は今日二時間ばかりにて十五里歩みぬ、またおかしからずやと云えば、亭主、否々、吾等われらおいたれども二時間に三十里はあゆむべしと云う。だんだん聞くに六町一里にて大笑いとなりぬ。昼めし過ぎて小繋こつなぎまではもくらもくらと足引の山路いとなぐさめ難く、暮れてあやしき家にやどりぬ。きのこずくめの膳部ぜんぶにてことごとく閉口す。
 十六日、朝いと早く暗き内に出で、沼宮内ぬまくないもつつと抜けて、一里ばかりにて足をいため、一寸余りの長さの「まめ」三個できければ、歩みにくきことこの上なけれど、休みもせず、ついに渋民しぶたみの九丁ほど手前にて水飲み飯したため、涙ぐみて渋民に入りぬ。盛岡もりおかまで二十銭という車夫あり、北海道の馬より三倍安し。ついにのりて盛岡につきぬ。久しぶりにて女子らしき女子をみる。一体土地の風俗温和にていやしからず。中学は東京の大学に似たれど、警察署は耶蘇やそ天主堂に似たり。ともかくも青森よりははるかによろしく、戸数も多かるべし。肴町さかなまち十三日町にぎわさかんなり、八幡はちまんの祭礼とかにて殊更ことさらなれば、見物したけれど足の痛さに是非ぜひもなし。この日岩手富士を見る、また北上川の源に沼宮内よりう、共に奥州おうしゅうにての名勝なり。
 十七日、朝早く起き出でたるに足いたみて立つことかなわず、心を決して車に乗じてせたり。郡山こおりやま好地こうち、花巻、黒沢尻くろさわじり、金が崎、水沢、前沢をてようやく一ノ関に着す。この日行程二十四里なり。大町なんど相応の賑いなり。
 十八日、朝霧あさぎりいと深し。未明狐禅寺こぜんじに到り、岩手丸にて北上きたかみを下る。両岸景色おもしろし。いわゆる一山とんで一山来るとも云うべき景にて、眼いそがしく心ひまなく、句も詩もなきも口惜くちおしく、よどの川下りの弥次よりは遥かに劣れるも、さすがに弥次よりは高き情をもてる故なるべしとは負惜まけおしみなり。登米とよまを過ぐる頃、女のもちをうりに来る。いくらぞと問えば三文と答う。三毛かと問えばはいと云い、三厘かといえばまたはいと云う。なおくどく問えば怫然ふつぜんとして、面ふくらかして去る。しばらくして石の巻に着す。それより運河に添うて野蒜のびるに向いぬ。足はまたれ上りて、ひとあしごとに剣をふむごとし。苦しさえがたけれど、銭はなくなる道なお遠し、ごんという修行、にんと云う観念はこの時の入用なりと、歯をくいしばってすすむに、やがて草鞋わらじのそこ抜けぬ。小石原にていよいよえ難きに、雨降り来り日暮るるになんなんたり。やむをえず負えるくつをとりおろして穿うがち歩むに、一ツ家のわらじさげたるを見当り、うれしやと立寄り一ツ求めて十銭札を与うるに取らず、通用は近日にはいせらるる者ゆえいときらいて、この村にては通用ならぬよしの断りも無理ならねど、事情の困難を話してたのむに、いじわるばばあめさらに聞き入れず。なくなく買わずにまた五六町すぎて、さても旅は悲しき者とおもいしりぬ。鴻雁こうがん翔天しょうてんつばさあれども栩々くくしょうなく、丈夫じょうふ千里の才あって里閭りりょに栄すくなし、十銭時にあわず銅貨にいやしめらるなぞと、むずかしき愚痴ぐちの出所はこんな者とお気が付かれたり。ようやくある家にて草鞋を買いえて勇をふるい、八時半頃野蒜のびるにつきぬ。白魚の子の吸物すいものいとうまし、海の景色もめずらし。
 十九日、夜来の大雨ようよう勢衰いきおいおとろえたるに、今日は待ちに待ちたる松島見んとて勇気も日頃にましぬ。いでやと毛布ケット深くかぶりて、えいさえいさと高城にさしかかれば早や海原うなばらも見ゆるに、ひた走りして、ついに五大堂瑞岩寺ずいがんじ渡月橋とげつきょう等うちめぐりぬ。乗合い船にのらんとするに、あやにくに客一人もなし。ぜひなく財布さいふのそこをはたきて船をやとえば、ひきちがえて客一人あり、いまいましきことかぎりなし。されどおもしろき景色にめでて煩悩ぼんのうも軽きはいとよし。松島の景といえばただただ、松しまやああまつしまやまつしまやと古人もいいしのみとかや、一ツ一ツやがてくれけり千松島とつらねし技倆ぎりょうにては知らぬこと、われわれにては鉛筆えんぴつの一ダース二ダースつかいてもこの景色をいい尽し得べしともおもえず。東西南北、前後左右、あるいは大あるいは小、高きあり、ひくきあり、みのがめひきたるごとき者、したる牛の首あげたるごとき者あり、月島星島桂島かつらじまきょせるがごときが布袋島ほていじまなら立てるごときは毘沙門島びしゃもんじまにや、勝手に舟子かこが云いちらす名も相応に多かるべし。松吟庵しょうぎんあんかんにして俳士はいしひげひねるところ、五大堂はびて禅僧ぜんそうしりをすゆるによし。いわんやまたこの時金風淅々せきせきとして天に亮々りょうりょうたる琴声きんせいを聞き、細雨霏々ひひとしてたもと滴々てきてきたる翠露すいろのかかるをや。すぐる者は送るがごとく、きたるものはむかうるに似たり。赤き岸、白きなぎさあれば、黒き岩、黄なるがけあり。子美太白しびたいはくの才、東坡柳州とうばりゅうしゅうの筆にあらずはいかむかこの光景を捕捉ほそくしえん。さてそれより塩竈しおがま神社にもうでて、もうこのつぼいしぶみ前を過ぎ、芭蕉ばしょうつじにつき、青葉の名城は日暮れたれば明日の見物となすべきつもりにて、知る人のもとに行きける。しおがまにてただの一銭となりければ、そを神にたてまつりて、

からからとからき浮世うきよ塩釜しおがま
   せんじつめたりふところの中


 はらの町にて、

宮城野みやぎのはぎもちさえくえぬ身の
   はらのへるのを何と仙台


 二十日、朝、くもり。午前九時知る人をたずねしに、言葉の聞きちがえにて、いと知れにくかりければ、

いそがずはまちがえまじを旅人の
   あとよりわかる路次のむだ道


 二十一日、この日もまた我が得べき筋の金を得ず、今しばらく待ちてよとの事に逗留とうりゅうと決しける。
 二十二日、同じく閑窓かんそう読書の他なし。
 二十三日、同じく。
 二十四日、同じく。
 二十五日、朝、基督キリスト教会堂に行きて説教をきく。仏教もこの教も人の口より聞けば有難ありがたからずと思いぬ。
 二十六日、いかがなしけん頭痛はげしくしていかんともしがたし。
 二十七日、同じく頭痛す。
 二十八日、少許すこしの金と福島までの馬車券とを得ければ、因循いんじゅん日を費さんよりは苦しくとも出発せんと馬車にて仙台を立ち、日なお暮れざるに福島に着きぬ。途中白石の町は往時むかし民家の二階立てを禁じありしとかにて、うち見たるところ今なお巍然ぎぜんたる家無し。片倉小十郎は面白き制をきしものかな。福島にて問いただすに、郡山より東京までは鉄路すでに通じて汽車の往復あるよしなり。その乗券の価を問うにほとんど嚢中有るところと相同じければ、今宵こよいこの地に宿りて汽車賃を食い込み、明日また歩み明後日また歩み、いつまでも順送りに汽車へ乗れぬ身とならんよりは、苦しくとも夜をめて郡山まで歩み、明日の朝一番にて東京に到らん方極めてみょうなり、身には邪熱じゃねつあり足はなお痛めど、夜行をとらでは以後の苦みいよいよもって大ならむと、ついに草鞋穿わらじばきとなりて歩み出しぬ。二本松に至れば、はや夜半ちかくして、市は祭礼のよしにて賑やかなれど、我が心のさびしさ云うばかりなし。市を出はずるる頃より月明らかに前途ゆくてを照しくるれど、同伴者つれも無くてただ一人、町にて買いたるもちを食いながら行く心の中いと悲しく、銭あらば銭あらばと思いつつようよう進むに、足の疲れはいよいよ甚しく、時には犬に取り巻かれ人に誰何すいかせられて、からくも払暁あけがた郡山に達しけるが、二本松郡山の間にては幾度いくどいこいけるに、初めは路のかたわらの草あるところにこしを休めなどせしも、次には路央みちなか蝙蝠傘こうもりがさを投じてその上に腰を休むるようになり、ついには大の字をなして天を仰ぎつつ地上に身を横たえ、額を照らす月光に浴して、他年のたれ死をする時あらば大抵たいていかかる光景ならんと、悲しき想像なんどを起すようなりぬ。
 二十九日、汽車の中に困悶こんもんしてわずかにねむり、午後東京にからくも着きぬ。久しく見ざれば停車場より我が家までの間の景色さえ変りて、愴然そうぜんたる感いと深く、父上母上の我が思いなしにやいたく老いたまいたる、祖母上ばばうえのこの四五日前より中風とやらにかかりたまえりとて、身動きもしたまわず病蓐びょうじょくの上に苦しみいたまえるには、いよいよ心も心ならずおどろき悲しみ、弟妹等の生長せるばかりにはややうれしき心地すれど、いたずらによわいのみ長じてよからぬことのみしいだしたる我が、今もなお往時むかしながらの阿蒙あもうなるに慚愧ざんきの情身をむれば、他を見るにつけこれにすら悲しさ増して言葉も出でず。

(明治二十年八月)




 



底本:ちくま日本文学全集『幸田露伴』 筑摩書房
   1992(平成4)年3月20日第一刷
親本:「ちくま文学の森」筑摩書房
入力:真先芳秋
校正:丹羽倫子
1998年9月16日公開
2003年11月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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