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幻談(げんだん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-4 9:51:52 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 「それは旦那、お客さんが持って行ったって三途川(さんずのかわ)で釣をする訳でもありますまいし、お取りなすったらどんなものでしょう。」
 そこでまたこづいて見たけれども、どうしてなかなかしっかり掴(つか)んでいて放しません。死んでも放さないくらいなのですから、とてもしっかり握っていて取れない。といって刃物を取出(とりだ)して取る訳にも行かない。小指でしっかり竿尻を掴(つか)んで、丁度それも布袋竹(ほていだけ)の節の処を握っているからなかなか取れません。仕方がないから渋川流(しぶかわりゅう)という訳でもないが、わが拇指(おやゆび)をかけて、ぎくりとやってしまった。指が離れる、途端に先(せん)主人(しゅじん)は潮下(しおしも)に流れて行ってしまい、竿はこちらに残りました。かりそめながら戦ったわが掌(て)を十分に洗って、ふところ紙(がみ)三、四枚でそれを拭(ぬぐ)い、そのまま海へ捨てますと、白い紙玉(かみだま)は魂(たましい)ででもあるようにふわふわと夕闇の中を流れ去りまして、やがて見えなくなりました。吉は帰りをいそぎました。
 「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、南無阿弥陀仏、ナア、一体どういうのだろう。なんにしても岡釣(おかづり)の人には違いねえな。」
 「ええ、そうです。どうも見たこともねえ人だ。岡釣でも本所、深川(ふかがわ)、真鍋河岸(まなべがし)や万年(まんねん)のあたりでまごまごした人とも思われねえ、あれは上(かみ)の方の向島(むこうじま)か、もっと上の方の岡釣師ですな。」
 「なるほど勘が好い、どうもお前うまいことを言う、そして。」
 「なアに、あれは何でもございませんよ、中気(ちゅうき)に決まっていますよ。岡釣をしていて、変な処にしゃがみ込んで釣っていて、でかい魚(さかな)を引(ひっ)かけた途端に中気が出る、転げ込んでしまえばそれまででしょうネ。だから中気の出そうな人には平場でない処の岡釣はいけねえと昔から言いまさあ。勿論(もちろん)どんなところだって中気にいいことはありませんがネ、ハハハ。」
 「そうかなア。」
 それでその日は帰りました。
 いつもの河岸に着いて、客は竿だけ持って家に帰ろうとする。吉が
 「旦那は明日(あす)は?」
 「明日も出るはずになっているんだが、休ませてもいいや。」
 「イヤ馬鹿雨(ばかあめ)でさえなければあっしゃあ迎えに参りますから。」
 「そうかい」と言って別れた。
 あくる朝起きてみると雨がしよしよと降っている。
 「ああこの雨を孕んでやがったんで二、三日漁(りょう)がまずかったんだな。それとも赤潮(あかしお)でもさしていたのかナ。」
 約束はしたが、こんなに雨が降っちゃ奴(やつ)も出て来ないだろうと、その人は家(うち)にいて、しょうことなしの書見(しょけん)などしていると、昼近くなった時分に吉はやって来た。庭口からまわらせる。
 「どうも旦那、お出(で)になるかならないかあやふやだったけれども、あっしゃあ舟を持って来ておりました。この雨はもう直(じき)あがるに違(ちげ)えねえのですから参りました。御伴(おとも)をしたいともいい出せねえような、まずい後(あと)ですが。」
 「アアそうか、よく来てくれた。いや、二、三日お前にムダ骨を折らしたが、おしまいに竿が手に入るなんてまあ変なことだなア。」
 「竿が手に入るてえのは釣師には吉兆(きっちょう)でさア。」
 「ハハハ、だがまあ雨が降っている中(うち)あ出たくねえ、雨を止(や)ませる間(あいだ)遊んでいねえ。」
 「ヘイ。時に旦那、あれは?」
 「あれかい。見なさい、外鴨居(そとがもい)の上に置いてある。」
 吉は勝手の方へ行って、雑巾盥(ぞうきんだらい)に水を持って来る。すっかり竿をそれで洗ってから、見るというと如何にも良い竿。じっと二人は検(あらた)め気味(ぎみ)に詳しく見ます。第一あんなに濡れていたので、重くなっているべきはずだが、それがちっとも水が浸みていないようにその時も思ったが、今も同じく軽い。だからこれは全く水が浸みないように工夫がしてあるとしか思われない。それから節廻(ふしまわ)りの良いことは無類。そうして蛇口(へびぐち)の処を見るというと、素人細工(しろうとざいく)に違いないが、まあ上手(じょうず)に出来ている。それから一番太い手元の処を見るとちょいと細工がある。細工といったって何でもないが、ちょっとした穴を明けて、その中に何か入れでもしたのかまた塞(ふさ)いである。尻手縄(しってなわ)が付いていた跡でもない。何か解らない。そのほかには何の異(かわ)ったこともない。
 「随分稀(めず)らしい良(い)い竿だな、そしてこんな具合の好(い)い軽い野布袋(のぼてい)は見たことがない。」
 「そうですな、野布袋という奴は元来重いんでございます、そいつを重くちゃいやだから、それで工夫をして、竹がまだ野に生きている中(うち)に少し切目(きりめ)なんか入れましたり、痛めたりしまして、十分に育たないように片っ方をそういうように痛める、右なら右、左なら左の片方をそうしたのを片(かた)うきす、両方から攻める奴を諸(もろ)うきすといいます。そうして拵(こしら)えると竹が熟した時に養いが十分でないから軽い竹になるのです。」
「それはお前俺(おれ)も知っているが、うきすの竹はそれだから萎(しな)びたようになって面白くない顔つきをしているじゃないか。これはそうじゃない。どういうことをして出来たのだろう、自然にこういう竹があったのかなア。」
 竿というものの良いのを欲しいと思うと、釣師は竹の生えている藪(やぶ)に行って自分で以(もっ)てさがしたり撰(えら)んだりして、買約束(かいやくそく)をして、自分の心のままに育てたりしますものです。そういう竹を誰でも探しに行く。少し釣が劫(こう)を経(へ)て来るとそういうことにもなりまする。唐(とう)の時に温庭※(おんていいん)という詩人、これがどうも道楽者で高慢で、品行が悪くて仕様がない人でしたが、釣にかけては小児(こども)同様、自分で以て釣竿を得ようと思って裴氏(はいし)という人の林に這入(はい)り込んで良い竹を探した詩がありまする。一径(いっけい)互(たがい)に紆直(うちょく)し、茅棘(ぼうきょく)亦(また)已(すで)に繁(しげ)し、という句がありまするから、曲がりくねった細径(ほそみち)の茅(かや)や棘(いばら)を分けて、むぐり込むのです。歴尋(れきじん)す嬋娟(せんえん)の節、翦破(せんぱ)す蒼莨根(そうろうこん)、とありまするから、一々(いちいち)この竹、あの竹と調べまわった訳です。唐の時は釣が非常に行われて、薜氏(せつし)の池という今日まで名の残る位の釣堀(つりぼり)さえあった位ですから、竿屋だとて沢山(たくさん)ありましたろうに、当時持囃(もてはや)された詩人の身で、自分で藪くぐりなんぞをしてまでも気に入った竿を得たがったのも、好(すき)の道なら身をやつす道理でございます。半井(なからい)卜養(ぼくよう)という狂歌師の狂歌に、浦島(うらしま)が釣の竿とて呉竹(くれたけ)の節はろくろく伸びず縮まず、というのがありまするが、呉竹の竿など余り感心出来ぬものですが、三十六節あったとかで大(おおい)に節のことを褒(ほ)めていまする、そんなようなものです。それで趣味が高じて来るというと、良いのを探すのに浮身(うきみ)をやつすのも自然の勢(いきおい)です。
 二人はだんだんと竿に見入っている中(うち)に、あの老人が死んでも放さずにいた心持が次第に分って来ました。
 「どうもこんな竹は此処(ここい)らに見かけねえですから、よその国の物か知れませんネ。それにしろ二間(けん)の余(よ)もあるものを持って来るのも大変な話だし。浪人の楽(らく)な人だか何だか知らないけれども、勝手なことをやって遊んでいる中(うち)に中気が起ったのでしょうが、何にしろ良(い)い竿だ」と吉はいいました。
 「時にお前、蛇口を見ていた時に、なんじゃないか、先についていた糸をくるくるっと捲(ま)いて腹掛(はらがけ)のどんぶりに入れちゃったじゃねえか。」
 「エエ邪魔っけでしたから。それに、今朝それを見まして、それでわっちがこっちの人じゃねえだろうと思ったんです。」
 「どうして。」
 「どうしてったって、段々細(だんだんぼそ)につないでありました。段々細につなぐというのは、はじまりの処が太い、それから次第に細いのまたそれより細いのと段々細くして行く。この面倒な法は加州(かしゅう)やなんぞのような国に行くと、鮎(あゆ)を釣るのに蚊鉤(かばり)など使って釣る、その時蚊鉤がうまく水の上に落ちなければまずいんで、糸が先に落ちて後(あと)から蚊鉤が落ちてはいけない、それじゃ魚(さかな)が寄らない、そこで段々細の糸を拵えるんです。どうして拵えますかというと、鋏(はさみ)を持って行って良い白馬の尾の具合のいい、古馬にならないやつのを頂戴して来る。そうしてそれを豆腐(とうふ)の粕(かす)で以て上からぎゅうぎゅうと次第々々にこく。そうすると透き通るようにきれいになる。それを十六本、右撚(よ)りなら右撚りに、最初は出来ないけれども少し慣れると訳なく出来ますことで、片撚(かたよ)りに撚る。そうして一つ拵える。その次に今度は本数を減らして、前に右撚りなら今度は左撚りに片撚りに撚ります。順々に本数をへらして、右左をちがえて、一番終いには一本になるようにつなぎます。あっしあ加州の御客に聞いておぼえましたがネ、西の人は考(かんがえ)がこまかい。それが定跡(じょうせき)です。この竿は鮎をねらうのではない、テグスでやってあるけれども、うまくこきがついて順減(じゅんべ)らしに細くなって行くようにしてあります。この人も相当に釣に苦労していますね、切れる処を決めて置きたいからそういうことをするので、岡釣じゃなおのことです、何処(どこ)でも構わないでぶっ込むのですから、ぶち込んだ処にかかりがあれば引(ひっ)かかってしまう。そこで竿をいたわって、しかも早く埒(らち)の明(あ)くようにするには、竿の折れそうになる前に切れ処(どこ)から糸のきれるようにして置くのです。一番先の細い処から切れる訳だからそれを竿の力で割出(わりだ)していけば、竿に取っては怖いことも何もない。どんな処へでもぶち込んで、引(ひっ)かかっていけなくなったら竿は折れずに糸が切れてしまう。あとはまた直ぐ鉤(はり)をくっつければそれでいいのです。この人が竿を大事にしたことは、上手に段々細にしたところを見てもハッキリ読めましたよ。どうも小指であんなに力を入れて放さないで、まあ竿と心中(しんじゅう)したようなもんだが、それだけ大事にしていたのだから、無理もねえでさあ。」
などと言っている中(うち)に雨がきれかかりになりました。主人は座敷、吉は台所へ下(さが)って昼の食事を済ませ、遅いけれども「お出(で)なさい」「出よう」というので以て、二人は出ました。無論その竿を持って、そして場処に行くまでに主人は新しく上手に自分でシカケを段々細に拵えました。
 さあ出て釣り始めると、時々雨が来ましたが、前の時と違って釣れるわ、釣れるわ、むやみに調子の好い釣になりました。とうとうあまり釣れるために晩(おそ)くなって終いまして、昨日(きのう)と同じような暮方(くれがた)になりました。それで、もう釣もお終いにしようなあというので、蛇口から糸を外(はず)して、そうしてそれを蔵(しま)って、竿は苫裏(とまうら)に上げました。だんだんと帰って来るというと、また江戸の方に燈(ひ)がチョイチョイ見えるようになりました。客は昨日からの事を思って、この竿を指を折って取ったから「指折(ゆびお)※[#「※」は小書きの「リ」]」と名づけようかなどと考えていました。吉はぐいぐい漕いで来ましたが、せっせと漕いだので、艪臍(ろべそ)が乾いて来ました。乾くと漕ぎづらいから、自分の前の処にある柄杓(ひしゃく)を取って潮(しお)を汲んで、身を妙にねじって、ばっさりと艪の臍(へそ)の処に掛けました。こいつが江戸前の船頭は必ずそういうようにするので、田舎(いなか)船頭のせぬことです。身をねじって高い処から其処(そこ)を狙ってシャッと水を掛ける、丁度その時には臍が上を向いています。うまくやるもので、浮世絵(うきよえ)好みの意気な姿です。それで吉が今身体(からだ)を妙にひねってシャッとかける、身のむきを元に返して、ヒョッと見るというと、丁度昨日(きのう)と同じ位の暗さになっている時、東の方に昨日と同じように葭(よし)のようなものがヒョイヒョイと見える。オヤ、と言って船頭がそっちの方をジッと見る、表の間(ま)に坐っていたお客も、船頭がオヤと言ってあっちの方を見るので、その方を見ると、薄暗くなっている水の中からヒョイヒョイと、昨日と同じように竹が出たり引込(ひっこ)んだりしまする。ハテ、これはと思って、合点しかねているというと、船頭も驚きながら、旦那は気が附いたかと思って見ると、旦那も船頭を見る。お互(たがい)に何だか訳の分らない気持がしているところへ、今日は少し生暖(なまあたた)かい海の夕風が東から吹いて来ました。が、吉は忽(たちま)ち強がって、
 「なんでえ、この前の通りのものがそこに出て来る訳はありあしねえ、竿はこっちにあるんだから。ネエ旦那、竿はこっちにあるんじゃありませんか。」
 怪(かい)を見て怪とせざる勇気で、変なものが見えても「こっちに竿があるんだからね、何でもない」という意味を言ったのであったが、船頭もちょっと身を屈(かが)めて、竿の方を覗(のぞ)く。客も頭の上の闇を覗く。と、もう暗くなって苫裏(とまうら)の処だから竿があるかないか殆ど分らない。かえって客は船頭のおかしな顔を見る、船頭は客のおかしな顔を見る。客も船頭もこの世でない世界を相手の眼の中から見出したいような眼つきに相互に見えた。
 竿はもとよりそこにあったが、客は竿を取出して、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、南無阿弥陀仏と言って海へかえしてしまった。
[#29字下げ、地より1字あきで](昭和十三年九月)



底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
   1990(平成2)年11月16日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集」第六巻、岩波書店
   1953(昭和28)年12月刊
入力:Sin
校正:伊藤時也
ファイル作成:野口英司
2000年5月31日公開
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

繰り返し記号の二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたようなもの)は、「々」で代えた。

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

※輪(わっか)

第3水準1-89-69
※網(たま)をしゃんと持っていまして

第3水準1-85-7
温庭※(おんていいん)という詩人

第3水準1-89-63

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