三
二十五の時の弥兵衛であった。お伊勢様へ抜け参りをした。どうしたものか三河の国の御油の駅路近くやって来た時に、道を迷ってあらぬ方へ行った。そうして寂しい山村へ来た。おりから夕暮れで豪雨が降り、どうすることも出来なかったので、豪家らしい屋敷の門際に佇み、雨のやむのを待っていた。するとそこへ上品な老人が供を連れて通りかかったが、弥兵衛を見ると親切に声かけその屋敷へ伴なった。老人はその屋敷の主人なのであった。弥兵衛は町人の伜であり、母一人に子一人の境遇、美貌であり品もあり穏しくもあったが、どっちかといえば病身で、劇しい商機にたずさわることが出来ず、家に小金があるところから、和歌俳諧茶の湯音曲、そんなものを道楽にやり、ノンビリとしてくらしていたので、どこか鷹揚のところがあった。 屋敷の主人は弥兵衛のために、驚くばかりの馳走をし、茶菓を出し酒肴をととのえ、着飾った娘のおきたをさえ出し、琴を弾かせて饗応した。 こういうことが縁となり、弥兵衛とおきたとは恋仲となり、おきたは弥兵衛へあけすけに云った。 「妾を連れて逃げてくださりませ」と。 大家のお嬢様で眼覚めるような美人と駈け落ちをして夫婦になる、これは決して弥兵衛にとって、迷惑のことではなかったが、伊勢参宮を済ましていなかった。女を連れての神詣で、これはどうにも気が済まなかったので、 「帰途かならず立ち寄って、その時お連れいたしましょう」 弥兵衛は娘へそう云った。 男の真実がわかったと見えて、 「お待ちいたします」 と娘は云った。 参宮を済まして帰って来た弥兵衛は、村口の駄菓子屋で菓子を買いながら、それとなく例の屋敷のことを、そこの主人に訊ねて見た。 「大金持ちではございますが、犬神のお頭でございましてな、素人の衆は交際いませぬ。お気の毒なはあそこの娘で、名をおきたと云ってあれだけの縹緻、そこで父親が苦心をし、この娘だけは人並々に、素人衆に婚礼わせたいと……」 そう菓子屋の主人は云った。 弥兵衛は顔色を失って、そのまま屋敷へは立ち寄らず、駿河の故郷へ一途に走った。 犬神! それは「とっつき」とも云い、その種族の者に見詰められると、見詰められた者は病気になるか、財を失うか発狂するか、ろくなことにはならないというので、誰でもが交際わない種族なのであった。 「犬神に憑かれたらおしまいだ」 そう人々は云いさえした。 その種族の娘と夫婦になる。これはとうてい弥兵衛にとっては我慢のならないことであった。 が家へ帰って見て、もう犬神に憑かれていることを、弥兵衛は感ぜざるを得なかった。 娘と恋仲になった日に、母が悶死したということであった。 弥兵衛はすぐに出家してしまった。そうして諸国を巡った後、江戸へ出て浅草へ行った。 と、おきたが茶汲み女として、美貌と艶姿とで鳴らしているのを見た。 恐怖と懊悩とが彼の心を焼いた。 彼は毎日難波屋の前を、往来しておきたを眺めたり、彼女の愛人として知られていた、貝塚三十郎の後をつけたりした。 おきたを写した一枚絵を、それからそれと買いもした。 死を前にしてこれだけのことが、弥兵衛――源空の記憶に上った。 (わしも結局憑かれたんだ。こんなように憑かれるくらいだったら、いっそおきたと夫婦になった方が…… いやそうではないそうではない! ……そんな小さな問題ではない! ……宗教の道へ入ってみて、人間は一切平等だという、真理をわしは知ることが出来た。犬神だのとっつきだのと、同じ日本の人間を、差別視するということの、不合理であるということも知った。わしはあの時あのおきたと、夫婦になればよかったのだ。わしがおきたと夫婦になっていたら、おきたはこんなあばずれ女に、決してなってはいなかっただろう! ……因果応報! 悪因悪果! わしは快く殺されよう!) そこで彼は大声で叫んだ。 「わたしは快く死にまする! さあさあお斬りくださいまし!」 彼は立ったまま合掌し、眼をつむって静まっていた。 でもいつまで待っていても、刀が彼の身へは触れなかった。 そうして彼が眼をあけた時には、おきたと三十郎との姿は見えず、野面の芒を風がそよがし、月が照っているばかりであった。
このことが絶好の教訓となって、源空は仏道に精進し、そのため次第に位置も進み、やがて一箇寺の住職となり、老年となるや高僧として、諸人に渇仰されるようになったが、そうなってからも疑問だったのは、 (あの時どうして三十郎のために、わしは命を取られなかったのだろう?) という、そういうことであった。 しかしもし彼が雲水となって、奥州塩釜の里へ行き、なにがしという尼寺を訪ね、法均という尼の口から、身の上話を聞いたなら、疑問は氷解したことと思う。 法均は人へこう話すそうな。 「わたしが難波屋おきたといって、浅草の境内におりました頃、あるお侍さんに誘われて、道行きをしたことがございました。するとわたしたちの後をつけて、それ以前にわたくしと縁のありました、若い新発意が追って参りました。そこでわたしはお侍さんに勧めて、新発意を殺させようといたしました。ところがどうでしょうその新発意は、街道に立って合掌し、『わたしは快く死にまする。どうぞお斬りくださいまし』と、こう申したではありませんか。それはまアどうでもよいとして、そう云いました時の新発意の姿が、浅草寺にある仏様の、ご一体そっくりに見えましたので、わたくしはお侍さんの袖を引いて、いそいで逃げてしまいました。ところが貝塚[#「貝塚」は底本では「見塚」]三十郎という、そのお侍さんの眼には新発意の姿が――俗名は弥兵衛、法名は源空――その人の姿がこれも仏様の、不動明王に見えましたそうで、『わしの過去の罪業を不動様が責めるわ責めるわ』と云って、間もなく狂死いたしました。そこでわたしは仏門に入り」……と。 ――けだしあの時源空が、人間無差別の悟りに徹し、死を覚悟した尊い態度[#「態度」は底本では「熊度」]がおきたや三十郎の心を打って、死をまぬかれたものらしい。
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