二
それから幾年かたちました。娘もだんだん大きくなりました。ちょうど十五になった時、おかあさんはふと病気になって、どっと寝込んでしまいました。 おとうさんは心配して、お医者にみてもらいましたが、なかなかよくなりません。娘は夜も昼もおかあさんのまくら元につきっきりで、ろくろく眠る暇もなく、一生懸命にかんびょうしましたが、病気はだんだん重るばかりで、もう今日明日がむずかしいというまでになりました。 その夕方、おかあさんは娘をそばに呼び寄せて、やせこけた手で、娘の手をじっと握りながら、 「長い間、お前も親切に世話をしておくれだったが、わたしはもう長いことはありません。わたしが亡くなったら、お前、わたしの代わりになって、おとうさんをだいじにして上げて下さい。」 といいました。娘は何ということもできなくって、目にいっぱい涙をためたまま、うつむいていました。 その時おかあさんはまくらの下から鏡を出して、 「これはいつぞやおとうさんから頂いて、だいじにしている鏡です。この中にはわたしの魂が込めてあるのだから、この後いつでもおかあさんの顔が見たくなったら、出してごらんなさい。」 といって鏡を渡しました。 それから間もなく、おかあさんはとうとう息を引き取りました。あとに取り残された娘は、悲しい心をおさえて、おとうさんの手助けをして、おとむらいの世話をまめまめしくしました。 おとむらいがすんでしまうと、急にうちの中がひっそりして、じっとしていると、寂しさがこみ上げてくるようでした。娘はたまらなくなって、 「ああ、おかあさんに会いたい。」 と独り言をいいましたが、ふとあの時おかあさんにいわれたことを思い出して、鏡を出してみました。 「ほんとうにおかあさんが会いに来て下さるかしら。」 娘はこういいながら、鏡の中をのぞきました。するとどうでしょう、鏡の向こうにはおかあさんが、それはずっと若い美しい顔で、にっこり笑っていらっしゃいました。娘はぼうっとしたようになって、 「あら、おかあさん。」 と呼びかけました。そしていつまでもいつまでも、顔を鏡に押しつけてのぞき込んでいました。
三
その後おとうさんは人にすすめられて、二度めのおかあさんをもらいました。 おとうさんは娘に、 「こんどのおかあさんもいいおかあさんだから、亡くなったおかあさんと同じように、だいじにして、いうことを聴くのだよ。」 といいました。 娘はおとなしくおとうさんのいうことを聴いて、 「おかあさん、おかあさん。」 といって慕いますと、こんどのおかあさんも、先のおかあさんのように、娘をよくかわいがりました。おとうさんはそれを見て、よろこんでいました。 それでも娘はやはり時々、先のおかあさんがこいしくなりました。そういう時、いつもそっと一間に入って、れいの鏡を出してのぞきますと、鏡の中にはそのたんびにおかあさんが現れて、 「おや、お前、おかあさんはこのとおり達者ですよ。」 というように、にっこり笑いかけました。 こんどのおかあさんは、時々娘が悲しそうな顔をしているのを見つけて心配しました。そしてそういう時、いつも一間に入り込んで、いつまでも出てこないのを知って、よけい心配になりました。そう思って娘に聴いても、 「いいえ、何でもありません。」 と答えるだけでした。でもおかあさんは、何だか娘が自分にかくしていることがあるように疑って、だんだん娘がにくらしくなりました。それである時おとうさんにその話をしました。おとうさんもふしぎがって、 「よしよし、こんどおれが見てやろう。」 といって、ある日そっと娘の後から一間に入って行きました。そして娘が一心に鏡の中に見入っているうしろから、出し抜けに、 「お前、何をしている。」 と声をかけました。娘はびっくりして、思わずふるえました。そして真っ赤な顔をしながら、あわてて鏡をかくしました。おとうさんはふきげんな顔をして、 「何だ、かくしたものは。出してお見せ。」 といいました。娘は困ったような顔をして、こわごわ鏡を出しました。おとうさんはそれを見て、 「何だ。これはいつか死んだおかあさんにわたしの買ってやった鏡じゃないか。どうしてこんなものをながめているのだ。」 といいました。 すると娘は、こうしておかあさんにお目にかかっているのだといいました。そしておかあさんは死んでも、やはりこの鏡の中にいらしって、いつでも会いたい時には、これを見れば会えるといって、この鏡をおかあさんが下さったのだと話しました。おとうさんはいよいよふしぎに思って、 「どれ、お見せ。」 といいながら、娘のうしろからのぞきますと、そこには若い時のおかあさんそっくりの娘の顔がうつりました。 「ああ、それはお前の姿だよ。お前は小さい時からおかあさんによく似ていたから、おかあさんはちっとでもお前の心を慰めるために、そうおっしゃったのだ。お前は自分の姿をおかあさんだと思って、これまでながめてよろこんでいたのだよ。」 こうおとうさんはいいながら、しおらしい娘の心がかわいそうになりました。 するとその時まで次の間で様子を見ていた、こんどのおかあさんが入って来て、娘の手を固く握りしめながら、 「これですっかり分かりました。何というやさしい心でしょう。それを疑ったのはすまなかった。」 といいながら、涙をこぼしました。娘はうつむきながら、小声で、 「おとうさんにも、おかあさんにも、よけいな御心配をかけてすみませんでした。」 といいました。
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