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秋窓雑記(しゅうそうざっき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-31 10:47:54 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1974(昭和44)年6月5日
入力に使用: 1985(昭和60)年11月10日初版第15刷
校正に使用: 1988(昭和63)年7月25日初版第15刷

 

    第一

 かなしきものは秋なれど、また心地好きものも秋なるべし。春は俗を狂せしむるによけれど、秋の士を高うするにかず。花の人を酔はしむると月の人をましむるとは、おのづからあじはひを異にするものあり。喜楽の中に人間の五情を没了するは世俗の免かるゝあたはざるところながら、われは万木凋落てうらくの期に当りて、静かに物象を察するの快なるを撰ぶなり。

     第二

 希望は人を欺き易きものぞ。今年こんねんの盛夏、鎌倉に遊びて居ることわづかに二日、思へらく此秋こそはこゝに来りて、よろづの秋の悲しきを味ひ得んと。図らざりき身事忙促として、空しく中秋の好時節を紅塵万丈のうちに過さんとは。しかれども秋は鎌倉に限るにあらず、人間到るところに詩界の秋あり。欺き易き希望を駕御がぎよするの道は、こゝにこそあれ。

     第三

 我庵わがいほた秋の光景けしきにはもれざりける。のどなきやぶるばかりのひよどりの声々、高き梢に聞ゆるに、※(「窗/心」、第3水準1-89-54)を開きてそこかこゝかとうち見れば、そこにもあらず、こゝにもあらず、※(「窗/心」、第3水準1-89-54)を閉ぢて書をひらけば一層高く聞ゆめり。鳥の声ぞと聞けば鳥の声なり、秋の声ぞと聞けば、おもしろさ読書のたぐひにあらず。

     第四

 病みて他郷にある人の身の上を気遣ふは、人も我もかはらじ、れど我は常に健全すこやかなる人のたま/\床に臥すを祝せんとはするなり。病なき人の道に入ることのかたきは、富めるものゝ道に入り難きにひとしからむ。世にはたいすこやかなるが為に心健かならざるもの多ければ、常に健やかなるものゝ十日二十日病床に臥すは、左まで恨むべき事にあらず、してこの秋の物色けしきに対して、命運を学ぶにこよなき便よすがあるをや。く我は真意まごゝろを以て微恙びやうある友に書きおくれり。

     第五

 萩薄はぎすゝき我が庭に生ふれど、我は在来の詩人の如く是等の草花を珍重すること能はず。我は荒漠たる原野に名も知れぬ花をづるの心あれども、園芸の些技さぎにて造詣ざうけいしたる矮少わいせうなる自然の美を、左程にうれしと思ふ情なし。左は言へど敢て在来の詩人を責むるにもあらず、又た自己の愛するところを言はんとにもあらず、唯だ我が秋に対する感のひとつとして記するのみ。

     第六

 鴉こそをかしきものなれ。わが山庵の窓近くり立ちて、我をながし目に見やりたるのち、追へども去らず、叱すれども驚かず、やゝともすれば脚を立て首を揚げて飛去らんとする景色は見すれど、わが害心なきを知ればにや、たゞちよろ/\と歩むのみ。浮世は広ければ、かゝ曲物くせものを置きたりとて何のさはりにもなるまじけれど、そのあくたある処に集り、穢物ゑぶつあるところに群がるの性あるを見ては、人間の往々之に類するもの多きを想ひ至りていさゝむね悪くなりたれば、物をぐる真似しけるに、たちまちに飛去りぬ。飛去る時かあ、かあ、と鳴く声は我が局量を嘲る者の如し。実に皮肉家と云ふもの、文界のみにはあらざりけり。

     第七

 夜更けて枕の未だ安まらぬ時蟋蟀きりぎりすの声を聞くは、まことの秋のこゝろなりけむ。その声を聞く時に、希望もなく、失望もなく、恐怖もなく、欣楽きんらくもなし。世の心全く失せて、秋のみ胸に充つるなり。松虫鈴虫のみ秋を語るにあらず。古書古文のみ物の理を我に教ふるにあらず。一蟋蟀の為に我は眠を惜まれて、物思ひなき心におもひを宿しけり。

     第八

 芭蕉の葉色、秋風を笑ひてまがきおほへる微かなる住家すみかより、ゆかしきの洩れきこゆるに、仇心浮きてなかうかゞひ見れば、年老いたる盲女の琵琶を弾ずる面影凛乎りんことして、俗世の物ならず。その律調の端正なること、今の世の浮華なる音楽に較ぶべからず。うれしき事に思ひぬ。

     第九

 紅葉館は我いほうしろにあり。古風の茶亭とは名のみにて、今の世の浮世才子が高く笑ひ、低く語るの塲所なり。三絃の音耳を離れず、蹈舞の響森を穿うがちてきたる。その音の卑しく、其響の険なるは、幾多世上の趣味家を泣かすに足る者あるべし。紳士の風儀久しくおちて、之を救済するの道未だ開けず。かなしいかな。

     第十

 わが幻住のほとりに、なさけしらぬもの多く住むにやあらむ、わがうつりてより未だ月の数も多からぬに三度みたびまでも猫を捨てたるものあり。一たびは朝早く我机辺に泣くを見出し、二度目ふたゝびめには雨ふりしきる日に垣の外より投入れられぬ。三度目みたびめは我が居らざりし時の事なれば知らず。浮世の辛らきは人の上のみにあらずと覚えたり。

     第十一

 今の世の俳諧士は憐れむべきものなるかな。我いほを隔つることもりひとつ、名宗匠其角きかく堂永機住めり、一日人に誘はれて訪ひ行きつ、閑談やゝ久しき後、彼の導くまゝに家のうちあちこちと見物しけるが、華美を尽すといふ程にはあらねど、よろづ数奇すきを備へて粋士の住家とは何人なにびとも見誤らぬべし。間数も不足なき程にあれば何をかかこつべきと思ふなるに、俳翁しきりに其狭陋けふろうなるをつぶやきて止まず。一向に心得ねば、笑つて翁に言ひけるやう、御先祖其角の住家より狭しと思すにやと。俳士をして俗にぶるの止むを得ざるに至らしめたるものあるは、余といへども之を知らぬにあらねど、高達の士の俗世に立つことの難きに思ひ至りて、黙然たること稍しばしなりし。

(明治二十二年十月)




 



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三三〇號」女學雜誌社
   1892(明治25)年10月22日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
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