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新劇のために(しんげきのために)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-30 19:11:36 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 岸田國士全集20
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1990(平成2)年3月8日
入力に使用: 1990(平成2)年3月8日
校正に使用: 1990(平成2)年3月8日

底本の親本: 現代演劇論
出版社: 白水社
初版発行日: 1936(昭和11)年11月20日

 

美術館のないことと、いまだに共同風呂が行はれてゐることと、政治が酒色の巷で議せられることと、現代劇を演ずる劇場がないことと、わが国が特殊国たる所以を数へ上げれば、実際、きりがあるまい。
 美術館の問題は、先日来、朝日紙上で矢代幸雄氏が論じてをられたが、その反響が多少でもあつてくれればいいと、私なども蔭ながら念じてゐる次第である。
 銭湯と待合政治の件は、暫く措き、私は、自分の仕事と関係のある芝居の現状について、世の識者に訴へたいと思ふ。

 私は今ここで、必ずしも、演劇の先駆的運動について論じようとは思はない。それよりも、一国の一時代が代表する演劇の主流が、何故に、その時代の生活と縁の遠い古典劇――しかも、全く未来のない舞台――の反覆でなければならないのか。
 なるほど、新派劇といふものはあるが、これこそ、その歌舞伎的情調の非文学的表現によつて、早くも生命を失ひつつあるものである。

 巴里には、大小凡そ六十の劇場があるが、楽劇及び単なるスペクタクルを専門とする劇場を除き、少くとも三十の劇場は現代作家の作品を上演してゐる。その中、芸術的に何等問題とするに足らないものも若干はあるが、所謂ブウルヴァアル劇場と呼ばれる「社交劇場」に於てさへ、相当芸術的価値ある新作現代劇を上演してゐる。ここで、現代劇と限つたのには十分理由がある。何故なら、たまたま時代劇を選んだとしても、それは、現代生活に十分相通じる処のある文学的作品で、殊に、所謂古典劇より明瞭に一線を劃し得る新鮮味に富んだ舞台であるからである。例へば、クロオデル、ロスタン、ポルシェ等の作品が、如何に中世を、帝政時代を、又は「仮想の時代」を描いてあるとはいへ、それを以て、「現代劇」に非ずと断言し得るものがあらうか。否、それよりも、シェイクスピイヤ、カルデロン、モリエエル、ミュッセの作品でさへも、それぞれ、クレイグ、ラインハルト、コポオ、ギイトリイの手によつて演ぜられる時、誰がこれを「古典劇」であるが故に、「われわれの生活に縁の遠いもの」と断言し得よう。
 わが旧劇は、それが歌舞伎劇の名によつて、一部好事家の随喜に値するものであるにせよ、その観衆の大部は、決して仏蘭西の民衆が、その古典劇に対して払ふやうな尊敬も払つてはゐないのみならず、たまたま、現代作家の手になる「新作時代劇」に対してさへ、仏蘭西の民衆が、例へば、ロスタン等の諸作に対して抱くほどの痛切な興味を抱いてはゐないやうに思はれる。
 私は敢て云ふ。わが旧劇の観客は、大部分、仏蘭西に於ける「ミュジック・ホオル」の観客である。そして、仏蘭西に於ける真の演劇の愛好家――これに相当する日本の公衆は、已むを得ず、活動写真館に走るのである。
 映画は映画として、その観客をもつてゐるに違ひない。しかし、現在に於ては、少くとも、「芝居は面白くないから」といふ見物によつて、一層、盛況を呈してゐる観がある。
 これらの現象は、どこから生れたか。私は、度々繰り返したことだが、「新しい演劇の魅力」が、まだ一般に理解されてゐないことが、第一の原因であると思ふ。
 民衆は勿論、歌舞伎劇乃至歌舞伎的人情劇(新派劇)によつてのみ、演劇鑑賞の態度を教へられてゐる。外国劇は、その紹介者の努力にも拘はらず、一般民衆の文学的無教養によつて、その難解な翻訳を通してまで、特種な表現を味はせる程度に至つてゐない。
 外国劇の影響から生れた現代日本の劇作家は、多く、「文学者」の域を脱せず、自分等の作品が「如何に演ぜらるべきか」といふ問題を等閑に附し、又は、比較的それに無関心であることを余儀なくされた。
 その点に意を用ひた作家の大部は、勢ひ、現在の俳優を標準としての舞台的工夫を凝らさなければならない。現在の俳優とは全くの素人か、然らざれば、旧劇乃至新派劇の畑に育つた人々である。その表現能力はある限られた範囲、しかも在来の「演劇中に在るもの」から出ることはできない。従つてそれらの俳優を標準として書かれた作品が、「新しい演劇」の要素を多く含むことができないのは当り前である。寧ろ、巧みに「旧いもの」を取り入れれば取り入れるほど、舞台的に成功したのである。
 新劇の不振亦故なきに非ずである。

 この間に、幾度か、所謂「新劇運動」の名の下に、舞台に「新しいもの」を創り出さうと試みた篤志家がありはしたが、常に様々な障碍に遇つてその企図を挫折させた。そして、その原因の主なるものは、全く、経済的基礎の薄弱なことであるが、その経済的基礎たるや、これを築く方法を知らなければならない。その方法は、理論からいへば、「よき芝居」をすること、言ひ換へれば、一定の見物を飽かせないで引留めておくことである。
 芝居の見物ほど気紛れなものはない。然るに、従来の新劇団は、私の見る処では「辛ふじて観てゐられる」やうな芝居ばかりを、あまり長く観せておきすぎた。これが、好意ある見物を次第に失つて行つた最大の原因である。
 なぜさういふ結果になつたか、いふまでもなく、当事者は、ただ、限りある「出し物」と「演出法」との工夫に没頭して、無限の変化と向上とを期し得る俳優の技倆について、不思議なくらゐ楽観的であり、少くとも、(どうかしよう)といふ意志の実行を怠つてゐたやうに思はれる。勿論、優れた俳優を探し求めはする。全くそれを顧みなかつた例は知らないが、その探し求める手段は外部的であり、一時的であり、行きあたりばつたり式であり、「あれはなかなかよささうだ。一つ引つ張つて来い」式である。そして一度、何々劇団の何某たる地位を占むるや、あとは、宣伝を以て能事終れりとし、「有名」になるほど、「下手」になるのを常とする。おまけに、その何某の脱退によつて、何々劇団は不具者となるのである。

 私は、先年、わが劇壇の快事たる築地小劇場の旗揚げに際し、聊か卑見を述べて、俳優養成の急務たることを説き、爾後、機会ある毎に、この点に触れたつもりであるが、最近、同劇場文芸部の北村喜八氏が、恐らく、私の意見と関係なくではあらうが、俳優学校の創設を提唱し、鋭意、その機運の促進に努力してをられるのを見て、衷心、悦んでゐる次第である。
 私も、今後、同氏の驥尾に附して、この問題を研究して見たいと思ふ。

 さし当り、今度、文芸春秋社が、新劇協会を経営することになり、畑中蓼坡、伊沢蘭奢の諸氏を中心に、一層充実した劇団を作る計画を発表したが、私も先輩友人諸君の勧誘もだし難く、一部分の仕事を担任することを承諾した。それについて、私の第一に持ち出した意見は、現在の俳優を以て、如何なる組織の劇団を作らうと、それで、「今までのものより優れたもの」を見せることは恐らく不可能である。劇場との契約その他の事情で、今すぐに公演することを余儀なくされるにしても、その事業は、総て、近き将来に於ける俳優養成機関の樹立に役立たなくてはならない。この問題を除外して、今われわれが「舞台の仕事」にたづさはることは、殆ど無意味である――といふことであつた。
 実際私は、自分の健康が許すやうになれば、具体的の案を提げて演劇学校創設の運動に着手するつもりである。
 その演劇学校は、俳優のみならず、演劇に関する諸種の部門を専門的に研究しようとする人々のために開放されるであらう。が、そのことは、今ここで詳しく述べる暇はない。
 今、われわれの求めてゐる俳優は、決して、中村何々、尾上何々の後継者ではない。われわれは、先づ、われわれの生活を生活とする俳優、換言すればわれわれの思想を思想とし、われわれの趣味を趣味とし、われわれの感覚を感覚とする俳優を要求する。それがためには、われわれのもつ教養を教養として受けてゐなければならない。劇作家の立場からいへば、現在、われわれの作品中に描かれてゐる人物、それが若し、知識階級の人物である場合、その近代的特性が、現在新劇俳優の何人によつて表現し得るかを疑問としないわけに行かないのである。作品の理解は愚か――それは同じことに帰着するわけであるが――その一人物に扮する俳優が、その人物の頭脳をすら所有してゐないといふことは、俳優として致命的欠陥ではあるまいか。
 西郷隆盛や乃木大将に扮し得る俳優は、さほど必要としない。しかしながら、現代の教養ある一会社員やその細君に扮して、独特のキャラクタアを示し得る俳優がゐないとなると、一寸心細い。
 これは素質の問題である。柄の問題であるかもしれない。それならそれでいい。さういふ素質の、さういふ柄の俳優が先づ出て欲しい。
 われわれが若し、俳優養成といふ責任ある仕事を始めるとすると、どうしても俳優志望者個々の素質に厳密な注意を払はなければならない。私は、それについて、近く私見を発表するつもりであるが、ここで、はつきり云つておきたいことは、「人並み以上」の頭をもつてゐなければ、「俳優並み」の俳優にすらなり得ないといふことである。頭といふのは学問を指すのではない。知力である。悟性である。それから、感受性である。
 そこで、私は、更めて読者諸君に訴へる――わが新劇のために、よき俳優を見出すチャンスを与へて頂きたい。





底本:「岸田國士全集20」岩波書店
   1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「女性 第十巻第六号」
   1926(大正15)年12月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年2月19日作成
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