岸田國士全集20 |
岩波書店 |
1990(平成2)年3月8日 |
1990(平成2)年3月8日 |
1990(平成2)年3月8日 |
演劇・映画 第一巻第三号 |
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1926(大正15)年3月1日 |
一九二二年の暮れ、スタニスラウスキイの率ゐるモスコオ芸術座の一行が巴里を訪れた。 その開演の前夜シャン・ゼリゼエ劇場主、エベルトオは盛大な歓迎会を同劇場内に催して、一行を巴里の劇壇に紹介した。 其の夜の光景は、私の終生忘れ難きものゝ一つである。スタニスラウスキイを中心に、チエホフ夫人、カチヤロフ、モスコオフィン等の名優を始め、一座の俳優が舞台の中央に居並び、右手には、エベルトオと共に、自由劇場の創始者、老アントワアヌが控えてゐる。左手に一人、前かゞみに、両手を組み合せて立つたのが、ヴィユウ・コロンビエ座の首脳、ジヤック・コポオであつた。参会者は見物席の土間に満ちてゐた。エベルトオの挨拶がすむと、アントワアヌはその岩のやうな身体をスタニスラウスキイの方に進めて、 「吾が親愛なる友、而して、敬慕する偉人」と、呼びかけた。 「私の求め、望み、而して、実現し得なかつたものを、あなたは、あなたの才能と、人格に依つて実現されたのである。」 その熱と、力に満ちた語調は、彼の自由劇場回想録を読んだ者の胸を刺さないではゐなかつた。 「私は仏蘭西劇壇の前途の為めに、あなた方御一行の遠来を感謝します。有難う」アントワアヌの声は異様にふるえた。 世界第一と称せられる劇壇の指揮者、白髪の巨人、スタニスラウスキイの前に立つて「吾が友」と呼び得るアントワアヌの心持に反し、コポオは流石に胸を躍らせてゐるやうに思へた。(こゝで私は、自分の想像が事実をまげる事を恐れる)コポオは演説を準備してゐた。然し其の朗読は平常のコポオを知つてゐる者なら、決して立派な出来栄えであつたとは云はないだらう。たゞその論旨は、芸術座への讃辞として、理解と感銘に満ちたものであつた。 最後に、スタニスラウスキイが満面に微笑をたゝへて、一行の中央から進み出た。 「私は、今、諸君の御言葉を聞き、全く、身の置き所を知りません」と、それは至つてナイーヴな仏蘭西語であつたが、これが、此の真純な天才の言葉に、一層の魅力を添へた。 「私が演劇に趣味を持つたのは、巴里に再三来たお蔭であります。また、私共が、露西亜劇壇に何か新らしい物を与へたとすれば、それは悉く、近代劇の開拓者アントワアヌ氏に負ふてゐると云はなければなりません」満場の拍手を心持よく受けながら、「私は、まだ、ヴィユウ・コロンビエ座の仕事を見てゐませんが、其の名声を通じて、常に、その努力を認めて居たのであります」 「私共は仏蘭西の劇壇に対して、少しでも、教訓を垂れやうと云ふやうな野心は持つて居りません。私共がなしつゝある事を、たゞ、見て頂けばいゝのであります」 「こゝで、お断りして置きたい事は、私共が露西亜語で芝居をやる為に、多くの方々は、多くの露西亜語を解しない方々は、それでは興味の大部分が失はれやうとお思ひになるでせう。然し、其の御心配は無用であります。私共は、露西亜語を使ふ以上に人類共通の言語によつて、皆様に七分通りの興味を与へる事が出来ると確信して居ります」 アントワアヌ、コポオの両氏と握手を交はした後、一座の幹部を紹介した。
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アンドレ・ジイドの「サユル」をいよいよ舞台に上せると云ふので、コポオは、一座の俳優を悉くヴィユウ・コロンビエ座の図書室に集めた。画家のアトリエにも似た一室、中天井には、フアンタスチツクな衣裳が秩序正しくつるしてある。白木の書架が一方の壁を埋めてゐた。 私は悪魔の司を務めるB夫人から、其の役に使はれる仮面のエスキスを見せてもらひ乍ら、此の脚本の上演について、コポオがどれ程苦心をしたかと云ふ話などを聞いた。ダヴィツドの為には、臨時にオデオン座から美しい裸体の持主を探して来た事なども聞いた。 やがて、コポオの骨張つた顔が、一同をながめまはした。作者ジイドは、薦められた席につきながら、同伴の夫人をかへりみて小心らしい微笑を送つた。 「Sは来てゐるかい」コポオの声に応じて、 「いゝえ、まだ……」誰かゞ答へた。 それに二三の笑声がまじつた。 「仕様がないな」 と、慌しく戸が開いて、小柄なSが、外套を脱ぎ乍ら、「失敗つた」と云ふやうな顔つきをして飛び込んで来た。また、笑声が起つた。 「アツタンシヨン!」コポオは舞台掛りの差出す脚本のコピイを受取つて、頁をはねた。 一幕目の朗読がすむと、ジイドは大きくうなづいた。重苦しい沈黙が続いた。
「サユル」の稽古は二ヶ月かゝつた。 自ら主人公の役を演じるコポオは、戈を手にしたまゝ舞台の指揮をした。 「そんな悪魔があるものか。もつと、非人間的な声は出せないか」 憐れなT嬢は、窮屈な面の奥で鼠のやうに啼いた。 「それぢやあ丸で……」さう云つて、コポオは吹き出した。 コポオは、かたはらに居合せた私に、「能を御覧になつた眼で、此の芝居は見られないでせう」 私はこの言葉の複雑な調子を訳す事は出来ないが、心持はよくわかつた。 「異国の青年よ、これは手始めに過ぎないのだ。試みに過ぎないのだ。その積りで見てゐてくれ」かう云ふ意味に違ひなかつた。 「全く別ものですから…………」と答へる処だつた。非常に混乱した頭で私は「a viendra」と云つてしまつた。 さもしい気がした。
「おゝ、ダヴィツドがあれへ…………」 女王は司祭の言葉を遮つて、誰もゐない入口の方にサンスュエルな眼を向けた。 「何をぐづ/\してゐるんだ」コポオは舞台の上に飛び上つた。羊の毛皮を腰にまきつけたダヴィツドが、少々間の抜けた出方をすると、 「こゝはオデオンの舞台ぢやありませんぜ」 私はひやつとしてダヴィツドの泣きたさうな顔を見た。 此の恐ろしい剣幕が忽ち情味に富んだ調子にかはる。此の急劇な変化に少しも不自然な感じを与へないのは、その皮肉とも、おどけともつかぬ口のゆがめ方と、小鼻の動かし方であつた。 びんの毛だけを残して、奇麗に禿げ上つた額、こけた頬から一なでに撫でつけたやうな天狗鼻、心持怒つた肩、長い腕、其の腕が、細過ぎる腰のあたりへぶらりと下つた形、其のポルトレを描いて「バツタの如し」と云つたのは彼の友人アンドレ・スュワレスである。
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嘗てゴルドン・クレイグが、ルウシェから、その美術座の舞台指揮を需められた時、之に答へて「よろしい、承知しました。但し、十年か十五年、劇場を閉鎖して下さい。俳優を根本的に訓練する必要がありますから…………」と云つた。ルウシェが一寸困つた顔をしてゐるのを見て、「さもなけれや、今あなた方がやつてゐるやうな事しきや出来ませんよ」と、附け加へたと云ふ話は有名である。 コポオが、先年演劇学校を開くに当つて、一座の俳優及新入研究生に向ひ、一場の挨拶を述べた際、先づ此の話をし、「何かを成し得る為には、先づ、何かでなければならない」と云ふゲエテの言葉を引用して、ヴィユウ・コロンビエ座が、その仕事を「初めから始める」ことが出来なかつた事を残念がつた。 彼は、その時、何時になく感激した調子でかう述べた。「クレイグの言葉は論理的である。若し、私が、彼の論理に従つたら、どうなつてゐたらう。私にとつて、『初めから始める』ことは『何もしない』ことになる。私は、先づ、存在しなければならなかつた」 成る程、ヴィユウ・コロンビエ座は先づ存在した。そして、「初めから始める」ことが出来なかつた代りに、クレイグが成し得なかつた事を成し遂げようとしてゐたのであるが、モスコオ芸術座の舞台を見て、「完全である。但し、小芸術の完全さである。」と云つたコポオの批判(これは公言したわけではない。ヴィユウ・コロンビエ座の一俳優から伝へ聞いたまでゞある)は、どれだけの真理があつたか、吾々は、それを知る為めに、もう十年待たなければならなかつた。 今や、ヴィユウ・コロンビエ座は主なき家である。そして、コポオはディジョンあたりの森かげで、何事かを企んでゐるらしい。
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