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最古日本の女性生活の根柢(さいこにほんのじょせいせいかつのこんてい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数1544 更新时间:2006/8/29 16:04:39 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     三 女軍

 万葉および万葉以前の女性とさえ言えば、すぐれて早く恋を知り、口迅くちどに秀歌を詠んだもののように考えられてきている。しかしこれとてもやはり、伝説化せられたものに過ぎなかったのである。佳人才女の事蹟を伝えたのは、その女性自身の作と伝えながら、実は語部の叙事詩それ自身が、生み出した性格でもあり、作物でもあった。つまりは物語や、それから游離した歌謡の上にのみ、情知りわけ知りらしく伝わったので、後世から憧れるほどのものでなかったのである。ただ、ことの神事に関する限り、著しく女性としての権威を顕し、社会的にも活動したのは事実である。神の意思を宣伝し、神の力を負うて号令する巫女の勢力が、極度に発揮せられるのである。
 近江・藤原の宮のころから禁じられだしたが、なお、その行きわたらなかった地方には、存していたろうと思われるのは、女子の従軍である。昔から学者は軍旅の慰めに、家妻を伴うたものと解している。もっとも、この法令の出たころは、女と戦争との交渉について、記憶が薄らいでいたものであろう。戦争における巫女の位置というようなことを考えると、巫女にして豪族の妻なる者の従軍は、巫女であるがためといふ中心点より、妻なるがためという方へ、移っていっていたのである。
 日本武尊やまとたけるのみことの軍におられた橘媛たちばなひめなどは、妻としての従軍と考えられなくもない。崇神天皇の時にそむいた建埴安彦タケハニヤスヒコの妻安田アダ媛は、夫を助けて、一方の軍勢を指揮した。名高い上毛野形名かみつけぬのかたなの妻も、その働きぶりを見ると、単に「堀川夜討」の際の静御前と一つには見られない、やはり女軍の将であったらしい。調伊企儺ツキノイキナの妻大葉子オホバコも神憑りする女として、部将として従軍して、とりこになったものと考えられる。神功皇后などは明らかに、高級巫女なるがゆえに、君主とも、総大将ともなられたのである。
 女が軍隊に号令するのに、二つの形がある。全軍の将としての場合と、一部隊の頭目としての時とがそれである。巫女にして君主といった場合は、もちろん前の場合であろうが、軍将の妻なる巫女の場合には、後の形をとったことと思われる。
 神武天皇の大和の宇陀うだたれた際には、敵の兄磯城エシキ弟磯城オトシキの側にも、天皇の方にも、男軍ヲイクサ女軍メイクサが編成せられていた。「いくさ」という語の古い用語例は軍人・軍隊という意である。軍勢に硬軟の区別を立てて、軍備えをするわけもないから、優形やさがたの軍隊といったふうの譬喩表現と見る説はわるい。やはり素朴に、女軍人の部隊と説く考えが、ほんとうである。巫女の従軍した事実は際限なくあることで、皆戦場において、神の意思を問うためである。それとともに、女軍を指揮するのだから、真の戦闘力よりも、信仰の上から薄気味のわるい感じを持っていたのであろう。一方からは、他の種族の祀る異教神の呪力を、物ともせない勇者にとっては、きわめてもろい相手であったのである。神武天皇なども、女軍を破って、敵を窮地に陥れていられる。
 黄泉醜女ヨモツシコメの黄泉軍衆イクサというのも、死の国の獰猛どうもうな女の編成した、死の国の軍隊ということである。いざなぎの命が、あれほどに困らされた伝えのあるのも、祖先の久しい戦争生活から来た印象である。
 沖縄の記録を見ると、三百年前までは、巫女従軍の事実はしばしば見えている。離島方面では、島々の小ぜり合いに、こうした神意の戦争が、近年までくり返されていたことと思われる。

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