二
文吉は夜なかに起されると、大八車に筍を積んだ。真っ暗がりの田舎道を、提灯つけて岸和田までひいて行った。轍の音が心細く腹に響いた。次第に空の色が薄れて、岸和田の青物市場についた時は、もう朝であった。筍を渡すと、三十円呉れた。腹巻の底へしっかりいれて、ちょいちょい押えてみんことにゃと金造にいわれたことを思い出し、そのようにした。ふと、これだけの金があれば大阪へ行ってまむし[#「まむし」に傍点]や鮒の刺身がくえると思うと、足が震えた。空の車をガラガラひいて岸和田の駅まで来ると、電車の音がした。車を駅前の電柱にしばりつけて、大阪までの切符を買い、プラットフォームに出た。電車が来るまで少し間があった。そわそわして決心が鈍って来るようで、何度も便所へ行きたくなった。便所から出て来ると電車が来たのであわてて乗った。動き出してうとうと眠った。車掌に揺り動かされて眼を覚すと、難波ア、難波終点でございまアーす。早う着いたなアと嬉しい気持で構内をちょこちょこ走り、日射しの明るい南海道を真っ直ぐ出雲屋の表へかけつけると、まだ店が開いていなかった。千日前は朝で、活動小屋の石だたみがまだ濡れていた。きょろきょろしながら活動写真の絵看板を見上げて歩いた。首筋が痛くなった。道頓堀の方へ渡るゴーストップで交通巡査にきびしい注意をうけた。道頓堀から戎橋を渡り心斎橋筋を歩いた。一軒一軒飾窓を覗きまわったので疲れ、ひきかえして戎橋の上で佇んでいると、橋の下を水上警察のモーターボートが走って行った。後から下肥を積んだ船が通った。ふと六貫村のことが連想され、金造の声がきこえた。わりゃ、伊勢乞食やぞ、杭(食い)にかかったらなんぼでも離れくさらん。にわかに空腹を感じて、出雲屋へ行こうと歩き出したが方角が分らなかった。人に訊くにも誰に訊いて良いか見当つかず、なんとなく心細い気持になった。中座の前で浮かぬ顔をして絵看板を見上げていると、活動の半額券を買わんかと男が寄って来た。半額券を買うとは何の事か訳が知れなかったから、答えるすべもなかったが、これ倖いと、ちょっくら物を訊ねますが、出雲屋は? この向いやと男は怒った様な調子でいった。振り向くと、なるほど看板が掛っている。が、そこは順平に連れてもらった店と違うようだ。出雲屋が何軒もあるとは思えなかったから、狐につままれたと思った。しかし、鰻を焼く匂いにはげしく誘われて、ままよとはいり、餓鬼のように食べた。勘定を払って出ると、まだ二十七円と少しあった。中座の隣の蓄音機屋の隣に食物屋があった。蓄音機屋と食物屋の間に、狭くるしい路地があった。そこを抜けるとお寺の境内のようであった。左へ出ると、楽天地が見えた。あそこが千日前だと分った嬉しさで早足に歩いた。楽天地の向いの活動小屋で喧しくベルが鳴っていたので、何かあわてて切符を買った。まだ出し物が始っていなかったから、拍子抜けがし、緞帳を穴の明くほど見つめていた。客の数も増え、いよいよ始った。ラムネをのみ、フライビンズをかじり、写真が佳境にはいって来ると、よう! よう! ええぞとわめいてあたりの人に叱られた。美しい女が猿ぐつわをはめられる場面が出ると、だしぬけに、女への慾望が起った。小屋を出しなに勘定してみたら、まだ二十六円八十銭あった。大阪には遊廓があるといつか聴いたことを想出した。そこでは女が親切にしてくれるということだ。エヘラエヘラ笑いながら、姫買いをする所はどこかと道通る人に訊ねると、早熟た小せがれやナ、年なんぼやねンと相手にされなかった。二十三だというと、相手は本当に出来ないといった顔だったが、それでも、自動車に乗れと親切にいってくれた。生れてはじめての自動車で飛田遊廓の大門前まで行った。二十六円十六銭、廓の中をうろうろしていると、掴えられ、するすると引き上げられた。ぼうっとしている内に十円とられて、十六円十六銭。妓の部屋で、盆踊りの歌をうたうと、良え声やワ、もう一ぺん歌いなはれナ。賞められて一層声を張りあげると、あちこちの部屋で、客や妓が笑った。ねえ、ちょっと、わてお寿司食べたいワ、何ぞ食べへん? 食べましょうよ。擦り寄られ、よっしゃ。二人前とり寄せて、十一円十六銭。食べている内に、お時間でっせといいに来た。帰ったら嫌やし、もっと居てえナ。わざと鼻声で、いわれると、よう起きなかった。生れてはじめて親切にされるという喜びに骨までうずいた。又、線香つけて、最後の十円札の姿も消えた。妓はしかしいぎたなく眠るのだった。おいと声を掛けて起す元気もない。ふと金造の顔が浮び、おびえた。帰ることになり、階段を降りて来ると、大きな鏡に、妓と並んだ姿がうつった。ひねしなびて四尺七寸の小さな体が、一層縮る想いがした。送り出されてもう外は夜であった。廓の中が真昼のように明るく、柳が風に揺れていた。大門通を、ひょこひょこ歩いた。五十銭で書生下駄を買った。鼻緒がきつくて足が痛んだが、それでもカラカラと音は良かった。一遍被ってみたいと思っていた鳥打帽子を買った。一円六十銭。おでこが隠れて、新しい布の匂がプンプンした。胸すかしを飲んだ。三杯まで飲んだが、あと、咽喉へ通らなかった。一円十銭。うどんやへはいり、狐うどんとあんかけうどんをとった。どちらも半分たべ残した。九十二銭。新世界を歩いていたが、絵看板を見たいとも、はいってみたいとも思わなかった。薬屋で猫イラズを買い、天王寺公園にはいり、ガス灯の下のベンチに腰かけていた。十銭白銅四枚と一銭銅貨二枚握った手が、びっしょり汗をかいていた。順平に一眼会いたいと思った。が、三十円使いこんだ顔が何で会わさりょうかと思った。岸和田の駅で置き捨てた車はどうなっているか。提灯に火をいれねばなるまい。金造は怖くないと思った。ガス燈の光が冴えて夜が更けた。動物園の虎の吼声が聞えた。叢の中にはいり、猫イラズをのんだ。空が眼の前に覆いかぶさって来て、口から白い煙を吹き出し、そして永い間のた打ち廻っていた。
三
夜が明けて、文吉は天王寺市民病院へ担ぎ込まれた。雑魚場から帰ったままの恰好で順平がかけつけた時は、むろん遅かった。かすかに煙を吹き出していたようだったと看護婦からきいて、順平は声をあげて泣いた。遺書めいたものもなかったが、腹巻の中にいつぞや出した古手紙が皺くちゃになってはいっていたため、順平に知らせがあり、せめて死に顔でもみることが出来たとは、やはり兄弟のえにしだといわれて、順平は、どんな事情か判らぬが、よくよく思いつめる前に一度訪ねてくれるなり、手紙くれるなりしてくれれば、何とか救う道もあったものをと何度も何度も繰り返して愚痴った。病院の食堂で玉子丼を顔を突っこむようにして食べていると涙が落ちて、なにがなし金造への怒りが胸をしめつけて来た。 ところが、村での葬式を済ませた時、ふと気が付いてみると、やはり金造には恨みがましい言葉は一言もいわなかった様だった。くどく持ち出された三十円の金を、弁償いたしますと大人しく出て、すごすごと大阪へ戻って来ると、丁度その日は婚礼料理の註文があって目出度い目出度いと立ち騒いでいる家へ料理を運び、更(おそ)くまで居残ってそこの台所で吸物の味加減をなおしたり酒のかんの手伝いをしたりした揚句、祝儀袋を貰って外へ出ると皎々たる月夜だった。下寺町から生国魂神社への坂道は人通りもなく、登って行く高下駄の音、犬の遠吠え……そんな夜更けの町の寂しさに、ふと郷愁を感じ、兄よ、わりゃ死んだナ。振舞酒の酔いも手伝って、いきなり引き返えし、坂道を降りて道頓堀へ出ると、足は芝居裏の遊廓へ向いた。殆んど表戸を閉めている中に一軒だけ、遣手婆が軒先で居眠りしている家を見つけ、あがった。客商売に似合わぬ汚い部屋で、ぽつねんと待っていると、おおけにと妓がはいって来た。醜い女だが、白粉と髪油の匂いがプンプンしていた。順平はこの女が自由になるとはまるで夢のように思われた。 しかし、本能的に女に拒まれるという怖れから、肩をさわるのも躊躇され、まごまごしている内に、妓は眠って了った。いびきを聴いていると、美津子の傍でむなしく情けない想いをした日々のことが連想された。 朝、丸亀へ帰る途々、叔父叔母に叱られるという気持で心が暗かったが、ふと丸亀から逐電しようと、心を決めると、ほっとした。家へ帰り、どないしたんや、家あけてという声をきき流して、あちこちで貰う祝儀をひそかに貯めて二百円ほどになっていた金を取出し、着物を着変えた。飛び出すんやぞ、二度と帰らんのやぞという顔で叔父叔母や美津子をにらみつけたが、察してくれなかったようだ。それと気付いて引止めてくれるなり、優しい言葉をかけてくれるなりしてくれたら思い止まりたかったが、肚の中を読んでくれないから随分張合いがなく、暫くぐずついていたが、結局、着物を着変えたからには飛び出すより仕方ない、そんな気持でしょんぼり家を出た。 あとで、叔母は、悪い奴にそそのかされて家出しよりましてんと云いふらした。家出という言葉が好きであった。叔父は身代譲ったろうと思(おも)てたのに、阿呆んだらめがと、これは本音らしかった。美津子は、当分外出もはばかられるようで、何かいやな気がして、ふくれていた。また、順平に飛び出されてみると体裁もわるいが、しかし、ほんの少し淋しい気も感じられた。しつこく迫っていた順平に、いつかは許してもよいという気があるいは心の底にあったのではないかと思われて、しかしこれは余りに滑稽な空想だと直ぐ打ち消した。 順平は千日前金刀比羅裏の安宿に泊った。どういう気持で丸亀を飛び出したのかと自分でも納得出来ず、所詮は狂言めいたものかも知れなかった。紺絣の着物を買い、良家のぼんぼんみたいにぶらぶら何の当てもなく遊びまわった。昼は千日前や道頓堀の活動小屋へ行った。夜は宿の近くの喫茶バー「リリアン」で遊んだ。「リリアン」で五円、十円とみるみる金の消えて行くことに身を切られるような想いをしながら、それでも、高峰さん高峰さんと姓をよばれるのが嬉しくて、女給たちのたかるままになっていた。 ある夜、わざと澄まし雑煮を註文し、一口のんでみて、こんな下手な味つけで食べられるかいや、吸物というもんはナ、出し昆布の揚げ加減で味いうものが決まるんやぜと浅はかな智慧を振りまいていると、髪の毛の長い男がいきなり傍へ寄って来て、あんさんとは今日こんお初にござんす、野郎若輩ながら軒下三寸を借り受けましての仁儀失礼さんにござんすと場違いの仁儀でわざとらしいはったりを掛けて来た。順平が真蒼になってふるえていると女給が、いきなり、高峰さん煙草買いましょう。そう云って順平の雑魚場行きのでかい財布をとり出して、あけた。男は覗いてみて、にわかに打って変って、えらい大きな財布でんナと顔中皺だらけに笑い出し、まるで酔っぱらったようにぐにゃぐにゃした。男はオイチョカブの北田といい、千日前界隈で顔の売れたでん公であった。 その夜オイチョカブの北田にそそのかされて、新世界のある家の二階で四五人のでん公と博打をした。インケツ、ニゾ、サンタ、シスン、ゴケ、ロッポー、ナキネ、オイチョ、カブ、ニゲなどと読み方も教わり、気の無い張り方をすると、「質屋(ヒチヤ)の外に荷(ニ)が降り」とカブが出来、金になった。生まれてはじめてほのぼのとした勝利感を覚え、何かしら自信に胸の血が温った。が、続けて張っている内に結局はあり金を全部とられて了い、むろんインチキだった。けれど、そうと知っても北田を恨む気は起らなかった。あくる日、北田は※(かねまた)でシチューと半しまを食わせてくれた。おおけに御馳走(ごっそ)さんと頭を下げる順平を北田はさすがに哀れに思ったが、どや、一丁女を世話したろか、といった。「リリアン」の小鈴に肩入れしてけっかんのやろと図星を指されてぽうっと赧くなり一途に北田が頼もしかったが、肩入れはしてるんやけどナ、わいは女にもてへんのさかい、兄貴、お前わいの代りに小鈴をものにしてくれよ。そういう態度はいつか木下にいった時と同じだったが、北田は既に小鈴をものにしているだけにかえって気味が悪かった。 オイチョカブの北田は金が無くなると本職にかえった。夜更けの盛り場を選んで彼の売る絵は、こっそりひらいてみると下手な西洋の美人写真だったり、義士の討入りだったりする。絶対にインチキと違うよ、一見胸がときめいてなどと中腰になって、何かをわざと怖れるようなそわそわした態度で早口に喋り立て、仁が寄って来ると、先ず金を出すのがサクラの順平だ。絵心のある北田は画をひきうつして売ることもある。そんな時はその筋の眼は一層きびしい。サクラの順平もしばしば危い橋を渡る想いにひやっとしたが、それだけにまるで凶器の世界にはいった様な気持で歩き振りも違って来た。 気の変りやすい北田は売屋(ばいや)をやることもあった。天満京阪裏の古着屋で一円二十銭出して大阪××新聞の法被を仕込み、売るものはサンデー毎日や週刊朝日の月おくれ、または大阪パックの表紙の発行日を紙ペーパーでこすり消したもの、三冊十五銭で如何にも安いと郊外の住宅を戸別訪問して泣きたん[#「泣きたん」に傍点]で売り歩く。かと思うと、キング、講談倶楽部、富士、主婦の友、講談雑誌の月遅れ新本五冊とりまぜて五十銭(オテカン)、これは主に戎橋通りの昼夜銀行の前で夜更けの女給の帰りを当てこむのだ。仕入先は難波の元屋で、ここで屑値で買い集めた古本をはがして、連絡もなく、乱雑に重ねて厚みをつけ、もっともらしい表紙をつけ、縁を切り揃えて、月遅れの新本が出来上る。中身は飛び飛びの頁で読まれたものでないから、その場で読めぬようあらかじめセロファンで包んで置くと、如何にも新本だ。順平はサクラになったり、時には真打になったり、夜更けの商売で、顔色も凄く蒼白んだ。儲の何割かをきちんきちんと呉れるオイチョカブの北田を、順平は几帳面な男と思い、ふと女めいたなつかしさも覚えていた。 ある日、北田は博打の元手もなし売屋も飽いたとて、高峰、どこぞ無心の当てはないやろか。といったその言葉の裏は、丸亀へ無心に行けだとは順平にも判ったが、そればっかりはと拝んでいる内に、ふと義姉(あね)の浜子のことを頭に泛べた。大阪病院で看護婦をしていると、死んだ文吉が云っていた。訪ねて行くと、背丈ものびて綺麗な一人前の女になっている浜子は、順平と知って瞬間あらとなつかしい声をあげたが、どうみてもまっとうな暮しをしているとは見えぬ順平の恰好を素早く見とってしまうと、にわかに何気ない顔をつくろいどこぞお悪いんですの、患者にもの云うように寄って来て、そして目交(まぜ)で病院の外へ誘い出した。玉江橋の畔で、北田に教った通り、訳は憚るが実は今は丸亀を飛び出して無一文、朝から何も食べて無いと無心すると、赤い財布からおずおずと五円札出してくれた。死んだ文吉のことなど一寸立ち話した後、浜子は、短気を出したら損やし、丸亀へ戻って出世して六貫村へ錦を飾って帰らんとあかんしと意見した。順平はそうや、そうやと思うと、急に泣いたろという気持がこみ上げて来てぼろぼろと涙をこぼし、姉やん、出世しまっせ、今の暮しから足を洗うて真面目にやりまっさと、云わなくても良いことまで云っていると、無性に興奮して来て、拳をかため、体を震わせ、うつ向いていた顔をきっとあげると、汚い川水がかすんだ眼にうつった。浜子が小走りに病院の方へ去って了うと、どこからかオイチョカブの北田が現れて来て、高峰お前なかなか味をやるやないか、泣きたん[#「泣きたん」に傍点]があない巧いこと行くて相当なわるやぞと賞めてくれたが、順平はそんなものかなアと思った。その金は直ぐ博打に負けて取られてしまった。 間もなく、美津子が近々に聟を迎えるという噂を聴いた。翌日、それとなく近所へ容子を探りに行くと本当らしかった。その足で阪大病院へ行った。泣きたんで行けという北田の忠告をまつまでもなく、意見されると、存分に涙が出た。五円貰った。その内一円八十銭で銘酒一本買って、お祝、高峰順平と書いて丸亀へ届けさせ、残りの金を張ると、阿呆に目が出ると愛相をつかされる程目が出た。 北田と山分けし、北田に見送られて梅田の駅から東京行の汽車に乗った。美津子が聟をとるときいては大阪の土地がまるで怖いもののように思われたのと、一つには、出世しなければならぬという想にせき立てられたのだ。東京には木下がいる筈で、丸亀にいた頃、一度遊びに来いとハガキを貰ったことがあった。 東京駅に着き、半日掛って漸く荒川放水路近くの木下の住いを探し当てた。弁護士になっているだろうと思ったのに、そこは見るからに貧民窟で、木下は夜になると玉ノ井へ出掛けて焼鳥の屋台店を出しているのだった。木下もやがて四十で、弁護士になることは内心諦めているらしく、彼の売る一本二銭の焼鳥は、ねぎ八分で、もつが二分、酒、ポートワイン、泡盛、ウイスキーなどどこの屋台よりも薄かった。木下は毎夜緻密に儲の勘定をし、儲の四割で暮しを賄い、他の四割は絶対に手をつけぬ積立貯金にし、残りの二割を箱にいれ、たまるとそれで女を買うのだった。 木下が女と遊んでいる間、順平は一人で屋台を切り廻さねばならなかった。どぶと消毒薬の臭気が異様に漂うていて、夜が更けると大阪ではきき馴れぬあんまの笛が物悲しく、月の冴えた晩人通りがまばらになると殺気が漲っているようだった。大阪のでん[#「でん」に傍点]公と比べものにならぬほど歯切れの良い土地者が暖簾をくぐると、どぎまぎした。兄ちゃんは上方だねといわれると、え、そうでんねと揉手をし、串の勘定も間違い勝ちだった。それでも、臓物の買い出しから、牛丼の飯の炊出し、鉢洗い、その他気のつく限りのことを、遊んでいろという木下の言葉も耳にはいらぬ振りして小まめに働いていたが、ふと気がついみると、木下は自分の居候していることを嫌がっているようであった。遠廻しに、君はこんなことをしなくても良い立派な腕をもっているじゃないかと木下はいい、どこか良い働き口を探して出て行ってくれという木下の肚の中は順平にも読みとれた。木下は順平が来てからの米の減り方に身を切られるような気持がしていたのだ。が、たとえどんな辛いことも辛抱するが、あの魚の腸の匂がしみこんだ料理場の空気というものは、何としてもいやだった。丸亀の料理場を想出すからであろうか。そんな心の底に、美津子のことがあった。 しかし、結局は居辛くて、浅草の寿司屋へ住込みで雇われた。やらせて見ると一人前の腕をもっているが、二十三とは本当に出来ないほど頼りない男だと見られて、それだけに使い易いからと追い廻しという資格であった。あがりだよ。へえ。さびを擦りな。へえ。皿を洗いな。宜ろしおま。目の廻るほど追い廻された。わさびを擦っていると、涙が出て来て、いつの間にかそれが本当の涙になりシクシク泣いた。出世する気で東京へ来たというものの、末の見込みが立とう筈もなかった。 ある夜、下腹部に急激な痛みが来て、我慢しきれなく、休ませて貰い、天井の低い二階の雇人部屋で寝ころんでいる内に、体が飛び上るほどの痛さになり、痛アい! 痛アい! と呶鳴った。 声で吃驚して上って来た女中が土色になった顔を見ると、あわてて医者を呼びに行った。脱腸の悪化で、手術ということになった。十日余り寝た切りで静養して、やっと起き上れるようになった時、はじめて主人が、身寄りの者はないのかと訊ねた。大阪にありますと答えると、大阪までの汽車賃にしろと十円呉れた。押しいただき、出世したらきっと御恩がえしは致しますと、例によって涙を流し、きっとした顔に覚悟の色も見せて、そして、大阪行きの汽車に乗った。 夕方、梅田の駅につきその足で「リリアン」へ行った。女給の顔触れも変っていて、小鈴は居なかった。一人だけ顔馴染みの女が小鈴は別府へ駈落ちしたといった。相手は表具屋の息子で、それ、あんたも知ってるやろ、昆布茶一杯でねばって、その代りチップは三円も呉れてた人や。気がつけば、自分も今は昆布茶一杯注文しているだけだ。一本だけと酒をとり、果物もおごってやって、オイチョカブの北田のことを訊くと、こともあろうに北田は小鈴の後を追うて別府へ行ったらしい。勘定を払って外へ出ると、もう二十銭しかなかった。夜の町をうろうろ歩きまわり、戎橋の梅ヶ枝できつねうどんをたべ、バットを買うと、一銭余った。夜が更けると、もう冬近い風が身に沁みて、鼻が痛んだ。暖いところを求めて難波の駅から地下鉄の方へ降りて行き、南海高島屋地階の鉄扉の前にうずくまっていたが、やがてごろりと横になり、いつのまにか寝込んでしまった。 朝、生国魂神社の鳥居のかげで暫く突っ立っていたが、やがて足は田蓑橋の阪大病院へ向った。当てもなく生国魂まで行ったために空腹は一層はげしく、一里の道は遠かった。途々、なぜ丸亀へ無心に行かなかったのかと思案したが、理由は納得出来なかった。病院へ訪ねて行くと、浜子はこんどは眼に泪さえ泛べて、声も震えた。薄給から金をしぼりとられて行くことへの悲しさと怒りからであったが、しかし、そうと許り云い切れないほど、順平は見窄らしい恰好をしていた。云うも甲斐ない意見だったが、やはり、私に頼らんとやって行く甲斐性を出してくれへんのかとくどくど意見し、七円めぐんでくれた。懐からバットの箱を出し、その中に金をいれて、しまいこみながら、涙を出し、また、にこにこと笑った。浜子と別れると、あまい気持があとに残り、もっともっと意見してほしい気持だった。玉江橋の近くの飯屋へはいって、牛丼を注文した。さすが大阪の牛丼は真物の牛肉を使っていると思った。木下の屋台店で売っていた牛丼は、繊維が多く、色もどす赤い馬肉だった。食べながら、別府へ行けば千に一つ小鈴かオイチョカブの北田に会えるかも知れぬと思った。 天保山の大阪商船待合所で別府までの切符を買うと、八十銭残ったので、二十銭で餡パンを買って船に乗った。船の中で十五銭毛布代をとられて情ない気がしたが、食事が出た時は嬉しかった。餡パンで別府まで腹をもたす積りだった。小豆島沖合の霧で船足が遅れて、別府湾にはいったのはもう夜だった。山の麓の灯が次第に迫って来て、突堤でモリナガキャラメルのネオンサインが点滅した。 船が横づけになり、桟橋にぱっと灯がつくと、あっ! 順平の眼に思わず涙がにじんだ。旅館の法被を羽織り提灯をもったオイチョカブの北田が、例の凄みを帯びた眼でじっとこちらをにらんでいたのだ。兄貴! 兄貴! とわめきながら船を降りた。北田は暫くあっ気にとられて物も云えなかったが、順平が、兄貴わいが別府へ来るのんよう知ったナというと、阿呆んだらめ、わいはお前らを出迎えに来たんやないぞ、客を引きに来たんやと四辺を憚かる小声で、それでもさすがに鋭くいった。 聴けば、北田は今は温泉旅館の客引きをしており、小鈴も同じ旅館の女中、いわば二人は共稼ぎの本当の夫婦になっているのだという。だんだん聴くと、北田はかねてから小鈴と深い仲で、その内に小鈴は孕んで、無論相手は北田であったが、北田は一旦はいい逃れる積りで、どこの馬の骨の種か分るもんかと突っ放したところ、こともあろうに小鈴はリリアンへ通っていた表具屋の息子と駈落ちしたので、さてはやっぱり男がいたのかと胸は煮えくり返り、行先は別府らしいと耳にはさんだその足で来てみると、いた。温泉宿でしんみりやっているところを押えて、因縁つけて別れさせたことは別れさせたが、小鈴はその時――どない云いやがったと思う? と、北田はいきなり順平にきいたが、答えるすべもなくぽかんとしていると、北田はすぐ話を続けて――わては子供が可哀相やから駈落ちしたんや。どこの馬の骨か分らんようなでん[#「でん」に傍点]公の種を宿して、認知もしてもらえんで、子供に肩身の狭い想いをさせるより、表具屋の息子が一寸間アが抜けてるのを倖い、しつこく持ちかけて逐電し、表具屋の子やと否応はいわせず、晴れて夫婦になれば、お腹の子もなんぼう幸せや分らへん。そんな肚で逐電したのを因縁つけて、オイチョの北さん、あんたどない色つけてくれる気や。そんな不貞くされに負ける自分ではなかったが、父性愛というんやろか、それとも今更惚れ直したんやろか、気が折れて、仕込んで来た売屋の元も切れ、宿賃も嵩んで来たままに小鈴はそこで女中に雇われ、自分は馴々しく人に物いえる腕を頼りにそこの客引きになることに話合いしたその日から法被着て桟橋に立つと、船から降りて来た若い二個(ふたり)連れの女の方へわざと凭れかかるように寄りそうて、鞄をとり、ひっそりした離れで、はばかりも近うございます、錠前つきの家族風呂もございますと連れこんで、チップもいれて三円の儲になった。金を貯めて、小鈴とやがて産れる子供と三人で地道に暮すつもりやと北田はいい、そして、高峰、お前も温泉場の料理屋へ板場にはいり、給金を貯めて、せめて海岸通りに焼鳥屋の屋台を張る位の甲斐性者になれと意見してくれた。
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