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競馬(けいば)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-29 10:02:08 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 そんなある日、一代のあてで速達の葉書が来た。看護婦が銭湯へ行った留守中で、寺田が受け取って見ると「明日あす午前十一時、よど競馬場一等館入口、去年と同じ場所で待っている。来い。」と簡単な走り書きで、差出人の名はなかった。葉書一杯いっぱい筆太ふでぶとの字は男の手らしく、高飛車たかびしゃな文調はいずれは一代を自由にしていた男に違いない。去年と同じ場所という葉書はふといやな聯想れんそうをさそい、競馬場からの帰り昂奮を新たにするために行ったのは、あの蹴上の旅館だろうかと、寺田は真蒼になった。一代に何人かの男があったことは薄々うすうす知っていたが、住所を教えていたところを見ればまだ関係が続いているのかと、感覚的にたまらなかった。寺田はその葉書を破って捨てると、血相を変えて病室へはいって行った。しかし、一代は油汗を流してのたうち廻っていた。激痛の発作がはじまっていたのだ。寺田はあわててロンパンのアンプルを切って、注射器に吸い上げると、いつもの癖で針の先を上向けて、空気を外に出そうとしたが、何思ったのかふと手をめると、じっと針の先を見つめていた。注射器の中には空気のガランどうが出来ている。このまま静脈にしてやろうかと、寺田は静脈へ空気を入れると命がないと言った看護婦の言葉を想い出し、狂暴に燃える眼で一代の腕を見た。が、一代の腕は皮膚ひふがカサカサにかわいてあおぐろあかがたまり、悲しいまでに細かった。この腕であの競馬の男の首を背中を腰を物狂おしくいたとは、もう寺田は思えなかった。はだけた寝巻ねまきからのぞいている胸も手術の跡がみにくくぼみ、女の胸ではなかった。ふと眼をらすと、寺田はもう上向けた注射器の底をして、液をき上げていた。すると、嫉妬は空気と共に流れ出し、安心した寺田は一代の腕のカサカサした皮をつまみ上げると、プスリと針を突き刺した。ぐっと肉の中まで入れて液を押すと、間もなく薬が効いて来たのか、一代はけろりと静かになり、死んだように眠ってしまったが、耳をませるとかすかないびきはあった。
 それから一週間たったあの夕方、治療に使う枇杷の葉を看護婦と二人ふたりで切ってかごに入れていると、うしろからちょっとと一代の声がした。り向くと、唇の間からたらんと舌を垂れ、ウオーウオーとけだもののような声を出して苦悶くもんしていた。驚いて看護婦が強心剤のアンプルを切って、消毒もせずに一代の胸に突き刺そうとしたが、肉が固くてはいらなかった。ぼくにやらせろと寺田が無理矢理突き刺そうとすると、針が折れた。一代の息は絶えていた。歳月がたつと、一代の想出も次第に薄れて行ったが、しかし折れた針の先のように嫉妬の想いだけは不思議に寺田の胸をチクチクと刺し、毎年春と秋競馬のシーズンが来ると、傷口がうずくようだった。競馬をする人間がすべて一代に関係があったように思われて、この嫉妬の激しさは寺田自身にも不思議なくらいであった。ところが、そんな寺田がふとしたことから競馬に凝りだしたのだから、人間というものはなかなか莫迦にならない。
 寺田は一代が死んで間もなく史学雑誌の編輯をやめさせられた。看病に追われてなまけていた上、一代が死んだ当座ぽかんとして半月も編輯所へ顔を見せなかったのだ。寺田はまた旧師に泣きついて、美術雑誌の編輯の口を世話してもらった。編輯員の二人までがおりから始まった事変に召集しょうしゅうされて、欠員があったのだ。こんどは怠けずこつこつと勤めて二年たつと、編輯長がまた召集されて、そのあとの椅子いすへついた。その秋大阪に住んでいるある作家に随筆をたのむと、〆しめきりの日に速達が来て、原稿げんこうは淀の競馬の初日に競馬場へ持って行くから、原稿料を持って淀まで来てくれという。寺田はその速達の字がかつて一代に来た葉書の字とまるで違っていることに安心したが、しかし自分で行くのはさすがにいやだった。といって、ほかの者ではその作家の顔はわからない。私情で雑誌の発行を遅らせては済まないと、寺田はやはり律義者らしくいやいや競馬場へ出掛けた。ちょうど一競走レース終ったところらしく、スタンドからぞろぞろと引きげて来る群衆の顔を、この中に一代の男がいるはずだとカッとにらみつけていると、やあ済まん済まんと作家が寄って来て、君を探していたんだよ。どうやら朝からスリ続けて、寺田が持って来る原稿料を当てにしていたらしかった。渡して原稿を貰い、帰ろうとしたが、僕も今日は京都へ廻るから終るまでつき合わないかと引き停められると、寺田はもう気が弱かった。スタンドに並んで作家の口から、君アンナ・カレーニナの競馬の場面読んだ? しかしあれでもないよ、どうも競馬を本当に描写びょうしゃした文学はないね、競馬は女より面白いのにね、僕は競馬場へ女を連れて来るやつの気が知れんのだ、競馬があれば僕はもう女はいらんね、その証拠しょうこに僕はいまだに独身だからね、西鶴さいかくの五人女に「乗り掛ったる馬」という言葉があるが、僕はこんなスリルを捨てて女に乗り掛ろうとは思わんよ……という話を聴きながら競走レースを見ている間、寺田はふと競馬への反感を忘れていた。そして次の競走レースでふらふらと馬券を買うと、寺田の買った馬は百六十円の配当をつけた。払戻はらいもどしの窓口へさし込んだ手へ、無造作にさつせられた時の快感は、はじめて想いをげた一代のはだよりもスリルがあり、その馬を教えてくれた作家にふと女心めいた頼もしさを感じながら、寺田はにわかにやみついて行った。
 小心な男ほど羽目を外したおぼれ方をするのが競馬の不思議さであろうか。手引きをした作家の方があきれてしまう位、寺田は向こう見ずなけ方をした。執筆者しっぴつしゃへ渡す謝礼の金まで注ぎ込み、印刷屋への払いも馬券に変り、ノミ屋へ取られて行った。つねに明日の希望があるところが競馬のありがたさだと言っていた作家も、六日目にはもう印税や稿料の前借がきかなくなったのか、とうとう姿を見せなかった。が、寺田だけは高利貸の金を借りてやって来た。七日目はセルの着物に下駄げたばきで来た。洋服を質入れしたのだ。

 そして八日目の今日は淀の最終日であった。これだけは手離てばなすまいと思っていた一代のかたみの着物を質に入れて来たのだ。質屋の暖簾のれんをくぐって出た時は、もう寺田は一代の想いを殺してしまった気持だった。そして、今日この金をスッてしまえば、自分もまた一代の想いと一緒に死ぬほかはないと、しょんぼり競馬場へはいった途端、どんより曇った空のように暗い寺田の頭にまずひらめいたのは殺してしまったはずの一代の想いであった。女よりもスリルがあるという競馬の魅力に惹かれて来たという気持でもなかった。この最後の一日で取り戻さねば破滅はめつだという気持でもなかった。一代の想いと共に来たのだということよりほかに、もう何も考えられなかった。そしてその想いの激しさは久しぶりによみがえった嫉妬の激しさであろうか、放心したような寺田の表情の中で、眼だけは挑みかかるようにギラついていた。
 だから、今日の寺田は一代の一の字をねらって、1の番号ばかし執拗しつように追い続けていた。その馬がどんな馬であろうと頓着とんちゃくせず、勝負にならぬような駄馬バテであればあるほど、自虐じぎゃくめいた快感があった。ところが、その日は不思議に1の番号の馬が大穴になった。内枠うちわくだから有利だとしたり気にいってみても追っつかぬ位で、さすがの人々も今日は一番がはいるぞと気づいたが、しかしもうそろそろ風向きが変る頃だと、わざと一番を敬遠したくなる競馬心理を嘲笑ちょうしょうするように、やはり単で来て、本命のくせに人気が割れたのか意外な好配当をつけたりする。寺田ははじめのうち有頂天うちょうてんになって、来た、来た! と飛び上り、まさかと思って諦めていた時など、思わず万歳と叫ぶくらいだったが、もう第八競走レースまでに五つも単勝を取ってしまうと、不気味になって来て、いつか重苦しい気持に沈んで行った。すると、あの見知らぬ競馬の男への嫉妬がすっと頭をかすめるのだった。
 第九の四歳馬特別競走レースでは、1のホワイトステーツ号が大きく出遅れて勝負を投げてしまったが、次の新抽しんちゅう優勝競走では寺田の買ったラッキーカップ号が二着馬を三馬身引離して、五番人気で百六十円の大穴だった。寺田はむしろ悲痛な顔をしながら、配当を受取りに行くと、窓口で配当を貰っていたジャンパーの男が振り向いてにやりと笑った。皮膚の色が女のように白く、すごいほどの美貌びぼうのその顔に見覚えがある。穴を当てる名人なのか、寺田は朝から三度もその窓口で顔を合せていたのだ。大穴の時は配当を取りに来る人もまばらで、すぐ顔見知りになる。やあ、よく取りますね、この次は何ですかと、寺田はその気もなくお世辞で訊いた。すると、男はもう馬券を買っていて、二つにたたんでいたのを開いて見せた。1だった。寺田はどきんとして、なにかニュースでもと問い掛けると、いや僕は番号主義で、一番一点張りですよ。そう言ったかと思うと、すっとスタンドの方へ出て行った。
 その競走レースは七番の本命の馬があっけなく楽勝した。そしてそれが淀の最終競走レースであった。寺田は何か後味が悪く、やがて競馬が小倉こくらに移ると、1の番号をもう一度追いたい気持にかられて九州へった。汽車の中で小倉の宿は満員らしいと聴いたので、別府べっぷの温泉宿にとまり、そこから毎朝一番の汽車で小倉通いをすることにした。夜、宿へつくとくたくたにつかれていたので、寺田は女中にアルコールを貰ってメタボリンを注射した。一代が死んだ当座寺田は一代の想い出と嫉妬になやまされて、眠れぬ夜が続いた。ある夜ふとロンパンの使い残りがあったことを想い出した。寺田は不眠のつらさに堪えかねて、ついぞ注射をしたことのない自分の腕へこわごわロンパンを打ってみると、簡単に眠れた。が、眠れたことより、あれほど怖れていた注射が自分で出来て、しかも針の痛さも案外すくなかったことの方がうれしく、その後脚気かっけになった時もメタボリンを打って自分でなおしてしまった。そしてそれからは注射がもう趣味しゅみ同然になって、注射液を買いあさる金だけは不思議に惜しいと思わず、寺田のかばんの中には素人しろうとにはめずらしい位さまざまなアンプルがはいっていたのだ。注射が済んで浴室へ行った時、寺田はおやっと思った。淀で見たジャンパーの男が湯槽ゆぶねつかっているではないか。やあと寄って行くと、向うでも気づいて、よう、来ましたね、小倉へ……と起そうとしたその背中を見た途端、寺田は思わず眼をみはった。女の肌のように白い背中には、一という字の刺青いれずみほどこされているのだ。一――1――一代。もしかしたらこの男があの「競馬の男」ではないか、一の字の刺青は一代の名の一字を取ったのではないかと、咄嗟とっさの想いに寺田は蒼ざめて、その刺青は……ともうたしなみも忘れていた。これですかと男はいやな顔もせず笑って、こりゃ僕の荷物ですよ、「胸に一物、背中に荷物」というが、僕の荷物は背中に一文字でね。十七の年からもう二十年背負っているが、これで案外重荷でねと、冗談口の達者な男だった。十七の歳から……? と驚くと、僕も中学校へ三年まで行った男だが……と語りだしたのは、こうだった。
 生まれつき肌が白いし、自分から言うのはおかしいが、まア美少年の方だったので、中学生の頃から誘惑ゆうわくが多くて、十七の歳女専の生徒から口説くどかれて、とうとうその生徒を妊娠させたので、学校は放校処分になり、家からも勘当された。木賃宿を泊り歩いているうちに周旋屋しゅうせんやにひっ掛って、炭坑たんこうへ行ったところ、あらくれの抗夫達がこいつ女みてえな肌をしやがってと、半分は稚児ちごいじめの気持と、半分は羨望せんぼうから無理矢理背中に刺青をされた。一の字をりつけられたのは、抗夫長屋ではやっていた、オイチョカブ賭博とばくの、インケツニゾサンタシスンゴケロッポーナキネオイチョカブのうち、このふだを引けば負けと決っているインケツの意味らしかった。刺青をされて間もなく炭坑を逃げ出すと、故郷の京都へい戻り、あちこち奉公ほうこうしたが、英語の読める丁稚でっち重宝ちょうほうがられるのははじめの十日ばかりで、背中の刺青がわかって、たちまち追い出されてみれば、もう刺青を背負って生きて行く道は、背中に物を言わす不良生活しかない。インケツのまつと名乗って京極きょうごくや千本のさかを荒しているうちに、だんだんに顔が売れ、随分男も泣かしたが、女も泣かした。面白い目もして来たが、背中のこれさえなければ堅気かたぎくらしも出来たろうにと思えば、やはりさびしく、だから競馬へ行っても自分の一生を支配した一の番号が果たして最悪のインケツかどうかと試す気になって、一番以外にけたことがない。

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