魔境「蕨の切り株(トッコ・ダ・フェート)」
そこは、人間の運がいろいろに廻転し、おい、奢るぞ(ヴォツセ・ケル・マタ・ビツシヨ)――と勢いよく出てくるのもあれば、曲ってる(ホージ・エ・アザール)! なんて三リンボウが続きァがるんだと、いずれは、ピストルのご厄介らしくうち悄(しお)れてしまうものもある。しかし、カムポスは気込んだ甲斐(かい)もなく、みごと「平均(バランス)」という賭け札でスッテンテンになってしまった。 それみろ、やっぱり一番違いの解釈はおれのほうが正しい――と、じっと、その意味をこめた目でカムポスをみたとき……思わず折竹がアッと叫ぶようなことが起った。カムポスが札を置くとスイと立ちあがって、諸君と、室中を睨(ね)めまわすように言ったのである。 「僕は、諸君に折り入っての相談がある。見られるとおり、武運拙(つた)なくカラッ尻の態となったが、まだ僕は屈しようとはせぬ。それは、僕に抵当があったからだ。でまず、その品を諸君にお目にかけるとして、どうか、気に入った方は一勝負ねがいたい」 といって、ポケットから掴(つか)みだしたものをザラザラッと音をたてて、カムポスが卓上に置いたのである。とたんに、室中のものがハッと息をのみ、思わず土まみれのままの燦爛(さんらん)たる光に……ダイヤ、しかも原石! と唖然(あぜん)たる態。 「オイオイ、見てばかりいないで、なんとか言ってくれ」と無言の一座に業(ごう)が煮えてきたか、カムポスの声がだんだん荒くなってくる。「いいか、俺はこの五粒のダイヤを、売ろうてんじゃない。俺が一か、八かの抵当にしようというのは……ダイヤよりも土のほうなんだ。ねえ、この渓谷性金剛石土(カスカリヨ)がサラサラッと泣いて、十億(ビルリオン)、一兆億(トリリオン)のこんないい音が、欲張りどもに聴こえないかって言ってるぜ」と土を掬(すく)ったりこぼしたりしながら、最後にカムポスが条件を言った。 「ところで、俺はこの世界にまだ一度も現われていないダイヤの新礦地の所在を賭ける。それにはまず、諸君の誰かに値を付けてもらう。そして、それだけの金額のご提供をねがう。いないか?![#「?!」は一文字、第3水準1-8-77、217-15] 俺を負かして所在を吐かせるやつは」 即座(そくざ)に、室の隅のほうで五万ミルという声がしたが、カムポスはふり向きもしない。それから、五万五千、六万と小刻みにいって七万ミルまでくると、そこで声がハタとなくなってしまった。 第一、風のごとくに現われたこの不思議な人物が、いかにダイヤをみせ渓谷性金剛石土(カスカリヨ)を示すとはいえ、誰が十二分の信頼をこの男にかけようか。まったく、こうした場所に出入りをする富有階級の人間が、怪しさ半分欲半分で、まずこの程度ならばフイにしてもというのが、七万ぐらいのその辺だったのであろう。カムポスは、もっとこの話を現実付けねばならぬと思って、 「じゃ、その礦地とはいったい何処(どこ)にあるか。また、どうして俺がそれを見付けたかということを、これから諸君にかい摘んで話そう。しかしだ、今度は七万ミルなんてえ、吝(しみ)ったれは止めて貰うよ。もし、そんな声が出たらそれっきりにして、俺はサッサと帰るからね」 それからカムポスは、賭博場(キヤジノ)はいうに及ばず踊り場からキャバレーまでのほとんど「恋鳩(ポムピニヨス・エナモール)」の全客をあつめたと思われるほどの、黒山の人を相手に滔々(とうとう)と言いはじめたのである。その第一声が、まず人々に動揺をおこさせた。 「ところで、その新礦地があるのは、“Gran Chaco(グラン・チャコ)”だ。どうだ、グラン・チャコとは初耳だろう」 南米に、まだ開拓のおよばぬ個所が四つほどある。一つは、人も知る奥アマゾン、さらにオリノコ川の上流もその一つだろうし、また、南端へゆけばパタゴニア地方にも、恐竜の全化石などがでる未踏地がある。そうして、第四がこのグラン・チャコなのだ。 南緯二十度から二十七度辺にまでかけ、アルゼンチン、パラグァイ、ボリヴィアの三か国にわたり、密林あり、沼沢(しょうたく)あり、平原ありという、いわゆる庭園魔境の名のグラン・チャコ。そこは奇獣珍虫が群をなして棲(す)み、まだ、学者はおろか、“Mattaco(マツタコ)”印度人(インディアン)でさえも、奥地へは往ったことがないというほどの場所だ。 「で、そのグラン・チャコのなかに“Pilcomayo(ピルコマヨ)”という川がある」とカムポスが淀(よど)みなく続けてゆく。 「それは、フォルモサの密林の北をながれて、ながらくパラグァイ、アルゼンチン両国の境界争いの場所だったことは、諸君も知っておることだろう。たがいに、川の南北に陣どって堡塁(フオルチネス)をきずき、いまなお一触即発の形勢にある。では、その境界争いはなんのために起ったか。貪ろうとしたのか? それとも、条文の不備か? 何のためかというに、それは、このピルコマヨという化物のような、じつに不可解千万(せんばん)な川のために起っている。 で諸君、諸君はこの川が貫いている“Esteros de Patino(エステロス・デ・パチニョ)”すなわち『パチニョの荒湿地』なるおそろしい場所を知っているかね。いや、ブラジルには通り名がある。パチニョというよりも『蕨の切り株(トッコ・ダ・フェート)』――。俺はその名を知らんとはいわさんぞ」 パチニョの荒湿地、一名「蕨の切り株(トッコ・ダ・フェート)」――それには、また人々の中がザッとざわめき立ったほどだ。読者諸君も、蕨(わらび)の切り株とはなんて変な名だろうと、ここで大いに不審がるにちがいない。蕨といえば、太さ拇指(おやゆび)[底本では「栂指」と誤り]ほどもあれば非常な大物である。それだのに、それが樹木化して切り株となる魔所といえば、それだけ聴いても、この「蕨の切り株(トッコ・ダ・フェート)」なる地がいかなるところか分るだろう。でまず、順序としてピルコマヨ川の、化物然たる不思議な性質から触れてゆこう。 ピルコマヨには、元来正確な流路がない。土質が、やわらかな沖積層で岩石がなく、そのうえ、蛇行が甚しいために水勢もなく、絶えず溢れ絶えず移動し、いつも決まりきった川筋というものがない。まったく、きょうの川は明日はなく、明日の湿地は明後日の川と、転々変化浮気女のごとく、絶えず臥床(がしょう)をかえゆくのがピルコマヨである。そうしてその流域のなかでもいちばん怖しい場所が、「蕨の切り株(トッコ・ダ・フェート)」のパチニョの湿地になっている。 これまでこの川は、水中植物の繁茂が実におびただしいために、櫂(オール)が利かず、遡(さかのぼ)ったものがない。従って、国際法でいう先占(せんせん)の事実というやつが、パラグァイ、アルゼンチンのどっちにもない訳である。日本人が、フランス人よりも先に新南群島を占めたため、いまは日本の領有となっている。その先占を、一九三二年の夏の終りごろに、いよいよアルゼンチン政府が決行することになった。 ピルコマヨが、「蕨の切り株(トッコ・ダ・フェート)」の荒湿地でまったく消えてしまう。それから、そこを出ると三つの川になり、「暗秘(リオ・ミステリーゾ)河、「迷錯(リオ・コンリーゾ)」河と成程というような名の川二つ。そしてその南にピルコマヨの本流がのたくり出ている。つまり、Ramos Gimenez(ラモス・ジメネス)教授を主班とするその探検隊の目的は、以上三つの流系をしらべ、あわよくば、グラン・チャコの謎といわれる「蕨の切り株(トッコ・ダ・フェート)」を衝(つ)こうとするものであった。 ところが、その探検が難渋(なんじゅう)をきわめ、やっと一年後に「蕨の切り株」の南隅に立つことができた。そのとき、じつに世界の耳目(じもく)をふるい戦かせたほどの、怪異な出来事が起ったのだ。 そこは一面、細茅(サベジニヨス)、といっても腕ほどもあるのが疎生(そせい)していて、ところどころに大蕨(フェート・ジガンデ)がぬっと拳をあげている。そして、下は腐敗と醗酵(はっこう)のどろどろの沼土。すると、ジメネス教授が立っているところから百メートルばかり向うに、髪をながく垂らした女のようなものが、水の中からぬっくと立ちあがったのである。教授は驚いた。――よく見ればいかにも女だ。しかし、すぐ浴(ゆあ)みをするように跼(かが)んだかと思うと、その姿が水中に消えてしまったのだ。 女だ。あくまで人間であって外の生き物ではない。しかし泥中で生き水底で呼吸(いき)のできる、人間というのがあるべき訳はない。と、半ば信じ半ば疑いながら、まったくその一日は夢のように送ってしまったのだ。すると翌日、顔をまっ蒼(さお)にした二人の隊員が、教授の天幕(テント)へバタバタと駆けこんできた。 聴くと、「蕨の切り株(トッコ・ダ・フェート)」へいって蝦(えび)類を採集していると、ふいに泥のなかへ男の顔が現われた。それは、まるで日本の能面にあるような顔で……びっくり仰天した私たちの様をみるや、たちまち泥をみだして水底に没してしまったというのだ。これでいよいよ、水棲人の存在が確認された。教授はそれに、沼底棲息人(インコラ・パルストリス)と学名さえつけたのだが、あまりに、想像を絶するような途方もないことなので、かえって世界の学会から笑殺されてしまったのである。 こうして「蕨の切り株」はちらっと戸端口(とばぐち)をのぞかせたまま、むしろ妖相を増し再び謎となったのである。ところがここに、世にも可怪(おか)しな話といえば必ず選ばれるような、水棲人(インコラ・パルストリス)を三度目に見たものが現われた。それが、余人ではないカムポス。 「俺は去年、パラグァイ軍の志願中尉をやっていた。まったくあの国は、学歴さえあれば造作なく士官になれる。で俺は、一通り号令をおぼえたころ、任地に送られた。これが、『蕨の切り株』に大分近くなっている、ピルコマヨ堡塁線(フォルチネス)中の“La Madrid(ラ・マドリッド)”というところだ。俺は、そこへゆくとすぐ上官に献策をした。先占(せんせん)をしなさい、全隊が銃を捨てて探検隊となり、『蕨の切り株』に踏みいって、パラグァイ旗を立てれば――と言ったら、俺はひどく怒られた。理屈はどうでも、銃を捨てて――なんてえ言葉は非常に悪いらしいのだ。俺は、そんな訳で業腹(ごうはら)あげくに、ようし、じゃ俺が一人で行って先占をしてやると、実にいま考えると慄(ぞ)っとするような話だが、腹立ちまぎれにポンと飛び出したのだ。 ところで、至誠神(かみ)に通ずなんてえ言葉は、ありゃ嘘だ。俺は、無法神に通ずといいたいね。ジメネスが、一年も費(かか)ってやっとゆけた道を、俺は、ズブズブ沼土を踏みながら十日で往ってしまったよ。つまり、泥沼があれば偶然に避けている、危険個所と危険個所のあいだを千番のかね合いで縫ってゆく――僥倖(ぎょうこう)の線を俺は往けたわけなんだ。 で、『蕨の切り株』をはじめて見た日に、じつに意外なものに俺は出会っちまったんだよ。ちょうど、俺がいるところから四、五十メートルほど先に、ザブッと水をかぶったまま立ちあがったものがある。人だ。さてはジメネスのいうのは嘘ではない。人類の、両棲類ともいう沼底棲息人(インコラ・パルストリス)――。秘境『蕨の切り株(トッコ・ダ・フェート)』とともに数百万年も没していた怪。 それは、藻か襤褸(ぼろ)かわからぬようなものを身につけていて、見れば擬(まぎ)れもなく人間の男だ。胸に大きな拳形の痣(あざ)があって、ほかは、吾々と寸分の違いもない。と、いきなりそいつが片手をあげて、俺をめがけて投げつけたものがある。と思ったとき、もうそいつの姿が水面にはなかったのだ。俺は水棲人のやつがなにを抛ったのだろうと、大蕨(フェート・ジガンデ)を折ってやっとこさで掻きよせた。手にとると、なんか葉っぱの化石みたいなもん。それが、二つに合わさって藻で結えたなかから、現われたのがこのダイヤモンドだ」 そこまで言うと、カムポスは睨(ね)め廻すような目で、あたりをぐるっと一渡りみた。 「さあ、そこまで言(い)や、納得がついたろう。その水棲人が、広茫千キロ平方もある『蕨の切り株』の、一体どこから現われたかというにゃ、俺に目印がある。どうだ、諸君はそれをいくらに踏む?![#「?!」は一文字、第3水準1-8-77、223-3]」 声がない。ようやく、カムポスの額に青筋が張ってきたころ、一隅から美しい声がかかった。 「五十万ミル。あたくし、その程度ならお相手しても宜(よろ)しゅうございます」 そう言って、まっ白な胸をチラ付かせながら、喧騒の極に達した人波を、かきわけてくる。カムポスは、息を引いたまま白痴のような顔で、現われたその人をぼんやりとながめている。ああ、さっき彼が白百合のようにみた女性。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] 下一页 尾页
|