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三浦老人昔話(みうらろうじんむかしばなし)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006/8/29 0:07:56 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


       三

 大次郎は悪い家へ這入ったので、こゝの家の表看板は料理屋ですが内実は淫売屋じごくやでした。江戸時代に夜鷹は黙許されていましたが、淫売じごくはやかましい。とき/″\お手が這入って処分をうけるのですが、やはり今日とおなじことで狩り尽せるものではありません。大次郎は無論にそんなうちとは知らないで、夢中で飛び込んだのです。駕籠屋もおそらく知らないで普通の小料理屋と思って担ぎ込んだのでしょうが、家には首の白いのが四五人も屯していて、盛に風紀をみだしている。そこへ身綺麗な若い侍が飛び込んで来たので、向うではい鳥ござんなれと手ぐすね引いて持ちかけると云うわけです。大次郎はふり切って帰ろうとする。女は無理にひきとめる。それがだん/\露骨になって来たので、大次郎も気がついて、あゝ飛んだところへ引っかかったと思ったが、今更どうすることも出来ない。あやまるようにして勘定をすませて、さて帰ろうとすると、自分の大小がみえない。
「これ、おれの大小をどうした。」
「存じませんよ。」と、女は澄ましていました。
「存じないことはない。探してくれ。」
「でも、存じませんもの。あなた、お屋敷へお忘れになったのじゃありませんか。」
「馬鹿をいえ。侍が丸腰で屋敷を出られるか。たしかに何処かにあるに相違ない。早く出してくれ。」
 女は年こそ若いが、なか/\人を食った奴で、こっちが焦れるほどいよ/\落ちつき払って、平気にかまえているのです。小面こづらが憎いと思うけれど、こゝで喧嘩も出来ない。淫売屋というなかにも、こゝの家はよほどふうのわるい家で、大次郎の足どめに大小を隠してしまったらしい。いよ/\憎い奴だと思うものゝ、こゝへ飛び込んで来たときは半分夢中であったので、いつ何うして大小を取りあげられたのかちっとも覚えがない。こうなると水かけ論で、いつまで押問答をしていても果てしが付かないことになるので、大次郎も困りました。
 勿論、たしかに隠してあるに相違ないのですから、表向きにすれば取返す方法がないことはない。町内の自身番へ行って、その次第をとゞけて出れば、こゝの家の者どもは詮議をうけなければならない。武士が大小をさゝずに来たなどというのは、常識から考えても有りそうもないことですから、こゝの家で隠したと云う疑いはすぐにかゝる。まして隠し売女を置いているということまでが露顕しては大変ですから、こゝで大次郎が「自身番へゆく」と一言いえば、相手も兜をぬいで降参するかも知れないのですが、残念ながらそれが出来ない。表向きにすれば、第一に屋敷の名も出る。ひいては雷見舞の一件も露顕しないとも限らないので、大次郎はひどく困りました。相手の方でも真逆に雷見舞などとは気がつきませんでしたろうが、たといどっちが悪いにせよ、侍が大小を取られたの、隠されたのと云って、表向きに騒ぎ立てるのは身の恥ですから、よもや自身番などへ持出しはしまいと多寡をくゝって、どこまでも平気であしらっている。こんな奴等に出逢ってはかないません。
 こうなったら仕方がないから、金でも遣って大小を出して貰うか、それとも相手の云うことを肯いて遊んでゆくか、二つに一つより外はないのですが、可哀そうに大次郎はあまり沢山の金を持っていない上に、こゝで祝儀を遣ったり、法外に高い勘定を取られたりしたので、紙入れにはもう幾らも残っていないのです。ほかの品ならば、打っちゃった積りで諦めて帰りますが、武士の大小、それを捨てゝ丸腰では表へ出られません。大次郎も困り果てゝ、嚇したりすかしたりして色々にたのみましたが、相手は飽までもシラを切っているのです。年のわかい大次郎はだん/\に焦れ込んで来ました。
「では、どうしても返してくれないか。」
「でも、無いものを無理じゃありませんか。」
「無理でもいゝから返してくれ。」
「まあ、ゆっくりしていらっしゃいよ。そのうちには又どっかから出て来ないとも限りませんから。」
「それ、みろ。おまえが隠したのじゃないか。」
「だって、あなたがあんまり強情だからさ。あなたがわたしの云うことを肯いてくれなければ、わたしの方でもあなたの云うことを肯きませんよ。そこが、それ、魚心に水心とか云うんじゃありませんか。」
「だから、また出直してくる。きょうは堪忍してくれ。もう七つを過ぎている。おれは急いで行かなければならない。」
「七つ過ぎには行かねばならぬ――へん、きまり文句ですね。」
 大次郎はいよ/\焦れて来ました。
「これ、どうしても返さないか。」
「返しません。あなたが云うことを肯かなければ……。」
 云いかけて、女はきゃっと云って倒れました。そこにあった徳利で眉間をぶち割られたのです。大次郎は徳利を持ったまゝで突っ立ちました。
「さあ、どこに隠してある。案内しろ。」
 女の悲鳴をきいて、下から亭主や料理番や、ほかに三四人の男どもが駈けあがって来ました。どうでこんなうちですから、亭主はごろつきのような奴で、丁度仲間の木葉こっぱごろがあつまって奥で手なぐさみをしているところでしたから、すぐにどや/\と駈けつけて来たのです。来てみると、この始末ですから承知しません。大事の玉を疵物にされては、侍でもなんでも容赦は出来ない。取っ捉まえて自身番へ突き出せと、腕まくりをして掴みかゝる。それを突き倒して次の間へ飛び出すと、そこには夜具でも入れてあるらしい押入れがある。もしやと思って明けて見ると、果して自分の大小が夜具のあいだに押込んでありました。手早くひき摺り出して腰にさすと、又うしろから掴み付く奴がある。なにしろ多勢に無勢ですし、こっちも少し逆上のぼせていますから、もうなんの考えもありません。大次郎は掴みつく奴を力まかせに蹴放して、また寄って来ようとするところを抜撃ちに斬りました。
「わあ、人殺しだ。」
 騒ぎまわる奴等をつゞいて二三人斬り倒して、大次郎は二階からかけ降りました。
 びっくりしている駕籠屋にむかって、大次郎は叱るように云いました。
「いそいで吉原へやれ。」
 駕籠屋も夢中でかつぎ出しました。

「実に飛んだことになったものですよ。」と、三浦老人はため息をついた。「大次郎という人はその足で吉原へ飛んで行って、諸越花魁に逢って、かたのごとくに雷見舞の口上をのべて帰りました。帰っただけならばいゝのですが、屋敷へ帰ってから切腹したそうです。相手が相手ですから、あるいは殺し得で済んだかも知れなかったのですが、兎も角それだけの騒ぎを仕出来したので、世間の手前、屋敷でも捨てゝ置かれなかったのか。それともお使に出た途中で、こんなことを仕出来しでかしては申訳がないというので、当人が自分から切腹したのか。それとも表向きになっては雷見舞の秘密が露顕するというので、当人に因果をふくめて自滅させたのか。そこらの事情はよく判りませんが、いずれにしても一人の侍がよし原へ雷見舞にやられて、結局痛い腹を切るようになったのは事実です。料理屋の方でも二人は即死、ほかの怪我人は助かったそうです。」
「まったく飛んだことになったものでした。」と、わたしも溜息をついた。「その後もその大名はよし原へ通っていたのですか。」
「いや、それに懲りたとみえて、その後は一切足踏み無しで、諸越花魁も大事のお客をとり逃してしまったわけです。」
 云いながら老人は老女の顔を横目にみた。わたしも思わず彼女の顔をみた。三人の眼が一度に出逢うと、老女はあわてゝ俯向いてしまった。しばしの沈黙の後に、老人は庭をみながら云った。
「さっきの雷で梅雨もあけたと見えますね。」
 庭には明るい日が一面にかゞやいていた。
[#改段]

下屋敷

       一

 その次に三浦老人をたずねると、又もや一人の老女が来あわせていた。但し彼女はこの間の「雷見舞」の女主人公とは全く別人で、若いときには老人と同町内に住んでいた人だと云うことであった。
 老人はかれを私に紹介して、この御婦人も色々の面白い話を知っているから、ちっと話して貰えと云うので、わたしはいつもの癖で、是非なにか聴かしてくださいと幾たびか催促すると、この老女もやはり迷惑そうに辞退していたが、とう/\私に責め落されて、丁寧な口調でしずかに語り出した。

 はい。年を取りますと、近いことはすぐに忘れてしまって、遠いことだけは能く覚えているとか申しますけれど、矢はりそうも参りません。わたくし共のように年を取りますと、近いことも遠いこともみんな一緒に忘れてしまいます。なにしろもう六十になりますんですもの、そろ/\耄碌しましても致方がございません。唯そのなかで、今でもはっきり覚えて居りまして、雨のふる寂しい晩などに其時のことを考え出しますとなんだかぞっとするようなことがった一つございます。はい、それを話せと仰しゃるんですか。なんだかいやなお話ですけれども、まあ、わたくしの懺悔ながらに、これからぼつ/\お話し申しましょうか。
 それは安政五年――うま年のことでございます。わたくしは丁度十八で、小石川巣鴨町の大久保式部少輔様のお屋敷に御奉公に上っておりました。お高は二千三百石と申すのですから、御旗本のなかでも歴々の御大身でございました。今のお若い方々はよく御存じでございますまいが、千石以上のお屋敷となりますと、それはそれは御富貴なもので、御家来にも用人、給人、中小姓、若党、中間のたぐいが幾人も居ります。女の奉公人にも奥勤めもあれば、表勤めもあり、お台所勤めもあって、それも大勢居りました。わたくしは十六の春から奥勤めにあがりまして、あしかけ三年のあいだ先ず粗相も無しに勤め通して居りました。
 安政午年――御承知の通り、大コロリの流行った怖ろしい年でございました。併しそれはおもに下町のことで、山の手の方には割合に病人も少のうございましたから、お屋敷勤めのわたくし共はその怖ろしい噂を聞きますだけで、そんなに怯えるほどのこともございませんでした。勿論、八月の朔日ついたちから九月の末までに、江戸中で二万八千人も死んだと云うのでございますから、その噂だけでも実に大変で、さすがの江戸も一時は火の消えたように寂しくなりました。そう云うわけでございますから、その十一月には例年の通り猿若町の三芝居に役者の入替りはありましたが、顔見世狂言は見合せになりました。これから申上げますのは、その役者のお話でございます。
 一体わたくしのお屋敷では、殿様を別として、どなたもお芝居がお好きでございました。殿様は御養子で今年丁度三十でいらっしゃるように承って居りました。奥様は七つ違いの二十三で、御縁組になってからう六年になるそうですが、まだ御子様は一人もございませんでした。御先代の奥様は芳桂院様と仰せられまして、目黒の御下屋敷の方に御隠居なすっていらっしゃいましたが、このお方が歌舞伎を大層お好きでございまして、殊に御隠居遊ばしてからは世間に御遠慮も少いので、三芝居を替り目毎にかならず御見物なさると云うほどの御贔屓でございました。そのお血をお引きになったのかも知れません、奥様もやはりお芝居がお好きで、いつも芳桂院様のお供で御見物にお出掛けなさいました。殿様は苦々しいことに思召していたに相違ありませんが、なにぶんにも家柄の低い家から御養子にいらっしゃったと云う怯味ひけみがあるので、まあ大抵のことは黙って大目に見ていらしったようでございます。それでも、芳桂院様は一度こんなことを仰せられたことがございました。
「わたしの生きているうちはよろしいが、わたしの亡い後には女どもの芝居見物は一切止めさせたい。」
 鳥渡ちょっとうけたまわりますと、なんだか手前勝手のおことばのようにも聞えます。自分の生きているうちは芝居を見ても差支えないが、自分の死んだあとには誰も芝居を見てはならぬ――それほどに見て悪いものならば、御自分が先ずお見合せになったら好さそうなものだと、誰もまあ云いたくなります。まして芝居見物のお供を楽みにしている女中達ですもの、誰だってそれをありがたく聞くものはありません。わたくしにしても、恐れながら御隠居様が手前勝手の仰せのように考えて居りましたのは、全くわたくしどもの考えが至らなかったのでございます。
 芳桂院様は四月の末におなくなり遊ばして、目黒の方はしばらくあき屋敷になって居りましたが、その八月の末頃から奥様が一時お引移りということになりました。それは例のコロリがだん/\に本郷小石川の方へも拡がってまいりましたので、今日で申せば転地というような訳で、御下おしも屋敷の方へお逃げになったのでございます。その当時、目黒の辺はまるで片田舎のようでございましたから、流石のおそろしい流行病もそこまでは追掛けて来なかったのでございます。奥様にはお気に入りの女中が二人附いてまいりました。それはおあさという今年二十歳の女と、わたくしとの二人で、さびしい御下屋敷へ参るのはなんだか島流しにでも逢ったような心持も致しましたが、御上おかみ屋敷よりも御下屋敷の方が御奉公もずっと気楽でございます、万事が窮屈でありません。もう一つには、例のコロリの噂を聞かないだけでも心持がようございます。かたがたして、わたくし共も別に厭だとも思わないで、奥様のお供をしてまいりました。御下屋敷には以前からお留守居をしている稲瀬十兵衛という老人のお侍夫婦のほかに、お竹とおきよという二人の女中が居りました。そこへわたくし共がお供をして参ったのですから、御下屋敷の女中は四人になったわけで、急に賑やかになりました。
 併しそのお竹とお清とは、どちらも御知行所ごちぎょうしょから御奉公に出ましたもので、江戸へ出るとすぐに御下屋敷の方へ廻されたのですから、まあ山出しも同様で江戸の事情などはなんにも知らないようでした。大勢の女中の中からわたくしども二人がお供に選まれましたのは、前にも申上げた通り、奥様のお気に入りで、いつも芝居のお供をしていたからでございましょう。目黒へまいってからも、奥様はわたくし共をお召しなすって、毎日芝居のお話をなすっていらっしゃいました。わたくし共も喜んで役者の噂などをいたして居りました。
 わたしの亡い後は――と、芳桂院様が仰しゃっても矢はりそうはまいりません。芳桂院様がおなくなりになった後でも、奥様はたび/\お忍びで猿若町へお越しになりました。わたくし共もそれを楽みに御奉公致して居るようなわけでございました。目黒へまいりましてから、一月ばかりは何事もございませんでしたが、忘れも致しません、九月の二十一日の夕方でございました。わたくしがお風呂を頂いて、身化粧みじまいをして、奥へまいりますと、奥様は御縁のはなに出て、虫の声でも聞いていらっしゃるかのように、じっと首をかしげていらっしゃいました。なにしろ、あの辺のことでございますし、御下屋敷の方は御手入れも自然怠り勝になって居りますので、お庭には秋草が沢山にしげっていて、すゝきの白い花がゆう闇のなかにほのかに揺れていたのが、今でもわたくしの眼に残っております。
「町や。」と、奥様はわたくしの名をお呼びになりました。「朝はどうしています。」
「わたくしと入れ替って、お風呂を頂いて居ります。」
 奥様はだまって首肯いていらっしゃいましたが、やがて低い声で、こう仰しゃいました。
「町や、お前は浅草に知合いの者が多かろう。踊の師匠も識っていますね。」
「はい、存じて居ります。」
 わたくしは花川戸の坂東小翫という踊の師匠に七年ほども通いまして、それを云い立てに御奉公にあがったくらいでございますから、勿論その師匠をよく存じて居ります。師匠はもう四十二三の女で、弟子も相当にございました。その弟子のうちに市川照之助という若い役者のあることを、わたくしから奥様にお話し申上げたこともございました。奥様は今夜それを不意に仰せ出されまして、お前はその照之助を識っているかと云うお訊ねでございましたが、実のところ、わたくしはその照之助をよく識らないのでございます。いえ、舞台の上ではたび/\見て居りますけれども、わたくしが師匠をさがる少し前から稽古に来た人ですし、男と女ですから沁々と口を聞いたこともありませんし、唯おたがいに顔をみれば挨拶するくらいのことで、同じ師匠の格子をくゞりながらも、ほんの他人行儀に附き合っていたのですから、先方ではもう忘れているかも知れないくらいです。で、わたくしは其通りのことを申上げますと、奥様は黙って少し考えていらっしゃいましたが、又こう仰しゃいました。
「お前はよく識らないでも、その師匠は照之助をよく識っていましょうね。」
「それは勿論のことでございます。」
 奥様はわたくしを頤でお招きになりまして、御自分のそばへ近く呼んで、その照之助に一度逢うことは出来まいかという御相談がありました。わたくしも一時は返事に困って、なんと申上げてよいか判りませんでしたが、唯今とは違いまして、その時分の人間は主命ということを大変に重いものに考えて居りましたのと、わたくしもまだ年が若し、根が浅薄あさはかな生れ附きでございますのとで、とう/\其役目を引受けてしまったのでございます。つまりわたしから師匠の小翫にたのんで、師匠から照之助に話して貰って、照之助をこの御下屋敷へ呼ぼうと云うのでございます。
 照之助というのは、そのころ二十一二の女形おやまで、二町目――市村座でございます――に出て居りましたが、年が若いのと家柄が無いせいでございましょう。余り目立った役も付きませんで、いつもお腰元か茶屋娘ぐらいが関の山でしたが、この盆芝居の時にどうしてか、おなじお腰元でも少し性根のある役が付きまして、その美しい舞台顔がわたくしどもの眼に初めてはっきりと映りました。奥様も可愛らしい役者だと褒めておいでになりました。今になって考えますと、この御下屋敷へ御引移りになりましたのも、コロリの為ばかりではなかったのかも知れません。全くその照之助と申しますのは、少し下膨れの、眼つきの美しい、まるでほんとうの女かと思われるような可愛らしい男でございました。
 奥様は手文庫から二十両の金を出して、わたくしにお渡しになりました。これは照之助に遣るのではない、その橋渡しをしてくれる師匠に遣るのだと云うことでございました。そこへお朝が風呂から帰ってまいりましたので、お話はそのまゝになりました。
 わたくしはその明る日、すぐに浅草の花川戸へまいりまして、むかしの師匠の家をたずねました。そうして、ゆうべの話しをそっといたしますと、小翫も一旦は首をかしげていました。それは相手が武家の奥方であるのと、もう一つには、わたくしの年がまだ若いので何をいうのかと疑っているので、すぐにはなんとも挨拶をしないらしく見えましたから、わたくしは袱紗につゝんだ金包みを出して師匠の眼の前に置きました。二十両――その時分には実に大金でございます。師匠もそれをみて安心したのでしょう。安心というよりも、その大金をみて急に慾心が起ったのでしょう。わたくしの云うことを信用して、それから真面目に相談相手になってくれました。
「照之助さんもこれから売出そうと云うところで、懐がなか/\苦しいんですからね。そこを奥様によくお話しください。」
 どうせ金の要るのは判り切っていることですから、わたくしも承知して別れました。今おもえば実に大胆ですが、そのときには使者の役目を立派につとめおおせたという手柄自慢が胸一杯になって、わたくしは勇ましいような心持で目黒へ帰りました。帰って奥様に申上げると、奥様も大層およろこびで、その御褒美に縮緬のお小袖を下されました。
「朝に申しても宜しゅうございますか。」と、わたくしは奥様にうかがいました。ほかの女中は兎もあれ、お朝には得心させて置かないと、照之助を引き込むのに都合が悪いと思ったからでございます。奥様もそれを御承知で、朝にだけは話してもよいと仰しゃいました。お朝も奥様の前へ呼ばれまして、幾らかのお金を頂戴しました。

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