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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)68 二人女房

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-28 19:14:01 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     六

「お話はもうお仕舞いです」と、半七老人は笑った。「あとはあなたの御想像に任せますよ」
「いや、事件がなかなかこぐらかっているので、容易に想像が付きません」と、わたしも笑った。
「じゃあ、この友蔵のうちに転がされていた女は、伊豆屋の女房か、和泉屋の女房か、あなたはどっちだと思います」
 さかねじの質問を受けて、わたしは返事に困った。黙っているのも口惜くやしいので、わたしは出たらめに答えた。
「和泉屋の女房のようですね」
「ふむう」と、老人はわたしの顔を眺めた。「どうして判りました」
 そう訊かれて、わたしはまた困った。
「どうと云うこともないので……。唯なんだか和泉屋のようだと思っただけですよ」
「そのようだと云うことが大切です」と、老人はまじめに云った。「明治のこんにちは警察のやりかたもすっかり変って、探偵の方法も新らしくなりましたが、昔の探索には何々のようだとか、誰誰のようだとか、まずわれわれの胸に泛かぶ。それがなかなかの役に立って、ようだと睨んだことが不思議にあたった例がしばしばあるので……。そうです、わたしが家に坐って、眼をつぶって、腕をんで、どうもそうらしいようだと考えていた事が、まず大抵は壷にはまりましたからね。あなたの鑑定通り、その女は呉服屋の女房のお大でした」
「お大は家出をして、府中へ行ったんですか」
「そうです。わたくしは最初から和泉屋の手代の幾次郎という奴を、なんだか怪しいと睨んでいたのですが、やっぱりこいつが曲者でした。前にも申す通り、おやじの勇蔵が主人の罪をかぶって牢死した。その忠義に免じて、和泉屋でも眼をかけて使っていた。和泉屋には子がないので、行くゆくは養子にしてくれるかと内々楽しみにしていると、主人の親類から清七という養子が来てしまったので、幾次郎はあてがはずれた。それが、そもそもの始まりで、自棄やけも手伝って道楽をする。それでも主人が大目おおめに見ているので、だんだんに増長して和泉屋乗っ取りを企てる事になりました。その場合、あなたならどうします」
「さあ、まず養子の清七を遠ざけるんですね」
「だれの考えも同じことで、まあそうするのほかはありません。和泉屋の女房は後妻で、亭主の久兵衛とは年がよほど違っている。そこで何日いつかそのお大と不義を働くようになった。幾次郎に取っては勿怪もっけの幸い、せいぜい女房の御機嫌を取って清七放逐の計略をめぐらしたが、あいにく清七がおとなしい男で、難癖をつけるようなとがが無い。そのうちに一昨年おととしの五月、幾次郎は清七を府中の闇祭りに連れ出して、その帰りに調布の甲州屋へ誘い込んだ。こうして道楽の味をおぼえさせて、だんだんに清七を堕落させ、それを落ち度にして和泉屋から放逐するという魂胆でしたが、その薬が利き過ぎて、相方のお国は清七に初会しょかい惚れ、清七の方でも夢中になる。さあ占めたと、幾次郎とお大ははらをあわせて主人の久兵衛にいろいろの讒言をする。久兵衛も馬鹿な男ではないのですが、自然それに巻き込まれて、清七の信用は次第に薄くなる。それでも清七の迷いは醒めないで、二十五両の金を持ち出してお国を身請けという事になったのです。勿論、幾次郎も蔭へ廻ってそそのかしたに相違ありません。
 ところが、お国には友蔵という悪い親父が付いているので、いい鴨がかかったとばかりで、二十五両を横取り、喧嘩仕掛けで清七を逐い出してしまった。根がおとなしい人間ですから、清七はくやしさが胸いっぱい、もう一つには近ごろ養父や養母の機嫌を損じて、まかり間違えば離縁になるかも知れないと云うようなことも薄々感じている。二十五両の金とても帳合いをごまかした金だから、それが露顕すればいよいよ自分の身があやうい。お国もそれに同情して、又二つには邪慳じゃけんな親父への面当てもあったのでしょう、二人はとうとう心中という事になる。大願成就と幾次郎は手をって喜んだのです」
「それじゃあ二人は幾次郎のところへも化けて出ていいわけですね」
「友蔵も悪いが、幾次郎は一倍悪い。まったく幾次郎の方へ幽霊が出そうなものですが、二人ともに幾次郎の巧みを知らなかったのでしょう。そこで内からは女房のお大が糸を引いて、清七の後釜あとがまに幾次郎を据える段取りになったのですが、主人も直ぐには承知しない。ふだんから大目に見ているものの、幾次郎が道楽者ということは主人もよく知っているので、それを相続人にして清七の二の舞をやられては困る。その懸念があるので主人も渋っている。
 そうして半年ばかり過ごすうちに、お大は此のごろ幾次郎にむかって、二人が仲を主人に薄々感付かれたらしいから、いっそ連れて逃げてくれと云い出しました。そんな筈は無いから、まあ我慢しろと幾次郎がなだめても、お大はかない。しかし幾次郎にしてみると、主人の女房と不義を働いているのも、和泉屋の養子に直って、その身代を手に入れたいからで、もう一と息というところまでぎ付けながら、その大望を水の泡にして、年上の女と駈け落ちなどをする気はありません。しかしお大の方では頻りに迫って来る。もういやとは云われない破目になって、幾次郎はまた悪巧みを考えました。その片棒をかついだのがの友蔵です」
「幾次郎は友蔵を識っていたのですか」
「去年の心中一件のときに、友蔵は和泉屋へ押し掛けて来て、自分が二十五両を横取りした事などはいっさい云わず、ここの息子のために大事の娘を殺されてしまったから、どうかしてくれと因縁を付ける。その時に幾次郎が仲に立って、三十両の金を渡して追い返した。それが縁になって、幾次郎は友蔵を識っている。あいつは悪い奴で、金にさえなれば何でも引き受ける奴だと云うことも知っているので、今度の味方に抱き込んだのです。
 そこで四月の末に友蔵を呼び寄せて相談の上、お大にむかってもいよいよ駈け落ちの相談を始めました。自分の育った甲府には、おふくろがまだ達者でいる。ひとまず其処へ身を隠そうと云うことにして、お大に二百両の金をぬすみ出させ、その一割の二十両だけをお大に持たせて、残りの百八十両は自分が預かりました。二人が一緒に出ては直ぐに覚られるから、おまえは一と足さきに出て、府中宿の友蔵の家に待ち合わせていてくれ。私はあとから尋ねて行くと、うまくだましてお大を出してやる。闇祭りの日には江戸や近在の参詣人が大勢集まって来るから、却っていいと云うので、五月五日にお大をこっそり落としてやりました。
 お大は男にだまされて府中へ行き、友蔵の家で待ち合わせていたが、幾次郎は来ない。その翌日になっても姿を見せない。それも道理で、幾次郎は最初から一緒に駈け落ちをする気はない。女のふところには二十両の金を持たせてあるから、それを巻きあげた上でどうとも勝手に始末してくれと、友蔵に頼んである。実にひどい奴もあるものです。
 それを知らずに持っているお大にむかって、友蔵はいよいよ本性をあらわしましたが、自分に駈け落ちの弱味があるから、お大はじたばたすることも出来ない。ふところの二十両は早速にまきあげられて、その上に友蔵の慰み物です。逃げ出されては面倒だと思って、友蔵はお大を細引で縛って、用のない時は戸棚へ抛り込んで置く。お大は三十四、五ですが、容貌きりょうもまんざらで無いので、さんざん玩具おもちゃにした上で何処かの田舎茶屋へでも売り飛ばそうという友蔵の下心したごころ。お大はひどい目に逢いながらも、今に幾次郎が来るものと思って、泣く泣く我慢していたと云いますから、よっぽどうまく男にだまされていたものと見えます。
 どう考えても幾次郎はひどい奴で、ていよくお大を追い払って、百八十両の金を着服ちゃくふくして、自分はなんにも知らない顔をして和泉屋に残っている。忠義者の親父に引きかえて、こいつはよくよくの悪者です」
「怖ろしい奴ですね」と、わたしは嘆息した。「そこで、一方のしん吉はどうしたんです」
「こいつも亦ひどい奴で、幾次郎といい取組ですよ」と、老人もまた嘆息した。「伊豆屋という酒屋の女房お八重は、前にも云う通り、大きい子供の三人もありながら、派手づくりで出歩くような女ですから、どうで碌な事はしていまいと思っていると、案のとおり落語家のしん吉に浮かれて方方で逢い引きをしている。それでも上手にやっていたと見えて、近所へは知られなかったのですが、これも女が年上であるだけに熱度がだんだんに高くなる。いくらお人好しでも亭主がある以上、しん吉と思うように逢うことが出来ないので、これも駈け落ちの相談、ちょうど和泉屋の女房とおなじ行き方です。
 この方は大抵お判りでしょうが、府中の方角へしん吉が稼ぎに廻っている時、かねてしめし合わせてあるお八重は闇祭り見物ということにして、息子や番頭や若い者を連れて、大びらで家を出て行く。そうして、しん吉の泊まっている釜屋へ乗り込んで、祭りの暗まぎれに手を取って道行みちゆき、すべてが思い通りに運んで、その夜のうちに次の宿しゅくの日野まで落ち延びました。しん吉は世間の人に覚られないように、その日のひる過ぎに釜屋をいったん出立して、暗くなってから又引っ返して来たのです。府中から日野まで一里二十七丁という事になっていますが、女の足弱をつれて夜道の旅だから捗取はかどらない。八ツ(午前二時)過ぎにようよう日野の宿に行き着いて、寝ている宿屋を叩き起こして泊まりました。
 きのうは昼も歩き、夜も歩き、その疲れで、お八重は日の高くなる頃に眼をさますと、しん吉のすがたが見えない。お八重は家から百五十両の金を持ち出して、それをしん吉に預けると、男はその金を持って影をかくしてしまったのです」
「なるほど幾次郎とおなじような手ですね」
「そうです、そうです。さては置き去りを喰ったのかと、お八重も初めて気が付いたが、どうする事も出来ない。巾着きんちゃくに残っている小遣い銭で、どうにか宿屋の払いをして出たが、今さら江戸へも帰られず、男にだまされたくやしさと、身の振り方に困った悲しさとで、いっそ死のうと思い詰めたのでしょう。それから二、三日は何処をうろついていたか知りませんが、その死骸が、調布の河原へ流れ着きました」
「身を投げたんですね」
「多摩川の深そうな所をさがして、身を投げたのでしょう。一方のしん吉はお八重を置き去りにして、又もや府中に引っ返して来て、吉野屋という女郎屋に隠れていた。と云うのは、その店のお鶴という女に熱くなっていたからです。お八重から巻き上げた金はあり、惚れた女のそばに居て、しん吉はいい心持に浮かれていたのですが、お定まりの痴話喧嘩で、もう帰るとか何とか云って、雨の降るなかへ飛び出したのが因果、丁度わたくしの眼にかかって、忽ち首根っこを押さえられました。やっぱり悪いことは出来ませんね。
 悪いことは出来ないと云えば、伊豆屋のお大といい、和泉屋のお八重といい、どっちも同じような不埒を働いて、同じようなひどい目に逢っている。しかもその場所が同じ府中の宿で、おなじ闇祭りの晩だと云うのも、何かの因縁がありそうで、不思議に思われない事もありません」
「そうすると、しん吉のおっかさんが夢を見た……しん吉が血だらけの顔をしていた夢を見たと云うのは、なんでもない事だったんですね」
「さあ、それに就いて少し不思議なことが無いでもありません」と、老人は考えながら云った。「今も申す通り、しん吉は死ぬどころか、平気で酒を飲んで浮かれていたのですが、お八重の顔が疵だらけになっていました。どこから身を投げたのか知りませんが、その後の雨に水瀬が早くなって、お八重の死骸が流されて来る途中、川の砂利にでも擦られたのでしょう。顔一面が疵だらけで、丁度しん吉のおふくろが夢に見たような姿でした。してみると、おふくろの夢もまんざら取り留めのない事でも無いようで、お八重の魂がしん吉の姿を仮りて現われたのかも知れません。それとも偶然の暗合とでも云うのでしょうか。そういうことは学者先生に伺わなければ判りません。もう一つの不思議は、例の友蔵が売り物にしていた荒鵜がその晩から見えなくなってしまいました。しかしこれは不思議がるほどの事でもなく、どさくさ紛れに綱を切って、もとの明神の森へ飛んで行ったのかも知れません」
「関係者一同はどんな処分をうけました」
「今日の刑法では、誰も重い罪にはならない筈ですが、昔はみんな重罪です。まず伊豆屋の方から云いますと、お八重はもう死んでいますが、しん吉は死罪、しかしお仕置にならないうちに牢死しました。和泉屋の幾次郎は主人の女房と密通した上に、いろいろの悪事をたくらんだので獄門、女房のお大も死罪になりました。友蔵はほかにも悪い事をしているので、これも死罪。いくら江戸時代でも、これだけ一度に死罪を出すのは大事おおごとです。
 和泉屋は前の清七の一件があり、又もや死罪が二人も出たので、女房の幽霊が出るの、手代の幽霊が出るのという評判、とうとう店を張り切れなくなって、さすがの旧家もどこへか退転してしまいました。伊豆屋の方は無事に商売していましたが、これも維新後にどこへか立ち去ったようです」
 云いかけて、老人は耳を傾けた。
「おや、雨の音が……。あしたの小金井行きはあぶのうござんすよ」

 雨はあしたの日曜まで降りつづいて、わたしの小金井行きはとうとうお流れになった。その翌年の五月なかばに、半七老人の去年の話を思い出して、晴れた日曜日の朝から小金井へ出てゆくと、どての桜はもう青葉になっていた。その帰り道に府中へまわると、町のはずれに鵜を売っている男を見た。かの友蔵もこんな男ではなかったろうかと思いながら、立ち寄ってその値段を訊くと、男は素気そっけなく答えた。
「十五円……。お前さんはひやかしだろう」
 いよいよ友蔵に似て来たので、わたしは早々に逃げ出した。





底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年3月25日8刷発行
※この作品には、幡随院長兵衛の法事に関する記述がある。幡随院長兵衛の没年は1650年(1657年説もあり)。事件の起こった嘉永二年は、1849年であることから、「三百回忌の法事」は「二百回忌の法事」が相当と思われる。
入力:A.Morimine
校正:松永正敏
2001年2月13日公開
2004年3月1日修正
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