半七捕物帳(はんしちとりものちょう)60 青山の仇討
二 金右衛門らの一行は下総屋で夕食の馳走になって、土産物をもらったりして、暮れ六ツ過ぎた頃にここを出た。 今夜は一泊しろとしきりに勧められたのであるが、あしたは他の一行と共に浅草辺を見物する約束になっているので、今夜のうちに馬喰町の宿へ帰らなければならないと云って、四人は暇乞いをして出た。この頃の秋の日は短いので、もうすっかり暮れ切った。ここらは場末のさびしい土地で、途中には人家の絶えたところもあり、竹藪などの生い茂っているところもある。下総屋では小僧に提灯を持たせて、青山の大通りまで送って行かせた。 江戸の人達はさびしいと云うが、佐倉の在所(ざいしょ)に住み馴れた金右衛門らは、このくらいの所をさのみ珍らしいとも思わなかった。しかしきょうの昼間の出来事におびやかされているので、なんとなく薄気味の悪い四人は、小僧のあとに付いて黙って歩いた。谷町を出て、例の六道の辻を通りぬけて、やがて青山の大通りへ出ようとすると、そこらは道幅が一間半に足らない狭い往来で、片側は畑地、片側は竹藪になっている。その竹藪ががさりと云うかと思うと、何者か突然あらわれて小僧の持っている提灯をばっさりと切り落とした。 あっと云う間に、金右衛門も一太刀斬られて倒れた。おさんもお種も思わず悲鳴をあげた。なにを云うにも真っ暗であるから見当が付かない。大通りへ出る方が近いと思ったので、土地の勝手を知っている小僧は真っ直ぐに逃げた。ほかの者も夢中で続いて逃げた。 相手は追って来ないらしいので、大通りまで逃げ伸びて先ずほっとしたが、無事に逃げおおせたのは下総屋の小僧と、為吉とお種の三人で、金右衛門とおさんが見えない。金右衛門は斬り倒されたらしいが、娘はどうしたか分からないので、三人は心配した。小僧はすぐに青山下野守(しもつけのかみ)屋敷の辻番所へ訴えると、辻番の者もふだんから小僧の顔を識っているので、現場まで一緒に来てくれた。その提灯によって照らして見ると、金右衛門は右の肩を斬られて、朱(あけ)に染(し)みて倒れていたが、おさんの姿はそこらに見いだされなかった。 曲者は藪から出て来たらしいと云うのであるが、その竹藪は間口(まぐち)四、五間の浅いもので、うしろは畑地になっているのであるから、曲者は再び藪をくぐって畑を越えて逃げ去ったものであろう。金右衛門はまだ息が通っていたが、その懐中(ふところ)の財布は紛失していた。大事の路用は胴巻に入れて肌に着けていたので、これは無難であった。財布には小出しの銭を入れて置いたに過ぎないので、その損害は知れたものであったが、娘ひとりの紛失が大問題である。未来の女房をうしなった為吉は蒼くなって騒いだが、どこを探すという的(あて)もなかった。取りあえず金右衛門を辻番所へ担ぎ込んで、近所の医者を呼んで手当てを加えると、傷は案外の浅手で一命にかかわるような事はあるまいと云うので、これはまず少しく安心した。 小僧は更に主人方へ注進したので、下総屋からは主人の茂兵衛と若い者二人が駈け付けて来て、手負いの金右衛門をひき取って帰ったが、おさんのゆくえは遂に知れなかった。おさんはことし十六で、色の小白い、いわゆる渋皮の剥(む)けた娘であるから、昼間から付け狙っていて拐引(かどわか)したのであろうという説が多数を占めたが、しょせんは一種の想像にとどまって、その真相はわからなかった。「半七。青山辺が又なんだか騒々しいそうだ。この前の唐人飴の係り合いもある。おまえが行って、なんとか埓を明けてくれ」と、八丁堀同心の坂部治助が云った。「かしこまりました」 半七はすぐに子分の庄太を連れて青山へ出張った。云うまでもなく、この事件は六道の辻の若党殺しと、金右衛門親子の一件とが、殆ど同時におこったのである。勿論それが同じ者の仕業(しわざ)か、あるいは別人か、まったく見当が付かないのであった。 二人は赤坂の方から行きむかったので、まず道順として青山下野守屋敷の辻番所に就いて、金右衛門一件の顛末を訊きただした。それから六道の辻にさしかかって、かの荒物屋の前に立った。ここの店さきで、真偽不明の怪しい仇討が行なわれたのである。「おかみさん。きのうは飛んだ騒ぎだったね。さぞ驚いたろう」と、半七は云った。「おどろきましたよ」と、店にいた三十前後の女房が答えた。「お侍さんが柿を買っていなさる処へ、又ひとりのお侍が来て、いきなりに斬ってしまったのです。かたき討だということでしたが、それが嘘だともいう噂で、どっちが本当ですかねえ」「斬る方は何と声をかけたね」「おのれ盗賊、見付けたぞと、大きい声で云いました」「斬られた方はどんな返事をしたね」「それがはっきり聞こえなかったのです。なんでも野口とか舌口とか云ったようでしたが……」「野口とか舌口とか……」と、半七は口のうちで繰り返した。「それで、逃げるところを斬られたのだね」「そうですよ」 斬った侍は、三十四五の浪人らしい男で、斬られた男も同じ年配の屋敷者らしい風俗であったと、女房は話した。半七は更にその人相や身なりを詳(くわ)しく訊きただして、ここを出た。それから水野和泉守屋敷の辻番所へ行って、やはりこの一件について前後の模様を聞き合わせたが、かたき討と称する浪人者は屋敷の大竹藪をくぐって逃げたに相違ないと云うのである。半七も恐らくそうであろうと鑑定した。 それから千駄ヶ谷の谷町へ引っ返して、米屋の下総屋をたずねると、手負いの金右衛門は奥の間に寝かされていた。為吉とお種の兄妹(きょうだい)も暗い顔をして控えていた。下総屋は五年ほど前からここに開業したもので、土地では新店の方であるが、商売の仕方が手堅いというので、近所の評判は悪くなかった。主人の茂兵衛は金右衛門と同年配の三十九で、おととしの暮れに女房に死に別れ、その後はまだ独り身である。店には米搗(つ)きの安兵衛、藤助のほかに、銀八、熊吉という若い者二人と、利太郎という小僧ひとりを使っている。台所働きの女中はお捨と云って、金右衛門らと同村の生まれである。 これだけのことを調べた上で、半七は店さきで茂兵衛と立ち話をはじめた。「金右衛門は別に他人(ひと)から恨みを受けるような心あたりはねえかね」「ございません」と、茂兵衛ははっきり答えた。「八年ほど前に一度、江戸へ出て来たことがありまして、今度が二度目でございます。そんなわけで、江戸には碌々に知りびともない位でございますから、恨みを受けるなぞという事がある筈がございません」「そこで、お前さんはどう思うね」と、半七は探るように訊いた。「それですから、何が何だか一向に見当が付きません」と、茂兵衛は眉をよせた。「じゃあ、その金右衛門に逢わせて貰おう」 店の次に茶の間があって、そこから縁側伝いで六畳の奥座敷へ通うようになっている。そこへ案内されて、半七は怪我人の枕もとに坐った。 金右衛門は見るからに頑丈そうな男で、傷が案外に浅かった為でもあろう、顔の色は蒼ざめているが、気は確かであった。彼も茂兵衛と同様、江戸には殆ど知りびともない位であるから、恨みをうける覚えなどは更に無いと答えた。枕もとに控えている為吉兄妹もおなじ返事であった。殊に為吉らは生まれて初めて江戸へ出たと云うのであるから、何が何やら殆ど夢中で、この不意の出来事についてはただ茫然としているばかりであった。 ここで詮議しても埓が明かないと見て、半七はいい加減に切り上げて店を出ると、表に待っていた庄太が小声で訊いた。「なにか当たりがありましたかえ」「いけねえ、みんなぼんやりしているばかりだ」と、半七は苦(にが)笑いしながら云った。「おめえも知っている通り、この春はここらで唐人飴屋の一件があった。あいつは飛んだお茶番で済んでしまって、本当の奴はまだ挙がらねえ。今度の一件も何かそれに係り合いがあるのじゃあねえかと思う。ここらにゃあ安御家人がいくらも巣を組んでいるから、その次男三男の厄介者なんぞが悪い事をするのじゃあねえかな」「そうかも知れませんね」と、庄太もうなずいた。「そうすると、その娘を引っさらって宿場(しゅくば)へでも売るのでしょうか」「まあ、そんなことだろうな」 二人は話しながら六道の辻へ引っ返して来ると、三人連れの男に出逢った。かれらは庄太にむかって、ここらに下総屋という米屋はないかと訊いた。その風俗をみて、庄太はすぐに覚った。「おまえさん達は馬喰町の下総屋に泊まっている佐倉の人達じゃあねえかね」「そうでございますよ」 かれらは果たして金右衛門らの一行で、その遭難の通知におどろいて、これから様子を見とどけに行く途中であった。丁度いい人達に逢ったと喜んで、半七は三人を路ばたの大榎(おおえのき)の下へ呼び込んだ。「わたしはお上の御用聞きで、この一件を調べに来たのだ。米屋の下総屋の亭主は金右衛門と従弟(いとこ)同士だというが、全くそうかね」「いえ、亭主ではございません。女房が従妹同士なのでございます」と、三人のうちで年長(としかさ)の益蔵という男が答えた。「米屋の茂兵衛はいつ頃から江戸へ出て来たのだね」「十年ほど前に江戸へ出まして、最初は深川で米屋をして居りました。それから唯今の千駄ヶ谷へ引っ越したのでございます」「茂兵衛の女房はおととしの暮れに死んだそうだが、名はなんと云うね」「お稲と申しました」「子供は無いのだね」「無いように聞いております」「金右衛門は八年ほど前に江戸へ出たことがあるそうだね」「はい。茂兵衛がまだ深川にいる時でございまして」「金右衛門は茂兵衛に金の貸しでもあるかえ」「そんなことは一向に聞いて居りません」 半七は更に為吉兄妹について訊きただしたが、いずれも年の若い正直者であると云うだけで、別に注意をひくような聞き込みもなかった。金右衛門の娘おさんが来年は為吉の嫁になることを、益蔵も知っていた。
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