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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)54 唐人飴

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-28 18:56:52 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     四

 善光寺境内は広い。半七は人目の少ないところへ源次を連れ込んで、その報告を聞くと、彼は庄太の指図にしたがって、ゆうべから今朝にかけて懇意の飴屋仲間を問い合わせたが、唐人飴屋で青山の方角へ立ち廻る者はないらしいというのであった。
「して見ると、あの飴屋はほんとうの商人あきんどじゃあねえ。やっぱり喰わせ者ですよ」と、源次は云った。「お前さんはあの若い役者もしきりに睨んでいなすったが、あれにも何か仔細がありますかえ」
「むむ、あいつも唯者じゃあねえな」と、半七は云った。「あいつの拝み方が気に入らねえ。そりゃあ芸人のことだから、不動さまを信心しようと、仁王さまを拝もうと、それに不思議はねえようなものだが、唯ひと通りの拝み方じゃあねえ。あいつは真剣に何事か祈っているのだ」
「そりゃあ役者だから、自然にからだの格好が付いて、真剣らしく見えるのでしょう」
「いや、そうでねえ。舞台の芸とは違っている。あいつは本気で一生懸命に祈っているのだ。あいつは浅川の芝居の役者だというが、どうもそうで無いらしい。さっき見た小三の芝居にあんな奴が出ていた。第一、おれの腑に落ちねえのは、小三の芝居は女役者だ。その一座に男がまじっているという法はねえ。宮地の芝居だから、大目に見ているのかも知れねえが、男と女と入りまじりの芝居は御法度ごはっとだ。恐らく虎になる役者に困って、男芝居の役者を内証で借りて来たのだろうと思うが、その役者が眼の色を変えて仁王さまを拝んでいる……。それがどうも判らねえ。なにか仔細がありそうだ」
「そこで、わっしはどうしましょう」
「そうだな」と、半七は又かんがえながら云った。「まあ仕方がねえ。おめえはもう少しここらを流しあるいて、何かの手がかりを見つけてくれ。常磐津の師匠と雇い婆、あいつらもなんだか胡散うさんだから、出這入りに気をつけろ」
 なにを云うにも人通りの少ない場末の町である。そこをいつまでも徘徊しているのは、人の目に立つおそれがあるので、半七はここで源次に別れて、ひとまず引き揚げることにした。
 帰るときに半七は、念のために浅川の芝居の前へ行った。その頃の青山には、今の人たちの知らない町の名が多い。久保町から権田原の方角へ真っ直ぐにゆくと、左側に浅川町、若松町などという小さい町が続いている。それは現今の青山北町二丁目辺である。その浅川町の空地あきちにも小屋掛けの芝居があって、これは男役者の一座である。半七は小屋の前に立って眺めると、庵看板いおりかんばんはしに市川照之助の名が見えた。
 この時、半七の袖をそっと引く者があるので、見返れば庄太が摺りよっていた。
「源次に逢いましたか」と、彼はささやくようにいた。
「むむ、逢った。善光寺前にうろ付いている筈だ。あいつと打ち合わせて宜しく頼むぜ」
「ようがす」
 半七はあとを頼んで神田へ帰った。彼が鳳閣寺内の宮芝居をのぞいたのは、単に芝居好きであるが為ではない。そこで「国姓爺合戦」を上演していたからである。そうして、案の如くに一つの手がかりを掴んだ。まだそれだけでは此の事件を完全に解決することは出来なかった。彼は文字吉に就いても考えなければならなかった。小三津や照之助についても考えなければならなかった。
 あくる日の午前ひるまえに、庄太が汗をふきながら駈け込んで来た。
「親分、済みません。おおしくじりだ。まあ、堪忍しておくんなせえ」
 きのうの日暮れ方に源次を帰して、彼は百人町の菩提寺にひと晩泊めて貰った。しかもその夜のうちに、眼と鼻のあいだで、又もや一つの椿事が出来しゅったいしたと云うのである。
「どうした」と、半七は訊いた。「また斬られた奴があるのか」
「その通り……。場所も同じ羅生門横町に、唐人飴の片腕がまた落ちていました」
「そうか」と、半七はにやりと笑った。「それからどうした」
「やっぱり唐人の筒袖のままです。なんぼ羅生門横町でも、三日とたねえうちに二度も腕を斬られたのだから、近所は大騒ぎ、わっしも面くらいましたよ」
「腕は前のと同じようか」
「違います。前のはなまちろい腕でしたが、今度のは色の黒い、頑丈な腕です。前のは若い奴でしたが、今度のはどうしても三十以上、四十ぐらいの奴じゃあねえかと思われます。なにしろ泊まり込みで網を張っていながら、こんな事になってしまって、なんと叱られても一言いちごんもありません。庄太が一生の不覚、あやまりました」
 彼はしきりに恐縮していた。
「今さら叱ってもあとの祭りだ。その罪ほろぼしに身を入れて働け」と、半七は苦笑にがわらいした。「おめえは早く青山へ引っ返して、そこらの外科医者を調べてみろ。今度斬られたのは近所の奴だ。ゆうべのうちに手当てを頼みに行ったに相違ねえ。斬った奴も大抵心あたりがある。おれは誰かを連れて行って、その下手人を見つけてやる」
「下手人はあたりが付いていますか」
「大抵は判っている。やっぱり眼のさきにいる奴だ。浅川の芝居にいる市川照之助だろう。あいつは力を授かるために仁王さまを拝んでいたらしい。どうもあいつの眼の色が唯でねえと、おれはきのうから睨んでいたのだ」
「でも、唐人飴とどういう係り合いがあるのでしょう。斬られた腕は二度とも唐人飴の筒袖を着ていたのですが……」
「おめえは知るめえが、鳳閣寺の女芝居で国姓爺の狂言をしている。十六文の宮芝居だから、衣裳なんぞは惨めなほどにお粗末な代物しろもので、虎狩や楼門に出る唐人共も満足な衣裳を着ちゃあいねえ。みんな安更紗の染め物で、唐人飴とそっくりの拵えだ。それを見ると、今度の腕斬りの一件は、この女芝居の楽屋に係り合いがあるらしいと思っていたが、いよいよそれに相違ねえ。照之助という奴が誰かの腕を斬って、それに唐人の衣裳の袖をまき付けて、わざと羅生門横町へ捨てて置いたのだろう。その訳も大抵察しているが、それを云っていると長くなる。これだけのことをはらに入れて、おめえは早く青山へ行け」
 この説明を聞かされて、庄太は幾たびかうなずいた。
「わかりました。すぐに行きます」
 庄太が出ていった後、半七も身支度をして待っていると、やがて亀吉が顔を出した。
「おい、亀、御苦労だが、青山まで一緒に行ってくれ」と、半七はすぐに立ち上がった。「筋は途中で話して聞かせる」
 こんなことには馴れているので、亀吉は黙って付いて来た。
 大体の筋を話しながら、青山まで行き着くあいだに、きょうの空は怪しく曇って来たが、どうにか今夜ぐらいは持つだろうと半七は云った。ここらの宮芝居は明るいうちに閉場はねることになっている。殊に照之助は虎狩に出るだけの役らしいので、ぐずくずしていると帰ってしまうかも知れないと、二人は鳳閣寺へ急いで行くと、桶屋の源次が門前に待っていた。
 二人を見ると、源次は駈けて来て、顔をしかめながら訊いた。
「さっき庄太さんに逢いましたが、又ほかに変なことがあるので……」
「又ほかに……。何が始まった」と、半七は催促するようにいた。
「ここの小屋の様子を探ってみると、虎を勤める奴は確かに市川照之助ですが、きょうは楽屋に来ていません。呼び物の虎が出て来ない上に、錦祥女を勤める坂東小三津という女役者も急病だというので、きょうは舞台を休んでいるのです。表向きは急病と云っているが、実は其のゆくえが知れないので、芝居の方じゃあ大騒ぎをしているそうです。時が時だけに、少し変じゃあありませんかね」
「むむ。それも面白くねえな」と、半七は舌打ちした。「そこで小三津のうちはどこだ」
「小三津は師匠の小三の家にいるのです。小三の家は善光寺門前です」
「照之助の家は……」
「照之助は兄きの岩蔵と一緒に、若松町の裏店うらだなに住んでいます。兄きも役者で市川岩蔵というのですが、芝居が半分、博奕が半分のごろつき肌で、近所の評判はよくねえ奴です。おふくろはお金といって、常磐津の師匠の文字吉のうちへ雇い婆さんのように手伝いに行っていますが、こいつもなかなかしっかり者のようです。実は照之助の家を覗きに行ったのですが、兄きも弟も留守で、家はからッぽでした」
「岩蔵はどこの小屋に出ているのだ」
「弟と一緒に、ここの芝居へ出ていたのですが、それに就いて何か面倒が起こって、この二、三日は休んでいるようです」
 これで唐人飴の謎も半分は解けたように、半七は思った。最初に発見されたのは、市川岩蔵の腕である。二度目の腕は誰か判らないが、それを斬ったのは市川照之助である。照之助は兄のかたき討ちに、相手の腕を斬ったらしい。そうして、同じ唐人の衣裳の袖につつんで、同じ場所へ捨てたらしい。二度目の腕のぬしは、庄太が外科医を調べて来れば、大抵は知れる筈である。
 唯わからないのは、最初からここらに立ち廻っている疑問の唐人飴屋の正体である。もう一つは、坂東小三津のゆくえ不明である。師匠の小三と折り合いが悪くて、結局無断で飛びだしたのか。或いは別に仔細があるのか。常磐津の文字吉はいっさい無関係であるのか。雇い婆のお金は照之助兄弟の母である以上、この事件に無関係であるとは思われない。それらの秘密がはっきりしたあかつきでなければ、半七も迂濶に手を入れることが出来なかった。
「なにぶん場所が悪い」と、半七はつぶやいた。
 町方の半七らに取っては、まったく場所が悪いのである。この事件の関係者は多く寺門前に住んでいる。現にこの芝居小屋も寺内にある。寺内は勿論、寺門前の町屋まちやはすべて寺社方の支配に属しているのであるから、町奉行所付きの者が、むやみに手を入れると支配違いの面倒がおこる。十分の証拠を挙げて、町奉行所から寺社奉行に報告し、その諒解を得た上でなければ、町方の者が自由に活動することを許されない。それを付け目にして、寺門前には法網をくぐる者が往々ある。その欠陥を承知していながら、先例を重んずる幕府の習慣として、江戸を終るまであらためられなかった。
 庄太の戻って来るのを待つあいだ、三人が寺門前に突っ立ってもいられないので、源次だけをそこに残して、半七と亀吉は百人町の表通りをぶらぶらと歩き出した。ほかに行く所もないので、二人はきのうの蕎麦屋へはいった。

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