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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)51 大森の鶏

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-28 18:52:04 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     五

 半七老人はここまで話して来て、例によって「これでお仕舞」というような顔をした。
「その女は何者ですか」と、私は追いすがるようにいた。
「その女は湯島の化物稲荷ばけものいなり……と云っても、この頃の人にはお判りにならないでしょうが、今の天神ちょうの一丁目、その頃は松平采女うねめという武家屋敷の向う角で、そこに化物稲荷というのがありました。なぜ化け物と云ったのか知りませんが、江戸時代には化物稲荷という名になっていて、江戸の絵図にも化物稲荷と出ている位ですから、嘘じゃありません。その稲荷さまの近所に屋敷を持っている塚田弥之助という六百石の旗本の奥さまで、お千恵さんという人でした」
「そんな身分の人がどうして鮫洲の金造という奴の家に来ていたんですか」
「それには仔細があります。その塚田弥之助というのは、今年ことし二十二の若い人で、正月いっぱいに江戸を引き払って甲府勤番ということになりました。仕様のない道楽者であるために、いわゆる山流しで甲州へ追いやられたんです。就いては自分の屋敷を他人ひとに譲り、そのほかの家財なども売り払って百両ほどの金をこしらえ、いよいよ二十八日には江戸を立つという間際まぎわになって、奥様のお千恵さんはお名残なごりに湯島の天神さまへ御参詣して来ると云って、二十五日のひる過ぎに屋敷を出て、途中で女中をいてしまって、ゆくえ知れずになりました。奥様も奥様だが、殿様も殿様で、これも江戸のお名残りだというので吉原へ昼遊びに行っている。その留守中に奥様は家出というのですから、屋敷は乱脈でお話になりません。お千恵さんというのは十六の秋にこの屋敷へ縁付いて来て、あしかけ四年目の十九で、夫婦のあいだには子供はない。亭主は道楽者で、内を外に遊び歩くためでもありましょうが、お千恵さんはいつか自分の屋敷の若侍の安達文次郎という者と密通していて、今度の甲府詰めを機会にかの百両をぬすみ出して、二人は駈け落ちをするという相談を決めたんです。そこへ現われて来たのが品川のむさし屋の勇二という奴で……」
「勇二は塚田の屋敷に何か関係があったんですか」
「勇二は去年の春まで塚田の屋敷に中間奉公をしていたんです。その時から奥様と文次郎の関係を薄々覚っていたのかも知れませんが、当人の白状では、正月の初めに下谷したやの往来で文次郎に出逢って、そこらの小料理屋へ連れ込まれて、初めて相談を掛けられたのだということです。いずれにしても、胸に一物いちもつある勇二はすぐにその相談に乗って、ひとまず奥様を鮫洲の金造の家に隠まうことにして、約束の二十五日のひる過ぎに湯島の天神の近所に忍んでいて、お千恵さんを駕籠に乗せて鮫洲に送り込みました。一緒に出ては忽ちに覚られるというので、文次郎は素知らぬ顔で騒いでいて、翌日の二十六日の夕方から奥様のゆくえを探すというていにして、かの百両を懐中にして、これも屋敷を飛び出してしまいました。行くさきは品川ですが、文次郎は勇二の家を知らないので、宿しゅくの入口の駕籠屋で訊いて、桂庵のむさし屋へたずねて行くと、勇二は待っていて表へ連れ出しました。
 文次郎はまだ夜食を食わないというので、勇二はそこらの料理屋へ案内して、二人は飲んで食って、文次郎をいい加減に酔わせて置いて、さあこれから鮫洲の金造の家へ行こうと云って出たんですが、もう其の頃は五ツ(午後八時)過ぎで夜は真っ暗、文次郎はここらの案内を知らないので、黙って勇二のあとに付いて行くと、鮫洲を通り越して鈴ヶ森の縄手にさしかかる。勇二は草履の鼻緒が切れたと云って、提灯を路ばたに置いて何時までもぐずぐずしているので、文次郎もどうしたのかと覗きに来ると、勇二は不意に手拭を文次郎の首にまき付けて絞め殺そうとしたのが巧く行かない。そこで、今度は隠していた匕首あいくちをぬき出して、滅茶苦茶に突いた。それでも相手は侍ですから倒れながらも抜き撃ちの太刀さきが勇二の右の膝にあたったので、勇二も倒れる。文次郎も倒れる。文次郎はそのまま息が絶えてしまったので、勇二は這い起きてその懐中の金を奪い、その上に大小は勿論、煙草入れから鼻紙まで残らず奪い取って、死骸は海へ突き流そうと浪打ちぎわまで引き摺って行くときに、誰かそこへ通りかかったので、勇二はあわてて提灯を吹き消して、怱々そうそうに逃げ出しました。
 鮫洲のあたりまで引っ返して来て気がつくと、右の膝がしらから血が流れる、疵が痛む。跛足びっこをひきながら金造の家へ転げ込んで、疵を洗って手当てをして、その晩はともかくも寝てしまったが、明くる朝になると疵口がいよいよ痛む。刀の先が少しあたっただけで、さのみに深い疵でも無いんですが、ひどく痛む。金造に頼んで傷薬を買って来て貰って、内証で療治をしていると、その翌日の午過ぎに、わたくし共に踏み込まれたというわけです。それですから勇二は逃げるも、どうするもありません、なんの苦もなく召し捕られました」
「金造はなぜ殺されたんですか」
「金造の殺されたのは自業自得じごうじとくで……。勇二は先ず塚田の奥様を金造のうちへ連れ込み、その明くる晩に文次郎をさそい出して鈴ヶ森で殺してしまい、文次郎から百両の金を奪い取った上に、奥様を東海道筋の宿場女郎に売り飛ばすという、重々の悪事をたくらんでいたんです。そこで二十五日の晩は無事だったんですが、二十六日の晩になっても約束の文次郎が来ないので、お千恵さんも気を揉み出した。おまけに勇二ひとりが帰って来て、ひそかに疵の手当てなどをしているので、お千恵さんはいよいよ疑って何かと詮議を始めたので、文次郎殺しを覚られては面倒、お千恵を逃がしてはいよいよ面倒と、勇二と金造は相談の上で、二人はここで正体をあらわし、奥様の手足を荒縄で縛って、手拭を口に噛ませて、隣りの空家へ押し籠めて置いたんです。いや、それだけならまだいいんですが、二十七日の晩には金造が隣りの空家へ忍んで行って、手足の利かないお千恵さんを匕首で嚇し付けて、どうで女郎に売られる体だから、置土産におれの云うことをけなどと迫ったそうです。こんにちの言葉でいえば監禁暴行、昔はこんな悪い奴が往々ありました。
 勇二はそれを知っていたが、自分も足が不自由なので、奥様を救うことが出来なかったと云っていましたが、こいつも体が達者ならば何をしたか判りません。金造はそれに味を占めて、その翌日の午過ぎにも再び隣りへ押し掛けて行って、又もや匕首を突きつけると、お千恵さんはもう観念したらしく、なんでもお前の云う通りになるから、この縄を解いてくれと云うと、金造も甘い野郎で、むむそうかと縄を解く。その途端にお千恵さんは相手の匕首を引ったくって、横ッ腹へずぶり……。金造め、わっと叫んで表まで逃げ出したが、急所のひと突きでもろくも往生という始末、まったく自業自得と云うのほかはありません。奥様もつづいて自害と覚悟しましたが、わたくしが早く押さえたので、幸いに疵は浅手で済みました。いや、こうと知ったら留めずに殺した方がよかったかと思いますが、その時にはなんにも知らないで、あわてて留めてしまいました」
「お六という女も召し捕られたんですね」
「これもすぐに召し捕りましたが、例のとりに突かれたり蹴られたりした幾カ所の疵がんで熱を持って、こんにちで云えば何か悪い黴菌ばいきんでもはいったんでしょう、ようよう這って歩くような始末なので、駕籠に乗せて連れて行きました。この方はもう大抵お察しでしょうが、勇二は塚田の屋敷に中間奉公している頃から、浅草の鳥亀へ軍鶏しゃもや鶏を食いに行って、女房のお六と関係が出来て、結局ふたりが相談の上で邪魔になる亭主を殺すことになったんです。安蔵が釣りに行くのを知って、勇二が先廻りをしていて不意に川へ突き落とす……。すべてが思う通りに運んで、お六は鳥屋の店を畳む、勇二は屋敷から暇を取る。そうして、品川へ引っ越して桂庵を始める。それで先ず小一年は無事に済んだのですが、旧い罪と新らしい罪とが一度にあらわれて、もう助からない事になりました。
 そこで例の鶏ですが、お六の申し立てによると、その一番ひとつがいは亭主の安蔵の死ぬ五、六日前に、千住の問屋から仕入れた鶏で、店を仕舞う時にこの一つがいだけがつぶされずに残ったので、ともかくも品川まで持って行って、自分の家に飼って置くと、鶏の様子がだんだんに可怪おかしくなって、お六らをみると飛びかかりそうになるので、腹が立つやら気味が悪いやらで、かの八蔵に売ってしまったのです。いっそ殺したらよかったかも知れませんが、それを食うのも心持が悪し、殺して捨てるのも惜しいというわけで、捨て売りに売ったのが因果、大森の茶屋で不思議にめぐり逢って、飛んだ事になりました。お六もその鶏に見覚えがあるので、自分に飛びかかって来た時には、はっと思ったと云っていました。それにしても、安蔵の死ぬ五、六日前に買った鶏がどうして旧主人のかたきを討とうとしたのか。世間の人の知らないお六と勇二の秘密を、どうしてこの鶏が知っていたのか。唯なんとなくお六と勇二が憎いように思われたのか。それとも別に仔細があるのか。鶏の料簡りょうけんは誰にも判りませんから思い思いに判断するのほかはありませんが、恐らく死んだ亭主の魂が鶏に乗憑のりうつったのでしょうと、お六は恐ろしそうに云っていました。お六ばかりでなく、昔の人はとかくにそんなことを云いたがりますが、実際はどんなものでしょうか。なにしろ不思議といえば不思議です。
 塚田の屋敷では奥さまの家出、家来の逐電ちくてん、おまけに路用の百両が紛失しては、甲州へ出発することも出来ず、さすがの殿様も途方にくれ、屋敷の者共はただ茫然としているところへ、町奉行所からの沙汰があって、金は無事に戻ったので、まずほっとしたわけです。殺された文次郎は仕方もありませんが、生き残った奥様の始末には困ったのでしょう。結局離縁になって里方さとかたへ帰されたようです。
 お六と勇二は前にも申す通り、どっちも疵の経過が悪く、吟味が済まないのに、二人ともに大熱を発して牢死してしまいましたので、その死骸は塩詰めにして日本橋に三日晒しの上、千住せんじゅ磔刑はりつけに行なわれました」





底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年3月25日9刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:はやしだかずこ
2000年1月27日公開
2004年3月1日修正
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