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半七捕物帳(はんしちとりものちょう)49 大阪屋花鳥

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-28 18:48:57 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     四

「そうすると、わたしはこれからどっちへ廻りましょう」と、半七はいた。
「さしあたりは浅草のお節の実家だ。おやじの小左衛門という浪人者も唯の鼠じゃああるめえ。だが、そこへは俺が行く」と、徳次は云った。「おめえは品川へまわってくれ。怪談の片袖を持って来た奴の身もとを探るのだ。弥平とかいったそうだが、どうせ本名じゃああるめえと思う。鍋久の番頭から聞いた人相や年頃をかんがえると、少しは心当りがねえでもねえ。鍋久へは堅気の風をして来たそうだが、そいつは高輪たかなわ北町きたまちで草履屋をしている半介という奴らしい。表向きには草履屋だが、ほんとうの商売は山女衒やまぜげんで、ふだんから評判のよくねえ野郎だ。おれも二、三度逢ったことがあるから、神田三河町の徳次の兄弟分だと云やあ、まさか逃げも隠れもしめえ。もし逃げるようならば、いよいよ怪しいに決まっているから、容赦なしに挙げてしまえ。相手は半介で、こっちは半七だ。どっちの半が勝つか、腕くらべだ」
「承知しました」
 ここで徳次に別れて、半七ひとりは芝の方角へ足を向けた。高輪北町は泉岳寺の近所である。そこへ行き着いたのは八ツ(午後二時)に近い頃で、日盛りはまだ暑かった。徳次に教えられた通りに、海辺の大通りを右へ切れると、庚申堂こうしんどうのそばに小さい草履屋が見いだされた。一人の男が店に腰をかけて、亭主と将棋をさしていた。
 亭主は年のころ三十五六で、色の浅黒い、鼻の高い男であった。半七が店さきへ立ち寄ると、彼は将棋の手をやすめてすぐに見返った。
「いらっしゃい」
「いや、わたしは履き物を買いに来たのじゃあねえ。神田三河町の徳次兄いに頼まれて来たのだが……。おまえさんは半介さんかえ」
「へえ、半介でございます」と、彼は半七の顔をじっと視た。
「おもしろい勝負事の邪魔をして、済まなかったな」と、半七も店に腰をおろした。
「はは、勝負事……。こんな勝負事なら、店の先でも立派にやれますよ」と、半介は笑いながら、手に持っている駒を投げ出した。「まあ、勝負はあしたまでお預かりだ」
 眼で知らされて、相手の男は早々に立ち去った。そのうしろ姿を見送って、半七は云った。
「女郎屋の若いしゅらしいが、いくら昼間でもここらへ来て将棋をさしているようじゃあ、宿しゅくもこの頃はひまだと見えるね」
「ひどい閑ですよ。なにしろ倹約の御趣意がよく行き届きますからね」と、半介はすこし顔をしかめた。「先月の二十六日なんぞも寂しいもんでした」
 こんな話をしているあいだも、彼は油断なく相手の眼色を窺っているらしかった。
「実はきょう来たのはほかでもねえが、今も云う通り、徳次兄いに頼まれて来たのだ。おめえは兄いをっているのだろうね」と、半七は先ず念を押した。
「二、三度お目にかかった事があります。そこで兄いの御用というのは何んでございますね」
「少しおめえに訊きてえことがある。……おめえはおとといの晩、北新堀の鍋久へ何しに行ったのだね」
 半介はぎょっとしたように眼を光らせたが、やがてにやにやと笑い出した。
「まったく悪い事は出来ねえ。徳次兄いはもう知っていなさるのかえ。こりゃあ恐れ入りました。まことに相済みません」
 定めてシラを切るのだろうと思いのほか、余りあっさりと砕けて出たので、半七も少しく当てがはずれた。それと同時に、こいつなかなか図太い奴だと思った。
「徳次兄いに睨まれちゃあ助からねえから、何もかも正直に云いますがね。実はおとといの晩鍋久へ行って、ちっとばかり小遺いを貰って来ましたよ」と、半介はまた笑った。「だが、あの片袖は贋物でも拵え物でもねえ、全くわっしが品川へ夜釣りに行って引き揚げたんです。死骸を引き揚げるといろいろ面倒になるから、不人情のようだが突き流してしまって、片袖だけを取って来たんですよ」
「鍋久の一件を知っているのかえ」
「そりゃあ早いからね」と、彼は又笑いながら自分の耳を指さした。
「それにしても、その死骸が鍋久の嫁だということがどうして判ったね」
「そりゃあ確かには判らねえ。そこは推量さ」
「向うへ行って、もし間違っていたら引っ込みが付くめえ」
「そりゃあ段取りがありまさあね」と、彼は半七の無経験をあざけるように答えた。「いきなり証拠物を出しゃあしねえ。まず番頭に逢って、こちらのお嫁さんの死骸は見付かったかと訊くと、まだ見付からねえという。家を飛び出した時にはどんな物を着ていたかとくと、四入り青梅の単衣ひとえでこうこういう縞柄だという。それがぴったり符合ふごうしていりゃあ、もう占めたものだ。そこで初めて怪談がかりになって、証拠の片袖を御覧に入れるんだからとおに一つも仕損じはありゃあしねえ。ねえ、そうじゃあありませんか」
 後学のために覚えて置けと云わないばかりに、彼はそらうそぶいていた。こうなると普通のかたりりや強請ゆすりではない。ともかくも其の片袖は本物である。十両の礼金は鍋久が勝手にくれたのである。それらの事情をうまく云いまわせば、彼は単に叱り置くぐらいのことで、ほんとうの科人とがにんにはならないかも知れない。彼が多寡をくくって平気な顔をしているのも、それが為であろうと半七は思った。
 しかもお節はほんとうに死んだのか、或いはどこかにひそんでいるのか、まずその生死を確かめなければならない。自分たちの鑑定通りに、川へ飛び込んだのはお節の替玉であるとすれば、半介の話は全然うそである。自分を青二才とあなどって、いい加減に誤魔化すのである。嘘か、本当か、年の若い半七はしばらく思案に迷ったが、いかにも人を食っているような半介の態度が、正直に物をいう人間であるらしく思われなかった。半七は重ねていた。
「きょうは八日だ。鍋久へ行ったのはおとといの夕方だから、その前の晩といえば五日だな。おめえは何処から舟を借りて出た」
「銭もねえのに釣り舟なんぞ借りるもんですか。品川の浪打ちぎわへ行って釣ったのさ」
「その釣り道具を見せてくれ」
 半介はすぐに立って、奥の台所から釣り竿と魚籠びくを持ち出して来た。
「おまえさん、まだわっしを疑っているね」と、彼は笑った。「徳次兄いは何と云ったか知らねえが、わっしはそんなに悪い人間じゃありませんよ。あはははは」
 ここでいつまで争っても水掛け論であると諦めて、半七は怱々そうそうにここを出た。鍋久へ片袖を持参したのは、半介に相違ないということを突き留めただけをみやげにして、彼はむなしく引き揚げるのほかは無かった。半七は半介に負かされたように感じた。
 その明くる朝、徳次もぼんやりして神田の親分の家へ帰って来た。彼は浅草の山谷さんやへ行って、近所で磯野小左衛門のうわさを聞いたが、別にこれぞという手がかりも探り出せなかった。更にその近所に張り込んで、夜の明けるまで出入りを窺っていたが、怪しい影ひとつ見いだし得なかった。彼はむなしく疲れて引き揚げたのでる。
 徳次と半七の報告を聴いて、親分の吉五郎は云った。
「高輪の半介はまあ打っちゃって置け。お節が真者ほんものか替玉か判らねえ以上は、野郎をいくら責めたところで埒は明くめえ。まさか草鞋わらじもはくめえから、当分は生簀いけすに入れて置くのだ。なにしろこの騒動のおこる前に、鍋久で二度も金を取られたというのがどうも可怪おかしい。だが、ここにもう一つ考えようがある。お節という女がよくねえ奴で、気違いの振りをして亭主を殺して、自分は川へ飛び込んだ振りをして、うまく泳いで逃げようとしたところが、案外に水が増しているか、流れが早いか、それがために心ならずも押し流されて、狂言が本当になってしまったというようなことがねえとも限らねえ。どっちにしても、親父の小左衛門という奴から何かの手がかりを絞り出すよりほかはあるめえ。その積りでこんよく見張っていろ」
「ようがす」と、徳次は答えた。「じゃあ、半七。おめえは山谷へ出張って、当分は網を張っていてくれ。あすこに砂場すなばという蕎麦屋があるから、そこを足休めにして、小左衛門の出入りを見張っていろ。おれの名をいえば、蕎麦屋でも何かの手伝いをしてくれるかも知れねえ」
 なんの商売でもそうであるが、この商売は根気が好くなければならない。殊に科学捜査の発達しない此の時代には、眼のはやいのとこんの好いのが探索の宝である。半七はその日から山谷の蕎麦屋を足溜りにして、油断なく小左衛門の出入りを窺っていたが、彼は近所の銭湯せんとうへ行くか、小買い物に出るほかには、何処へ出かけることも無かった。たずねて来る人もなかった。
 こうして三、四日を送るあいだに、徳次はどこから聞き出したのか、小左衛門の身もとを洗って来た。彼は藩中はんちゅうの浪人ではなく、旗本の渡り用人である。二、三の旗本屋敷を渡りあるいて、今は浪人しているが、その奉公中に格別の悪いうわさも無かったらしく、お節はその娘に相違なかった。しかもそれだけの事では、どうにも手の着けようが無かった。
 八月十三日の夕七ツ(午後四時)頃である。半七は砂場の店に腰をかけて煙草を吸っていると、一人の小僧が暖簾のれんをくぐってはいってきた。彼は天ぷら蕎麦をあつらえて、同じく腰をかけた。どうも見たような小僧だと、半七は顔をそむけながら、横眼で睨むと、彼は鍋久の店の小僧であった。彼はやがて運んで来た天ぷら蕎麦を食ってしまって、更にあられ蕎麦を註文した。それを又食ってしまうまで半七は気長に待っていると、小僧はぜにを払って出た。
 半七もつづいて暖簾のれんを出て、うしろから声をかけた。
「おい、小僧さん。鍋久の小僧さん」
 不意に呼ばれて、小僧はびっくりしたように立ちどまると、半七はすぐに其の手を据えた。
「おい、おれの顔を忘れたか。この間おれたちに茶を持って来たのはお前だろう」
 小僧も思い出したように、無言で半七の顔を見あげていた。
「おまえの名はなんというのだ」
「宇吉といいます」
「むむ、宇吉か。お前はなかなか景気がいいな。お店者たなものの小僧のくせに、蕎麦屋へ来て天ぷらにあられとは、ばかに贅沢をきめるじゃあねえか。その銭はだれに貰った。それとも盗んだのか、くすねたのか。はっきり云え」
 宇吉は黙っていた。
「さあ、正直に云え。ぐずぐずしていると、番屋へ引き摺って行って引っぱたくぞ」と、半七はその腕を一つ小突いて嚇し付けた。
「店の新どんに貰ったんです」と、宇吉はどもりながら云った。
「新どんとは誰だ」
「店の若い衆で、新次郎というんです」
「新次郎……。このあいだの晩、若いおかみさんを捉まえようとして、剃刀をぶつけられた奴だな。お前はふだんから新次郎に銭を貰うのか」
 宇吉はだまっていた。
「こいつ、強情な奴だ。さあ、来い。番屋の柱へくくりつけて、絞めあげるから……。ええ、泣いたって勘弁するものか。この河童野郎め」
 半七は容赦なしに小僧を引き摺って行った。

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