半七捕物帳(はんしちとりものちょう)22 筆屋の娘
三「でね、兄さん。文字春さんからいろいろの話を聴いているうちに、あたし少し変だと思うことがあるんですよ」と、お粂は団扇(うちわ)を軽く使いながら云った。「どんなことだ」「妹のお年ちゃんの方は今でも毎日文字春さんのところへ御稽古に来るんですが、なんでも先月頃から五、六度お年ちゃんが来て稽古をしているのを、窓のそとから首を伸ばして、じっと内を覗いている娘があるんですって」「十七八の、色白の可愛らしい娘じゃあねえか」と、半七は喙(くち)を容れた。「よく知っているのね」と、お粂は涼しい眼をみはった。「その娘はいつでもお年ちゃんの浚(さら)っている時に限って、外から覗いているんですって。変じゃありませんか」「それは何処の娘だか判らねえのか」「そりゃあ判らないんですけれど、ほかの人の時には決して立っていたことが無いんだそうです。なにか訳があるんでしょう」「むむ。訳があるに違げえねえ。それでおれも大抵判った」と、半七はほほえんだ。「もう一つ斯ういうことがあるんです。文字春さんの家の近所に馬道の上州屋の隠居所があるんです。あのお年ちゃんという子は、上州屋から容貌(きりょう)望みで是非お嫁にくれと云い込まれているんだというじゃありませんか。その話はなんでも先月頃から始まったんだということです。ねえ、その先月頃から文字春さんの家のまえに立って、窓からお年ちゃんを覗いている女があるというんですから、その娘はきっと上州屋の隠居所へ来る女で、そっとお年ちゃんを覗いているんだろうと思うんです。文字春さんもそんなことを云っていました。けれども、考えようによっては、それがいろいろに取れますね」「そこでお前はどう取る」と、半七は笑いながら訊いた。 その娘は上州屋の奉公人で、三味線堀近所の隠居所へときどき使にくるに相違ないとお粂は云った。自分の邪推かは知らないが、ひょっとすると其の娘は上州屋の息子となにか情交(わけ)があって、今度の縁談について一種の嫉妬(ねたみ)の眼を以てお年を窺っているのではあるまいかと云った。「なかなか隅へは置けねえぞ」と、半七は又笑った。「どうだい。いっそ常磐津の師匠なんぞを止めて御用聞きにならねえか」「ほほ、随分なことを云う。なんぼあたしだって、撥(ばち)の代りに十手を持っちゃあ、あんまり色消しじゃありませんか」「ははは、堪忍しろ。それからどうだと云うんだ」「もういやよ。あたしなんにも云いませんよ。ほほほほほほ。あたしもう姉さんの方へ行くわ」 お粂は笑いながら女房のいる方へ起ってしまった。冗談半分に聞き流していたものの、妹の鑑定はなかなか深いところまで行き届いていると半七は思った。自分が源次に云いつけて、上州屋の奉公人どもの身許(みもと)をあらわせたのも、つまりはそれと同じ趣意であった。そして文字春の窓をたびたびのぞいていた娘と、東山堂へ筆を取り換えに来た娘と、その年頃から人相まで同一である以上、自分の判断のいよいよ誤らないことが確かめられた。半七は生簀(いけす)の魚を監視しているような心持でその晩を明かした。 あくる朝になって、源次が来た。その報告によると、上州屋の奉公人は番頭小僧をあわせて男十一人、仲働きや飯炊きをあわせて女四人である。この十五人の身許を洗うにはなかなか骨が折れたが、馬道の庄太の手をかりて、まず一と通りは調べて来たと云った。男どもの方は後廻しにして、半七は先ず女の方のしらべを訊くと、仲働きはお清、三十八歳。お丸、十七歳。台所の下女はお軽、二十二歳。お鉄、二十歳というのであった。「このお丸というのはどんな女だ」「芝口の下駄屋の娘で、兄貴は家の職をしていて、弟は両国の生薬屋(きぐすりや)に奉公しているそうです」と、源次は説明した。「よし、判った。すぐにその女を引き挙げなければならねえ」「へえ、そのお丸というのがおかしいんですかえ」「むむ、お丸の仕業(しわざ)に相違ねえ。弟が薬種屋に奉公しているというなら猶(なお)のことだ。よく考えてみろ。舐め筆の娘の死んだ日にお丸そっくりの女が筆を買いに来て、一(とき)ばかり経って又その筆を取り換えに来た。そこが手妻(てずま)だ。取り換えに来たときに、筆の穂へなにか毒薬を塗って来たに相違ねえ。そうして、ほかの筆と取り換えて、その筆を置いて行ったんだ。勿論、なめ筆の評判を知っての上で巧んだことに決まっている。娘はそれを知らねえで、その筆を売る時にいつもの通りに舐めてやった。買った奴は徳法寺の善周という坊主で、これも又その筆を舐めた。毒の廻り方が早かったので、娘はその晩に死んだ。坊主の方はあくる朝になって死んだ。心中でもなんでもねえ。一本の筆が廻り廻って二人の人間の命を取るようになったので、娘は勿論だが、坊主も飛んだ災難で、訳もわからずに死んでしまったんだ。可哀そうとも何とも云いようがねえ」「なるほど、そんな理窟ですかえ」と、源次は溜息をついた。「それにしても何故(なぜ)そのお丸という女が途方もねえことを巧んだのでしょうかね」「それはまだ確かに判らねえが、おれの鑑定じゃあ多分そのお丸という女は、上州屋の伜と情交(わけ)があって、つまり嫉妬から筆屋の娘を殺そうとしたんだろうと思う。だが、上州屋へ嫁に行くというのは妹の方で、殺されたのは姉の方だ。ここが少し理窟に合わねえように思われるが、お丸という女の料簡じゃあ、そこまでは深く考えねえで、なんでも売り物の筆に毒を塗っておけば、妹の娘が舐めるものと一途(いちず)に思い込んでいたのかも知れねえ。年の若けえ女なんていうものは案外に無考えだから、おまけにもう眼が眩(くら)んでいるから、それできっと仇が打てるものと思っていたんだろう。厄介なことをしやあがった。人間ふたりを殺してどうなると思っているんだか、考えると可哀そうにもなるよ」 半七も溜息をついた。「そうなると、その生薬屋に奉公している弟というのも調べなければなりませんね」と、源次は云った。「勿論だ。おれがすぐに行って来る」 支度をして、半七はすぐに両国へゆくと、その薬種屋は広小路に近いところにあって、間口も可なりに広い店であった。店では三人ばかりの奉公人が控えていて、帳場には二十二三の若い男が坐っていた。「こちらに宗吉という奉公人がいますかえ」と、半七は訊いた。「はい、居ります。唯今奥の土蔵へ行って居りますから、しばらくお待ちください」と、番頭らしい男が答えた。 店に腰をかけて待っていると、やがて奥から十四五の可愛らしい前髪が出て来た。「おい、おめえは宗吉というのか。ちょいと番屋まで来てくれ」「はい」と、宗吉は素直に出て来た。その様子があまり落ち着いているので、半七もすこし案外に思った。 町内の自身番へ連れて行って、半七は宗吉を詮議したが、その返事はいよいよ彼を失望させた。自分の姉は馬道の上州屋に奉公しているが、姉はちっとも自分を可愛がってくれない。したがって今までに姉から何も頼まれたことはない。姉はお洒落(しゃれ)でお転婆(てんば)だから両親にも兄にも憎まれている。上州屋の使で、自分の店へ薬を買いに来ることはあっても、自分は碌に口もきかないと、宗吉はしきりに姉の讒訴(ざんそ)をした。その申し立てはいかにも子供らしい正直なものであった。いくら嚇しても賺(すか)しても宗吉はなんにも知らないと云った。「嘘をつくと、てめえ、獄門になるぞ」「嘘じゃありません」 宗吉はどうしても知らないと強情を張り通していた。それがまったく嘘でもないらしいので、半七はあきらめて彼をゆるして帰した。それから馬道へ行って上州屋をたずねると、お丸は一と足ちがいで使に出たということであった。 下女を呼び出して、それとなく探ってみると、ここでもお丸の評判はよくなかった。年も若いし、虫も殺さないような可愛らしい顔をしているが、人間はよほどお転婆で身持もよろしくない。現に家(うち)の若旦那ともおかしい素振りが見える。そればかりでなく、ほかにも二、三人の情夫(おとこ)があるという噂もきこえている。そんなふしだらな奉公人が暇を出されないというのも、うまく若旦那をまるめ込んでいるからであると、彼女の評判はさんざんであった。勿論それには女同士の嫉妬もまじっているのであろうが、大体に於いて弟の申し立てと符合しているのをみると、お丸という女が顔に似合わないふしだらな人間であるのは疑いのない事実であるらしかった。 半七は下女の口から更にこういう事実を聞き出した。上州屋の女房は両国の薬種屋の媒介(なかだち)でここへ縁付いたもので、その関係上、多年親類同様に附き合っている。馬道からわざわざ薬を買いにゆくのもその為である。薬種屋には与之助という今年二十二の息子があって、上州屋へも時々遊びに来る。お丸がその与之助に連れられて、両国の観世物などを観に行ったことがあるらしいとの事であった。 毒物の出所もそれで大抵判ったので、半七は又引っ返して両国へゆくと、宗吉は店さきに水を打っていた。息子らしい男のすがたは帳場には見えなかった。「おい、若旦那はどうした」と、半七は宗吉に訊いた。「わたしが番屋から帰って来たら、その留守にどこへか行ってしまったんです」と宗吉は云った。 ほかの番頭に訊いても要領を得なかった。若主人の与之助はこのごろ誰にも沙汰無しに、ふらりと何処へか出てゆくことが度々ある。きょうも宗吉が番屋へ引かれて行った後で、すぐに表へ出て行ったがやがて引っ返して来た。それから又そわそわと身支度をして何処へか出て行ったが、その行くさきは判らないとのことであった。 半七は肚(はら)のなかで舌打ちした。小僧のあげられたのに怖気(おじけ)がついて、与之助はどこへか影を隠したのではあるまいかとも疑われたので、彼は馬道へ又急いで行った。そこに住んでいる子分の庄太を呼んで、上州屋のお丸の出這入りをよく見張っていろと云い付けて帰った。「親分、しようがねえ。お丸の奴はきのう出たぎりで今朝まで帰らねえそうです。両国の薬屋の伜もやっぱり鉄砲玉だそうですよ」 それは明くる朝、庄太から受け取った報告であった。自分らのうしろに暗い影が付きまとっているのを早くも覚って、男も女も姿を晦(くら)ましたのであろう。もう打ち捨てては置かれないので、半七は両国へ出張って表向きの詮議をはじめた。与之助の親たちや番頭どもを自身番へ呼び出して、一々きびしく吟味の末に、与之助は家の金五十両を持ち出して行ったことが判った。信州に親類があるので、恐らくそこへ頼って行ったのではあるまいかという見当も付いた。「足弱(あしよわ)連れだ。途中で追っ付くだろう」 半七は庄太を連れて、その次の日に江戸を発った。
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