時代推理小説 半七捕物帳(二) |
光文社時代小説文庫、光文社 |
1986(昭和61)年3月20日 |
一
明治廿五年の春ごろの新聞をみたことのある人たちは記憶しているであろう。麹町の番町をはじめ、本郷、小石川、牛込などの山の手辺で、夜中に通行の女の顔を切るのが流行った。若い婦人が鼻をそがれたり、頬を切られたりするのである。幸いにふた月三月でやんだが、その犯人は遂に捕われずに終った。 その当時のことである。わたしが半七老人をたずねると、老人も新聞の記事でこの残忍な犯罪事件を知っていた。 「犯人はまだ判りませんかね」と、老人は顔をしかめながら云った。 「警察でも随分骨を折っているようですが、なんにも手がかりが無いようです」と、わたしは答えた。「一種の色情狂だろうという説もありますが、なにしろ気ちがいでしょうね」 「まあ、気ちがいでしょうね。昔から髪切り顔切り帯切り、そんなたぐいはいろいろありました。そのなかでも名高いのは槍突きでしたよ」 「槍突き……。槍で人を突くんですか」 「そうです。むやみに突き殺すんです。御承知はありませんか」 「知りません」 「尤もこれはわたくしが自分で手がけた事件じゃあありません。人から又聞きなんですから、いくらか間違いがあるかも知れませんが、まあ大体はこういう筋なんです」と、老人はしずかに語り出した。「文化三、丙寅年の正月の末頃から江戸では槍突きという悪いことが流行りました。くらやみから槍を持った奴が不意に飛び出して来て、往来の人間をむやみに突くんです。突かれたものこそ実に災難で、即死するものも随分ありました。その下手人は判らずじまいで、いつか沙汰やみになってしまいましたが、文政八年の夏から秋へかけて再びそれが流行り出して、初代の清元延寿太夫も堀江町の和国橋の際で、駕籠の外から突かれて死にました。富本をぬけて一派を樹てたくらいの人ですから、誰かの妬みだろうという噂もありましたが、実はなんにも仔細はないので、やはりその槍突きに殺られてしまったんです。山の手には武家屋敷が多いせいか、そんな噂はあまりきこえませんで、主に下町をあらして歩いたんですが、なにしろ物騒ですから暗い晩などに外をあるくのは兢々もので、何時だしぬけに土手っ腹を抉られるか判らないというわけです。文化のころの落首にも『春の夜の闇はあぶなし槍梅の、わきこそ見えね人は突かるる』とか、又は『月よしと云えど月には突かぬなり、やみとは云えどやまぬ槍沙汰』などというのがありました。今度はもう落首どころじゃありません。うっかりすると落命に及ぶのですから、この前に懲りてみな縮み上がってしまいました。そういう始末ですから、上でも無論に打っちゃっては置かれません。厳重にその槍突きの詮議にかかりましたが、それが容易に知れないで、夏から秋まで続いたのだから堪まりません。八丁堀同心の大淵吉十郎という人は、もし今年中にこの槍突きが召捕れなければ切腹するとか云って口惜しがったそうです。旦那方がその覚悟ですから、岡っ引もみんな血眼です。ほかの御用を打っちゃって置いても、この槍突きを挙げなければならないというので、詮議に詮議を尽していましたが、そのなかに葺屋町の七兵衛、後に辻占の七兵衛といわれた岡っ引がいました。もうその頃五十八だとかいうんですが、からだの達者な眼のきいた男だったそうです。これからお話し申すのは、その七兵衛の探偵談で……」
盛夏のあいだは一時中絶したらしい槍突きが、涼風の立つ頃から又そろそろと始まって来て、九月の末頃には三日に一人ぐらいずつの被害者を出すようになったので、下町の人達はまたおびやかされた。よんどころなしに夜あるきする者も三人か五人が一と組になって出ることにして、ひとり歩きは一切見合わせるようになった。しかしいつの場合でも、被害者の所持品を取ったという噂はなく、単に突いて逃げるばかりで、つまり一種の辻斬りのたぐいである。なまじいに人の物に眼をかけないだけに、その手がかりを見つけ出すのが困難で、所詮はその場で召捕るよりほかには、下手人を見いだす方法がなかった。 文化の時と文政のときと、それが同じ下手人であるかどうかは判らなかった。それが一人であるか、五人六人が党を組んでいるのか、あるいはその噂を聞き伝えて面白半分に真似るものが幾人も出来たのか、そんなことも一切判らなかった。一体なんの為にそんな残酷なことをするのか、それも確かな判断が付かなかった。やはり在来の辻斬りと同じように持ち槍の穂の冴えをためすのと、自分の腕の働きを試すのと、この二つであろうとは誰でも思い付くことであるので、江戸じゅうの槍術指南者やその門人たちが真っ先に眼をつけられたが、その方面では取り留めた手がかりもなかった。さりとて、それが普通の物取りでないことは判っているので、どうも其の理由を発見するのに苦しめられた。なにかの心願があって、千人の人間を突くのだという説もあった。又は戌年の人に限って突くのだという説もあったが、かの延寿太夫は酉年の生まれで戌年ではなかった。なんにしても自由自在に槍を使う以上、それが町人や百姓とも思われないので、武家や浪人どもが注意の眼を逃がれることは出来なかった。七兵衛もやはりそう見ている一人であった。 十月六日の朝は陰っていた。もう女房のない七兵衛は雇い婆のお兼に云った。 「老婢、どうだい、天気がおかしくなったな」 「なんだか時雨れそうでございます」と、お兼は縁側をふきながら薄暗い初冬の空をみあげた。「今晩からお十夜でございますね」 「そうだ、お十夜だ。十手とお縄をあずかっている商売でも、年をとると後生気が出る。お宗旨じゃあねえが、今夜は浅草へでも御参詣に行こうかな」 「それが宜しゅうございます。御法要や御説法があるそうでございますから」 「老婢と話が合うようになっちゃあ、おれももうお仕舞いだな。はははははは」 元気よく笑っているところへ、子分のひとりが七兵衛の居間へ顔を出した。 「親分、禿岩がまいりました。すぐに通してやりますか」 「むむ。なにか用があるのかしら。まあ、通せ」 小鬢に禿のある岩蔵という手先が鼻の先を赤くしてはいって来た。 「お早うございます。なんだか急に冬らしくなりましたね」 「もうお十夜だ。冬らしくなる筈だ。寝坊の男が朝っぱらからどうしたんだ」 「早速ですが、例の槍突き……。あれで妙なことを聞き込んだので、ともかくもお前さんの耳に入れて置こうと思ってね」と、岩蔵は長火鉢の前に窮屈そうにかしこまった。「ゆうべの五ツ(午後八時)少し過ぎに蔵前でまた殺られた」 「むむ」と、七兵衛も顔をしかめた。「仕様がねえな。殺られたのは男か女か」 「それがおかしい。もし、親分。浅草の勘次と富松という駕籠屋が空駕籠をかついで柳原の堤を通ると、河岸の柳のかげから十七八の小綺麗な娘が出て来て、雷門までのせて行けと云う。こっちも戻りだからすぐに値ができて、その娘を乗せて蔵前の方へいそいで行くと、御厩河岸の渡し場の方から……。まあ、そうだろうと思うんだが、ばたばたと早足に駆け出して来た奴があって、暗やみからだしぬけに駕籠の垂簾へ突っ込んだ。駕籠屋二人はびっくりして駕籠を投げ出してわあっと逃げ出した。が、そのままにもして置かれねえので、半町ほども逃げてから、また立ち停まって、もとのところへ怖々帰って来てみると、駕籠はそのまま往来のまん中に置いてあるので、試しにそっと声をかけると、中じゃあなんにも返事をしねえ。いよいよやられたに相違ねえと、駕籠屋は気味わるそうに垂簾をあげて見ると、中には人間の姿が見えねえ。ねえ、おかしいじゃありませんか。それから提灯の火でよく見ると大きい黒猫が一匹……。胴っ腹を突きぬかれて死んでいるので……」 「黒猫が……。槍に突かれていたのか」 「そうですよ」と、岩蔵も顔をしかめながらうなずいた。「何のわけだか、ちっともわからねえ。娘はどこへか消えてしまって、大きい黒猫が身がわりに死んでいるんです。どう考えても変じゃありませんか」 「すこし変だな。どうして猫と娘とが入れ換わったろう」 「そこが詮議物ですよ。駕籠屋の云うには、どうもその娘は真人間じゃあねえ、ひょっとすると猫が化けたんじゃねえかと……。成程このごろは物騒だというのに、夜鷹じゃあるめえし、若い娘が五ツ過ぎに柳原の堤をうろうろしているというのがおかしい。化け猫が娘の姿をして駕籠屋を一杯食わそうとしたところを、不意に槍突きを食ったもんだから、てめえが正体をあらわしてしまったのかも知れませんね」 「そうよなあ」と、七兵衛は苦笑いした。「まあ、そうでも云わなければ理窟が合わねえが、なにしろ変な話だな。で、その娘は美い女だと云ったな。面をむき出しにしていたのか」 「いいえ、頭巾をかぶっていたそうです」 「そうか。そうして、その娘は駕籠に乗り馴れているらしかったか」 「さあ、そこまでは聞きませんでした。なにしろ真人間じゃあねえらしいから。そこはなんとか巧く誤魔化していたでしょうよ」 「もう一遍きくが、その娘は十七八だと云ったな」 「そうです。そういう話です」 「いや、御苦労。おれもまあ考えてみようよ」 岩蔵は親分の前を退がって、ほかの子分どもの集まっている部屋へ行った。そうして大きな声で、水茶屋の娘の噂か何かをしているのを聴きながら、七兵衛は長火鉢の前でじっと考えていたが、やがて喫いかけている煙管をぽんとはたいて、ひとり言のように云った。 「わるい悪戯をしやあがる」 日がくれてから七兵衛は葺屋町の家を出て、浅草の念仏堂の十夜講に行った。その途中で、念のために、柳原の堤を一と廻りして見ると、槍突きの噂におびえているせいか、長い堤には宵から往来の足音も絶えて、提灯の火一つもみえなかった。昼から陰っていた大空は高い銀杏のこずえに真っ黒に圧しかかって、稲荷の祠の灯が眠ったように薄黄色く光っているのも寂しかった。かた手に数珠をかけている七兵衛は小田原提灯を双子の羽織の下にかくして、神田川に沿うて堤の縁をたどってゆくと、枯れ柳の痩せた蔭から一人の女が幽霊のようにふらりと出て来た。 七兵衛は暗いなかでじっと透かしてみると、女の方でもこっちを窺っているらしく、やがて摺り抜けて両国の方へ行こうとするのを、七兵衛はうしろから呼び戻した。 「もし、もし、姐さん」 女はだまって立ち停まったが、又そのままに行き過ぎようとするのを、七兵衛は足早にそのあとを追って行った。 「おい、姐さん。このごろは物騒だ。私がそこまで送って上げようじゃねえか」 こう云いながら、かれは隠していた提灯をその眼先へ突き付けようとすると、提灯はたちまち叩き落された。こっちは内々覚悟していたので、すぐその手首を捕えようとすると、両手はしびれるほどに強く打たれて、数珠の緒は切れて飛んでしまった。さすがの七兵衛もはっと立ちひるむひまに、女のすがたは早くも闇の奥にかくれて、かれの眼のとどく所にはもう迷っていなかった。
[1] [2] [3] [4] 下一页 尾页
|