その晩、僕はマデライン嬢と共に、月の明かるい廊下に腰をかけていた。それは午後十時に近いころで、僕はいつでも夜食後には自分の感情の告白をなすべき準備行動を試みていたのである。僕は積極的にそれを実行しようとは思わない。適当のところで
彼女も自分の位地を諒解しているらしく見えた。少なくとも僕から見れば、僕ももうそろそろ打ち明けてもいいところまで近づいてきて、彼女もそれを望んでいるらしく想像された。なにしろ今は僕が一生涯における重大の危機で、いったんそれを口へ出したが最後、永久に幸福であるか、あるいは永久に悲惨であるかが決定するのである。しかも僕が黙っていれば、彼女は容易にそういう機会をあたえてくれないであろうと信じられる、いろいろの理由があった。
こうして、マデライン嬢と一緒に腰をかけて、少しばかり話などをしていながら、僕はこの重大事件についてはなはだ思い悩んでいる時、ふと見あげると、われわれより十二尺とは
幽霊は廊下の
幽霊は今夜どこかで僕に逢おうと言ったが、まさかにマデライン嬢と一緒にいるところへ出て来ようとは思わなかったのである。もしも彼女が自分の叔父の幽霊を見つけたとしたら、僕はなんと言ってその事情を説明していいか分からない。僕は別に声は立てなかったが、その困惑の様子を幽霊も明らかに認めたのである。
「ご心配なさることはありません」と、彼は言った。「私がここにいても、ご婦人に見つけられることはありません。また、わたしが直接にご婦人に話しかけなければ、何もきこえるはずはありません。もちろん、話しかけたりする気遣いもありません」
それを聞いて、僕も安心したような顔をしたろうと思われた。幽霊はつづけて言った。
「それですからお困りになることはありません。しかし、私の見るところでは、あなたの遣り口はどうも
それは僕も同感であった。
「まったくそれを思うと、実にやり切れない。彼のことを考えると……」と、僕は思わず大きい声を出した。
「え、誰のことを考えると……」と、マデライン嬢は急に向き直って訊いた。
いや、どうも飛んだことになった。幽霊の長ばなしはマデライン嬢の注意をひかなかったが、僕はわれを忘れて大きい声を出したので、それははっきりと彼女に聞こえてしまったのである。それに対して何とか早く説明しなければならないが、もちろん、その人が彼女の大事な叔父さんであるとは言われないので、僕は急に思いつきの名を言った。
「え、ヴィラー君のことですよ」
思いつきといっても、これは極めて正当の陳述であった。ヴィラー君というのは一個の紳士で、彼もマデライン嬢に対して大いに注目しているらしいので、僕はそれを考えるたびに、彼に対して忍ぶあたわざる不快を感じていたのであった。
「あなた、ヴィラーさんのことをそんなふうに言っては悪うござんすわ」と、彼女は言った。「あのかたは若いに似合わず、非常によく教育されて、物がよく分かって、へいぜいの態度も快活な人ですわ。あのかたはこの秋、立法官に選挙されたと言っていらっしゃるのですが、私も適任者だと思っていますのよ。あのかたならばきっとようござんすわ。言うべきことがあれば、どういう時にどう言うかということを、あのかたはちゃんとご存じですもの」
彼女は別に腹を立てたという様子も見せずに、極めておだやかに、極めて自然にそれを話した。もしマデライン嬢が僕に厚意を有するならば、僕が自分の競争者に対して不折り合いの態度を示したからといって、それについて悪感をいだかないはずである。彼女の言葉全体を案ずれば、僕にもたいてい分かるだけのヒントを得た。もしヴィラー君が僕の現在の地位にあれば、すぐに自分の思うことを言い出すに相違あるまいと思った。
「なるほど、あの人に対してそんな考えを持つのは悪いかもしれませんが……」と、僕は言った。「しかしどうも僕には我慢が出来ないのですよ」
彼女は僕を
「そんなふうに大きい声で言わないほうがいいでしょう」と、幽霊は言った。「そうでないと、あなた自身が困るようなことになりますよ。私はあなたのために、諸事好都合に運ぶことを望んでいるのです。そうすれば、あなたも進んで私を助けてくださるようになるでしょう。ことに私があなたのご助力をいたすような機会をつくれば……」
彼が僕を助けてくれるのは、この際ここを早く立ち去ってくれるに越したことはないと、僕は彼に話して聞かせたかったのである。若い女と恋をしようというのに、そばの
幽霊はつづけて言った。
「あなたはたぶん、わたしの利益になるようなことをお聞き込みにならないのだろうと察しています。私もそうだと
「ここに待っているには及ばない」と、僕は言った。「おまえになんにも言うようなことはないのだ」
マデライン嬢はおどろいて飛びあがった。その顔は
「ここに待っている……」と、彼女は叫んだ。「私が何を待っていると思っていらっしゃるの。わたしになんにも言うことはない……。まったくそうでしょう。わたしにお話しなさるようなことはなんにもないはずですもの」
「マデラインさん」と、僕は彼女のほうへ進み寄りながら
しかも彼女はもういってしまったのである。こうなると、僕にとっては世界の破滅である。僕は幽霊の方へあらあらしく振り向いた。
「こん畜生! 貴様はいっさいをぶちこわしてしまったのだ。貴様はおれの一生を
ここまで言って、僕の声は弱ってしまった。僕はもう言うことができなくなったのである。
「あなたは私をお責めなさるが、私が悪いのではありませんよ」と、幽霊は言った。「私はあなたを励まして、あなたを助けてあげようと思っていたのです。ところが、あなた自身が馬鹿なことをして、こんな
彼は
僕が思わず口走ったことを説明するのは、不可能であった。その晩はおそくまで起きていて、繰り返し繰り返してそのことを考え明かしたのち、僕は事実の真相をマデライン嬢に打ち明けないことに決心した。彼女の叔父の幽霊がここの家に取り
次の日はあまり涼しくもなく、あまり暖かくもなく、よい
月の明かるい廊下もその夜は
「あなたがどんなつもりでおっしゃっても、私はなんとも思っていやあしませんわ」と、彼女は言った。「けれども、あなたもあんまり乱暴ですわ」
僕はその乱暴の意思を熱心に否認した。そうして、僕が彼女に対して乱暴を働くはずがないということを、彼女もたしかに諒解したであろうと思われるほどの、やさしく温かい言葉で話した。僕はそれについて懇こんと説明して、そこにある邪魔がなければ、彼女が万事を諒解し得るように、僕がもっと明白に話すことが出来るのであるということを、彼女が信用してくれるように懇願した。
彼女はしばらく黙っていたが、やがて以前よりもやさしく思われるように言った。
「とにかく、その邪魔というのは私の叔父に関係したことですか」
「そうです」と、僕はすこし
彼女はそれに対してなんにも返事をしなかった。そうして、自分の書物にむかっていたが、それを読んでいるのではないらしかった。その顔色から察しると、彼女は僕に対してやや打ち解けてきたらしい。彼女も僕が考えるとおなじように自分の叔父を見ていて、それが僕の話の邪魔になったとすれば――まったく邪魔になるようないろいろの事情があるのである――僕はすこぶる困難の立場にあるもので、それがために言葉が多少粗暴になるのも、挙動が多少調子外れになるのも、まあ
僕は自分の椅子を少しく彼女に近寄せた。そのとき彼女のうしろの入り口から幽霊がこの部屋へ突入して来た。もちろん、ドアがあいたわけでもなく、なんの物音をさせたわけでもないが、僕はそれを突入というのほかはなかった。彼は非常に気がたかぶっていて、その頭の上に両腕をふりまわしていた。それを見た一刹那、僕はうんざりした。出しゃばり者の幽霊めが入り込んで来たので、すべての希望も
「ご存じですか」と、幽霊は呶鳴った。「ジョン・ヒンクマン氏があすこの丘をのぼって来るのを……。もう十五分間ののちにはここへ帰って来ますぜ。あなたが色女をこしらえるために何かやっているなら、大急ぎでおやりなさい。しかし、私はそんなことを言いに来たのではありません。わたしは素敵
「オー!」と、僕は
「私は今、あなたのものです」
マデライン嬢は眼にいっぱいの涙をたたえて、わたしを仰ぎながら言った。