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世界怪談名作集(せかいかいだんめいさくしゅう)十七

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-27 10:31:44 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



 その晩、僕はマデライン嬢と共に、月の明かるい廊下に腰をかけていた。それは午後十時に近いころで、僕はいつでも夜食後には自分の感情の告白をなすべき準備行動を試みていたのである。僕は積極的にそれを実行しようとは思わない。適当のところでじょじょに到達して、いよいよ前途に光明を認めたという時、ここに初めて真情を吐露とろしようと考えていたのである。
 彼女も自分の位地を諒解しているらしく見えた。少なくとも僕から見れば、僕ももうそろそろ打ち明けてもいいところまで近づいてきて、彼女もそれを望んでいるらしく想像された。なにしろ今は僕が一生涯における重大の危機で、いったんそれを口へ出したが最後、永久に幸福であるか、あるいは永久に悲惨であるかが決定するのである。しかも僕が黙っていれば、彼女は容易にそういう機会をあたえてくれないであろうと信じられる、いろいろの理由があった。
 こうして、マデライン嬢と一緒に腰をかけて、少しばかり話などをしていながら、僕はこの重大事件についてはなはだ思い悩んでいる時、ふと見あげると、われわれより十二尺とははなれていないところに、かの幽霊の姿が見えた。
 幽霊は廊下の欄干てすりに腰をおろして片足をあげ、柱に背中を寄せかけて片足をぶらりと垂れていた。僕はマデライン嬢と向かいあっているので、彼は彼女のうしろ、僕のほとんど前に現われているのであった。僕はそれを見て、ひどく驚いたような様子をしめしたに相違なかったが、幸いに彼女は庭の景色をながめていたので気がつかないらしかった。
 幽霊は今夜どこかで僕に逢おうと言ったが、まさかにマデライン嬢と一緒にいるところへ出て来ようとは思わなかったのである。もしも彼女が自分の叔父の幽霊を見つけたとしたら、僕はなんと言ってその事情を説明していいか分からない。僕は別に声は立てなかったが、その困惑の様子を幽霊も明らかに認めたのである。
「ご心配なさることはありません」と、彼は言った。「私がここにいても、ご婦人に見つけられることはありません。また、わたしが直接にご婦人に話しかけなければ、何もきこえるはずはありません。もちろん、話しかけたりする気遣いもありません」
 それを聞いて、僕も安心したような顔をしたろうと思われた。幽霊はつづけて言った。
「それですからお困りになることはありません。しかし、私の見るところでは、あなたの遣り口はどうもうまくないようですね。私ならば、もう猶予ゆうよなしに言い出してしまいますがね。こんないい機会は二度とありませんぜ。躊躇ちゅうちょしていてはいけませんよ。私の鑑定では、相手の婦人もよろこんであなたの言うことに耳を傾けますよ。婦人のほうでも、ふだんからそうあれかしと待ちかまえているのですからね。あるじのヒンクマン氏は今度ぎりで当分どこへも出かけそうもありませんぜ。たしかにこの夏は出かけませんよ。もちろん、私があなたの立場にあれば、ヒンクマン氏がどこにいようとも、最初からその人の姪にラヴしたりなんぞはしませんがね。マデライン嬢にそんなことを申し込んだ奴があると知れたら、あの人は大立腹で、それは、それは、大変なことになりましょうよ」
 それは僕も同感であった。
「まったくそれを思うと、実にやり切れない。彼のことを考えると……」と、僕は思わず大きい声を出した。
「え、誰のことを考えると……」と、マデライン嬢は急に向き直って訊いた。
 いや、どうも飛んだことになった。幽霊の長ばなしはマデライン嬢の注意をひかなかったが、僕はわれを忘れて大きい声を出したので、それははっきりと彼女に聞こえてしまったのである。それに対して何とか早く説明しなければならないが、もちろん、その人が彼女の大事な叔父さんであるとは言われないので、僕は急に思いつきの名を言った。
「え、ヴィラー君のことですよ」
 思いつきといっても、これは極めて正当の陳述であった。ヴィラー君というのは一個の紳士で、彼もマデライン嬢に対して大いに注目しているらしいので、僕はそれを考えるたびに、彼に対して忍ぶあたわざる不快を感じていたのであった。
「あなた、ヴィラーさんのことをそんなふうに言っては悪うござんすわ」と、彼女は言った。「あのかたは若いに似合わず、非常によく教育されて、物がよく分かって、へいぜいの態度も快活な人ですわ。あのかたはこの秋、立法官に選挙されたと言っていらっしゃるのですが、私も適任者だと思っていますのよ。あのかたならばきっとようござんすわ。言うべきことがあれば、どういう時にどう言うかということを、あのかたはちゃんとご存じですもの」
 彼女は別に腹を立てたという様子も見せずに、極めておだやかに、極めて自然にそれを話した。もしマデライン嬢が僕に厚意を有するならば、僕が自分の競争者に対して不折り合いの態度を示したからといって、それについて悪感をいだかないはずである。彼女の言葉全体を案ずれば、僕にもたいてい分かるだけのヒントを得た。もしヴィラー君が僕の現在の地位にあれば、すぐに自分の思うことを言い出すに相違あるまいと思った。
「なるほど、あの人に対してそんな考えを持つのは悪いかもしれませんが……」と、僕は言った。「しかしどうも僕には我慢が出来ないのですよ」
 彼女は僕をとがめようともせず、その後はいよいよ落ち着いているように見えた。しかし僕は、はなはだ苦しんだ。僕は自分の心のうちに絶えずヴィラー君のことを考えていないということを、ここで承認したくなかったからである。
「そんなふうに大きい声で言わないほうがいいでしょう」と、幽霊は言った。「そうでないと、あなた自身が困るようなことになりますよ。私はあなたのために、諸事好都合に運ぶことを望んでいるのです。そうすれば、あなたも進んで私を助けてくださるようになるでしょう。ことに私があなたのご助力をいたすような機会をつくれば……」
 彼が僕を助けてくれるのは、この際ここを早く立ち去ってくれるに越したことはないと、僕は彼に話して聞かせたかったのである。若い女と恋をしようというのに、そばの欄干てすりには幽霊がいる――しかもその幽霊は僕の最も恐れている叔父の幽霊であることを考えると、場所も場所、時も時、僕はふるえあがらざるを得ないのである。ここで事件を進行させようとするのは、たとい不可能といわないまでも、すこぶる困難であるといわなければならない。しかも僕は自分のこころを相手の幽霊にさとらせるにとどまって、それを口へ出して言うわけにはゆかないのである。
 幽霊はつづけて言った。
「あなたはたぶん、わたしの利益になるようなことをお聞き込みにならないのだろうと察しています。私もそうだとあやぶんでいたのです。しかし何かお話しくださるようなことがあるならば、あなたが一人になるまで待っていてもよろしいのです。私は今夜あなたの部屋へおたずね申してもよろしい。さもなければ、この婦人の立ち去るまでここに待っていてもよろしいのですが……」
「ここに待っているには及ばない」と、僕は言った。「おまえになんにも言うようなことはないのだ」
 マデライン嬢はおどろいて飛びあがった。その顔はあかくなって、その眼は燃えるように輝いた。
「ここに待っている……」と、彼女は叫んだ。「私が何を待っていると思っていらっしゃるの。わたしになんにも言うことはない……。まったくそうでしょう。わたしにお話しなさるようなことはなんにもないはずですもの」
「マデラインさん」と、僕は彼女のほうへ進み寄りながら呶鳴どなった。「まあ、わたしの言うことを聴いてください」
 しかも彼女はもういってしまったのである。こうなると、僕にとっては世界の破滅である。僕は幽霊の方へあらあらしく振り向いた。
「こん畜生! 貴様はいっさいをぶちこわしてしまったのだ。貴様はおれの一生を暗闇くらやみにしてしまったのだ。貴様がなければ……」
 ここまで言って、僕の声は弱ってしまった。僕はもう言うことができなくなったのである。
「あなたは私をお責めなさるが、私が悪いのではありませんよ」と、幽霊は言った。「私はあなたを励まして、あなたを助けてあげようと思っていたのです。ところが、あなた自身が馬鹿なことをして、こんな失策しっさくを招いてしまったのです。しかし失望することはありません。こんな失策はまたどうにでも申しわけができます。まあ、気を強くお持ちなさい。さようなら」
 彼は石鹸しゃぼんの泡の溶けるがごとくに、欄干から消え失せてしまった。

 僕が思わず口走ったことを説明するのは、不可能であった。その晩はおそくまで起きていて、繰り返し繰り返してそのことを考え明かしたのち、僕は事実の真相をマデライン嬢に打ち明けないことに決心した。彼女の叔父の幽霊がここの家に取りいていることを彼女に知らせるよりも、自分が一生ひとりで苦しんでいるほうがましであると、僕は考えた。ヒンクマン氏は留守である。そこへ彼の幽霊が出たということになれば、彼女は叔父が死なないとは信じられまい。彼女も驚いて死ぬであろう。僕の胸にはいかなる手疵てきずをこうむってもいいから、このことはけっして彼女に打ち明けまいと思った。
 次の日はあまり涼しくもなく、あまり暖かくもなく、よい日和ひよりであった。そよ吹く風もやわらかで、自然はほほえむようにもみえた。しかも今日はマデライン嬢と一緒に散歩するでもなく、馬に乗るでもなかった。彼女は一日働いているらしく、僕はちょっとその姿を見ただけであった。食事の時にわれわれは顔を合わせたが、彼女はしとやかであった。しかも静かで、控え目がちであった。僕はゆうべ彼女に対してはなはだ乱暴であったが、僕の言葉の意味はよく分かっていないので、彼女はそれをたしかめようとしているに相違なかった。それは彼女として無理もないことで、ゆうべの僕の顔色だけでは、言葉の意味はわかるまい。僕は伏目になってしおれかえって、ほんの少しばかり口をきいただけであったが、僕の窮厄きゅうやくの暗黒なる地平線を横断する光明の一線は、彼女がつとめて平静をよそおいながら、おのずから楽しまざる気色のあらわれていることであった。
 月の明かるい廊下もその夜は空明からあきであった。しかし僕は家のまわりをうろつき歩いているうちに、マデライン嬢がひとりで図書室にいるのを見つけた。彼女は書物を読んでいたので、僕はそこへはいって行って、そばの椅子に腰をおろした。僕はたといじゅうぶんでなくとも、ある程度まではゆうべの行動について弁明を試みておかなければなるまいと思った。そこで、ゆうべ僕が用いた言葉に対して、僕が弁解すこぶるつとめているのを、彼女は静かに聴きすましていた。
「あなたがどんなつもりでおっしゃっても、私はなんとも思っていやあしませんわ」と、彼女は言った。「けれども、あなたもあんまり乱暴ですわ」
 僕はその乱暴の意思を熱心に否認した。そうして、僕が彼女に対して乱暴を働くはずがないということを、彼女もたしかに諒解したであろうと思われるほどの、やさしく温かい言葉で話した。僕はそれについて懇こんと説明して、そこにある邪魔がなければ、彼女が万事を諒解し得るように、僕がもっと明白に話すことが出来るのであるということを、彼女が信用してくれるように懇願した。
 彼女はしばらく黙っていたが、やがて以前よりもやさしく思われるように言った。
「とにかく、その邪魔というのは私の叔父に関係したことですか」
「そうです」と、僕はすこし躊躇ちゅうちょしたのちに答えた。「それはある程度まであの人に関係しているのです」
 彼女はそれに対してなんにも返事をしなかった。そうして、自分の書物にむかっていたが、それを読んでいるのではないらしかった。その顔色から察しると、彼女は僕に対してやや打ち解けてきたらしい。彼女も僕が考えるとおなじように自分の叔父を見ていて、それが僕の話の邪魔になったとすれば――まったく邪魔になるようないろいろの事情があるのである――僕はすこぶる困難の立場にあるもので、それがために言葉が多少粗暴になるのも、挙動が多少調子外れになるのも、まあじょすべきであると考えたであろう。僕もまた、僕の一部的説明の熱情が相当の効果をもたらしたのを知って、ここで猶予なしにわが思うことを打ち明けたほうが、自分のために好都合であろうと考えた。たとい彼女が僕の申し込みを受け入れようが受け入れまいが、彼女と僕との友情関係が前日よりも悪化しようとは思われない。僕が自分の恋を語ったならば、彼女はゆうべの僕がばかばかしく呶鳴ったことなどを忘れてくれそうである。その顔色が大いに僕の勇気を振るい起こさせた。
 僕は自分の椅子を少しく彼女に近寄せた。そのとき彼女のうしろの入り口から幽霊がこの部屋へ突入して来た。もちろん、ドアがあいたわけでもなく、なんの物音をさせたわけでもないが、僕はそれを突入というのほかはなかった。彼は非常に気がたかぶっていて、その頭の上に両腕をふりまわしていた。それを見た一刹那、僕はうんざりした。出しゃばり者の幽霊めが入り込んで来たので、すべての希望もくうに帰した。あいつがここにいる間は、僕は何も言うことは出来ないのである。
「ご存じですか」と、幽霊は呶鳴った。「ジョン・ヒンクマン氏があすこの丘をのぼって来るのを……。もう十五分間ののちにはここへ帰って来ますぜ。あなたが色女をこしらえるために何かやっているなら、大急ぎでおやりなさい。しかし、私はそんなことを言いに来たのではありません。わたしは素敵滅法界めっぽうかいの報道をもたらして来たのです。私もとうとう移転することになりましたよ。今から四十分ほどにもならない前に、ロシアのある貴族が虚無きょむ党に殺されたのですが、誰もまだ彼の死について幽霊の株のことを考えていないのです。わたしの友達が、そこへ私をはめ込んでくれたので、いよいよ移転することが出来たのです。あの大禁物のヒンクマン氏が丘を登って来る前に、わたしはもう立ち去ります。その瞬間から私は大嫌いのまがい者をやめにして、新しい位地を占めることになるのです。さあ、おいとま申します。とうとうある人間の本当の幽霊になることが出来て、私はどんなに嬉しいか、あなたにはとても想像がつきますまいよ」
「オー!」と、僕はちあがって、はなはだ不格好に両腕をひろげながら叫んだ。「私はあなたが私のものでありしことを天に祈ります!」
「私は今、あなたのものです」
 マデライン嬢は眼にいっぱいの涙をたたえて、わたしを仰ぎながら言った。





底本:「世界怪談名作集 下」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年9月4日初版発行
   2002(平成14)年6月20日新装版初版発行
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:大久保ゆう
2004年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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