三
その晩、私はマンネリング家で食事をする約束をしたが、ぐずぐずしているとホテルへ帰って着物を着かえる時間がないので、エリイシウムの丘への道を馬上で急いでいると、闇のうちに二人の男が話し合ってゆくのを耳にした。
「まったく不思議なこともあるものだな」と、一人が言った。
「どうしてあの車の走った跡がみんな無くなってしまったのだろう。君も知っている通り、うちの女房はばかばかしいほどにあの女が好きだったのだ。(僕にはどこがいいのかわからなかったがね。)それだもんだから、どうしてもあの女の古い人力車と苦力とを手に入れたいと
私はこの男の最後の言葉を大きい声で笑ったが、その笑い声に自分でぞっとした。それではやはり人力車の幽霊や、幽霊が幽霊を雇い入れるなどという事があるのであろうか。ウェッシントン夫人は苦力らにいくらの賃金を払うのであろうか。かれら苦力は何時間働くのであろうか。そうして、かれら苦力はどこへ行ったのであろうか。
すると、私のこの最後の疑問に対する明白なる答えとして、まだ
「気違いだ。可哀そうに……。それとも酔っているのかもしれない。マックス、その人を
それはたしかに、ウェッシントン夫人の声ではなかった。
私がひとりで喋べっているのを立ち聴きしていた先刻の二人の男が、私を介抱しようとして戻って来た。かれらは非常に親切で、思いやりがあった。かれらの言葉から察すると、私がひどく酔っているのだと思っているらしかった。私はあわててかれらに礼を言って、馬を走らせてホテルに帰って、大急ぎで衣服を改めて、マンネリング家へ行ったときは約束の時間よりも五分遅れていた。わたしは闇夜であったからというのを口実にして弁解したが、キッティに恋びとらしくない遅刻を反駁されながら、とにもかくにも食卓に着いた。
食卓ではすでに会話に花が咲いていたので、わたしは彼女のご機嫌を取り戻そうとして、気のきいた
食卓はずいぶん長い間かかって終わった。わたしは全く名残り惜しいような心持ちでキッティに別れを告げた。――たぶん、また戸の外には幽霊が私の出て来るのを待っているのだろうと思いながら。――例の赤鬚の男(シムラのヘザーレッグ先生として私に紹介された)が途中までご一緒に参りましょうと言い出したので、私も喜んでその申しいでを受けた。
わたしの予感は誤まらなかった。幽霊はもう樹蔭の路に待ち受けていた。しかも、私たちの行く手を悪魔的に冷笑しているように、
「ねえ、パンセイ君。エリイシウムの道で何か変わった事でもあったのですかね」
この質問があまり
「あれです」と言って、わたしは灯の方を指さした。
「私の知るところによれば、化け物などというものはまず酔っ払いの
非常にありがたいことには、例の人力車が私たちを待ち構えてはいたけれども、二十ヤードほどもさきにいてくれた。――そうしてまた、この距離は私たちが歩こうが、またゆるく駈けさせようが、いつでも正しく保たれていた。そこでその夜、長いあいだ馬に乗りながら、私はいま諸君に書き残しているとほぼ同じようなことを彼にも話した。
「なるほど、あなたは私が今までみんなに話していた得意の話のうちの一つを、台なしにしておしまいなすった」と、彼は言った。「しかしまあ、あなたが経験してこられたことに免じて勘弁してあげましょう。その代りに、わたしの家へ来てくだすって、私の言う通りになさらなければいけませんよ。そうして、私があなたをすっかり癒してあげたら、もうこれに
人力車は執念ぶかく、まだ前のほうにいた。そうして、私の赤鬚の友達は、幽霊のいる場所を精密にわたしから聞いて、非常に興味を感じたらしかった。
「錯覚……。ねえ、パンセイ君。……それは要するに眼と脳髄と、それから胃袋、特に胃袋からくるのですよ。あなたは非常に想像力の発達した頭脳を持っている割に、胃袋があまりに小さすぎるのです。それで、非常に不健康な眼、つまり視覚上の錯覚を生ずるのですよ。あなたの胃を丈夫になさい。そうすれば、自然に精神も安まります。それにはフランスの治療法によって肝臓の丸薬がよろしい。あなたは今日から私に治療を一任させていただきたい。なにしろあなたは、つまらない一つの現象のために、あまりに奪われ過ぎていますからな」
ちょうどその時、私たちはブレッシングトンの坂下の木蔭を進んで行った。
人力車は
「さあ、胃と脳と眼から来る錯覚患者のためにも、こんな山の
私たちの行く手に耳をつんざくような爆音がしたかと思うと、一寸さきも見えないほどの砂煙りがぱっと立った。
「ねえ、もし僕たちがもう少し前へ進んでいたらば、今ごろは生き埋めになっていたでしょう。まだ神様に見捨てられなかったのですな。さあ、パンセイ君。
私たちは引っ返して教会橋を渡って、真夜中の少し過ぎたころに、ドクトル・ヘザーレッグの家に着いた。
それからほとんどすぐに、彼はわたしの治療に取りかかって、一週間というものは私から離れなかった。そのあいだ幾たびか私はシムラの親切な名医と近づきになった自分の幸運に感謝したのであった。日増しに私のこころは軽く、落ちついてきた。そうしてまた、だんだんにヘザーレッグのいわゆる胃と頭脳と眼から来るという「妖怪的幻影」の学説に共鳴していった。私は落馬してちょっとした挫傷をしたために四、五日は外出することも出来ないが、あなたが私に逢えないのを寂しく思う前には全快するであろうというような手紙を書いて、キッティに送っておいた。
ヘザーレッグ先生の治療は、はなはだ簡単であった。肝臓の丸薬、朝夕の冷水浴と猛烈な体操、それが彼の治療法であった。――もっとも、この朝夕の冷水浴と体操は散歩の代りで、彼は慎重な態度で私にむかって、「挫傷した人間が一日に十二マイルも歩いているところを婚約の婦人に見られたら、びっくりしますからな」と言っていた。
一週間の終わりに、瞳孔や脈搏を調べたり、摂食や歩行のことを厳格に注意された上で、ヘザーレッグは私を引き取った時のように、むぞうさに退院させてくれた。別れに臨んで、彼はこう祝福してくれた。
「ねえ、私はあなたの神経を
私は彼の親切に対してお礼を言おうとしたが、彼はわたしをさえぎった。
「あなたが好きだから、わたしが治療してあげたなどと思わないでください。私の推察するところによると、あなたはまったく無頼漢のような行為をしてきなすった。が、同時にあなたは一風変わった無頼漢であるごとく、一風変わった非凡な人です。さあ、もうお帰りになってもよろしい。そうして、眼と頭と胃から来る錯覚がまた起こるかどうか。見ていてごらんなさい。もし錯覚が起こったら、そのたびごとに十万ルピーをあなたに差し上げましょう」
三十分の後には、私はマンネリング家の応接間でキッティと対座していた。――現在の幸福感と、もう二度と再び幽霊などに襲われないで済むという安心に酔いながら。――私はこの新しい確信にみずから興奮してしまって、すぐに馬に乗ってジャッコをひと廻りしないかと申し出たのであった。
四月三十日の午後、私はその時ほど血気と単なる動物的精力とを身内に溢るるように感じたことはかつてなかった。キッティはわたしの様子が変わって快活になったのを喜んで、
私はサンジョリー貯水場に行って、自分はもう幽霊に襲われないという自信をたしかめるために馬を急がせた。私たちの馬はよく走ったにもかかわらず、わたしの
「どうしたの、ジャック」と、とうとう彼女は叫んだ。「まるでだだっ
ちょうど私たちが尼寺の下へ来た時、わたしの馬が路から
「なんでもありませんよ」と、私は答えた。「ただこれだけのことです。あなただって一週間も家にいたままでなんにもしなかったら、私のようにこんなに乱暴になりますよ」