三
座頭はまた語りつづけた。 「わたしはこの途を外してはならないと思って、ふだんから思っていることを一度にみんな言ってしまいました。家来に口説かれて、御新造はいよいよ呆れたのかも知れません。やはり何にも言わずに坐っているので、わたしは焦れ込んでその手を捉えようとすると、御新造は初めて声を立てました。その声を聞きつけて、ほかの者も駈けて来て、有無をいわさずに私を縛りあげて、庭の立木につないでしまいました。両手をくくられて、雪のなかにさらされて、所詮わが命はないものと覚悟していると、やがて主人は城から退って来ました。主人は子細を聞いて、わたしを縁先へ引出させて、貴様のような奴を成敗するのは刀の汚れだから免してやるが、左様な不埒な料簡をおこすというのも、畢竟はその眼が見えるからだ。今後再び心得違いをいたさぬように貴様の眼だまをつぶしてやると言って、小柄をぬいてわたしの両方の眼を突き刺しました。」 今もその眼から血のなみだが流れ出すように、座頭は痩せた指で両方の眼をおさえた。平助もこのむごたらしい仕置に身ぶるいして、自分の眼にも刃物を刺されたように痛んで来た。かれは溜息をつきながら訊いた。 「それからどうしなすった。」 「にわか盲にされて放逐されて、わたしは城下の親類の家へ引渡されました。命には別条なく、疵の療治も済みましたが、にわか盲ではどうすることも出来ません。宇都宮に知りびとがあるので、そこへ頼って行って按摩の弟子になりまして、それからまた江戸へ出て、ある検校の弟子になりました。二十二の春から三十一の年まで足かけ十年、そのあいだに一日でも仇のことを忘れたことはありませんでした。仇は元の主人の野村彦右衛門。いっそ一と思いに成敗するならば格別、こんなむごたらしい仕置をして、人間ひとりを一生の不具者にしたかと思うと、どうしてもその仇を取らなければならない。といって、相手は立派な侍で、武芸も人並以上にすぐれていることを知っていますから、眼のみえない私が仇を取るにはどうしたらよいか、いろいろ考え抜いた揚句に、思いついたのが針でした。宇都宮でも江戸でも針の稽古をしていましたから、その針の太いのをこしらえておいて、不意に飛びかかってその眼玉を突く。そう決めてから、暇さえあれば針で物を突く稽古をしていると、人の一心はおそろしいもので、しまいには一本の松葉でさえも狙いをはずさずに突き刺すようになりましたが、さて今度はその相手に近寄る手だてに困りました。彦右衛門は屋敷の用向きで江戸と国許のあいだをたびたび往復することを知っていましたので、この渡し場に待っていて、船に乗るか、船から降りるか、そこを狙って本意を遂げようと、師匠の検校には国へ帰るといって暇を貰いまして、ここヘ来ましてから足かけ五年、毎日根気よく渡し場へ出て行って、上り下りの旅人を一々にあらためていましたが、野村とも彦右衛門ともいう者にどうしても出逢わないうちに、自分の命が終ることになりました。いや、こんなことは自分の胸ひとつに納めておけばよいのですが、誰かに一度は話しておきたいような気もしましたので、とんだ長話をしてしまいました。かえすがえすもお前さんには御世話になりました。あらためてお礼を申します。」 言うだけのことを言ってしまって、彼はにわかに疲労したらく、そのまま横向きになって木枕に顔を押し付けた。平助も黙って自分の寝床にはいった。 夜半から雪もやみ、風もだんだんに吹きやんで、この一軒家をおどろかすものもなかった。利根の川水も凍ったように、流れの音を立てなかった。 河原の朝は早く明けて、平助はいつもの通りに眼をさますと、病人はしずかに眠っているらしかった。あまり静かなので、すこし不安に思って覗いてみると、座頭はかの針で自分の頸すじを突いていた。多年その道の修業を積んでいるので、彼は脈どころの急所を知っていたらしく、ただ一本の針で安々と死んでいるのであった。
他の船頭どもにも手伝ってもらって、平助は座頭の死骸を近所の寺へ葬った。勿論、かの針も一緒にうずめた。平助は正直者であるので、座頭が形見の小判五枚には手を触れず、すべて永代の回向料としてその寺に納めてしまった。 それから六年、かの座頭がこの渡し場に初めてその姿をあらわしてから十一年目の秋である。八月の末に霖雨が降りつづいたので、利根川は出水して沿岸の村々はみな浸された。平助の小屋も押し流された。それがために房川の船渡しは十日あまりも止っていたが、九月になって秋晴れの日がつづいたので、ようやくに船を出すことになると、両岸の栗橋と古河とにつかえていた上り下りの旅人は川のあくのを待ちかねて、さきを争って一度に乗り出した。 「あぶねえぞ、気をつけろよ。水はまだほんとに引いていねえのに、どの船もみんないっぱいだからな。」 平助じいさんは岸に立ってしきりに注意していると、古河の方から漕ぎ出した一捜の船はまだ幾間も進まないうちに、強い横浪のあおりをうけて、あれという間に転覆した。平助のいう通り水はまだほんとうに引いていないので、船頭どものほかにも村々の若い者らが用心のために出張っていたので、それを見ると皆ばらばらと飛び込んで、あわや溺れそうな人々を見あたり次第に救い出して、もとの岸へかつぎあげた。手当を加えられて、どの人もみな正気にかえったが、そのなかでただひとりの侍はどうしても生きなかった。身なりも卑しくない四十五六の男で、ふたりの供を連れていた。 供の者はいずれも無事で、その二人の口から、かの溺死者の身の上が説明された。かれは奥州の或る藩中の野村彦右衛門という侍で、六年以前から眼病にかかって、この頃ではほとんど盲目同様になった。江戸に眼科の名医があるというのを聞いて、主君へも届け済みの上で、その療治のために江戸へのぼる途中、ここで測らずも禍いに逢ったのである。盲目同様であるから、道中は駕籠に乗せられて、ふたりの家来にたすけられて来たのであるが、この場合、相当に水練の心得もあるはずの彼がどうして自分ひとり溺死したかと、家来も怪しむように語った。 それとはまたすこし違った意味で、平助じいさんは彼の死を怪しんだ。ほかの乗合いがみんな救われた中で、野村彦右衛門という盲目の侍だけがどうして溺れ死んだか、それを思うと、平助はまたにわかにぞっとした。彼は供の家来にむかって、このお方には奥さまがあるかとひそかに訊くと、御新造さまは遠いむかしに御離縁になったと答えた。いつの頃にどういうことで離縁になったのか、そこまでは平助も押して訊くわけにはいかなかった。 旅先のことであるから、家来どもは主人のなきがらを火葬にして、遺骨を国許へ持ち帰ると言っていた。平助は近所の寺へまいって、かの座頭の墓にあき草の花をそなえて帰った。 [#改ページ]
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