今度は誰も声をかける者もなかった。子供たちは息を呑み込んで、身をすくめて、ただそのうしろ影を見送っていると、お兼ちゃんは手拭で顔をつつんで、やはりかの竹藪の横町の方へとぼとぼとあるいて行った。もちろんその跡を付けて行こうとする者もなかった。しかもそのうしろ姿が横町へ消えるのを見届けて、子供たちは一度にばらばらと駈け出した。今度は逃げるのでない、すぐに自分の親たちのところへ注進に行ったのであった。 その注進を聞いて、町内の親たちが出て来た。経師屋のお父さんも出て来た。数珠屋からは勿論に駈け出して来た。大勢があとや先になって横町へ探しに行くと、お兼らしい娘のすがたは容易に見付からなかった。それでも竹藪をかき分けて根よく探しまわると、藪の出はずれの、やがて墓場に近いところに大きい椿が一本立っている。その枝に細紐をかけて、お兼らしい娘がくびれ死んでいるのを発見した。お兼ちゃんの着物をきていたので、子供たちは一途にお兼ちゃんと思い込んだのであるが、それはかの八百留の子守のお長であった。 お兼の着物を剥ぎとって、それを自分の身につけて、お長はこの十日あまりを何処で過したか判らない。そうして、あたかもお兼に導かれたように、この藪の中へ迷って来て、かれの短い命を終ったのである。お長は田舎者まる出しの小娘で、ふだんから小汚ない手織縞の短い着物ばかりを着ていたから、色白の可愛らしいお兼が小綺麗な身なりをしているのを見て、羨ましさの余りに、ふとおそろしい心を起したのであろうという噂であったが、それも確かなことは判らなかった。それにしてもお長がどうしてお兼を誘って行ったか、このふたりが前からおたがいに知り合っていたのか、それらのことも結局わからなかった。 こうして、何事も謎のままで残っているうちにも、最初にあらわれたお兼のことが最も恐ろしい謎であった。 「あたし、もうみんなと遊ばないのよ。」 お兼ちゃんの悲しそうな声がいつまでも耳に残っていて、その当座は怖い夢にたびたびうなされましたと、おなおさんは言った。
三 龍を見た話
ここにはまた、龍をみたために身をほろぼしたという人がある。それは江戸に大地震のあった翌年で、安政三年八月二十五日、江戸には凄まじい暴風雨が襲来して、震災後ようやく本普請の出来あがったもの、まだ仮普請のままであるもの、それらの家々の屋根は大抵吹きめくられ、吹き飛ばされてしまった。その上に津波のような高波が打寄せて来て、品川や深川の沖にかかっていた大船小舟はことごとく浜辺に打揚げられた。本所、深川には出水して、押流された家もあった。溺死した者もあった。去年の地震といい、ことしの風雨といい、江戸の人々もずいぶん残酷に祟られたといってよい。 その暴風雨の最も猛烈をきわめている二十五日の夜の四つ(午後十時)過ぎである。下谷御徒町に住んでいる諸住伊四郎という御徒士組の侍が、よんどころない用向きの帰り路に日本橋の浜町河岸を通った。 彼はこの暴風雨を冒して、しかも夜ふけになぜこんなところを歩いていたかというと、新大橋の袂にある松平相模守の下屋敷に自分の叔母が多年つとめていて、それが急病にかかったという通知をきょうの夕刻に受取ったので、伊四郎は取りあえずその見舞に駈け付けたのである。叔母はなにかの食あたりであったらしく、一時はひどく吐瀉して苦しんだ。なにぶん老年のことでもあるので、屋敷の者も心配して、早速に甥の伊四郎のところへ知らせてやったのであったが、思いのほかに早く癒って、伊四郎が駈け付けた頃にはもう安らかに床の上に横たわっていた。急激の吐瀉でもちろん疲労しているが、もう心配することはないと医者はいった。平生が達者な質であるので叔母も元気よく口をきいて、早速見舞に来てくれた礼を言ったりしていた。伊四郎もまず安心した。 しかしわざわざ出向いて来たのであるから、すぐに帰るというわけにもいかないので、病人の枕もとで暫く話しているうちに、雨も風も烈しくなって来た。そのうちには小歇みになるだろうと待っていたが、夜のふけるにつれていよいよ強くなるらしいので、伊四郎も思い切って出ることにした。叔母はいっそ泊って行けと言ったが、よその屋敷の厄介になるのも心苦しいのと、この風雨では自分の家のことも何だか案じられるのとで、伊四郎は断ってそこを出た。 出てみると、内で思っていたよりも更に烈しい風雨であった。とても一と通りのことでは歩かれないと覚悟して、伊四郎は足袋をぬいで、袴の股立ちを高く取って、素足になった。傘などは所詮なんの役にもたたないので、彼は手拭で頬かむりをして、片手に傘と下駄をさげた。せめて提灯だけはうまく保護して行こうと思ったのであるが、それも五、六間あるくうちに吹き消されてしまったので、彼は真っ暗な風雨のなかを北へ北へと急いで行った。 今と違って、その当時ここらは屋敷つづきであるので、どこの長屋窓もみな閉じられて、灯のひかりなどはちっとも洩れていなかった。片側は武家屋敷、片側は大川であるから、もしこの暴風雨に吹きやられて川のなかへでも滑り込んだら大変であると、伊四郎はなるべく屋敷の側に沿うて行くと、時どきに大きい屋根瓦ががらがらくずれ落ちてくるので、彼はまたおびやかされた。風は東南で、彼にとっては追い風であるのがせめてもの仕合せであったが、吹かれて、吹きやられて、ややもすれば吹き飛ばされそうになるのを、彼は辛くも踏みこたえながら歩いた。滝のようにそそぎかかる雨を浴びて、彼は骨までも濡れるかと思った。その雨にまじって、木の葉や木の枝は勿論、小石や竹切れや簾や床几や、思いも付かないものまでが飛んでくるので、彼は自分のからだが吹き飛ばされる以外に、どこからともなしに吹き飛ばされてくる物をも防がなければならなかった。 「こうと知ったら、いっそ泊めてもらえばよかった。」と、彼は今更に後悔した。 さりとて再び引っ返すのも難儀であるので、伊四郎はもろもろの危険を冒して一生懸命に歩いた。そうして、ともかくも一町あまりも行き過ぎたと思うときに、彼はふと何か光るものをみた。大川の水は暗く濁っているが、それでもいくらかの水あかりで岸に沿うたところはぼんやりと薄明るく見える。その水あかりを頼りにして、彼はその光るものを透かしてみると、それは地を這っているものの二つの眼であった。しかしそれは獣とも思われなかった。二つの眼は風雨に逆らってこっちへ向ってくるらしいので、伊四郎はともかくも路ばたの大きい屋敷の門前に身をよせて、その光るものの正体をうかがっていると、何分にも暗いなかではっきりとは判らないが、それは蛇か蜥蝪のようなもので、しずかに地上を這っているらしかった。この風雨のためにどこから何物が這い出したのかと、伊四郎は一心にそれを見つめていると、かれは長い大きいからだを曳きずって来るらしく、濡れた土の上をざらりざらりと擦っている音が風雨のなかでも確かにきこえた。それはすこぶる巨大なものらしいので、伊四郎はおどろかされた。 かれはだんだんに近づいて、伊四郎のひそんでいる屋敷の門前をしずかに行き過ぎたが、かれはその眼が光るばかりでなく、からだのところどころも金色にひらめいていた。かれはとかげのように四つ這いになって歩いているらしかったが、そのからだの長いのは想像以上で、頭から尾の末まではどうしても四、五間を越えているらしく思われたので、伊四郎は実に胆を冷やした。 この怪物がようやく自分の前を通り過ぎてしまったので、伊四郎は初めてほうとする時、風雨はまた一としきり暴れ狂って、それが今までよりも一層はげしくなったかと思うと、海に近い大川の浪が逆まいて湧きあがった。暗い空からは稲妻が飛んだ。この凄まじい景色のなかに、かの怪物の大きいからだはいよいよ金色にかがやいて、湧きあがる浪を目がけて飛込むようにその姿を消してしまったので、伊四郎は再び胆を冷やした。 「あれは一体なんだろう。」 彼は馬琴の八犬伝を思い出した。里見義実が三浦の浜辺で白龍を見たという一節を思いあわせて、かの怪物はおそらく龍であろうと考えた。不忍池にも龍が棲むと信じられていた時代であるから、彼がこの凄まじい暴風雨の夜に龍をみたと考えたのも、決して無理ではなかった。伊四郎は偶然この不思議に出逢って、一種のよろこびを感じた。龍をみた者は出世すると言い伝えられている。それが果して龍ならば、自分に取って好運の兆である。 そう思うと、彼が一旦の恐怖はさらに歓喜の満足と変って、風雨のすこし衰えるのを待ってこの門前から再び歩き出した。そうして、二、三間も行ったかと思うと、彼は自分の爪さきに光るものの落ちているのを見た。立停まって拾ってみると、それは大きい鱗のようなものであったので、伊四郎は龍の鱗であろうと思った。龍をみて、さらに龍の鱗を拾ったのであるから、かれはいよいよ喜んで、丁寧にそれを懐ろ紙につつんで懐中した。彼は風雨の夜をあるいて、思いもよらない拾い物をしたのであった。 無事に御徒町の家へ帰って、伊四郎は濡れた着物をぬぐ間もなく、すぐに懐中を探ってみると、紙の中からはかの一片の鱗があらわれた。行灯の火に照らすと、それは薄い金色に光っていた。彼は妻に命じて三宝を持ち出させて、鱗をその上にのせて、うやうやしく床の間に祭った。 「このことはめったに吹聴してはならぬぞ。」と、彼は家内の者どもを固く戒めた。 あくる日になると、ゆうべの風雨の最中に、永代の沖から龍の天上するのを見た者があるという噂が伝わった。伊四郎はそれを聞いて、自分の見たのはいよいよ龍に相違ないことを確かめることが出来た。そのうちに、口の軽い奉公人どもがしゃべったのであろう。かの鱗の一件がいつとはなしに世間にもれて、それを一度みせてくれと望んでくる者が続々押掛けるので、伊四郎はもう隠すわけにはいかなくなった。初めは努めてことわるようにしたが、しまいには防ぎ切れなくなって、望むがままに座敷へ通して、三宝の上の鱗を一見させることにしたので、その門前は当分賑わった。 「あれはほんとうの龍かしら。大きい鯉かなんぞの鱗じゃないかな。」と、同役のある者は蔭でささやいた。 「いや、普通の魚の鱗とは違う。北条時政が江の島の窟で弁財天から授かったという、かの三つ鱗のたぐいらしい。」と、勿体らしく説明する者もあった。 「してみると、あいつ北条にあやかって、今に天下を取るかな。」と、笑う者もあった。 「天下を取らずとも、組頭ぐらいには出世するかも知れないぞ。」と、羨ましそうに言う者もあった。 こんな噂が小ひと月もつづいているうちに、それが叔母の勤めている松平相模守の屋敷へもきこえて、一度それをみせてもらいたいと言って来た。その時には、叔母はもう全快していた。ほかの屋敷とは違うので、伊四郎は快く承知して、新大橋の下屋敷へ出て行ったのは、九月二十日過ぎのうららかに晴れた朝であった。鱗は錦切れにつつんで、小さい白木の箱に入れて、その上を更に袱紗につつんで、大切にかかえて行った。 叔母は自分が一応検分した上で、さらにそれを奥へささげて行った。幾人が見たのか知らないが、そのあいだ伊四郎は一時ほども待たされた。 「めずらしい物を見たと仰せられて、みなさま御満足でござりました。」と、叔母も喜ばしそうに話した。「これはお前の家の宝じゃ。大切に仕舞って置きなされ。」 これは奥から下されたのだといって、伊四郎はここでお料理の御馳走になった。彼は酔わない程度に酒をのみ、ひる飯を食って、九つ半(午後一時)過ぐる頃にお暇申して出た。 彼が屋敷の門を出たのは、門番もたしかに見届けたのであるが、伊四郎はそれぎり何処へ行ってしまったのか、その日が暮れても、御徒町の家へは帰らなかった。家でも心配して叔母のところへ聞合せると、右の次第で屋敷の門を出た後のことは判らなかった。それから二日を過ぎ、三日を過ぎても、伊四郎はその姿をどこにも見せなかった。彼は龍の鱗をかかえたままで、なぜ逐電してしまったのか、誰にも想像が付かなかった。 ただひとつの手がかりは、当日の九つ半ごろに酒屋の小僧が浜町河岸を通りかかると、今まで晴れていた空がたちまち暗くなって、俗に龍巻という凄まじい旋風が吹き起った。小僧はたまらなくなって、地面にしばらく俯伏していると、旋風は一としきりで、天地は再び元のように明るくなった。秋の空は青空にかがやいて、大川の水はなんにも知らないように静かに流れていた。旋風は小部分に起ったらしく、そこら近所にも別に被害はないらしく見えた。ただこの小僧のすこし先をあるいていた羽織袴の侍が、旋風のやんだ時にはもう見えなくなっていたということであるが、その一刹那、小僧は眼をとじて地に伏していたのであるから、そのあいだに侍は通り過ぎてしまったのかも知れない。
伊四郎が見たのは龍ではない、おそらく山椒魚であろうという者もあった。そのころの江戸には川や古池に大きい山椒魚も棲んでいたらしい。それが風雨のために迷い出したので、鱗はなにかほかの魚のものであろうと説明する者もあった。いずれにしても、彼がゆくえ不明になったのは事実である。彼は当時二十八歳で、夫婦のあいだに子はなかった。事情が事情で、急養子の届けを出すというわけにもいかなかったので、その家はむなしく断絶した。
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