某日。――大川赫子が兄さんの大川氏と暫(しばら)く別れ、近所に宿を極(き)めてしばらく鎌倉に落ちつくのだそうだ、で、今日からK氏のモデルになり始めた。昼前から、麻川氏の部屋では大騒ぎだ。ああいう娘の存在は単調な避暑地の空気を溌剌(はつらつ)とさせて呉(く)れる。「荘ちゃん。」と娘に呼ばれて麻川氏も大はしゃぎだ。婆やのお駒が私の部屋へ来て、芝生越の樹立ちの中の小亭を指して云う「大川さんが来る前は書き物をするからあすこへ閉じこもると仰(おっしゃ)るので、ほかのお客を断わってお貸ししてありますのに、赫子さんが来ると何も放り出してあの通り……。」と私達に遠慮し乍らなお麻川氏のことを「口が旨(うま)い」とか、「男にしては如才なさすぎる。」とかこの婆さんかなりあら[#「あら」に傍点]探しで感じが好く無いが、麻川氏にも多少云われる根拠がある。 赫子が麻川氏と相撲でもとり始めたらしいどたんばたん[#「どたんばたん」に傍点]の音、東京から来た二三人の麻川氏訪問者も交ってわっわ[#「わっわ」に傍点]の騒ぎだ。それをこっちの部屋でじっと聞いて居た私には、やがて、麻川氏のはしゃぎ[#「はしゃぎ」に傍点]ばかりが別ものとなって耳の底にひびいて来た。陰性を帯びたはしゃぎ方だ。上へ上へとはしゃぎ出そうとする氏の都会的な陽性を、どうしても底へ引き込む陰性なものがある。私の眼には一本の太い針金の幻覚が現われた……どたり、地面に投げ出され乍ら、金属の表面ばかりが太陽にきらきら光っている……。 某日。――麻川氏と始めて少し文学論のような話をした。私が「どうも日本の自然主義がモーパッサンやフローベルから派生したものとすれば、私には異議があります。日本の自然主義は外国の自然主義作家の一部分しか真似(まね)てない気がします。モーパッサンにしろフローベルにしろ何も肉体的な自然主義ばかりを主張してませんね。私はむしろ精神的な詩的香気の方を外国の自然主義作家から感じるのですが。」麻川氏「そうですとも、何しろ日本の作家達は西洋を真似るのに非常に性急です。それから、体力や精神力に全幅的な大きさが無い。従って一部分を概念的に真似るに過ぎないんですね。」氏は斯(こ)う云い終ると少し疲れたようにひるすぎの太陽のきらきらあたる庭芝を眺めた。向うの垣根の外に下駄の音がして長谷(はせ)あたりへ来て居る麻川氏の知人達の声が聞えた。私は氏の部屋を辞して自分の部屋で暫くやすむ――幽(しず)けさや、昼寝枕(まくら)にまつわる蚊――こんな「句」のようなものを詠んで麻川氏の寂し相な眼つきを想(おも)った。 某日。――麻川氏と私とは、体格、容貌(ようぼう)、性質の或部分等は、全く反対だが、神経の密度や趣味、好尚等随分よく似た部分もある。氏も、それを感じて居るのか、いわゆるなかよし[#「なかよし」に傍点]になり、しんみり語り合う機会が日増に多くなった。そして氏の良き一面はますます私に感じられて来るにも拘(かかわ)らず、何とも云えない不可解な氏が、追々私に現前して来る。それは良き一面の氏とは似てもつかない、そして或場合には両面全く聯絡(れんらく)を持たないもののようにさえ感じられる。幼稚とも意地悪とも、病的、盲者的、時としてはまた許しがたい無礼の徒とも云い切れない一面に逢う。 某日。――今日、麻川氏は終日椎(しい)の間の小亭で書いて居る様子だった。私達も一寸(ちょっと)海岸へ行って帰って来ると主人は昼寝、従妹(いとこ)は縫物私は読書ばかりして暮らした。夕方、先日海岸で紹介されたT氏の弟が私の部屋へ遊びに来た。プロレタリア文学雑誌「種蒔(ま)く人」の同人で二十五歳、病弱な為めW大学中途退学の青年だが病身で小柄でも声が妙にかん高で元気に話す男だ。殆(ほとん)どわめく様にマルクスだとかレーニンだとか談論風発を続け、はては刻下の文壇をプチブル的、半死蛇等と罵(ののし)り立てる。十時近い頃青年は病的なりに生々した顔付きで兄の家へ帰って行った。帰り際に青年は少しおどけた顔付きで「あ、しまった、お隣にゃあアサ、ソウ(麻川荘之介の略称)が居たんだな。」と苦笑した。寝ようとして居る処へ母屋へ遊びに行って居た従妹が帰って来た。お駒婆さんも一緒だ。「あのね、麻川さんが、晩のお食事後、こっちにお客さんの居るうちじゅうお部屋の壁の外に椅子(いす)を運んでじっとして腰のかけづめでしたよ。こちらのこと、何か立ち聞でもしてたんじゃありませんか。」と告げ口する。主人は、「そうかい。」と云ったきりだった。私は告げ口した婆さんにも麻川氏にも何だか嫌な気持ちがしたが「あのお客さんあんまり大声で話したててたからね」と云ったあと、いくらか麻川氏に気の毒な感じもした。 某日。――朝早く主人は社用で大阪に発(た)って行った。麻川氏の部屋の前を通ると、氏は例の非常に叮嚀(ていねい)なお辞儀をした。そしてH屋の表門まで私と一緒に主人を送って出てまた叮嚀な送別の辞を述べた。いつも乍ら好感の持てる氏の都会児らしい行儀の好い態度、そして朝風に黒上布(くろじょうふ)の単衣(ひとえ)の裾(すそ)が揺れる氏の長身を、怜悧(れいり)に振りかざした鞭(むち)のように私はうしろから見た。画家K氏は二三日前一たん東京へ帰り、早朝まだ一人の来客も麻川氏の部屋には無い。氏は私に寄って行けと云う。氏の部屋の浅縁に腰かける。藤棚の藤が莢(さや)になって朝風にゆらめくのを少し寝不足の眼で私がうっとりと眺めて入って居ると麻川氏は私のずっと後の薄暗い床脇(とこわき)に蹲居(そんきょ)の恰好(かっこう)で坐(すわ)り込んだ。そして暫(しばら)く黙って居た。私も黙っていた。真白い犬が私の眼の前を通った。犬は私の方を振り返り振り返り垣根の穴から出ていった。麻川氏は唸(うな)るように太い声で後から私に云った。「僕あですな。理智主義と云われる程、上昇しても居ません。また技巧派と片づけられる程堕落もして居ないつもりです……。」「あ、ゆんべの『種蒔(ま)く人』の云ったことですか。」私は直覚を言葉に出して仕舞った。「種蒔く人。がどうだって構わないんです。僕だって、マルクスやレーニンに関心を持つことは敢(あえ)て人後に落ちないつもりですからな。僕あ、趣味としてはことごとく在来の日本人だけれど精神力のたくましさに於て、マルクスや、レーニンにむしろ同じるな。」「そうでしょうとも、あなたには、何処か精悍(せいかん)な歯があるわ。」「で、あなたは『種蒔く人』に何を話しましたか。」「私は大方聴(き)いて居ただけですわ。大体まだ資本論さえ読んで居ないんですもの何とも云えません。ただね、実につまらないかもしれないことを一寸(ちょっと)云ったのよ。いくら物質の平均が行われても人間の持って生れた智能や、容貌(ようぼう)の美醜の平均までは人為的制度でどうにもならないでしょう。かりに茲(ここ)に二人の人間があり、一人は智能や美貌(びぼう)を持って生れて来て居るが他の一人より物資を持たない。その時、他の一人は、前者のように智能や美貌は持たないが、物資に恵まれて居る為めにその不平はともかくも補われて居る。その時、その物資を後者から奪って前者との均等を行ったら、後者には智能や美貌は前者より持ち合わせない不公平ばかりが歴然と残る。ね。これをどうします。こんな意味の事を私『種蒔くさん』に聞きました。でも、返事がはっきり判(わか)りませんでしたわ。」「はは……ちょっと子供じみた質問だがそりゃあ真理ですな、たしかに、僕等にしても、やたらに物質の平等よばわりは同じ難いけれど、然(しか)し、茲に一つの新らしい主義や人類の愛慾が発見され、それに向って人心や時代が推移傾倒して行くことは、それが絶対真理であろうと、無かろうと、推移そのものに立派な理由があるのですから仕方が無いですな。たとえば、硯友社(けんゆうしゃ)に反抗して起った自然主義が、いくら平面的文学であり、その後に起った耽美派(たんびは)文学がまた、単なる言葉の織物であるにしても、其処には推移そのものの真理が厳存するのだから仕方がない。」そう云って氏は、いくらか体をのり出して来た。唇がすこし慄(ふる)えて不安らしい眼つきになった。「だが、今度の、マルクス文学擡頭(たいとう)の気勢は前例のものより、かなり風勢が強いらしいですよ。」氏がだんだんいらだって来るので何とか云わなければならない気配に私は迫られた。「あのね。ダンテは天国篇より地獄篇を好く書いてますね。」私は何という突然なことを云い出したのか、自分でも呆(あき)れたが、麻川氏は意外にも素直に返事をした。「そうですな。由来、人類は極楽を理想とし乍(なが)ら実際に於てむしろ地獄に懐き親しんで居る。ダンテといえども……。」氏は斯(こ)う云い乍ら床の間の奥から今まで私の眼に見えない処へ転がしてあったメロンを取出して来て、器用に皿へ載せナイフで割った。そして歯を出して笑い乍ら、「われわれなんざ、宜(よろ)しく新時代に斯の如くぶち割らるべきです。ははは……。だが、」とまた云って氏はメロンのなかからはみ出して来た種をナイフの尖(さき)でつっ突き乍ら「だがねえ、われわれのなかにだってこんな種がうじゃうじゃしてますよ。こいつがまた、地の底へもぐって、いつの時代にか、もくもくと芽を出すでしょうから、厄介なもんでさあ。」 白い犬が、何処からか帰って来た。またのっそりと私の眼の先に立って、私や麻川氏を見上げて居る。私はもう、だまってメロンを喰(た)べて居た。 某日。――裏木戸の外へ西瓜(すいか)の皮を捨てに行くと、木戸の内側の砂利道に、無帽の麻川氏がうずくまり、向うむきで地べたをじっと見つめて居る。「何してらっしゃるのですか。」と足音をひそめて私が近寄ると、氏は極々(ごくごく)あたりまえの顔をして「炎天の地下層にですな、小人がうじゃうじゃ湧(わ)こうとしてるんじゃ無いですかな。」「え?」私はたらたら汗を流して居る氏を、不思議に見詰めた。「あはは……誰でもこんな錯覚が時々ありそうですな。」「…………。」立ち上った氏の足下には大粒の黒蟻が沢山殺されて居た。汗で長髪を額にねばり付かせ、けらけら笑って立って居る氏に私は白昼の鬼気を感じた。私は気味悪くなった。「西瓜がまだ半分ありますから、あとで召上りにいらっしゃい。」私はそう云って見たが、氏は返事もせずに井戸端をめぐって、廊下へ昇って行って仕舞った。夕方私の処へ来たP社の記者が私の部屋の一族と、麻川氏を交ぜて写真を撮った。撮られて仕舞てから氏は、近頃の自分がいかに写真面に陰惨に撮れる例が多いかということを非常に気にし出した。で、もし麻川氏が陰惨にとれて居たら雑誌なんかに出すのはやめて欲しいと私もP社にたのんだ。P社の記者がそれを納得して東京へ帰ってから従妹(いとこ)に昼の西瓜の半分を切らして私の部屋の縁で麻川氏をもてなす。「いやあ、よく御馳走(ごちそう)になりますな、お陰で露命をつないでるようなもんですな。」わははと従妹がむき出しに笑い出した。氏「おかしいですか。」私「あなたのイットが面白いといつも云ってますの、このひとは。」けれど私はさっきまであんなに写真の事なんかで神経質だった氏が、打って替っておどけなんかを云うので従妹とは違った変なおかしさをおなかのなかで感じて居た。そこへ遠くの薄暮のなかから口笛が聞えて来た。T氏の弟がH屋の門を入って来たのだ。すると麻川氏は「や、種蒔くが来た」と突然顔面を硬直させて立ち上った。 某日。――夜ふけて母家へ時計を見に行くと、麻川氏が一人、応接間の籐椅子(とういす)に倚(よ)って新聞を読んで居た。私は、先刻東京から来たばかりの叔母さんと一緒なので、麻川氏に一礼して直(す)ぐ部屋へ引返そうとすると麻川氏は無理に引とめて一つの椅子に私を坐らせた。叔母さんは小柄なので、ずっと離れて窓際のちっちゃな椅子へ掛けて窓の外を見て居る。麻川氏「種蒔くはこの頃来ませんな。」私「ええ、東北の方へ行っちまったんだそうです。」麻川氏「ははあ、だが、今日も昨日も随分あなたん所でお客が多かったんですな。」私「東京から距離が近いのに土地が珍らしいから用事がなくっても遊びに来るんでしょう、東京生活よりお客が多いくらいです。」麻川氏「お客の種類は大別してどんな人達ですか。」私「………………。」麻川氏「いやあ、僕にひと様のお客を調べる権利はありませんが……。」私「重(おも)だった客は先達(せんだっ)てのX図案家や、詩人のX氏や、哲学科のX氏あたりでしょう。」麻川氏「図案家X氏も行きづまりの恰好ですな。」私「そう、今までのメカニズムが近頃擡頭して来た新古典主義に押され勝ちのようですね。そういう欧洲の情勢が日本にも影響して来ましたのね。」麻川氏「詩人X氏は相変らず若くてカラリストだ。だが、時々馬鹿に饒舌(じょうぜつ)すぎますな……そして哲学科は……。」私「あれは私の論敵!」叔母さんが窓の方から、くるりとこっちを向いた。「煙草(たばこ)いかがです。」と麻川氏は叔母さんにケースを出したが叔母さんは喫(の)まないのでお辞儀だけした。私「あなたの処も随分お客が多いんですね。」麻川氏「□奴も△奴もうるさい奴等ですよ。」私「でも随分あなた崇拝家ですわ。」「ははん。」と麻川氏はやや得意そうに電灯の笠を見た。真上から電灯の直射をうけて痩(や)せた麻川氏の両頬(りょうほお)へ一筋ずつ河のように太い隈(くま)が現われた。麻川氏「ああいう狂拝家に逢(あ)ってはこっちから見てあぶなっかしくて困りますよ。□はさしものN市の大家産を傾け尽そうとして居るのですよ。好い奴ですが、どうも幼稚な野心家でね。文学だ、美術だ、でさらんぱらんになりそうですよ。」私「△さんの店の最中(もなか)おいしいんですね。」麻川氏「あの△氏も最中ばかりつくってりゃ好いのに、われわれどもを崇拝始めたら商売道は危うしですな。」私「×さん、×××さん達、先刻まで居られましたね。」麻川氏「×は小説家志望ですがダンスがうまいですよ。鎌倉ホテルのダンス場で×にダンス習ったらどうですか。年がいかないからまだ彼は無邪気ですよ。」叔母さんが口を出した。「いやですよ。この人は波乗りがやっとって処ですからね、そんな身軽なこと出来やしませんよ。」おばさんはだから発声運動をさせようと、三味線(しゃみせん)を持って来て、明日から私に鶴亀の復習をさせようとして居ることを話して二人は応接室から出ようとすると麻川氏は改めて私を呼び留めた。そして大真面目(おおまじめ)に「あなたんとこへまだ随分沢山の人が東京から来るんでしょうな。およそ何人位まだ来る予定ですか。」私「それは判りません。」麻川氏「それらの人達がですな、一々僕を頭に置いて帰るんじゃあ、やり切れない……。」 暗い廊下を通り乍(なが)ら叔母さんは云った。「変な人ね、あの麻川さんて人は。」私「……。」叔母さん「何だって人の処へ来るお客の数を調べ上げたり気にしたりするんだろうね。」 部屋へ帰って来て床を敷き乍らも叔母さんは独言(ひとりごと)のように云っている。「どうも変だよ、あの人はまるで、うしろ暗い事でも持っているようだ。」などと。叔母さんは五十近くでなりふり[#「なりふり」に傍点]など古風で常識的だが、なまなかの若者より敏感なのだ。やがて叔母さんは襖(ふすま)をしめて従妹(いとこ)と向うの部屋で寝て仕舞った。私は昼寝をかなりしたし、叔母さんの言葉や、麻川氏の今さっきの言葉や態度も気になって寝られ無い。仕方なしに起きて机の上に両手を組み頭をのせ叔母さんの云った麻川さんのうしろ暗い事について考え込んだ。うしろ暗い事なんか誰でも持って居るのだ、それをあんなにも人に見せまい感づかれまいとする麻川氏の焦燥は、見て居てもこっちが辛(つら)い。お客はお互いの部屋のお互いっこなのだ。も一つの部屋のブルジョア息子達の部屋のお客こそ大したものだ。朝から晩まで誰かしら外部のものが詰めかけ、ハモニカ、合唱、角力(すもう)、哄笑(こうしょう)。それらは麻川氏の神経に触らなくて「種蒔(ま)く氏」の外は殆(ほとん)ど皆おとなしく話し込んだり遊んだりして帰って行く私の客達に麻川氏は一種の恐怖観念のようなものを抱くのらしい。麻川氏の方にしても若い無邪気な×氏や温厚な洗錬された作家×××氏や画家K氏を除く外はあんまり愉快な客ばかりでは無い。或る一人の男などはたまたま廊下で私に逢(あ)い私を呼び留めて「僕あ身分をかくして居るんですが。」などと思わせぶりな前提で麻川氏を誇張的に讃美(さんび)し自分も麻川氏の客であるからには、天下の存在であるかのような口吻(こうふん)を洩(も)らして私に堪(たま)らなく気障(きざ)な思いをさせ、また相当曰(いわ)くつきらしい女客達が麻川氏を囲んで大柄に坐(すわ)りこみ、麻川氏の座敷から廊下や庭を往き来する人達を睥睨(へいげい)するのも愉快では無い。私などそんな女達や陰口の上手な麻川氏等に何を云われて居るのかと時々たまらなく神経に触る。なるたけ麻川氏の部屋に客の居るとき、私は自分の存在を隠して遠慮して居る。客の居ないときの麻川氏と談す時は、麻川氏の客のことなど殆ど忘れて仕舞って居るのに、麻川氏は、氏と何の関係も無い私の客達に、ああも神経質になるのは、叔母さんのいわゆる「何かうしろ暗さ。」を私に感じて居、それを私が客達に或いは幾分でも談すと思っているのかしら。それにしても麻川氏が私に「うしろ暗さ。」を懸念するような事は差し当り何だろう。強て想(おも)い出そうとすれば一週間ばかり前の「美人問答。」の折の氏の執拗(しつよう)さだ。氏が自分から私に押したあの時の執拗さに反発され、それが氏に創痍(きず)を残していることが想像される。
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