日本幻想文学集成10 岡本かの子 |
国書刊行会 |
1992(平成4)年1月23日 |
1992(平成4)年1月23日初版第1刷 |
1992(平成4)年1月23日初版第1刷 |
岡本かの子全集 |
冬樹社 |
1975(昭和49)年発行 |
私の住む家の門には不思議に蔦がある。今の家もさうであるし、越して来る前の芝、白金の家もさうであつた。もつともその前の芝、今里の家と、青山南町の家とには無かつたが、その前にゐた青山隠田の家には矢張り蔦があつた。都会の西、南部、赤坂と芝とを住み歴る数回のうちに三ヶ所もそれがあるとすれば、蔦の門には余程縁のある私である。 目慣れてしまへば何ともなく、門の扉の頂より表と裏に振り分けて、若人の濡れ髪を干すやうに閂の辺まで鬱蒼と覆ひ掛り垂れ下る蔓葉の盛りを見て、たゞ涼しくも茂るよと感ずるのみであるが、たま/\家族と同伴して外に出で立つとき誰かゞ支度が遅く、自分ばかり先立つて玄関の石畳に立ちあぐむときなどは、焦立つ気持ちをこの葉の茂りに刺し込んで、強ひて蔦の門の偶然に就いて考へてみることもある。 結局、表扉を開いて出入りを激しくする職業の家なら、たとへ蔦の根はあつても生え拡がるまいし、自然の做すまゝを寛容する嗜癖の家族でなければかういふ状態を許すまい。蔦の門には偶然に加ふるに多少必然の理由はあるのだらうか――この私の自問に答へは甚だ平凡だつたが、しかし、表門を蔦の成長の棚床に閉ぢ与へて、人間は傍の小さい潜門から世を忍ぶものゝやうに不自由勝ちに出入するわが家のものは、無意識にもせよ、この質素な蔦を真実愛してゐるのだつた。ひよつとすると、移転の必要あるたび、次の家の探し方に門に蔦のある家を私たちは黙契のうちに条件に入れて探してゐたのかも知れない。さう思ふと、蔦なき門の家に住んでゐたときの家の出入りを憶ひ返し、丁度女が額の真廂をむきつけに電燈の光で射向けられるやうな寂しくも気うとい感じがした。そして、従来の経験に依ると、さういふ家には永く住みつかなかつたやうである。 夏の葉盛りには鬱青の石壁にも譬へられるほど、蔦はその肥大な葉を鱗状に積み合せて門を埋めた。秋より初冬にかけては、金朱のいろの錦の蓑をかけ連ねたやうに美しくなつた。霜の下りる朝毎に黄葉朽葉を増し、風もなきに、かつ散る。冬は繊細執拗に編み交り、捲いては縒れ戻る枝や蔓枝だけが残り、原始時代の大匍足類の神経か骨が渇化して跡をとゞめてゐるやうで、節々に吸盤らしい刺立ちもあり、私の皮膚を寒気立たした。しかし見方によつては鋼の螺線で作つたルネサンス式の図案様式の扉にも思へた。 蔦を見て楽しく爽かな気持ちをするのは新緑の時分だつた。透き通る様な青い若葉が門扉の上から雨後の新滝のやうに流れ降り、その萌黄いろから出る石竹色の蔓尖の茎や芽は、われ勝ちに門扉の板の空所を匍ひ取らうとする。伸びる勢の不揃ひなところが自由で、稚く、愛らしかつた。この点では芝、白金の家の敷地の地味はもつともこの種の蔓の木によかつたらしく、柔かく肥つた若葉が無数に蔓で絡まり合ひ、一握りづつの房になつて長短を競はせて門扉にかゝつた。 「まるで私たちが昔かけた房附きの毛糸の肩掛けのやうでございますね」 自然や草木に対してわり合ひに無関心の老婢のまきまでが美事な蔦に感心した。晴れてまだ晩春の朧たさが残つてゐる初夏の或る日のことである。老婢は空の陽を手庇で防ぎながら、仰いで蔦の門扉に眼をやつてゐた。 「日によると二三寸も一度に伸びる芽尖があるのでございます。草木もかうなると可愛ゆいものでございますね」 性急な老婢は、草木の生長の速力が眼で計れるのに始めて自然に愛を見出して来たものゝやうである。正直ものでも兎角、一徹に過ぎ、ときにはいこぢにさへ感ぜられる老婢が、そのため二度も嫁入つて二度とも不縁に終り、知らぬ他人の私の家に永らく奉公しなければならない、性格の一部に何となくエゴの殻をつけてゐる老年の女が、この蔦の芽にどうやら和やかな一面を引き出されたことだけでも私には愉快だつた。また五十も過ぎて身寄りとは悉く仲違ひをしてしまひ、子供一人ない薄倖な身の上を彼女自身潜在意識的に感じて来て、女の末年の愛を何ものかに向つて寄せずにはゐられなくなつた性情の自然の経過が、いくらかこんなことでゝもこゝに現はれたのではないかと、憐れにも感じ、つく/″\老婢の身体を眺めやつた。 老婢の身体つきは、だいぶ老齢の女になつて、横顔の顎の辺に二三本、褐色の竪筋が目立つて来た。 「蔦の芽でも可愛がつておやりよ。おまへの気持ちの和みにもなるよ」 老婢は「へえ」と空返事をしてゐた。もうこの蔦に就いて他のことを考へてゐるらしかつた。
その日から四五日経た午後、門の外で老婢が、がみ/\叫んでゐる声がした。その声は私の机のある窓近くでもあるので、書きものゝ気を散らせるので、止めて貰はうと私は靴を爪先につきかけて、玄関先へ出てみた。門の裏側の若蔦の群は扉を横匍ひに匍ひ進み、崎と崎にせかれて、その間に干潮を急ぐ海流の形のやうでもあり、大きくうねりを見せて動いてゐる潮のやうでもある。空間にあへなき支点を求めて覚束なくも微風に揺られてゐる掻きつき剰つた新蔓は、潮の飛沫のやうだ。机から急に立上つた身体の動揺から私は軽微の眩暈がしたのと、久し振りにあたる明るい陽の光の刺戟に、苦しいより却て揺蕩とした恍惚に陥つたらしい。そのまゝ佇んで、しめやかな松の初花の樹脂臭い匂ひを吸ひ入れながら、門外のいさかひを聞くとも聞かぬともなく聞く。 「えゝ/\、ほんとに、あたしぢやないのだわ。よその子よ。そしてそのよその子、あたし知つてるよ」 早熟た口調で言つてゐるのはこの先の町の葉茶屋の少女ひろ子である。遊び友達らしい子供の四五人の声で、くす/\笑ふのが少し遠く聞える。 「嘘だろ! 両手を出してお見せ」と言つたのは老いたまきの声である。もうだいぶ返答返しされて多少自信を失つたまきはしどろもどろの調子である。 「はい」少女はわざと、いふことを素直に聴く良い子らしい声音を装つて返事しながら立派に大きく両手を突出した様子が蔦の門を越した向うに感じられた。忽ち当惑したまきの表情が私に想像される。老婢は「ふうむ」とうなつた。 また、くす/\笑ふ子供たちの声が聞える。 私も何だか微笑が出た。ちよつと間を置いて、まきは勢づき 「ぢや、この蔦の芽をちよぎつたのは誰だ。え、そいつてごらん。え、誰だよ、そら言へまい」 「あら、言へてよ。けど言はないわ。言へばをばさんに叱られるの判つてゐるでせう。叱られること判つてゐながら言ふなんて、いくら子供だつて不人情だわ」 「不人情、は は は は は」と女の子供たちは、ひろ子の使つた大人らしい言葉が面白かつたか、男のやうな声をたてゝ一せいに笑つた。 まきはいきり立つて「この子たち口減らずといつたら――」まきの憤慨してゐる様子が私にも想像されたが、すべてのものから孤独へはふり捨てられたこの老女は、やはり不人情の一言には可なり刺激を受けたらしい。「早く向うへ行つて。おまへなど女弁士にでもおなり」と叱り散らした。 もう、そのとき、ひろ子はじめ連れの子供たちは逃げかかつてゐて、老婢より相当離れてゐた。老婢はまた懐柔して防ぐに之くはないと気を更へたらしく、強ひて優しい声を投げた。 「ねえ、みんな、おまへさんたちいゝ子だから、この蔦の芽を摘むんぢやないよ。ほんとに頼むよ」 流石の子供たちも「あゝ」とか「うん」とか生返事しながら馳せ去る足音がした。やつと私は潜戸を開けて表へ出てみた。 「ばあや、どうしたの」 「まあ、奥さま、ご覧遊ばせ。憎らしいつたらございません。ひろ子が餓鬼大将で蔦の芽をこんなにしてしまつたのでございます。わたくし、親の家へ怒鳴り込んでやらうと思つてゐるんでございます」 指したのを見ると、門の蔦は、子供の手の届く高さの横一文字の線にむしり取られて、髪のおかつぱさんの短い前髪のやうに揃つてゐた。流行を追うて刈り過ぎた理髪のやうに軽佻で滑稽にも見えた。私はむつとして「なんといふ、非道いこと。いくら子供だつて」と言つたが、子供の手の届く範囲を示して子供の背丈けだけに摘み揃つてゐる蔦の芽の摘み取られ方には、悪戯は悪戯でもやつぱり子供らしい自然さが現れてゐて、思ひ返さずにはゐられなかつた。 「これより上へ短くは摘み取るまいよ。そしてそのうちには子供だから摘むのにもぢき飽きるだらうよ」 「でも」 「まあ、いゝから……」
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