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河明かり(かわあかり)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-26 7:39:22 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


「何でも下へ下へとい潜って、子供の心を握って自分に引き付けようとするこの母親の術には、実に参りました。子供の心は、そういうものには堪えられるものではありません。僕は元来そう頭は悪くない積りですが、この時分は痴呆症ちほうしょうのようになって、学校も仮及第ばかりしていました」
 木下が九つの時に堺屋の妻は、女の子を生んだ。それが今の娘である。しかし、堺屋の妻は、折角楽しんでいた子供が女であることやら、木下の生みの母との争奪戦最中の関係からか、娘の出生をあまりよろこびもせず、やはり愛は男の子の木下に牽れていた。木下の母親は、「自分に実子が出来た癖に、まだ、人の子を付けうかがっている。強慾な女」とののしった。
 ところが、晩産のため、堺屋の妻は兎角とかく病気勝ちで、娘出生の後一年にもならないうちに死んで仕舞った。
 その最後の病床で、堺屋の妻は、木下の小さい体をしっかり抱き締めて、「この子供はどうしてもあたしの子」とぜいぜいいって叫んだ。すると生みの母親は冷淡に、「いけませんよ」といって、その手から木下をぎ去った。堺屋の主人は始め不快に思ったが、生みの母のすることだから誰も苦情はいえなかった。
 すると堺屋の妻は、木下の母親には、今まで決して見せなかった涙を、死の真近になった顔にぽろぽろとこぼして、「なるほど考えてみると、今までは私が悪かった。謝るから、どうかこのことだけは一つ自分の遺言だと思って、聴容ききいれて貰いい」と云って、次のことを申出た。つまり自分の生んだ女の子が育って、年頃になったなら、必ず木下とめあわして欲しいというのであった。木下の母親もそれまでは断る元気もなく、しぶしぶ承知の旨をうなずいて見せた。すると堺屋の妻はまだ本当には安心し切らないような様子で半眼を開いて、じっと母と僕と娘の顔を見較みくらべながらやがて死んだ。木下の母親は堺屋の妻の死後までその時の様子を憎んでいた。
 娘は乳母を雇って育てられた。木下の母親は自然主婦のような位置に立って、家事を引受けていたが、不思議な事には喧嘩けんか相手の無くなったことに何となく力抜けのした具合いで床につき勝ちになり、それから四年目の木下が十三歳、娘が五つの年に腹膜炎で死んだ。
 そのとき木下の母親の遺言はこうであった。
「ここの家のお内儀さんとの約束だから、息子にお嬢さんを貰うことは承知するが、息子をこの家の養子にやることはどうしても否や。なにしろこの息子は木下家の一粒種なのだから……」
 母親はふだんから、世が世ならば、こんな素町人の家の娘をうちの息子になぞ権柄けんぺいずくで貰わせられることなぞありはしない。資産から云ったって、木下家の郷里の持ものは、人にられさえしなければ、こんな家とは格段の相違があるのだといっていた。
 娘は乳母に養われ父親だけで何も知らずに育ち、木下は店から通って、中学から高等学校に上って行った。
「嫌なものですよ。幼な心にみ込んだ女同志の争いというものは、中に入っているのが子供で何も判るまいと思うだけに、女たちはあらゆる女の醜さをさらけ出して争います。それはずーっといつまでも人間の心に染みついて残ります。僕は堺屋のおふくろが臨終に最後の力を出して、僕を母親から奪おうとしたときの、死にもの狂いの力と、肉身を強味に冷やかに僕を死ぬ女の手から靠ぎ取った母親の様子を、今でもありありと思いうかべることが出来ます」
 それは嫌やだと同時に、またどうしても憎み切れないものがある。家というものをまもらせられるように出来ている女の本能、老後の頼りをおもう女の本能、そういうものが後先の力となって、自分で生むと生まないとに係らず、女が男の子というものに対する魅着は、第一義的の力であるのであろう。
「そういっちゃ何ですが、僕は子供のときはおっとりして器量もなかなかよく、つまり、一般の母性に恋いつかれるように出来た子供だったらしいのです」木下は苦笑しながら云った。
 娘は片親でも鷹揚おうように美しく育って行った。いつの間に聞き込んだか、木下と許婚いいなずけの間柄だと知って、木下を疑わず頼りに思い込んでいる。ところが女の為めに女を見る目をひがませられて仕舞った若い頃の木下には、娘がやさしくなつかしそうにする場合には、例の母親がしたびて歓心を得るずるい手段ではないかと、すぐそれに対する感情の出口にふたをする気持ちになり、娘が無邪気に開けて向って来るときは、堺屋のおふくろがした女の気儘きまま独断を振りかざして来るのではないかと思って、また、感情にふたをする。
「今考えてみれば、僕はひがみながらも僕の心の底では娘が可哀想かわいそうで、いじらしくてならなかったのです」
「僕はこの二重の矛盾に堪え切れないで、娘に辛く当ったり、娘をはぐらかして見たり、軽蔑けいべつしてみたり、あらゆるいじけた情熱の吐き方をしたものです。そうしたあとでは、無垢むくな、か弱いものを惨忍に踏みにじった悔いが、ひしひしと身を攻めて来て、もしやこのことのために娘の性情が壊れて仕舞ったら、どうしたらいいだろう……」
 彼が学問で身を立てるつもりで堺屋の主人に頼んで、段々と上の学校へ上げて貰おうとしたのは、学問の純粋性が彼にみ込んで、それによって世の中を見るようになれば、女の持つ技巧や歪曲わいきょくの世界から脱れようかとも思った。ところが、彼が青年になり、青春の血が動くようになるほど、娘のことを考え、この自分の矛盾に襲われ、結局しどろもどろになって、落付いて学問なぞしていられず、娘を愛しながら、娘の傍にはいたたまれなくなって来た。そうかといって、他の女はもっと女臭いものが、より多くあるような気がして女がふつふつ嫌であった。
 とうとう彼は二十一の歳に高等学校をやめて、船に乗り込んで仕舞った。
 娘は何も知らずに、木下がやさしい性情が好きなのだと思い取っては、そのようになろうと試み、木下がさっぱりした性格を好むと思い取っては、男のようになって働きもした。木下は迷ってすることだが、娘はただ懸命につき従おうと心を砕いた。
「結局あの娘の持ち前の性格をくたくたに突き崩して、においのないただ美しい造花のようにしてしまったのは、僕の無言の折檻せっかんにあるのでしょう。それとも女というものは、きずなのある男なら誰に対してもついにそうなる運命の生物なのでしょうか」
 青年の木下は、それをあわれみながら、いよいよ愛する娘を持てあました。
「けれども、海は、殊に、南洋の海は……」と木下は言葉を継いだ。「海は、南洋の海は……」現実を夢にし、夢を現実にしてれる、神変不思議の力を持っている。むかし印度インドの哲学詩人たちが、ここには竜宮というものがあって、陸上で生命が屈托くったくするときに、しばらく生命はここにかくれて時期を待つのだといった思想などは、南の海洋に朝夕を送ってみたものでなければ、よく判らないのである。ここへ来ると、生命の外殻の観念的なものが取れて、浪漫性の美と匂いをつけ、人間の嗜味に好もしい姿となって、再び立ち上って来るとかいうのである。
「あなたは東洋の哲学をおやりだという話を、あれの手紙で知りましたが、それなら既にお気付きでしょう。およそ大乗と名付けられる、つまり人間性を積極的に是認した仏教経典等には、かなりその竜宮に匿れていたのを取出して来たという伝説が附ものになっていましょう。その竜宮を、或は錫蘭セイロン島だといい、いや、架空の表現なのだとか、いろいろ議論がありますものの、大体北方の哲学の胚種はいしゅが、後世文化の発達した、これ等南の海洋の気を受けた土地に出て来て、伸々と芽を吹き、再生産されたことは推測されましょう」
木下はなお南洋の海にいて語り続ける。
 遠い水は瑠璃色るりいろにのして、表面はにこ毛が密生しているように白っぽくさえ見える。近くに寄せる浪のうねりは※(「王+干」、第3水準1-87-83)ろうかんの練りもののように、悠揚と伸び上って来ては、そこで青葉の丘のようなポーズをしばらく取り、容易には崩れない。浪間と浪の陰に当るところは、金沙きんさを混ぜた緑礬液りょくばんえきのように、毒と思えるほど濃く凝って、しかもきらきら陽光をき込んでいる。片帆の力を借りながら、テンポの正規的な汽鑵きかんの音を響かせて、木下の乗る三千トンの船はこの何とも知れない広大な一鉢の水の上を、無窮に浮き進んで行く。へさきの斜の行手に浪から立ちのぼって、ホースの雨のように、飛魚の群が虹のような色彩にひらめいて、繰り返し繰り返し海へ注ぎ落ちる。垣のように水平線をぐるりと取巻いて、立ち騰ってはいつかついえる雲の峯の、左手に出た形と同じものが、右手に現れたと思うと、元のものはすでに形を変えている。
 積荷の塩魚のにおいの間から、ふとすると、寒天や小豆粉のかすかなにおいがする。陸地に近づくと大きな蝶が二つ海の上を渡って来る。
「この絢爛けんらんな退屈を何十度となく繰り返しているうち、僕はいつの間にか、娘のことを考えれば、何となく微笑がうかべられるように悠揚とした気になって来ました。」娘のすることなすことを想像すると、いたいけな気がして、ただ、ほろりとする感じに浸れるだけに彼はなって来た。で、今まで嫌やだと感じる理由になっていた、女嫌いの原因になるものは、どうなったかというと、彼の胸の片隅の方に押し片付けられて、たいして邪魔にもならなくなって来た。いつの間にか人をこうした心状に導くのが南の海の徳性だろうか。
 男はここまで語って眉頭まゆがしらき上げ、ちょっと剽軽ひょうきんな表情を泛べて、私の顔を見た。
「そこへあなたのご周旋だったので、ありがたくお骨折りを受けれた次第です」
 ここで私は更に男にたずねて見なければ承知出来なかった。
「そういうことなら、なぜ娘さんにその気持ちの径路を早く行って聞かさないで、こんな処で私一人に今更打ち明けるのですか」
「ははあ。」といって男は瞑目めいもくしていたが、やがてもっともという様子でいった。
「今までの話、僕はあなたにお目にかかってどうしても聞いて頂きくなったのですが、これをあの娘に直接話したら……」だんだん判って来たのだが元来あの娘には、そういった女臭いところが比較的少ない。都会の始終刺戟しげきらされている下町の女の中には、時々ああいう女の性格がある。だがしそんな話をして、いくらかでも、かえって母親達のような女臭さをあの娘に植えつけは仕ないだろうか、今はあんな娘であるにしても根が女のことだから、今は聞き流していても、それを潜在意識に貯えて、いつ同じ女の根性になって来ないものでも無い……そんなおそれからこれは娘には一切聞かせずに、いっそのことお世話ついでにあなたにだけ聞いて頂こうと思った。世の中の男のなかにはこういう悩みを持つものもあるものだと、了解して頂き度い……と男の口調や態度には律義ななかに頼母たのもしい才気が閃くのだった。
 陽はほとん椰子やし林に没して、酔いれた昼の灼熱しゃくねつからめ際の冷水のような澄みかかるものをたたえた南洋特有の明媚めいび黄昏たそがれの気配いが、あたりをめて来た。 
 さき程から左手の方に当ってカトン岬見物の客を相手に、椰子の木に上っては、椰子の実を採って来て、若干の銭を貰っていた土人の子供のましらのような影も、西洋人のラッパのような笑声も無くなった。さざ波が星を呼び出すように、海一面に角立っている。
 私はこの真摯しんしな青年の私に対する信頼に対して、もはや充分了解が出来ても、何か一言なじらないではいられない、やや皮肉らしい気持ちで云った。
「あの娘さんも随分私にご自分の荷をかずけなさいましたが、あなたも最後の捨荷を私にかずけなさいますのね」
 そう云いながら、私は少し声を立てて笑った。それは必ずしも不平でないことを示した。
 男はちょっとどぎまぎして、私の顔を見たが、必ずしも私が不平ではない様子を見て取って、自分も笑いながら、
「やあ、御迷惑をかけたもんですなあ……でも、そういう役目も文学をやる方の天職じゃないのですか。何でもそういう人間の悩みを原料として、いつかそれを見事に再生産なさることが……」
「さあ、どうですか。……それもかなりあなたの虫の好い解釈じゃありませんか……」私はまだこんな皮肉めいたことを云いながらも、もはや完全にこの若者に好感を感じて言葉の末を笑い声にくつろがした。
「やあ、どうも済みませんですなあ……は、は、はは」男も充分に私の心意を感じていた。
「この広々とした海を見ていると、人間同志そのくらいな精神の負担の融通はつきそうに思えますわ」私は最後に誰に云うともなく自分ながらおかしい程頼母しげな言葉を吐いた。
 さっきからこまかい虫の集りのようにうごめいていた、新嘉坡シンガポールの町の灯がだんだん生き生きときらめき出した。日本料理店清涼亭の灯も明るみ出した。
 話し疲れた二人はしばらく黙っていた。
 波打際をゆっくりと歩いて来る娘と社長の姿が見えた。蛍の火が一すじ椰子の並木の中から流れてきた。娘は手に持っていた団扇うちわをさし上げた。蛍の光はそれにちょっとまとわったが、低く外れて海の上を渡り、また高く上って、星影に紛れ込んで見えなくなった。


 私はいま再び東京日本橋箱崎川の水に沿った堺屋のもとの私の部屋にいる。日本の冬も去って、三月は春ながらまだ底冷えが残っている。河には船が相変らず頻繁に通り、向河岸の稲荷いなりの社には、玩具がんぐ鉄兜てつかぶとかぶった可愛かわゆい子供たちが戦ごっこをしている。
 その後の経過を述べるとこうである。
 私は遮二無二新嘉坡シンガポールから一人で内地へ帰って来た。旅先きでの簡単な結婚式にもせよ、それを済ましたあとの娘を、ぐに木下にたくするのが本筋であると思ったからである。陸に住もうが、海に行こうが、しばらくも離れずにいることが、この際二人に最も必要である。場合によってはと考えて、初から娘の旅券には暹羅シャム、安南、ボルネオ、スマトラ、爪哇ジャバへの旅行許可証をも得させてあったのが、幸だった。
 私はうすら冷たくほのぼのとした河明りが、障子にうつるこの室に座りながら、私の最初のプランである、私の物語の娘に附与すべき性格を捕捉ほそくする努力を決して捨ててはいない。芸術は運命である。一度モチーフにからまれたが最後、捨てようにも捨てられないのである。その方向からすれば、この家の娘への関心は、私に取って一時の岐路であった。私の初め計劃けいかくした物語の娘の創造こそ私の行くべき本道である。
 だが、こう思いつつ私が河に対するとき、水に対する私の感じが、ほとん[#「ほとんど」は底本では「ほとんんど」]前と違っているのである。河には無限の乳房のような水源があり、末にはまた無限に包容する大海がある。この首尾を持ちつつ、その中間に於ての河なのである。そこには無限性を蔵さなくてはならないはずである。
 こういうことは、誰でも知り過ぎていて、平凡に帰したことだが、この家の娘が身をけるようにして、河上を探りつつ試みたあの土俗地理学者との恋愛の話の味い、またその娘がついに流れ定って行った海の果の豊饒ほうじょうを親しく見聞して来た私には、河は過程のようなものでありながら、しかも首尾に対して根幹の密接な関係があることが感じられる。すればこのほのかな河明りにも、私がかつて憧憬していたあわれにかそけきものの外に、何か確乎かっことした質量がある筈である――何かそういうものが、はっきり私に感じられて来ると、結局、私は私の物語の娘の性格の更生に、始めから私の物語を書き直す決意にまで、私の勇気を立至らしめたのである。





底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
   1986(昭和61)年12月1日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第四巻」冬樹社
   1974(昭和49)年3月18日初版第1刷発行
※疑問箇所の確認にあたっては、底本の親本を参照しました。
※「木下はなお南洋の海にいて語り続ける。」は、底本でも、底本の親本でも改行天付きになっています。
入力:阿部良子
校正:松永正敏
2004年1月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「やまいだれ+発」    742-下-21
    「てへん+(「縻」の「糸」に代えて「手」)」    743-上-20

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