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放送された遺言(ほうそうされたゆいごん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-26 6:31:24 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 十八時の音楽浴
出版社: 早川文庫、早川書房
初版発行日: 1976(昭和51)年1月15日
入力に使用: 1990(平成2)年4月30日第2刷

 

「われらの棲んでいる球形の世界が破壊するのはいつのことなのであろうか? 天文学者の説くところによれば、これはわれらの世界が他の遊星と衝突し、われもかれもが煙のごとくに飛散して消滅するときがこの球形体の最後であろうが、それはおそらく今から数百億年後のことであろうという。しかしそれは真赤な嘘だ。われらの棲める世界が破壊されるべきときはまさにただいまから十分間後に迫っているのだ! 驚いてはいけない……」
 ここまで聴くと天野祐吉は思わず身体を受信機のほうへのめらせて両手で両耳受話器ヘッドフォンを押えた。嘘にも冗談にもせよ、それはあまりに奇怪なことである。
 奇怪といえば天野祐吉がこうして地球以外の他の遊星に棲息している生物の喋っている言葉を聞いていることからしてはなはだ奇怪であって、発明者たる祐吉自身にさえ今でもちょいちょいは彼の苦心の末になった超短波長廻折式変調受信機の驚くべき能力が、あるいは夢の中での話ではなかったかという懐疑におちいることもあったのである。
 しかし発明の端緒というものはこの超短波長廻折式変調受信機に限らず、大抵ごく些細な偶然の機会チャンスから見つかるものなので、発明ができあがってしまえば後になってはいかなる大発明といえどもいっこう驚倒するほどの価値はなく、むしろなにゆえにかくも長い間こんな平凡なことが人間にわかっていなかったかという疑問が誰にも湧いてくるものである。
 天野祐吉の発明の場合はいっそう偶然の機会チャンスからなのであって、彼が早昼の食事をするために銀座の丸花屋という大阪寿司屋に飛びこんで鳥貝の押し寿司をほほばりながら、ちょいと店のガラス棚にならんだ蒲鉾の一列を見たときにあたかも稲妻が鏡に当って反射するように、この発明のアイデアが浮かびあがったのだ。それと同時に彼ははねとばされるように椅子から突ったちガラス棚の蒲鉾のほうへいきなり両手をさしのべ、
「そいつだ。そいつだ」
 と口走って給仕女を驚かしたのであった。
 次の瞬間に彼は大決心をして表を走る自動車を呼び止めて、「新宿へ飛ばせ」と命じたのである。自動車はうなるように疾走する。幌を手早く下ろすと彼は気狂いのように車内を見まわしながら十分間に構想をまとめあげその可能性ポシビリテーを信じ得たのであった。
 結局彼は「十六メートルの超短波電波は地球の外を包むヘビサイド氏電導層をもっともよく透過ぺネトレイトする」ということと、「振動波の波形は生物の感情を表わす」という二つの原理を樹てて廻折式変調受信機を組立てあげたのであった。最初は思ったとおりいかなかったのでいろいろと部分部分を幾度も作りかえてついに最初の機械の百五十倍に達する感度を備えた装置を作り上げ、これで数万光年に相当する遠距離にある遊星からの無線電話もたやすくとらえたうえで、これをエスペラント語に変調して聴かれるように考案したのであった。
 祐吉の最新の受信機が例の屋根裏の部屋に装置せられたとき、彼を襲ってくる緊張は、この地球に住んでいる誰よりも先に、地球以外の棲息せる生物の言葉を聞くということであった。そこにはどんなに珍らしい世界がひらけ、またどんなに不思議な思想が表現されていることだろうか。彼は暗中に宝庫の内をさぐってみるような一種奇妙な興奮にとらわれた。それはもう確実に現実なる存在の前に一枚の薄い紙の幕をへだてて相対しているような気持であった。それほど祐吉は彼の受信機の能力については強い自信を持っていた。このうえは一歩進んで確実なる存在の奇怪さにふれることばかりが取り残されてあるのだと彼は思った。奇怪な実在をつかんで発狂することのないように、彼はあらかじめあらゆる想像をたくましうして今ふれんとする世界からの刺戟にそなえたのであった。
 ところがせっかくの覚悟も何の役にもたたないほど事実彼はひどく興奮したというのは、幸か不幸か、彼の聴いた地球以外からはじめて到達した言葉の内容は、冒頭にのべたようにあまりにとっぴすぎる事柄であったからである。この奇怪な警告の発信者の棲んでいる一遊星は、いまやその寿命が十分間にきりつめられているのだという。十分間たてば、その遊星はこなごなに破壊されてしまおうというのだ。彼は驚いた。しかし次の瞬間には馬鹿馬鹿しくなってあやうく吹き出そうとしたが、思いなおして笑いをのみこむとともに、不思議な遊星からの言葉に耳を傾けたのだった。
 その声は語りつづける。
「……いまから十分間後に私のすんでいる球形の世界が消滅してしまうなどというといかにも私がすこし気がふれてでもいるように思われることだろうが、私はしごくまじめでこの遺言状を放送しているのである。――遺言状の放送! 私自身すらそれがいかにもとっぴなことのように感じられるが、今のような私の境遇では遺言状を電波に変成して宏大なる空間のあらゆる方向へ発射することがもっとも有効な遺言の方法だと思う。遺言状を紙に書き岩に刻んだとて、その紙や岩をのせた球形の世界自身がいまから十分後には、粉々になってとんでしまうのだということに気がついたならば、いかにそれが無駄なことであるかに思いあたろう。とにかくこのうえは、われらが棲める球形世界以外に遺言の保存かあるいは伝達を計画しなければならない。われらの知力ではとくに短い波長の電磁波のみがこの世界の地上から放射されてこの世界以外の数しれぬ多くの遊星のほうへ向け大宇宙のなかを伝播してゆくことを知っているばかりである。
 しかし私の遺言がほかの遊星の生物によく聴きとってもらえるものだかどうだかについてはまだまだ多くの疑問が横たわっているのを感ずるのである。たとえば私に許されたかぎりある通信電力がはたして私の遺言をのせた電波をしてこの大宇宙を隈なく横断するだけの力があるであろうか。私は途中で通達力が損傷せられる程度のもっとも小さいはずの十六メートル短波長電波を選んだが、四千億光年の大宇宙を渡りえられるものとは考えられない。それからまたたとえ途中の遊星に私の遺言を載せた電波がぶつかったとしてもはたしてその遊星に生きている者が、私たちの思想を理解してくれるであろうか。これらのことをほんとうに考えつめてゆくともう不安でいっぱいになり、遺言放送を決行する勇気がすっかり挫けてしまうのをおぼえるのである。
 それにもかかわらずこの頼りすくない実験、それはまったく[#「まったく」は底本では「まっく」]無限の底ぬけ井戸のなかに矢を放つような無駄な努力かもしれない通信をかくのごとくただいま私がやっているわけは、なにしろ私の寿命がはや十分間のあと(いやそれはもう十分間どころか、ただいまでは九分しか残っていないのだ、ああ)九分ののちに終ろうとしているし、そのうえとても耐えきれないことは私のすんでいる球形の世界が跡も残らぬように崩壊してしまって、今日こんにちまで八十億年かかって作り上げたあらゆる文化、絢爛をきわめたその歴史が塵一本も残されずに永久に失われてしまおうとすることだ。これがどうして黙っていられようか。それを考えると私ははげしい眩暈を感ずる。いつもは物理学壇上にいささか誇りを持っていた頭脳も打ちしびれてしまいそうになる。いやもう九分の命だ。私はすでに気が変になっているのじゃないかとさえ思う。私は死を賭してこの呪われた遺言を放送しなければならぬ。それにだ! それに私をかくのごとく死の努力を続けさせる大きなわけがあるのである。それは私の棲んでいる球形の世界の数億人にのぼる人類のうち、この九分間後に迫れる世界の最後を信じているのはたった私自身一個であることだ。多くの人々――私一人をのぞいたあらゆる人たちは目捷裡もくしょうりに迫れる彼らの運命の呪いを知らない。しかも彼らがおのずからの無知によってこれを感じることができないのなら私は彼らに穏やかな同情をそそぐことができるであろう。ところが私にはそんなスマートな同情を持つことすらもはやできないのだ。
 一言にしてこれを蔽えば、彼らの無自覚は、不愉快きわまる強制と悲しむべき理性の失明に起因しているのである。もっとこれをあからさまに言うならば、先に述べたような私の世界崩壊説に反対意見を持っている学者たちの無反省な卑怯な行動により、元来が無自覚な享楽児たる民衆が自己催眠術もが手伝ってすっかり欺瞞されおわったのである。そして彼らは大酒に酔いつぶれたように自制を失ってしまい、反対派の学者のふりかざす邪剣のもとに集まり、大河が氾濫して小さな藁屋に襲いかかるがごとく押し寄せてきて、私の名誉を傷つけ、幸福をうばい、あまつさえ彼らの利害には何の関係もないはずの私の片腕を折り、左眼をつぶしてしまったのである。あらゆる新聞紙は「人類の賊」とか、「平和の攪乱者」とか書きたてた。なかには「即刻、彼を絞首台に送れ!」という初号活字の号外さえ発行したところもある。治安警察は私に精神病病院の収容自動車を送り、私刑を行なわんとてひしめく群衆を制するために、その沿道に二個師団の兵士と三千人の警官とを集中したのであった。私が古なじみの雑仕婦の欲心と弱き女性の同情をねらうことを知らなかったなら、穴倉ながら今のようにこうして自由に振舞えるような境遇にはならなかったことだろう。何が彼らをいらだたせたか。もちろんそれは反対派の学者たちの処方箋どおりの筋書が効を奏したのにすぎない。それにしても彼らのいっせいに亡ぶべき時がもう十数日に迫っているぞという私の警告文が、新聞紙上にともかくも掲載せられたのを読んだとき、彼らはむしょうに腹だたしくもなったのだろう。
 しかし私は充分これを学理上からも説いたつもりだ。通俗記事にもして十三種の出版物にもした。大学の講堂で立会い演説にもでたのである。だがそこには嘲笑と雑言の声のみ多くしてしんみりと理解をしてくれる者がなかった。ことに遺憾なのは先輩にあたる斯界の大家連中の浅薄な臆断である。その日のことは忘れもしない。かねての自分からの申込みによって首都の××大学の物理学講堂で第一回の『世界崩壊接近論』の講演を行なうこととなった。講演に先立ってかなり猛烈な中止勧告を受けたが、私は期するところがあるために断然とこれをしりぞけて出演した。その日の講演の主点は次のようであった。

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