その日の午後四時になって警視庁へ大学からの報告が届くと、捜索方針が一変した。朝から拘引されていた給仕長の圭さんと、コックの吉公とが、夕方になって一先ず帰店を許され、これと入れかわりに電気商岩田京四郎が、検挙られてしまった。調べ室は金モールの眩しい主脳警官と、人相のよくない刑事連中の間に、京ぼんを挿んで場面はいとも緊張している。 岩田京四郎はなかなか白状しない。しかしそれはもう時間の問題であると係官の方ではたかをくくっていた。というわけは、大学の報告で初めて判った新事実によると、第二の犠牲者ふみ子の死体剖検の結果、兇器を刺しとおしたため出来た傷口の外に、それと丁度相重って、兇器によるとは思われない皮膚と筋肉との損壊状態を発見したことにある。その部は、鋭い爪でひきさいたような形になって居て、尚そのうえ、皮膚と筋肉の一部に連続的な黄色い燃焼の跡のようなものがある。これはおかしいと更に解剖をすすめたところ、遂にふみ子の死因が、短刀による心臓部刺傷であると判断せられていたのは大間違いで、実は高圧電気による感電死であり、その高圧電気は、ふみ子の乳下と、万創膏の貼りつけてあった首の後部とに電極を置かれて放電せられたもので、相当強い電流が心臓を刺し其の場に即死をとげたことが判明した。この驚くべき事実が報告されてみると、警視庁では、第一の犠牲者の春江惨殺事件に於ても同様の手段がとられたものと確信をもつようになった。それは、春江の場合には頸部に、小さい万創膏が貼りつけられてあったのを覚えている係官が居たことから判って来たのである。ここに電気商岩田京四郎は非常な不利な立場となりカフェ・ネオンの頻繁な電気工事の詳細について手厳しい訊問が始まった。無論、女給殺しの電気は、何万ボルトという高圧電気を使っている三階のネオンサイン電気看板から、被害者の身体へ導かれたものであり、そうした思い付きや、高圧電気の取扱いは、岩田京四郎を除いて外の誰もが出来そうにないことから当然、二回に亙る電気殺人の犯人として彼が睨まれたのも致方ないことであった。 電気商の京ぼんが翌日の取調べ続行のため冷い留置場の古ぼけた腰掛の上に、睡りもやらぬ一夜を送った其の翌朝のことだった。事件急迫のために、宿直室で雑魚寝をしていた係官一同は「カフェ・ネオンに第三の犠牲者現わる」という急報に叩き起されて、夜来の睡眠不足も一時にどこへやら消しとんでしまった。第三の犠牲者は、眉毛の細いお千代だった。捜査係長は、喪心の態で、宿直室の床の上へ起き直ったまま、なかなか室から出て来そうな気色もみせなかった。 第三の犠牲者のお千代の殺害惨状はあまりにも悲惨だった。女給一同は、第二の惨劇以来というものは、カフェ・ネオンに宿泊するのをいやがって、みな別荘の方へ行って寝ることにしていた。ただ気づよいコックの吉公だけは、このカフェを無人にも出来まいというので、依然として階下のコック室に泊っていた。しかし室の内部からしんばりをかったりして真昼女給たちから小心を嗤われたものだ。その夜、お千代は当番で、最後まで店にのこっていたものらしい。勿論彼女は別荘へ帰ってゆくに違いなかったのだが、とうとう其の夜は別荘に姿を見せなかった。事件以来、他へ泊りに行くこともちょいちょいあるので大して問題にされなかったが、朝になって女給たちが、昨夜の疲れを拭われて起き出でた頃には、お千代が昨夜かえって来なかったことについて不吉な問題が一同の間に燃え拡がって行った。 「あら、すうちゃんが見えないじゃないの」 と叫んだ娘がいる。 「昨夜ここへ泊ったわよ、ほら、その蒲団があの人のじゃないの。お小用にでもいったんじゃないかしら、だけどこうなると、一々気味がわるいわねえ」 鈴江の行方については兎も角も、一方お千代の惨死体が、又もやカフェ・ネオンの三階に発見されて大騒ぎが始まった。またしても言うが、お千代の最後は惨鼻の極だった。彼女はどうしたものか、夜中に開かれた表向きの窓から、半身を逆に外へのり出し、丁度窓と電気看板との間に挿って死んでいた。だから暁け方になってようやく通行人が、電気看板の上端からのぞいている蒼白い脛や、女の着衣の一部や、看板の下から生首を転しでもしたかのように、さかさまになってクワッと眼を開いている女の首と、その首の半分にふりみだれた黒髪とを発見して大騒動になった。お千代は晴着をつけたまま殺されていた。矢張り心臓には短刀がプスリと突きたてられ、警視庁で眼をつけていた万創膏も肩のあたりに発見せられた。すべて同一手法の殺人である。そして電気殺人たることは判っているのにもかかわらず、それを瞞著しようとてか短刀を乳房の下に刺しとおしてあるではないか。係官は犯人の嘲弄に悲憤の泪をのんだ。そして即時、このビルディングの徹底的家宅捜索の命令が発せられた。 その取調べの最中に、フラフラとやって来た岡安巳太郎が苦もなく刑事の手にとり押えられたのは、気の毒にも滑稽であった。 「ゆうべ、誰かがカフェ・ネオンで殺されたでしょう、刑事さん、僕は知っとる。だから、こんな化物のような電気看板は壊してしまえと僕は忠告しといたのです。それにひとの言う事を信用しないものだから、又誰かが殺されちまったじゃないか。今度は誰です。え、お千代、千代ちゃんか。すうちゃんはまだ生きていますかネ。可哀いそうな千代ちゃん。あの子の死んだのは、やっぱり今朝の二時二十分です。僕はちゃんとこの眼で、現在みていたんだからな。この看板のやつ、また瞬きをしやがった、この化物め!」刑事がこの厄介な男を制する間もなく、岡安は路傍の大きな石を拾い上げると、パッとネオン・サインを目がけてうちつけた。恐ろしい物音がして、サインの硝子が砕け、電気看板が壁体からグッと右の方へ傾くと、まだその儘にしてあったお千代の屍体がぬっと白日のもとに露出してきたもんだから、見て居た係官や群衆は、わっと声をあげると共に、顔の色を真蒼にしてしまった。その隙に岡安はとび上って何だかわけのわからぬことを呶鳴りちらしては暴れていた。「春公の怨霊め、電気看板に化けこんだって、僕はちゃんと知っているぞ。僕が殺せるんなら、サアここまでやって来て殺してみろ!」彼は電気看板を春ちゃんの死霊と思い誤っているのであった。警官は、この気が変になってしまったらしい岡安を手とり足とり連れて行ってしまった。騒ぎがますます大きくなってゆく内に、女給の鈴江と、コックの吉公とが、全く行方不明になっていることが報告された。それ以来、今日に至るまで二人の消息は、警視庁にとどかないのである。警視庁では、その夜、電気商の京ぼんを釈放し、圭さんの嫌疑も晴れた。岡安巳太郎は気がすこし鎮まったところで、色々と訊問をうけたが、電気的知識に乏しいばかりか、大きい恐怖さえ感じている岡安に、電気殺人ができる筈はないというので、犯人たるの嫌疑は薄くなった。それに係官は彼のために、電気看板が瞬くように見えるのも、その途端に電気抵抗のすくない人体の方へ電気が流れるため、電気看板の方には電気が通らぬこととなり、それで一寸消えるのだと説明してやっても彼には、サッパリ理解がつかなかった。兎も角も春江惨殺の夜の岡安の行動には、尚いくぶんのうたがいが残されている。又、彼が、何故に、この寒い二時三時という深夜にひとり起きいでて屋上に立ち、カフェ・ネオンの電気看板を眺めくらしているものか、これについて岡安の語るところによると、春江と電気看板の点滅を合図に逢瀬を楽しんでいたことが忘れられず、今は鈴江と仲のよくなった今日も、毎晩のように十三丁も遠方から、あの桃色のネオン・サインをうっとり見詰めていたそうで、そうした生活が、なにより、彼にとって楽しい時間であり、寒さもなにも感じないと答えた。 そこでいよいよ取っておきの話をするが、実はカフェ・ネオンの惨劇の犯人と目される春吉と鈴江の関係について、僕が知っていることがある。鈴江は自分の惚れている岡安と情人たる春江とのよい仲に極度の嫉妬をおこし、二人の逢瀬が度々屋根裏の物置で行われているのを知ったもので、とうとうたまりかねて、春江を殺す決心をした。彼女はだれにも洩らさなかったが昔、××電気会社で高圧係の女工だった関係で電気の取扱い方を知っていたので、それを利用したというわけだ。兇行前、同室に熟睡中の同僚を麻睡薬を嗅がせてよく睡らせてしまい、兇行後には自分もみずからこの薬の力を借りて熟睡に陥り巧みにみんなの眼をごまかしていたものである。 コックの春吉は、実は殺された春江の従兄にあたる男だが、その関係を隠してカフェ・ネオンにやとわれていた。春江が鈴江に覘われていることを感付いてはいたが、とうとう彼の注意の届かないうちに春江は殺されてしまった。鈴江は春江を殺しただけではなく、春江の情人たる岡安を完全に手に入れ、岡安も春江のことなどを忘れてしまったかのように鈴江と喃々喋々の態度をとった。それでコックの春吉はすっかり憤慨し、この復讐を計画したわけなのだ。彼は元々、極端な享楽児で、趣味のために、いろいろな職業を選び、転々として漂泊をした。その間にも電気の職工にもなって高圧電気の取扱いも知っていた。更にわるいことは、従妹の春江の感電死に遭ったために、彼の享楽主義は、怪奇趣味にめらめらと燃え上った。復讐手段としては、鈴江を直ちに殺さずに鈴江のやったと同じ手段で、次から次へと若い女を殺して行き、だんだんと嫌疑が鈴江の方に向いて来るような途をとらせ、思う存分、鈴江を脅迫し恐怖させた上で、最後に惨殺してやろうと思ったのである。ところが、その手はじめとしてふみ子を殺してみると、鈴江はたちまち犯人が彼であることを感付いてしまった。二人は睨み合いの状態となり、お互に持つ兇状は、二人を奇怪きわまる共軛関係に結びつけてしまった。第三の惨劇もコックの春吉の手で行われたが、それは鈴江への脅迫材料になると共に、又自分の重荷にもなってしまった。二人はお互の行動について極度の注意を払った。一方が、その筋へ一方を訴えて死刑台へ送れば、次の日には自分も必ず捉えられて死刑台へ送られねばならなかったのである。二人は、別々に、この点について理解し、相手から脱れる方法に苦心し合った。その結論は、唯一つあった。相手の生命をとってしまうことだ。この外に、生きる途はないと知った彼等は、お互に相手の隙を覘い合った。だが第三の惨劇で、いよいよこれ迄の犯跡が曝露しそうになったのをみてとった彼等二人は、朝の太陽が東の地平線から顔を出す前にこのカフェから手をたづさえて遁走してしまったのである。いや、この市街から永遠に去って行ったのである。敵同士の不思議な旅が始まった。怪奇に充ちた生活がはじまった。彼等は、外から見れば、羨しいほど仲のよい、そして慎みのある若い男と女とであった。しかし人目を離れて二人っきりの世界になると、慎恚[#「慎恚」はママ]のほむらは天に冲するかと思われ、相手の兇手から脱れるために警戒の神経を注射針のように尖らせた。若い彼等二人は、仲睦じそうに、一つ蒲団に抱き合って寝た。相手の腕が自分の肢態にしっかり、からみついている間は、安心して睡った。 「剣を抱いて寝る」 と春吉は在る夜ふとそうした文句を口の中で言ってみた。彼は只今の生活に、彼のあらゆる精力と神経とを消耗しつくしていた。恐ろしい生活、しかし今日までさまざまの享楽を求めてきた身にとって、一面に於て、これほど異常なエクスタシーを与えてくれるものはなかった。これほど生命の価値を感じたことはなかった。これほど神を想ったことはなかったのである。 「『剣を抱いて寝る』といったわね」機嫌のわるいと思っていた鈴江が、細い声で彼の耳元にしずかに囁いた。鈴江の顔の下に重っていた彼の頬に、ポタリポタリと、なま暖いものが落ちて来てくすぐるかのように、彼の唇の下をとおって枕の下におちて行った。 彼は鈴江の腕がギュッと身体をしめつけて来るのを感じた。彼はいつもとはまるで反対の気持で、鈴江の強い握力に、かぎりなき愛着を感じてゆくのであった。 と、まアこういう話なんだがね、そのうちに、妻もお湯から帰ってくるだろうから、そうしたら、晩飯でも御馳走することにしようよ。 もう今日がお別れになるかも知れないんだ、ゆっくりして行きたまえ。
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