空間の大戦慄――おそるべきX大使の魔力
さすがの私も、この恐怖の一瞬に、全身からありとあらゆる精力が、一度に抜け去ったように思った。 が、最後の一歩手前で私は、もしやと考えた。 「これは、夢を見ているのではないか」 私は、そういうときに誰もがするように、われとわが頬を、指さきで、つよくひねった。 「あ、痛い!」 頬は痛かった。――しからば、これは、夢ではないのだ。 夢であった方が、まだましであった。これが夢でないとしたら私は、この不思議な現象を、何と理解したらいいであろうか。全くもって、物理学では説明のつかないことになった。 「ああ、恐ろしい」 私は、もう恐怖を、隠しきれなかった。そして体を丸くして、両腕に自分の膝小僧を抱えた。 「――夢でなければ、私は、気が変になったのかしらん」 私は順序として、今度はそう思わないではいられなかった。 (気が変になったのであれば――気が変になったということを、どんな方法で確認したらいいのであろうか?) 解らない、解らない! 気が変になった者が、自分で自分の変になったことを検定する方法はない。地獄だ、無間地獄の中へ落ちこんだようなものだ。 私は、暗闇の中に竦んでしまって、化石のようになっていた。真の絶望だ! 私は、もう、すべてのことを忘れていた。鬼塚元帥からの密令のことも、欧弗同盟国と汎米連邦の開戦説のことも、また、その両国が連合して、大東亜共栄圏を脅かそうという風説のことも……。いや、そればかりではない。私は、今の今まで心配していたクロクロ島のことさえ忘れそれから、オルガ姫のことや、私の乗っていた筈の快速潜水艇のことさえ、一時忘れてしまった。 ただ、私の頭脳の中に一杯に拡がっていることは、この不思議な空間のことであった。どこからも解く糸口のない謎! もしそのまま、私が後一時間も、そのままで放って置かれたら、恐らく私は、本当に発狂してしまったのかもしれない。 だが、私は、一つの大きなことを見落していたのである。この不可思議な現象を解く鍵が、まだ一つ、残っていたことを!……真の絶望ではなかったのである。 その鍵とは? それは外でもない、「時間」という鍵であったのだ。 時間だった。その鍵は! 時間のみが、その不可思議の扉を開く力を持っていた。――つまり、時間の動きが、ともかくも、私を絶望の世界から救ってくれたのである。 時間の動きだ。時間が、どんどん経っていった。時間の速さが、どの位であったか、それは知らない。とにかく、何時間か何十時間かが経過した後、私は不意に、一道の光明の中に放りだされたのである。――それは、音響として私の耳を撃った。百雷が一時に崩れ落ちたかのように、その音響は、私の鼓膜を揺りうごかした。――それは、単に言葉に過ぎなかったのではあるけれど……。 “どうかね、黒馬博士。もういい加減、閉口したろうねえ” 恐怖の声! 戦慄の言葉! 私は悪寒と共に、ぶるぶるッと、慄えあがった。 (どうかね、黒馬博士。もういい加減、閉口したろうねえ) ――とは、どこかで聞き覚えのある声音ではある! (ああ、そうだ!) 私は、思い出した。そしてまた、大きな戦慄が、私の全身に匐い上った。 「おお、X大使か、貴様は!」 私は、暗闇に向って、声をふり絞った。 空間から不意に飛び出した声は、たしかに、あの超人X大使の声に違いないと思われた。 「おい、黒馬博士。君は、ひどい奴だ」 と、その声は、私を責めた。たしかにX大使の声だ! 「わしは君と、大いに友好的に、つきあおうと思っているのに、君はわしに危害を加えようとした。磁力砲というのかね、あれは……。クロクロ島の入口に備えつけて、久慈に使わせたのは……」 X大使の声には、深い恨みが籠っていた。――私は、ようやく、一つの光明(?)を掴んだのであった。それは実に私が今、怪人X大使の捕虜になっているという事態を悟り得たことであった。 おそるべきX大使の魔力よ。
怪声張るX大使――白人種結社から派遣されたスパイ?
「あれは正当防衛だ。あなたから、恨まれる筋はないのだ」 X大使だと知って、私は猛然と、敵愾心を盛り起した。 「なんだ。その正当防衛という意味は?」 X大使の声が、問いかえした。 「そうではないか、X大使、断りもなく、わがクロクロ島の内部まで侵入して来るような相手に対しては、吾々は、いかなる手段を用いても、防衛するのだ。当り前のことではないか」 「なあんだ、そんな意味か。ばかばかしい」 と、X大使は、吐き出すようにいって、 「君の方では、あれで、厳重な戸締りをしたつもりなんだろうねえ。人間なんて、自惚ばかりつよくて哀れなものだ」 「人間? お互いに人間であることに、変りはない。X大使よ、君は人間の悪口をいうが、それは天に唾をするようなものではないか。つまり自分の悪口をいっているわけだからねえ」 私は、むかむかして、こっぴどく大使をやっつけたつもりだった。 しかし、X大使は、無遠慮にからからと笑い、 「あははは、可哀いそうな者よ。なんとでも、好きなように自惚れているがいい。そのうちに君たちの大東亜共栄圏は、白人たちの土足の下に踏みにじられるだろう」 「やあ、そういう君は、白人種結社から派遣されたスパイだろう」 「違う」 と、X大使は、言下につよく否定したが、しばらくその後を黙っていて、やがてなんだかわざとらしい調子の言葉になって、 「……まあ、なんとでも想像するがいい。しかしとにかく、わしは君に警告しておく。もう、あのようなくだらん磁力砲などを仕掛けるのはよせ」 「余計な御忠告だ。そういう君は、磁力砲の偉力に、すっかり参ったというわけだろうが……」 私は、大使が、悲鳴をあげているのだと確信した。 するとX大使はまた、ふふんと鼻で嗤い出して、 「おい、黒馬博士。君は学者のくせに、いつまで、迷夢から覚めないのか。君は、この暗黒世界のことを、何だと考えているのか」 X大使の言葉は、私の腕に、針を突込んだように痛かった。私は、かなり強がりをいっているものの、踏みしめるべき大地のないこの暗黒世界に、ひとり封じこめられている気味のわるさに、これ以上怺えかねていたところである。 しかし私は、こんなところで、敵に弱味を見せてはと思い、 「あははは。X大使よ、それよりも、磁力砲の偉力を思い出したがいいぞ。君の身体は、磁力砲のために大怪我をしたではないか。だから君は、今私の前に姿を見せることができないのだろう。そして、声ばかりで、私を嚇している。そんな嚇しに、誰がのるものか」 と、いってやった。 「おかしなことをいう」 X大使はちょっと腹を立てたような声になって、 「わしが、磁力砲のため、大怪我をしたと思っているのか。それがため、わしが姿を見せないと思っているのか。ふふん、とんでもない独り合点だ。わしは、ちゃんとしているのだ。今、姿を見せてやろう」 そういったかと思うと、とつぜん、空気を破って、奇妙な高い調子の震動音が聞えてきた。そのうちに、暗黒の中に、朦朧と、白く光った人の形があらわれて来た。 (おやッ、出たな。まるで、大魔術を見ているようだ) 人の形は、どんどん明瞭度を加えていった。そして、ものの三十秒も経たないうちに、その人影は、嘗て私が見たことのある彼の奇怪なる服装をしたX大使の姿となり果てたのであった。高圧潜水服に全身を包んだような、大使の不思議なる姿! 「どうだ、わしの姿が見えるだろう」 「舞台の上の大魔術というところだ。入場料をとっているなら、拍手を送りたいところだが、そんな手で、私はごま化されないぞ。これは、君の本当の体ではなくて、幻影にすぎないのだ」 「幻影? 可哀いそうな人間よ。これでも、幻影か」 X大使は、とつぜん私の方に近づき、私が身をかわそうとするのを先まわりして、やっと、かけごえをして、私の腕を掴んだ。 「うむ、痛い! 骨が、折れる……」 X大使の握力は、まるで万力機械のように、強かった。幻影ではないX大使であった。私は歯を喰いしばって、疼痛にたえた。 「ははは、それ見たことか」 X大使は、憫笑すると、やっと手を放した。 「だが、黒馬博士。わしの真意は、君を殺すことではない。いや、それよりも、正直なところ、わしは君と友好的に協力し合いたいのだ。どうだ、承知しないか」 突然、X大使の言葉は、妥協的になった。 だが、私は油断しなかった。 「身勝手なことを、いってはいかん。私をこんな目にあわせて置きながら、友好的協力もなにも、あったものじゃない」 私は、すかさず抗議をしてやった。 「まあ、そういうな。今、君が遭っている異変は、魔術でもなんでもない。わしは君に、わしの偉力を、ちょっぴり見せたかったのだ。――だが、今君は、わしに対して感情を害しているようだ。わしは、これ以上無理に君を圧迫しまい。私は自ら一時退却する。しかし、この際、君に一言のこして置くから、忘れないでいてもらいたい」 と、X大使は、改まった調子で、 「今後、君たち大東亜共栄圏の民族は、更に大きな危険に曝されることになるだろう。そのとき、救援が欲しかったら、わしに求めるがいい。わしは、ちょっとした交換条件をもって、君たちを全面的に援助するだろう。どうか、それを忘れないで……」 そういったかと思うと、X大使の姿は、俄かに、アーク灯のごとく輝きだした。いや、大使の姿だけではない。私の身のまわりの暗黒世界が、一時に眩しく輝きだした。私はあっと叫んでその場にひれ伏した。そして知覚を失ってしまったのである。
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