打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

白蛇の死(しろへびのし)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-24 17:12:34 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 吉蔵は警官の臨検りんけんに大小三個の冷蔵庫を直ぐ開いて見せた上、氷の消費量増加については、
「何にしろもうこんな陽気ですから、氷だって段々える一方でさあ」と、軽く説明した。然し主任がその位の説明で満足する筈はなく、当分夜の間刑事を吉蔵の店の床下に張り込ませて、何処までも事件の端緒たんちょつかむようにと手配した。
 一方山名国太郎の失踪については、喜多公を変電所へ張って行った刑事から、偶然ぐうぜん手懸りがついた。というのは、変電所主任土岐健助宛の無名の手紙から足がつき、スタンプの消印で栃木県とちぎけん今市いまいち附近に国太郎が潜伏せんぷくしていると判ったのである。
 いよいよ国太郎が逮捕されたとなると、事件は、何う展開するであろう。国太郎とお由の密会には証人がある事だし、あの夜土岐技手が現場げんじょうへ呼ばれた時には、既にお由は死んでいたのだから、国太郎がこの他殺に全然無関係であるという事は説明出来まい。同時にお由の屍体遺棄が明らかになるので、土岐技手にも嫌疑の余地が出て来る。其の夜の勤務は土岐一人で他に証人が無いのだから、国太郎の言う通りお由が露路に一人でいたとすれば、其の間に健助がお由を襲うことも出来たのである。
 こうして殺人犯人の嫌疑者は四人となった。
 其の翌日の夕方、山名国太郎は今市から護送ごそうされて来た。青年は数日の懊悩おうのうにめっきり憔悴しょうすいして、極度の神経衰弱症におちいっているらしく、簡単な訊問じんもんに対してもその答弁は案外手間がとれた。が、結局国太郎は前述の委細を全部自白させられたのである。そして直ちに問題となったのは土岐健助の行動であった。先ずその屍体遺棄の方法が咄嵯の手段として余りに計画的であった事。殊に、彼は国太郎に向って、
「喜多公が相棒だから――」と言っているが、事実その夜、田中技手補は非番であって、変電所の日記によってもそれは明らかな事であった。では何故土岐がこんな虚言きょげんろうしたか?
 その時取調べ室の電話が突然響き渡ったのである。捜索主任は直ぐに受話器を取ったが、突然サッと顔色を変えた。そして国太郎の訊問を一時中止すると、二三の部下は何事かささやいて、あたふたと一緒に自動車へ飛び乗った。
 夜は既に三更さんこうに近かった。
 自動車を棄てて主任が加藤牛肉店のくぐり戸を入ると、其処に張り込んでいた刑事が待っていて、直ちに奥の吉蔵の居間へ案内した。その部屋の一方の壁に仕掛けてあったのである。壁は刑事の手に依ってドアの如く左右に押し開けられ、忽ち間口まぐちけん奥行おくゆき三尺ばかりの押入れが現われた。その押入れの中央に仏壇ぶつだんの様に設置してある大冷蔵庫。そのドアを開けて見せられた時、さすがの主任も「アッ」と顔を背けずにはいられなかった。中には若い女の太股のあたりから下の立ち姿、――草葡萄くさぶどうのくすんだ藍地あいじに太い黒の格子こうしが入ったそれは非常に地味な着物であったが、膝頭ひざがしらのあたりから軽く自然に裾をさばいて、これは又眼もめるばかり真紅まっかの緋縮緬を文字通り蹴出けだしたあたりに、白いろうの様なふくらずねがチラリとのぞいている。何う見ても若い女の腰から下の立ち姿であった。言うまでも無くこれはお由の両脚で、同時に其処から両腕も発見された。これ等は時を移さず警察へ押収おうしゅうされたが、親分加藤吉蔵は既にお由殺しの有力な嫌疑者として、主任と入れ違いに拘引されていたのであった。
 やがて夜は明け放れた。世間はほころび初めた花の噂に浮き立っていたが、警察署内の取調べ室では、極度に緊張しきった吉蔵の訊問が続行されていた。然し彼は何処までも犯人は自分で無いと主張するのである。
「あっしはあの晩、玉の井へ行ったって事を申し上げましたが、実はお由と喜多公のことが気になって、寺島てらじまの喜多公の家へ様子を見に行ったんです。しかし、お由はおろか喜多公も家にはいないらしいんで、それでは他所よそで密会をしていやあがるんだと思い、白鬚橋を橋場の方へ戻って来ました。其時ふとこいつあ千住の方にいるんじゃないかと思ったんで、変電所へ踏込む積りで、橋のたもとを右へ、隅田すみだ駅への抜道をとりました。多分二時を少し廻った時刻でしたが、すると彼処あそこに御存知の様に、何んとか言う情事いろごとほこらがあるんで、そいつを一寸おがんで行く気になったんです。そして、ついでに小便をしようと思って、祠の裏手へ廻ると、其処でお由の死骸を見附けてしまったんで、あっしはびっくりしてしまいました。――旦那の前ですが、あの女には一寸変ったところがありましてね、詰り痛い目に会わされると喜ぶ様な性質たちなんでさ。だから、よくあっしに、そんなにお前さんわたしのことが心配なら、いっそ腕を切るなり耳を落すなりして置きゃいいじゃないか、どうせ妾はお前さんの物なんだからって、よく言っていたんです。それが本気なんだから驚くじゃありませんか。そいつをあっしはあの晩お由の屍体を見るなり思い出したんで、――こうして置けばいやでも灰にしてしまわなけりゃならねえ、そうすればもう二度とこの綺麗な手足は自分の物で無くなってしまうんだと思うと、へッへ、まあそんな気持からあっしは大急ぎで家へ取って返し、腕と脚を貰ったという訳なんです。仕事は血が飛ばねえように、あの小川の中でやりました。――あっしのやったのは只これだけで、お由を殺した犯人についちゃ、あっしだって判りゃとっくに殺しちまいまさあ……」
 然し主任に取っては、吉蔵が屍体を損壊したのも一時脱いちじのがれの口実を作る手段と思えぬことも無かった。
 この問題のお由の両腕と両脚は、大学の法医学教室に廻されて、熱心に犯行事実を研究されていた。その結果、吉蔵の申し立てた切断方法が肯定された以外に、不思議な傷口が別に四ヶ所発見されたのであった。第一は左手の拇指おやゆび人差指ひとさしゆび尖端せんたん二ヶ所に、喰いいったような探い傷があること、同様な傷が又両足の裏にもあるのであったが、く小さい上に血のにじみ出た形跡もないので、或いはお由の死後吉蔵がつけたものかも知れぬ、とも考えられていた。ところが、丁度其処へ遊びに来た電気工学のW助教授が一目これを見るや、「君、これは高圧電気に感電した時受けた傷だよ」と助言した。

 警察署では主任が吉蔵の調べに手を焼いて、一先ず訊問を打切り、屍体遺棄のかどにより、変電所の土岐健助に拘引状を発しようとしていた。その申請書しんせいしょを書き始めた時、パッと室内の電灯が消えた。そして、停電は珍しくも近来に無く一時間も続いたのである。
「どうしたと言うんだ、冗談じゃ無い」
 主任がついにたまりかねて、変電所へ電話で問い合せて見ようと立ち上った瞬間、電灯はサッと明るく室内へ流れた。同時にジリジリと電話のベルが鳴ったのである。それは大学の法医学教室から、お由の死因が高圧電気の感電であった事を知らせる電話であった。
 主任の横顔は極度に緊張して、受話器を掛けると一刻の猶予ゆうよもなく土岐技手拘引の手続きにかかったが、それを追いかけて再び電話が鳴る。それは部下が変電所から掛けた長い報告であった。
 ようは、今しがたの停電は二人の男が変電所の一千ヴォルトの電極に触れて感電死したことによるもので、二人共全身黒焼けとなり一見いずれが誰と識別しきべつし難いが、一人は勤務中であった技手土岐健助、一人は喜多公こと田中技手補である事に相違ない。この惨事さんじの原因は目下調査中であるが、両人の体がからみ合っている所から推して、一方が感電したのを一方が救いに行って仆れたとも見え、あるいは両人の間に何か格闘があって組合ったまま感電したとも思われるふしがある、との事であった。
到頭とうとうやったか。残念な事をしたな」
 受話器を離した主任は、誰にとも無くつぶやいてくずれるように椅子に腰を下した。
 なお、その後の報告によると、応急修理に高い所へ登った一技手は、奇怪な配線のあるのを発見した。それは故意か偶然か、変電所の壁を通って向いの家のひさしへ渡り、其の端が錻力ブリキで作ったといに触れていたのである。もしこの配線に高圧電気が供給されれば、言うまでもなく樋に触れた人間は即死しなければならない。そしてお由は丁度その樋のそばに仆れていたのであった。
 では、お由殺しの犯人は土岐健助か、それとも喜多公か?
 二人の過去を洗って見ると、土岐の方は変電所から開閉所かいへいしょへとコツコツ転任されて歩いたほか、これと言って変化の無い単調な過去しか持っていないに反して、喜多公の方はいろいろな電気工生活をやって来ている。その上、お由がまだ工場にいたころ、そこの試験係を勤めていた事実もあって、当時仲間の一人が試験中に感電死した時、可溶片ヒューズが早く切れた為に只指先と足の裏に小さな傷を受けたまま美しく死んだ事件を見たこともあるそうである。
 で、犯人が喜多公とすれば、親分とお由を張り合った結果、お由が思う様にならないので、あの夜自分が非番であるにも係わらず、忍んで行って、犯行の後、巧みに千往遊廓ゆうかくへ現われたとも考えられた。
 しかし又、白蛇のお由を知っている四十男はこう言うのである。
「ああいう形の女は、私達年配の男に好かれる者ですよ。吉蔵親分だってそうでしょう。土岐さんも丁度厄年やくどし位だったじゃありませんか。いくら懇意こんいにしていても、つい目の前で楽しんでいる所を見せられちゃ、一寸妙ないたずら気も起りまさあね。それに腕のいい人でしたからね――」
 いずれにしても二人が死んだ後、お由殺しの事件の捜索は即刻打切られてしまったので、これ等はただ苦労性の人々の臆説おくせつにすぎないのである。





底本:「海野十三全集 第1巻 遺言状放送」三一書房
   1990(平成2)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1929(昭和4)年6月号
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2004年11月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。

上一页  [1] [2] [3] [4]  尾页




打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口