それでがすもの、ご新姐、お客様。」 「それじゃ、私たち差出た事は、叱言なしに済むんだね。」 「ほってもねえ、いい人扶けして下せえましたよ。時に、はい、和尚様帰って、逢わっせえても、万々沙汰なしに頼みますだ。」 そこへ、丸太棒が、のっそり来た。 「おじい、もういいか、大丈夫かよ。」 「うむ、見せえ、大智識さ五十年の香染の袈裟より利益があっての、その、嫁菜の縮緬の裡で、幽霊はもう消滅だ。」 「幽霊も大袈裟だがよ、悪く、蜻蛉に祟られると、瘧を病むというから可恐えです。縄をかけたら、また祟って出やしねえかな。」 と不精髯の布子が、ぶつぶついった。 「そういう口で、何で包むもの持って来ねえ。糸塚さ、女 様、素で括ったお祟りだ、これ、敷松葉の数寄屋の庭の牡丹に雪囲いをすると思えさ。」 「よし、おれが行く。」 と、冬の麦稈帽が出ようとする。 「ああ、ちょっと。」 袖を開いて、お米が留めて、 「そのまま、その上からお結えなさいな。」 不精髯が――どこか昔の提灯屋に似ていたが、 「このままでかね、勿体至極もねえ。」 「かまいませんわ。」 「構わねえたって、これ、縛るとなると。」 「うつくしいお方が、見てる前で、むざとなあ。」 麦藁と、不精髯が目を見合って、半ば呟くがごとくにいう。 「いいんですよ、構いませんから。」 この時、丸太棒が鉄のように見えた。ぶるぶると腕に力の漲った逞しいのが、 「よし、石も婉軟だろう。きれいなご新姐を抱くと思え。」 というままに、頸の手拭が真額でピンと反ると、棒をハタと投げ、ずかと諸手を墓にかけた。袖の撓うを胸へ取った、前抱きにぬっと立ち、腰を張って土手を下りた。この方が掛り勝手がいいらしい。巌路へ踏みはだかるように足を拡げ、タタと総身に動揺を加れて、大きな蟹が竜宮の女房を胸に抱いて逆落しの滝に乗るように、ずずずずずと下りて行く。 「えらいぞ、権太、怪我をするな。」 と、髯が小走りに、土手の方から後へ下りる。 「俺だって、出来ねえ事はなかったい、遠慮をした、えい、誰に。」 と、お米を見返って、ニヤリとして、麦藁が後に続いた。 「頓生菩提。……小川へ流すか、燃しますべい。」 そういって久助が、掻き集めた縄の屑を、一束ねに握って腰を擡げた時は、三人はもう木戸を出て見えなかったのである。 「久……爺や、爺やさん、羽織はね。式台へほうり込んで置いて可いんですよ。」 この羽織が、黒塗の華頭窓に掛っていて、その窓際の机に向って、お米は細りと坐っていた。冬の日は釣瓶おとしというより、梢の熟柿を礫に打って、もう暮れて、客殿の広い畳が皆暗い。 こんなにも、清らかなものかと思う、お米の頸を差覗くようにしながら、盆に渋茶は出したが、火を置かぬ火鉢越しにかの机の上の提灯を視た。 (――この、提灯が出ないと、ご迷惑でも話が済まない――) 信仰に頒布する、当山、本尊のお札を捧げた三宝を傍に、硯箱を控えて、硯の朱の方に筆を染めつつ、お米は提灯に瞳を凝らして、眉を描くように染めている。 「――きっと思いついた、初路さんの糸塚に手向けて帰ろう。赤蜻蛉――尾を銜えたのを是非頼む。塗師屋さんの内儀でも、女学校の出じゃないか。絵というと面倒だから図画で行くのさ。紅を引いて、二つならべれば、羽子の羽でもいい。胡蘿蔔を繊に松葉をさしても、形は似ます。指で挟んだ唐辛子でも構わない。――」 と、たそがれの立籠めて一際漆のような板敷を、お米の白い足袋の伝う時、唆かして口説いた。北辰妙見菩薩を拝んで、客殿へ退く間であったが。 水をたっぷりと注して、ちょっと口で吸って、莟の唇をぽッつり黒く、八枚の羽を薄墨で、しかし丹念にあしらった。瀬戸の水入が渋のついた鯉だったのは、誂えたようである。 「出来た、見事々々。お米坊、机にそうやった処は、赤絵の紫式部だね。」 「知らない、おっかさんにいいつけて叱らせてあげるから。」 「失礼。」 と、茶碗が、また、赤絵だったので、思わず失言を詫びつつ、準藤原女史に介添してお掛け申す……羽織を取入れたが、窓あかりに、 「これは、大分うらに青苔がついた。悪いなあ。たたんで持つか。」 と、持ったのに、それにお米が手を添えて、 「着ますわ。」 「きられるかい、墓のを、そのまま。」 「おかわいそうな方のですもの、これ、荵摺ですよ。」 その優しさに、思わず胸がときめいて。 「肩をこっちへ。」 「まあ、おじさん。」 「おっかさんの名代だ、娘に着せるのに仔細ない。」 「はい、……どうぞ。」 くるりと向きかわると、思いがけず、辻町の胸にヒヤリと髪をつけたのである。 「私、こいしい、おっかさん。」 前刻から――辻町は、演芸、映画、そんなものの楽屋に縁がある――ほんの少々だけれども、これは筋にして稼げると、潜に悪心の萌したのが、この時、色も、慾も何にもない、しみじみと、いとしくて涙ぐんだ。 「へい。お待遠でござりました。」 片手に蝋燭を、ちらちら、片手に少しばかり火を入れた十能を持って、婆さんが庫裏から出た。 「糸塚さんへ置いて行きます、あとで気をつけて下さいましよ、烏が火を銜えるといいますから。」 お米も、式台へもうかかった。 「へい、もう、刻限で、危気はござりましねえ、嘴太烏も、嘴細烏も、千羽ヶ淵の森へ行んで寝ました。」 大城下は、目の下に、町の燈は、柳にともれ、川に流るる。磴を下へ、谷の暗いように下りた。場末の五燈はまだ来ない。 あきない帰りの豆府屋が、ぶつかるように、ハタと留った時、 「あれ、蜻蛉が。」 お米が膝をついて、手を合せた。 あの墓石を寄せかけた、塚の糸枠の柄にかけて下山した、提灯が、山門へ出て、すこしずつ高くなり、裏山の風一通り、赤蜻蛉が静と動いて、女の影が……二人見えた。
昭和十四(一九三九)年七月
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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