鏡花全集 巻四 |
岩波書店 |
1941(昭和16)年3月15日 |
1986(昭和61)年12月3日第3刷 |
1986(昭和61)年12月3日第3刷 |
西は神通川の堤防を以て劃とし、東は町盡の樹林境を爲し、南は海に到りて盡き、北は立山の麓に終る。此間十里見通しの原野にして、山水の佳景いふべからず。其川幅最も廣く、町に最も近く、野の稍狹き處を郷屋敷田畝と稱へて、雲雀の巣獵、野草摘に妙なり。 此處往時北越名代の健兒、佐々成政の別業の舊跡にして、今も殘れる築山は小富士と呼びぬ。 傍に一本、榎を植ゆ、年經る大樹鬱蒼と繁茂りて、晝も梟の威を扶けて鴉に塒を貸さず、夜陰人靜まりて一陣の風枝を拂へば、愁然たる聲ありておうおうと唸くが如し。 されば爰に忌むべく恐るべきを(おう)に譬へて、假に(應)といへる一種異樣の乞食ありて、郷屋敷田畝を徘徊す。驚破「應」來れりと叫ぶ時は、幼童婦女子は遁隱れ、孩兒も怖れて夜泣を止む。 「應」は普通の乞食と齊しく、見る影もなき貧民なり。頭髮は婦人のごとく長く伸びたるを結ばず、肩より垂れて踵に到る。跣足にて行歩甚だ健なり。容顏隱險の氣を帶び、耳敏く、氣鋭し。各自一條の杖を携へ、續々市街に入込みて、軒毎に食を求め、與へざれば敢て去らず。 初めは人皆懊惱に堪へずして、渠等を罵り懲らせしに、爭はずして一旦は去れども、翌日驚く可き報怨を蒙りてより後は、見す/\米錢を奪はれけり。 渠等は己を拒みたる者の店前に集り、或は戸口に立並び、御繁昌の旦那吝にして食を與へず、餓ゑて食ふものの何なるかを見よ、と叫びて、袂を深ぐれば畝々と這出づる蛇を掴みて、引斷りては舌鼓して咀嚼し、疊とも言はず、敷居ともいはず、吐出しては舐る態は、ちらと見るだに嘔吐を催し、心弱き婦女子は後三日の食を廢して、病を得ざるは寡なし。 凡そ幾百戸の富家、豪商、一度づゝ、此復讐に遭はざるはなかりし。渠等の無頼なる幾度も此擧動を繰返すに憚る者ならねど、衆は其乞ふが隨意に若干の物品を投じて、其惡戲を演ぜざらむことを謝するを以て、蛇食の藝は暫時休憩を呟きぬ。 渠等米錢を惠まるゝ時は、「お月樣幾つ」と一齊に叫び連れ、後をも見ずして走り去るなり。ただ貧家を訪ふことなし。去りながら外面に窮乏を粧ひ、嚢中却て温なる連中には、頭から此一藝を演じて、其家の女房娘等が色を變ずるにあらざれば、決して止むることなし。法はいまだ一個人の食物に干渉せざる以上は、警吏も施すべき手段なきを如何せむ。 蝗、蛭、蛙、蜥蜴の如きは、最も喜びて食する物とす。語を寄す(應)よ、願はくはせめて糞汁を啜ることを休めよ。もし之を味噌汁と酒落て用ゐらるゝに至らば、十萬石の稻は恐らく立處に枯れむ。 最も饗膳なりとて珍重するは、長蟲の茹初なり。蛇[#ルビの「くちなは」は底本では「くちはな」]の料理鹽梅を潛かに見たる人の語りけるは、(應)が常住の居所なる、屋根なき褥なき郷屋敷田畝の眞中に、銅にて鑄たる鼎(に類す)を裾ゑ、先づ河水を汲み入るゝこと八分目餘、用意了れば直ちに走りて、一本榎の洞より數十條の蛇を捕へ來り、投込むと同時に目の緻密なる笊を蓋ひ、上には犇と大石を置き、枯草を燻べて、下より爆※[#「火+發」、110-5]と火を焚けば、長蟲は苦悶に堪へず蜒轉り、遁れ出でんと吐き出す纖舌炎より紅く、笊の目より突出す頭を握り持ちてぐツと引けば、脊骨は頭に附きたるまゝ、外へ拔出づるを棄てて、屍傍に堆く、湯の中に煮えたる肉をむしや――むしや喰らへる樣は、身の毛も戰悚つばかりなりと。 (應)とは殘忍なる乞丐の聚合せる一團體の名なることは、此一を推しても知る可きのみ。生ける犬を屠りて鮮血を啜ること、美しく咲ける花を蹂躙すること、玲瓏たる月に向うて馬糞を擲つことの如きは、言はずして知るベきのみ。 然れども此の白晝横行の惡魔は、四時恆に在る者にはあらず。或は週を隔てて歸り、或は月をおきて來る。其去る時來る時、進退常に頗る奇なり。 一人榎の下に立ちて、「お月樣幾つ」と叫ぶ時は、幾多の(應)等同音に「お十三七つ」と和して、飛禽の翅か、走獸の脚か、一躍疾走して忽ち見えず。彼堆く積める蛇の屍も、彼等將に去らむとするに際しては、穴を穿ちて盡く埋むるなり。さても清風吹きて不淨を掃へば、山野一點の妖氛をも止めず。或時は日の出づる立山の方より、或時は神通川を日沒の海より溯り、榎の木蔭に會合して、お月樣と呼び、お十三と和し、パラリと散つて三々五々、彼杖の響く處妖氛人を襲ひ、變幻出沒極りなし。 されば郷屋敷田畝は市民のために天工の公園なれども、隱然(應)が支配する所となりて、猶餅に黴菌あるごとく、薔薇に刺あるごとく、渠等が居を恣にする間は、一人も此惜むべき共樂の園に赴く者なし。其去つて暫時來らざる間を窺うて、老若爭うて散策野遊を試む。 さりながら應が影をも止めざる時だに、厭ふべき蛇喰を思ひ出さしめて、折角の愉快も打消され、掃愁の酒も醒むるは、各自が伴ひ行く幼き者の唱歌なり。 草を摘みつつ歌ふを聞けば、
拾乎、拾乎、豆拾乎、 鬼の來ぬ間に豆拾乎。
古老は眉を顰め、壯者は腕を扼し、嗚呼、兒等不祥なり。輟めよ、輟めよ、何ぞ君が代を細石に壽かざる!
などと小言をおつしやるけれど、拾はにやならぬ、いんまの間。
斯くの如く言消して更に又、
拾乎、拾乎、豆拾乎、 鬼の來ぬ間に豆拾乎。
と唱へ出す節は泣くがごとく、怨むがごとく、いつも(應)の來りて市街を横行するに從うて、件の童謠東西に湧き、南北に和し、言語に斷えたる不快嫌惡の情を喚起して、市人の耳を掩はざるなし。 童謠は(應)が始めて來りし稍以前より、何處より傳へたりとも知らず流行せるものにして、爾來父母※兄[#「姉」の正字、「女+のつくり」、112-8]が誑しつ、賺しつ制すれども、頑として少しも肯かざりき。 都人士もし此事を疑はば、請ふ直ちに來れ。上野の汽車最後の停車場に達すれば、碓氷峠の馬車に搖られ、再び汽車にて直江津に達し、海路一文字に伏木に至れば、腕車十錢富山に赴き、四十物町を通り拔けて、町盡の杜を潛らば、洋々たる大河と共に漠々たる原野を見む。其處に長髮敝衣の怪物を見とめなば、寸時も早く踵を囘されよ。もし幸に市民に逢はば、進んで低聲に(應)は?と聞け、彼の變ずる顏色は口より先に答をなさむ。 無意無心なる幼童は天使なりとかや。げにもさきに童謠ありてより(應)の來るに一月を措かざりし。然るに今は此歌稀々になりて、更にまた奇異なる謠は、
屋敷田畝に光る物ア何ぢや、 蟲か、螢か、螢の蟲か、 蟲でないのぢや、目の玉ぢや。
頃日至る處の辻にこの聲を聞かざるなし。 目の玉、目の玉! 赫奕たる此の明星の持主なる、(應)の巨魁が出現の機熟して、天公其の使者の口を藉りて、豫め引をなすものならむか。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
- この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。
「火+發」 |
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110-5 |
「姉」の正字、「女+のつくり」 |
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112-8 |
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