泉鏡花集成2 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1996(平成8)年4月24日 |
1996(平成8)年4月24日第1刷 |
鏡花全集 別卷 |
岩波書店 |
1976(昭和51)年3月26日 |
一
新婦が、床杯をなさんとて、座敷より休息の室に開きける時、介添の婦人はふとその顔を見て驚きぬ。 面貌ほとんど生色なく、今にも僵れんずばかりなるが、ものに激したる状なるにぞ、介添は心許なげに、つい居て着換を捧げながら、 「もし、御気分でもお悪いのじゃございませんか。」 と声を密めてそと問いぬ。 新婦は凄冷なる瞳を転じて、介添を顧みつ。 「何。」 とばかり簡単に言捨てたるまま、身さえ眼をさえ動かさで、一心ただ思うことあるその一方を見詰めつつ、衣を換うるも、帯を緊むるも、衣紋を直すも、褄を揃うるも、皆他の手に打任せつ。 尋常ならぬ新婦の気色を危みたる介添の、何かは知らずおどおどしながら、 「こちらへ。」 と謂うに任せ、渠は少しも躊躇わで、静々と歩を廊下に運びて、やがて寝室に伴われぬ。 床にはハヤ良人ありて、新婦の来るを待ちおれり。渠は名を近藤重隆と謂う陸軍の尉官なり。式は別に謂わざるべし、媒妁の妻退き、介添の婦人皆罷出つ。 ただ二人、閨の上に相対し、新婦は屹と身体を固めて、端然として坐したるまま、まおもてに良人の面を瞻りて、打解けたる状毫もなく、はた恥らえる風情も無かりき。 尉官は腕を拱きて、こもまた和ぎたる体あらず、ほとんど五分時ばかりの間、互に眼と眼を見合せしが、遂に良人まず粛びたる声にて、 「お通。」 とばかり呼懸けつ。 新婦の名はお通ならむ。 呼ばるるに応えて、 「はい。」 とのみ。渠は判然とものいえり。 尉官は太く苛立つ胸を、強いて落着けたらんごとき、沈める、力ある音調もて、 「汝、よく娶たな。」 お通は少しも口籠らで、 「どうも仕方がございません。」 尉官はしばらく黙しけるが、ややその声を高うせり。 「おい、謙三郎はどうした。」 「息災で居ります。」 「よく、汝、別れることが出来たな。」 「詮方がないからです。」 「なぜ、詮方がない。うむ。」 お通はこれが答をせで、懐中に手を差入れて一通の書を取出し、良人の前に繰広げて、両手を膝に正してき。尉官は右手を差伸し、身近に行燈を引寄せつつ、眼を定めて読みおろしぬ。 文字は蓋し左のごときものにてありし。
お通に申残し参らせ候、御身と近藤重隆殿とは許婚に有之候 然るに御身は殊の外彼の人を忌嫌い候様子、拙者の眼に相見え候えば、女ながらも其由のいい聞け難くて、臨終の際まで黙し候 さ候えども、一旦親戚の儀を約束いたし候えば、義理堅かりし重隆殿の先人に対し面目なく、今さら変替相成らず候あわれ犠牲となりて拙者の名のために彼の人に身を任せ申さるべく、斯の遺言を認め候時の拙者が心中の苦痛を以て、御身に謝罪いたし候
月 日
清川通知
お通殿 二度三度繰返して、尉官は容を更めたり。 「通、吾は良人だぞ。」 お通は聞きて両手を支えぬ。 「はい、貴下の妻でございます。」 その時尉官は傲然として俯向けるお通を瞰下しつつ、 「吾のいうことには、汝、きっと従うであろうな。」 此方は頭を低れたるまま、 「いえ、お従わせなさらなければ不可ません。」 尉官は眉を動かしぬ。 「ふむ。しかし通、吾を良人とした以上は、汝、妻たる節操は守ろうな。」 お通は屹と面を上げつ、 「いいえ、出来さえすれば破ります。」 尉官は怒気心頭を衝きて烈火のごとく、 「何だ!」 とその言を再びせしめつ。お通は怯めず、臆する色なく、 「はい。私に、私に、節操を守らねばなりませんという、そんな、義理はございませんから、出来さえすれば破ります!」 恐気もなく言放てる、片頬に微笑を含みたり。 尉官は直ちに頷きぬ。胸中予めこの算ありけむ、熱の極は冷となりて、ものいいもいと静に、 「うむ、きっと節操を守らせるぞ。」 渠は唇頭に嘲笑したりき。
二
相本謙三郎はただ一人清川の書斎に在り。当所もなく室の一方を見詰めたるまま、黙然として物思えり。渠が書斎の椽前には、一個数寄を尽したる鳥籠を懸けたる中に、一羽の純白なる鸚鵡あり、餌を啄むにも飽きたりけむ、もの淋しげに謙三郎の後姿を見遣りつつ、頭を左右に傾けおれり。一室寂たることしばしなりし、謙三郎はその清秀なる面に鸚鵡を見向きて、太く物案ずる状なりしが、憂うるごとく、危むごとく、はた人に憚ることあるもののごとく、「琵琶。」と一声、鸚鵡を呼べり。琵琶とは蓋し鸚鵡の名ならむ。低く口笛を鳴すとひとしく、 「ツウチャン、ツウチャン。」 と叫べる声、奥深きこの書斎を徹して、一種の音調打響くに、謙三郎は愁然として、思わず涙を催しぬ。 琵琶は年久しく清川の家に養われつ。お通と渠が従兄なる謙三郎との間に処して、巧みにその情交を暖めたりき。他なし、お通がこの家の愛娘として、室を隔てながら家を整したりし頃、いまだ近藤に嫁がざりし以前には、謙三郎の用ありて、お通に見えんと欲することあるごとに、今しも渠がなしたるごとく、籠の中なる琵琶を呼びて、しかく口笛を鳴すとともに、琵琶が玲瓏たる声をもて、「ツウチャン、ツウチャン。」と伝令すべく、よく馴らされてありしかば、この時のごとく声を揚げて二たび三たび呼ぶとともに、帳内深き処粛として物を縫う女、物差を棄て、針を措きて、ただちに謙三郎に来りつつ、笑顔を合すが例なりしなり。 今やなし。あらぬを知りつつ謙三郎は、日に幾回、夜に幾回、果敢なきこの児戯を繰返すことを禁じ得ざりき。 さてその頃は、征清の出師ありし頃、折はあたかも予備後備に対する召集令の発表されし折なりし。 謙三郎もまた我国徴兵の令に因りて、予備兵の籍にありしかば、一週日以前既に一度聯隊に入営せしが、その月その日の翌日は、旅団戦地に発するとて、親戚父兄の心を察し、一日の出営を許されたるにぞ、渠は父母無き孤児の、他に繋累とてはあらざれども、児として幼少より養育されて、母とも思う叔母に会して、永き離別を惜まんため、朝来ここに来りおり、聞くこともはた謂うことも、永き夏の日に尽きざるに、帰営の時刻迫りたれば、謙三郎は、ひしひしと、戎衣を装い、まさに辞し去らんとして躊躇しつ。 書斎に品あり、衣兜に容るるを忘れたりとて既に玄関まで出でたる身の、一人書斎に引返しつ。 叔母とその奴婢の輩は、皆玄関に立併びて、いずれも面に愁色あり。弾丸の中に行く人の、今にも来ると待ちけるが、五分を過ぎ、十分を経て、なお書斎より来らざるにぞ、謙三郎はいかにせしと、心々に思える折から、寂として広き家の、遥奥の方よりおとずれきて、 「ツウチャン、ツウチャン。」 と鸚鵡の声、聞き馴れたる叔母のこの時のみ何思いけん色をかえて、急がわしく書斎に到れり。 謙三郎は琵琶に命じて、お通の名をば呼ばしめしが、来るべき人のあらざるに、いつもの事とはいいながら、あすは戦地に赴く身の、再び見、再び聞き得べき声にあらねば、意を決したる首途にも、渠はそぞろに涙ぐみぬ。 時に椽側に跫音あり。女々しき風情を見られまじと、謙三郎の立ちたる時、叔母は早くも此方に来りて、突然鳥籠の蓋を開けつ。 驚き見る間に羽ばたき高く、琵琶は籠中を逸し去れり。 「おや! 何をなさいます。」 と謙三郎はせわしく問いたり。叔母は此方を見も返らで、琵琶の行方を瞻りつつ、椽側に立ちたるが、あわれ消残る樹間の雪か、緑翠暗きあたり白き鸚鵡の見え隠れに、蜩一声鳴きける時、手をもって涙を拭いつつ徐に謙三郎を顧みたり。 「いいえね、未練が出ちゃあ悪いから、もうあの声を聞くまいと思って。……」 叔母は涙の声を飲みぬ。 謙三郎は羞じたる色あり。これが答はなさずして、胸の間の釦鈕を懸けつ。 「さようなら参ります。」 とつかつかと書斎を出でぬ。叔母は引添うごとくにして、その左側に従いつつ、歩みながら口早に、 「可いかい、先刻謂ったことは違えやしまいね。」 「何ですか。お通さんに逢って行けとおっしゃった、あのことですか。」 謙三郎は立留りぬ。 「ああ、そのこととも、お前、軍に行くという人に他に願があるものかね。」 「それは困りましたな。あすこまでは五里あります。今朝だと腕車で駈けて行ったんですが、とても逢わせないといいますから行こうという気もありませんでした。今ッからじゃ、もう時間がございません。三十分間、兵営までさえ大急でございます。飛んだ長座をいたしました。」 謂うことを聞きも果てず、叔母は少しく急き込みて、 「その言は聞いたけれど、女の身にもなって御覧、あんな田舎へ推込まれて、一年越外出も出来ず、折があったらお前に逢いたい一心で、細々命を繋いでいるもの、顔も見せないで行かれちゃあ、それこそ彼女は死んでしまうよ。お前もあんまり察しがない。」 と戎衣を捉えて放たざるに、謙三郎は困じつつ、 「そうおっしゃるも無理ではございませんが、もう今から逢いますには、脱営しなければなりません。」 「は、脱営でも何でもおし。通が私ゃ可哀そうだから、よう、後生だから。」 と片手に戎衣の袖を捉えて、片手に拝むに身もよもあらず、謙三郎は蒼くなりて、 「何、私の身はどうなろうと、名誉も何も構いませんが、それでは、それではどうも国民たる義務が欠けますから。」 と誠心籠めたる強き声音も、いかでか叔母の耳に入るべき。ひたすら頭を打掉りて、 「何が欠けようとも構わないよ。何が何でも可いんだから、これたった一目、後生だ。頼む。逢って行ってやっておくれ。」 「でもそれだけは。」
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