南無三宝三十銭、支出する小遣がないから払ふ訳に往かない。処で、どう間違つたか小学校の先生が褒美にくれました記事論説文例、と云ふのを二冊売つたんです、是が悪事の初めさ。それから四書を売る。五経を殺すね。月謝が滞る、叔母に泣きつくと云ふ不始末。のみならず、一度ことが露顕に及んでからは、益々塾の監督が厳重になつて読むことが出来なくなつた。さうなると当人既に身あがりするほどの縁なんだから、居ても起つても逢ひたくツて、堪りますまい。毎日夕刻洋燈を点ける時分、油壷の油を、池の所へあけるんです。あけて油を買ひに、と称して戸外へ出て貸本屋へ駈付ける。跫音がしては不可んから跣足で出たこともありますよ。処がどうも毎晩油を買ひに行く訳にいかないぢやありませんか。何か工風をしなければならないのに、口実がなくつては不可ませんから、途中から引返したことなどもあつたんです。それから本を借りて持つて入るときに、見付けられるとわるいから帯の下と背中へ入れるんです。是が後でナカ/\用にたつたことがある。質屋へ物を持つて行くに此の伝で下宿屋を出るので、訳はないのです。確に綿入三枚……怪しからんこツた。もし何処へ往つたと見咎められると、こゝに不思議な話がある、極ないしよなんだけれども、褌を外して袂へ忍ばせて置くんで、宜うがすか、何の為だと云ふと、其塾の傍に一筋の小川が流れて居る、其小川へ洗濯に出ましたと斯う答へるんです。さうすると剣突を喰つて、「どうも褌を洗ひに行きますと云ふのは、何だか申上げ悪いから黙つて出ました。」と言ひ抜ける積りさ。 それから読む時、一番困つたのは彼の美少年録、御存じのとほり千ペエジ以上といふ分厚なんです。いつたい何時も誤魔化読をする時には、小説を先づ斯う開いて、其上へ、詰り英語の塾だから、ナシヨナル読本、スイントンの万国史などを載せる。片一方へ辞書を開いて置くのです。さうして跫音がするとピタリと辞書を裏返しにして乗掛るしかけなんでせう。処が薄い本だと宜いが、厚いのになると其呼吸が合ひますまい。其処でかたはらへ又沢山課目書を積んで、此処へ辞書を斜めにして建掛けたものです。さうすると厚いのが隠れませう。最も恁うなるといろあつかひ。夜がふけると、一層身に染みて、惚込んだ本は抱いて寝るといふ騒ぎ、頑固な家扶、嫉妬な旦那に中をせかれていらつしやる貴夫人令嬢方は、すべて此の秘伝であひゞきをなすつたらよからうと思ふ。 串戯はよして、私が新しい物に初めて接したやうな考へをしたのは、春廼家さんの妹と背かゞみで、其のころ書生気質は評判でありましたけれども、それは後に読みました。最初は今申した妹と背かゞみ、それを貸して呉れた男の曰く、この本は気を付けて考へて読まなくてはいけないよと、特にさう言はれたからビクビクもので読んで見た。第一番冒頭に書して、確かお辻と云ふ女、「アラ水沢さん嬉しいこと御一人きり。」よく覚えて居るんです。お話は別になりますが、昔の人が今の小説を読んで、主人公の結局る所がないと云ふ、「武士の浪人ありける。」から「八十までの長寿を保ちしとなん。」と云ふ所まで書いてないから分らないと云ふが、なるほど幼稚な目には、然う云ふ考へがするでせう。妹と背かゞみに於て、何故、お雪がどうなるだらうと、いつまでも心配で/\堪らなかつたことがありますもの。 東京の新聞は余り参りませんで、京都の新聞だの、金沢の新聞に、誰が書いたんだか、お家騒動、附たり武者修業の話が出て居るんです。其中に唯二三枚あつて見たんです、四五十回は続いたらうと思ひますが、未だに一冊物になつても出ず、うろ覚えですから間違かも知れませんが、春廼家さんなんです、或ひは朝野新聞とも思ふし、改進新聞かとも思ふんだが、「こゝやかしこ。」と仮名の題で、それがネ、大分文章の体裁が変つて、あたらしい書方なんです。中に一人お嬢さんが居るんだネ、其のお嬢さんに、イヤな奴が惚れて居て口説くんだネ。(何かヒソ/\いふ、顔を赧くする、又何かいふ、黙つて横を向く、進んで何かいはうとする、女はフイと立つ。)と、先づ恁うです。おもしろいぢやありませんか。演劇なら両手をひろげて追まはす。続物の文章ならコレおむすとしなだれかゝる、と大抵相場のきまつて居た処でせう。 また一人の友人があつて、貧乏長屋の二階を借りて、別に弟子を取つて英語を教へて居つた。壁隣が機業家なんです、高い山から谷底見れば小万可愛や布晒すなんぞと、工女の古い処を唄つて居るのを聞きながら、日あたりの可い机の傍で新版を一冊よみました。これが私ども先生の有名ないろ懺悔でございました。あの京人形の女生徒の、「サタン退けツ」「前列進め」なぞは、其の時分、幾度繰返したか分りません。夏痩は、辰ノ口といふ温泉の、叔母の家で、従姉の処へわきから包ものが達いた。其上包になつて読売新聞が一枚。ちやうど女主人公の小間使が朋輩の女中の皿を壊したのを、身に引受けて庇ふ処で、――伏拝むこそ道理なれ――といふのを見ました。纏つたのは、たしかこちらへ参つてからです。田舎は不自由ぢやありませんか。しかしいろ懺悔だの、露伴さんの風流仏などは、東京の評判から押して知るべしで、皆が大騒ぎでした。 あの然やう、八犬伝は、父や母に聞いて筋丈は、大抵存じて居りましたし、弓張月、句伝実実記などをよんだ時、馬琴が大変ひいきだつた。処が、追々ねツつりが厭になつたんです。けれども是は批評をするのだと、馬琴大人に甚だ以て相済ぬ、唯ね、どうもネ。彼の人は意地の悪いネヂケた爺さんのやうだからさ。作のよしあしは別として好き、きらひ、贔屓、不贔屓はかまはないでせう。西鶴も贔屓でない、贔屓なのは京伝と、三馬、種彦なぞです。何遍でも読んで飽きないと云へば、外のものも飽きないけれども、幾ら繰返してもイヤにならなくて、どんなに読んでも頭痛のする時でも、快い心持になるのは、膝栗毛です。それから種彦のものが大好だつた。種彦と云へば、アノ、「文字手摺昔人形」と云ふ本の中に、女が出陣する所がある。それがネ、斯う、込み入る敵の兵卒を投げたり倒したりあしらひながら、小手すねあてをつけて、鎧を颯と投げかける。其の鎧の、「揺ぎ糸の紅は細腰に絡ひたる肌着の透くかと媚いたり。」綺麗ぢやありませんか。おつなものは岡三鳥の作つた、岡釣話、「あれさ恐れだよう、」と芸者の仮声を隅田川の中で沙魚がいふんです。さうして釣られてね、「ハゼ合点のゆかぬ、」サ飛んだのんきでいゝでせう。 えゝ、此のごろでも草双紙は楽みにして居ります。それに京伝本なんぞも、父や母のことで懐しい記念が多うございますから、淋しい時は枕許に置きますとね。若菜姫なんざ、アノ画の通りの姿で蜘蛛の術をつかふのが幻に見えますよ。演劇を見て居るより余ツ程いゝ、笑つちやいけません、どうも纏らないお話で、嘸ぞ御聴苦しうございましたらう。
(明治三十四年一月)
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
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