石川啄木作品集 第二巻 |
昭和出版社 |
1970(昭和45)年11月20日 |
1970(昭和45)年11月20日発行 |
1972(昭和47)年6月20日発行 |
××村の小學校では、小使の老爺に煮炊をさして校長の田邊が常宿直をしてゐた。その代り職員室で使ふ茶代と新聞代は宿直料の中から出すことにしてある。宿直料は一晩八錢である。茶は一斤半として九十錢、新聞は郵税を入れて五十錢、それを差引いた殘餘の一圓と外に炭、石油も學校のを勝手に使ひ、家賃は出さぬと來てるから、校長はどうしても月五圓宛徳をして居る。その所爲でもあるまいが、校長に何か宿直の出來ぬ事故のある日には、此木田訓導に屹度差支へがある。代理の役は何時でも代用教員の甲田に轉んだ。もう一人の福富といふのは女教員だから、自然と宿直を免れてゐるのである。 その日も、校長が缺席兒童の督促に出掛けると言ひ出すと、此木田は春蠶が今朝から上簇しかけてゐると言つて、さつさと歸り支度をした。校長も、年長の生徒に案内をさせる爲めに待たしてあるといふので、急いで靴を磨いて出懸けた。出懸ける時に甲田の卓の前へ來て、 『それでは一寸行つて來ますから、何卒また。』と言つた。 『は、御緩り。』 『今日は此木田さんに宿直して貰ふ積りでゐたら、さつさと歸つて了はれたものですから。』校長は目尻に皺を寄せて、氣の毒さうに笑ひ乍ら斯う言つた。そして、冬服の上着のホックを叮嚀に脱して、山樺の枝を手頃に切つた杖を持つて外に出た。六月末の或日の午後でである。 校長の門まで行く後姿が職員室の窓の一つから見られた。色の變つた獨逸帽を大事さうに頭に戴せた恰好は何時みても可笑しい。そして、何時でも脚氣患者のやうに足を引擦つて歩く。甲田は何がなしに氣の毒な人だと思つた。そして直ぐ可笑しくなつた。やかまし屋の郡視學が巡つて來て散々小言を云つて行つたのは、つい昨日のことである。視學はその時、此學校の兒童出席の歩合は、全郡二十九校の中、尻から四番目だと言つた。畢竟これも職員が缺席者督促を行しない爲めだと言つた。その責任者は言ふ迄もなく校長だと言つた。好人物の田邊校長は『いや、全くです。』と言つて頭を下げた。それで今日は自分が先づ督促に出かけたのである。 この歩合といふ奴は始末にをへないものである。此邊の百姓にはまだ、子供を學校に出すよりは家に置て子守をさした方が可いと思つてる者が少なくない。女の子は殊にさうである。急しく督促すれば出さぬこともないが、出て來た子供は中途半端から聞くのだから教師の言ふことが薩張解らない。面白くもない。教師の方でも授業が不統一になつて誠に困る。二三日經てば、自然また來なくなつて了ふ。然しそれでは歩合の上る氣づかひはない。其處で此邊の教師は、期せずして皆出席簿に或手加減をする。そして、嘘だと思はれない範圍で、歩合を誤魔化して報告する。此學校でも、田邊校長からして多少その祕傳をやつてゐるのだが、それでさへ仍且尻から四番目だと言はれる。誠に始末にをへないのである。甲田は初めそんな事を知らなかつた。ところがこんなことがあつた。三月の修業證書授與式の時に、此木田の受持の組に無缺席で以て賞品を貰つた生徒が二人あつた。甲田は偶然その二人が話してるのを聞いた。一人は、俺は三日休んだ筈だと言つた。一人は俺もみんなで七日許り休んだ筈だと言つた。そして二人で、先生が間違つたのだらうか何うだらうかと心配してゐた。甲田は其時思ひ當る節が二つも三つもあつた。そこで翌月から自分も實行した。今でもやつてゐる。それから斯ういふことがあつた。或る朝田邊校長が腹が痛いといふので、甲田が掛持して校長の受持つてゐる組へも出た。出席簿をつけようとすると、一週間といふものは全然出缺が附いてない。其處で生徒に訊いて見ると、田邊先生は時々しか出席簿を附けないと言つた。甲田は竊かに喜んだ。校長も矢張り遣るなと思つた。そして女教師の福富も矢張り、遣るだらうか、女だから遣らないだらうかといふ疑問を起した。或時二人限ゐた時、直接訊いて見た。福富は眞顏になつて、そんな事はした事はありませんと言つた。甲田は、女といふものは正直なものだと思つた。そして、 『それぢややらないのは貴方だけです。』と言つた。福富は目を圓くして、 『まア、校長さんもですか。』と驚いた。 『無論ですとも、盛んに遣つてますよ。』 そこで甲田は、自分がその祕訣を知つた抑々の事から話して聞かした。校長は出席簿を碌々つけないけれども、月末には確然と歩合を取つて郡役所に報告する。不正確な出席總數プラス不正確な缺席總數で割つたところで、結局其處に出來る歩合は矢張り不正確な歩合である。初めから虚僞の報告をする意志が無いと假定したところで、その不正確な歩合を正確なものとして報告するには、少なくとも其間に立派に犯罪の動機が成り立つ。いくら好人物で無能な校長でも、この歩合は不正確だからといふので態々控へ目にして報告するほどの頓馬では無いだらうといふのである。そして斯ういふ結論を下した。田邊校長のやうに意氣地のない、不熱心な、無能な教育家は何處に行つたつてあるものぢやない。田邊校長のゐるうちは、此の村の教育も先づ以て駄目である。だから我々も面倒臭い事は好加減にやつて置くべきである。それから郡視學も郡視學である。あの男は、郡視學に取立てられるといふ話のあつた時、毎日手土産を以て郡長の家へ日參したさうである。すると郡長は、君はそんなに郡視學になりたいのかと言つたさうである。それから又、近頃は毎日君のお陰で麥酒は買はずに飮めるが辭令を出して了へば、もう來なくなるだらうから、當分俺が握つて置かうかと思ふと言つたさうである。これは嘘かも知れないが、何しろあんな郡視學に教育の何たるかが解るやうなら、教育なんて實に下らんものである。あの男は、自分が巡回して來た時、生徒が門まで出て來て叩頭すれば、徳育の盛んな村だと思ひ、帳簿を澤山備へて置けば整理のついた學校だと思ふに違ひない。それから又、教育雜誌を成るべく澤山買つて置いて、あの男が來た時、机の上に列べて見せると、屹度昇給さして呉れる。これは請合である。あんな奴に小言を言はして置くよりは、初めからちやんと歩合を誤魔化して置く方が、どれだけ賢いか知れぬ。―― 甲田は、斯ういふ徹底しない論理を、臆病な若い醫者が初めて鋭利な外科刀を持つた時のやうな心持で極めて熱心に取り扱つてゐた。そして、慷慨に堪へないやうな顏をして口を噤んだ。太い左の眉がぴり/\動いてゐた。これは彼にとつては珍らしい事であつた。甲田は何かの拍子で人と爭はねばならぬ事が起つても、直ぐ、一心になるのが莫迦臭いやうな氣がして、笑はなくても可い時に笑つたり、不意に自分の論理を抛出して對手を笑はせたりする。滅多に熱心になる事がない。そして、十に一つ我知らず熱心になると、太い眉をぴり/\させる。福富も何時かしら甲田の調子に呑まれてしまつて、眞面目な顏をして聞いてゐたが、聞いて了つてから、 『ほんとにさうですねえ。莫迦正直に督促して歩いたりするより、その方が餘程樂ですものねえ。』と言つた。それから間もなくその月の月末報告を作るべき日が來た。甲田と福富とは歸りに一緒に玄關から出た。甲田は『何うです、祕傳を遣りましたか?』と訊いた。女教師は擽ぐられたやうに笑ひ乍ら、 『いゝえ。』と言つた。 『何故遣らないんです?』甲田は、當然すべきことをしなかつたのを責めるやうな聲を出した。すると福富は、今日は自分の組の歩合は六十二コンマの四四四である。先月より二コンマの少しだけ多い。段々野良の仕事が忙がしくなつて缺席の多くなるべき月に、これ以上歩合を上せては、郡視學に疑はれる惧れがある。尤も、今後若し六十以下に下るやうな事があつたら、仕方がないから私も屹度その祕傳を遣るつもりだと辯解した。甲田は女といふものは實に氣の小さいものだと思つた。すると福富は又媚びるやうな目附をして斯う言つた。 『ほんとはそれ許りぢやありませんの。若しか先生が、私に彼樣言つて置き乍ら、御自分はお遣りにならないのですと、私許り詰りませんもの。』 甲田はアハハと笑つた。そして心では、對手に横を向いて嗤はれたような侮辱を感じた。『畜生!矢つ張り年を老つてる哩!』と思つた。福富は甲田より一つ上の二十三である。――これは二月も前の話である。 甲田は何時しか、考へるともなく福富の事を考へてゐた。考へると言つたとて、別に大した事はない。福富は若い女の癖に、割合に理智の力を有つてゐる。相應に物事を判斷してゐれば、その行ふ事、言ふ事に時々利害の觀念が閃く。師範學校を卒業した二十三の女であれば、それが普通なのかも知れないが、甲田は時々不思議に思ふ。小説以外では餘り若い女といふものに近づいた事のない甲田には、何うしても若い女に冷たい理性などがありさうに思へなかつた。斯う思ふのは、彼が年中青い顏をしてゐるヒステリイ性の母に育てられ、生來の跛者で背が低くて、三十になる今迄嫁にも行かずに針仕事許りしてゐる姉を姉として居る故かも知れぬ。彼は今迄讀んだ小説の中の女で『思出の記』に出てゐる敏子といふ女を、一番なつかしく思つてゐる。然し、彼が頭の中に描いてゐる敏子の顏には、何處の隅にも理性の影が漂つてゐない。浪子にしても『金色夜叉』のお宮にしても、矢張りさうである。甲田は女の知情意の發達は、大抵彼處邊が程度だらうと思つてゐる。そして時々福富と話して居るうちに自分の見當違ひを發見する。尤もこれが必ずしも彼を不愉快にするとは限らない。それから又、甲田は尋常科の一二年には男より女の教師の方が可いといふ意見を認めてゐる。理由は、女だと母の愛情を以てそれらの頑是ない子供を取扱ふ事が出來るといふのである。ところが、福富の教壇に立つてゐる所を見ると、母として立つてゐるのとは何うしても見えない。横から見ても、縱から見ても教師は矢張り教師である。福富は母の愛情の代りに五段教授法を以て教へてゐる。 そんな事を、然し、甲田は別に深く考へてゐるのではない。唯時々不思議なやうな氣がするだけである。そして、福富がゐないと、學校が張合がなくなつたやうに感じる。福富は滅多な風邪位では缺勤しないが、毎月、月の初めの頃に一日だけ休む。此木田は或時『福富さんは屹度毎月一度お休みになりますな。』と言つて、妙な笑ひ方をした。それを聞いて甲田も、成程さうだと思つた。すると福富は、『私は月經が強いもんですから。』と答へた。甲田は大變な事を聞かされたやうに思つて、見てゐると、女教師はそれを言つて了つて少し經つてから、心持顏を赤くしてゐた。福富の缺勤の日は、甲田は一日物足らない氣持で過して了ふ。それだけの事である。互に私宅へ訪ねて行く事なども滅多にない。彼はこの村に福富の外に自分の話相手がないと思つてゐる。これは實際である。そして、決してそれ以上ではないと思つてゐる。人氣[#ルビの「ひとけ」は底本では「ひとげ」]のないやうな、古い大きな家にゐて、雨滴の音が、耳について寢られない晩など、甲田は自分の神經に有機的な壓迫を感じて、人には言はれぬ妄想を起すことがある。さういふ時の對手は屹度福富である。肩の辷り、腰の周りなどのふつくらした肉附を想ひ浮べ乍ら、幻の中の福富に對して限りなき侮辱を與へる。然しそれは其時だけの事である。毎日學校で逢つてると、平氣である。唯何となく二人の間に解決のつかぬ問題があるやうに思ふ事のあるだけである。そして此問題は、二人限の問題ではなくて、『男』といふものと『女』といふものとの間の問題であるやうに思つてゐる。時偶母が嫁の話を持ち出すと、甲田は此世の何處かに『思出の記』の敏子のやうな女が居さうに思ふ。福富といふ女と結婚の問題とは全く別である。福富は角ばつた顏をした、色の淺黒い女である。 福富は、毎日授業が濟んでから、三十分か一時間オルガンを彈く。さうしてから、明日の教案を立てたり、その日の出席簿を整理したりして歸つて行く。福富は何時の日でも、人より遲く歸るのである。甲田は時々田邊校長から留守居を頼まれて不服に思はないのは之が爲めである。甲田は煙管の掃除をし乍ら、生徒控所の彼方の一學年の教室から聞えて來るオルガンの音を聞いて居た。バスの音とソプラノの音とが、即かず離れずに縺れ合つて、高くなつたり低くなつたりして漂ふ間を、福富の肉聲が、浮いたり沈んだりして泳いでゐる。別に好い聲ではないが、圓みのある落着いた温かい聲である。『――主ウの――手エにーすーがーれエるー、身イはー安ウけエーしー』と歌つてゐる。甲田は、また遣つてるなと思つた。 福富はクリスチャンである。よく讃美歌を歌ふ女である。甲田は何方かと言へば、クリスチャンは嫌ひである。宗教上の信仰だの、社會主義だのと聞くと、そんなものは無くても可いやうに思つてゐる。そして福富の事は、讃美歌が好きでクリスチャンになつたのだらうと思つてゐる。或る時女教師は、どんなに淋しくて不安さうな時でも、聖書を讀めば自然と心持が落着いて來て、日の照るのも雨の降るのも、敬虔な情を以て神に感謝したくなると言つた。甲田は、それは貴方が獨身でゐる故だと批評した。そして餘程穿つた事を言つたと思つた。すると福富は、眞面目な顏をして、貴方だつて何時か、屹度神樣に縋らなければならない時が來ますと言つた。甲田は、そんな風な姉ぶつた言振をするのを好まなかつた。 少し經つとオルガンの音が止んだ。もう止めて來ても可い位だと思ふと、ブウと太い騷がしい音がした。空氣を抜いたのである。そしてオルガンに蓋をする音が聞えた。 愈々やつて來るなと思つてると、誰やら玄關に人が來たやうな樣子である。『御免なさい。』と言つてゐる。全で聞いたことのない聲である。出て見ると、背の低い若い男が立つてゐた。そして、 『貴方は此處の先生ですか?』と言つた。 『さうです。』 『一寸休まして呉れませんか? 僕は非常に疲れてゐるんです。』 甲田は返事をする前に、その男を頭から足の爪先まで見た。髮は一寸五分許りに延びてゐる。痩犬のやうな顏をして居る。片方の眼が小さい。風呂敷包みを首にかけてゐる。そして、垢と埃で臺なしになつた、荒い紺飛白の袷の尻を高々と端折つて、帶の代りに牛の皮の胴締をしてゐる。その下には、白い小倉服の太目のズボンを穿いて、ダブ/\したズボンの下から、草鞋を穿いた素足が出てゐる。誠に見すぼらしい恰好である。年は二十歳位で、背丈は五尺に充たない。袷の袖で狹い額に滲んだ膩汗を拭いた。 『たゞ休むだけですか!』と甲田は訊いた。 『さうです、休むだけでも可いんです。今日はもう十里も歩いたから、すつかり疲れて居るんです。』 甲田は一寸四邊を見してから、 『裏の方へりなさい。』と言つた。 小使室へ行つて見ると、近所の子供が二三人集つて、石盤に何か書いて遊んでゐた。大きい爐が切つてあつて、その縁に腰掛が置いてある。間もなくその男が入つて來て、一寸會釋をして、草鞋を脱がうとする。 『土足の儘でも可いんです。』 『さうですか、然し草鞋を脱がないと、休んだやうな氣がしません。』 斯う言つて、その男は憐みを乞ふやうな目附をした。すると甲田は、 『其處に盥があります。水もあります。』と言つた。その時、廣い控所を横ぎつて職員室に來る福富の足音が聞えた。子供等は怪訝な顏をして、甲田とその男とを見てゐた。 若い男は、草鞋を脱いで上つて、腰掛に腰を掛けた。甲田も、此儘放つて置く譯にもいかぬと思つたから、向ひ合つて腰を掛けた。 『君は此學校の先生ですか?』と男は先刻訊いたと同じ事を言つた。但、『貴方』と言つたのが、『君』に變つてゐた。 『さうです。』と答へて、甲田は對手の無遠慮な物言ひを不愉快に思つた。そして、自分がこんな田舍で代用教員などをしてるのを恥づる心が起つた。同樣に、煙草が無くて手の遣り場に困る事に氣が附いた。 『あ、煙草を忘れて來た。』と獨言をした。そして立つて職員室に來てみると、福富は、 『誰か來たんですか?』と低聲に訊いた。 『乞食です。』 『乞食がどうしたんです?』 『一寸休まして呉れと言ふんです。』 福富は腑に落ちない顏をして甲田を見た。此學校では平常乞食などは餘り寄せつけない事にしてあるのである。甲田は、煙草入と煙管を持つて、また小使室に來た。そして今度は此方から訊いた。 『何處から來たんですか?』 『××からです。』と北方四十里許りにある繁華な町の名を答へた。
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