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詩(し)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-21 16:06:54 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



北の方旭川なる
丈高き見習士官
遠からず演習のため
札幌に来るといふなる
たより来ぬ。豚鍋つつき
語らむと、これも待たるる。

待たるるはこれのみならず、
願くは兄弟達よ
手紙れ。ハガキでもよし。
函館のたよりなき日は
何となく唯我一人
荒れし野に追放されし
思ひして、心クサクサ、
わけもなく我がかたはらの、
猫の糞しやくにぞさわれ。

猫の糞可哀相かはいさうなり、
鼻下の髯、二程のびて
物いへば、いつも滅茶苦茶、
今もなほ無官の大夫、
実際は可哀相だよ。

札幌は静けき都、
秋の日のいと温かに
あぶの声おとづれ来なる
南窓ミナミマド、うつらうつらの
我が心、ふと浮気ウハキし、
筆とりて書きたるフミ
見よやこの五七の調よ、

其昔、髯のホメロス
イリヤドを書きし如くに
すらすらと書きこそしたれ。
札幌は静けき都、夢に来よかし。

   反歌
白村が第二の愛児マナゴ笑むらむかはた
泣くらむか聞かまほしくも。
なつかしき我が兄弟オトドヒよ我がために
文かけ、よしや頭掻かずも。
北の子は独逸ドイツ語習ふ、いざやいざ
我が正等タダシラ競駒クラベゴマせむ。
うつらうつら時すぎゆきて隣室の
時計二時うつ、いざ出社せむ。
  四十年九月二十三日
             札幌にて 啄木拝
並木兄 御侍史

  無題

一年ばかりの間、いや一と月でも
一週間でも、三日でもいい。
神よ、もしあるなら、ああ、神よ、
私の願ひはこれだけだ。どうか、
身体からだをどこか少しこはしてくれ痛くても
かまはない、どうか病気さしてくれ!
ああ! どうか……

真白な、やはらかな、そして
身体がフウワリと何処までも――
安心の谷の底までも沈んでゆく様な布団ふとんの上に、いや
養老院の古畳の上でもいい、
何も考へずに(そのまま死んでも
惜しくはない)ゆっくりと寝てみたい!
手足を誰か来て盗んで行っても
知らずにゐる程ゆっくり寝てみたい!

どうだらう! その気持は! ああ。
想像するだけでも眠くなるやうだ! 今てゐる
この著物を――重い、重いこの責任の著物を
脱ぎててしまったら(ああ、うっとりする!)
私のこの身体が水素のやうに
ふうわりと軽くなって、
高い高い大空へ飛んでゆくかも知れない――「雲雀ひばりだ」
下ではみんながさう言ふかも知れない! ああ!
    ――――――――――――――
死だ! 死だ! 私の願ひはこれ
たった一つだ! ああ!

あ、あ、ほんとに殺すのか? 待ってくれ、
ありがたい神様、あ、ちょっと!

ほんの少し、パンを買ふだけだ、五―五―五―銭でもいい!
殺すくらゐのお慈悲じひがあるなら!

  新らしき都の基礎

やがて世界のいくさは来らん!
不死鳥フエニツクスの如き空中軍艦が空に群れて、
その下にあらゆる都府がこぼたれん!
いくさは永く続かん! 人々の半ばは骨となるならん!
しかる後、あはれ、然る後、我等の
『新らしき都』はいづこに建つべきか?
滅びたる歴史の上にか? 思考と愛の上にか? 否、否。
土の上に。然り、土の上に、何の――夫婦と云ふ
定まりも区別もなき空気の中に
果て知れぬあをき、蒼き空のもとに!

  夏の街の恐怖

焼けつくやうな夏の日の下に
おびえてぎらつく軌条レールの心。
母親の居ねむりのひざからり下りて、
ふとった三歳みつつばかりの男の児が
ちょこちょこと電車線路へ歩いて行く。

八百屋の店にはえた野菜。
病院の窓の窓掛まどかけれて動かず。
とざされた幼稚園の鉄の門の下には
耳の長い白犬が寝そべり、
すベて、限りもない明るさの中に
どこともなく、芥子けしの花が死落しにおち、
生木なまきひつぎ裂罅ひびの入る夏の空気のなやましさ。

病身の氷屋の女房が岡持を持ち、
骨折れた蝙蝠傘かうもりがさをさしかけて門を出れば、
横町の下宿から出て進み来る、

夏の恐怖に物言はぬ脚気かつけ患者のはうむりの列。
それを見て辻の巡査は出かかった欠呻あくびみしめ、
白犬は思ふさまのびをして、
塵溜ごみための蔭に行く。

  起きるな

西日をうけて熱くなった
ほこりだらけの窓の硝子ガラスよりも
まだ味気ない生命いのちがある。

正体もなく考へに疲れきって、
汗を流し、いびきをかいて昼寝してゐる
まだ若い男の口からは黄色い歯が見え、
硝子越しの夏の日が毛脛けずねを照し、
その上にのみひあがる。

起きるな、超きるな、日の暮れるまで。
そなたの一生に冷しい静かな夕ぐれの来るまで。

何処かでなまめいた女の笑ひ声。

  事ありげな春の夕暮

遠い国にはいくさがあり……
海には難破船の上の酒宴さかもり……

質屋の店にはあをざめた女が立ち、
燈火あかりにそむいてはなをかむ。
其処そこを出て来れば、路次の口に
情夫まぶの背を打つ背低い女――
うす暗がりに財布さいふを出す。

何か事ありげな――
春の夕暮の町を圧する
重くよどんだ空気の不安。
仕事の手につかぬ一日が暮れて、
何に疲れたとも知れぬ疲れがある。
遠い国には沢山の人が死に……
また政庁に推寄おしよせる女壮士のさけび声……
海には信夫翁あはうどりの疫病……

あ、大工だいくの家では洋燈ランプが落ち、
大工の妻がび上る。

  騎馬の巡査

絶間たえまなく動いてゐる須田町の人込ひとごみの中に、
絶間なく目を配って、立ってゐる騎馬きばの巡査――
見すぼらしい銅像のやうな――。

白痴の小僧は馬の腹をすばしこくくぐりぬけ、
荷を積み重ねた赤い自動車が
その鼻先を行く。

数ある往来の人の中には
子供の手をいた巡査の妻もあり
実家さとへ金借りに行った帰りみち
ふとの馬上の人を見上げて、
おのが夫の勤労を思ふ。

あ、犬が電車にかれた――
ぞろぞろと人が集る。
巡査も馬を進める……

  はてしなき議論の後(一)

暗き、暗き曠野くわうやにも似たる
わが頭脳の中に、
時として、いなづまのほとばしるごとく、
革命の思想はひらめけども――

あはれ、あはれ、
かの壮快さうくわいなる雷鳴らいめいつひに聞え来らず。

我は知る、
その電に照し出さるる
新しき世界の姿を。
其処そこにては、物みなそのところを得べし。

されど、そは常に一瞬にして消え去るなり、
しかして、この壮快なる雷鳴は遂に聞え来らず。

暗き、暗き曠野にも似たる
わが頭脳の中に
時として、電のほとばしる如く、
革命の思想はひらめけども――

  はてしなき議論の後(二)

われらのつ読み、且つ議論をたたかはすこと、
しかしてわれらの眼の輝けること、
五十年前の露西亜ロシアの青年に劣らず。
われらは何をすべきかを議論す。
されど、誰一人、握りしめたるこぶしたくをたたきて、
V NARODナロード !’と叫び出づるものなし。

われらはわれらの求むるものの何なるかを知る、
また、民衆の求むるものの何なるかを知る、
しかして、我等の何を為すべきかを知る。
実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD !’と叫び出づるものなし。

此処ここにあつまれる者は皆青年なり、
常に世に新らしきものを作り出だす青年なり。
われらは老人の早く死に、しかしてわれらのつひに勝つべきを知る。
見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD !’と叫び出づるものなし。

ああ、蝋燭らふそくはすでに三度も取りかへられ、
飲料のみもの茶碗ちやわんには小さき羽虫の死骸しがい浮び、
若き婦人の熱心に変りはなけれど、
その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。
されど、なほ、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD !’と叫び出づるものなし。

  ココアのひとさじ

われは知る、テロリストの
かなしき心を――
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
うばはれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵にげつくる心を――
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常につかなしみなり。

はてしなき議論の後の
めたるココアのひとさじすすりて、
そのうすにがき舌触したざはりに
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。

  書斎の午後

われはこの国の女を好まず。

読みさしの舶来の本の
手ざはりあらき紙の上に、
あやまちてこぼしたる葡萄酒ぶだうしゆ
なかなかにみてゆかぬかなしみ。

われはこの国の女を好まず。

  激論

われはかの夜の激論を忘るることあたはず、
新らしき社会にける「権力」の処置にきて、
はしなくも、同志の一人なる若き経済学者Nと
我との間にき起されたる激論を、
かの五時間にわたれる激論を。

「君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家せんどうかの言なり。」
かれはつひにかく言ひ放ちき。
その声はさながらゆるごとくなりき。
しその間に卓子テエブルのなかりせば、
かれの手は恐らくわがかうべを撃ちたるならむ。
われはその浅黒き、大いなる顔の
男らしき怒りにみなぎれるを見たり。

五月の夜はすでに一時なりき。
る一人の立ちて窓を明けたるとき、
Nとわれとの間なる蝋燭らふそくの火は幾度か揺れたり。
病みあがりの、しかして快く熱したるわがほほに、
雨をふくめる夜風のさはやかなりしかな。

さてわれは、また、かの夜の、
われらの会合に常にただ一人の婦人なる
Kのしなやかなる手の指環ゆびわを忘るることあたはず。
ほつれ毛をかき上ぐるとき、
また、蝋燭のしんるとき、
そは幾度かわが眼の前に光りたり。
しかして、そは実にNの贈れる約婚のしるしなりき。
されど、かの夜のわれらの議論に於いては、
かのぢよは初めよりわが味方なりき。

  墓碑銘

われは常にかれを尊敬せりき、
しかして今もなほ尊敬す――
かの郊外の墓地のくりの木の下に
かれをはうむりて、すでにふた月を経たれど。

に、われらの会合の席に彼を見ずなりてより、
すでにふた月は過ぎ去りたり。
かれは議論家にてはなかりしかど、
なくてかなはぬ一人なりしが。

或る時、彼の語りけるは、
「同志よ、われの無言をとがむることなかれ。
われは議論することあたはず、
されど、我には何時いつにてもつことを得る準備あり。」

「彼の眼は常に論者の怯懦けふだ叱責しつせきす。」
同志の一人はかくかれを評しき。
しかり、われもまた度度たびたびしかく感じたりき。
しかして、今や再びその眼より正義の叱責をうくることなし。

かれは労働者――一個の機械職工なりき。
かれは常に熱心に、つ快活に働き、
ひまあれば同志と語り、またよく読書したり。
かれは煙草たばこも酒も用ゐざりき。

かれの真摯しんしにして不屈、且つ思慮深き性格は、
かのジュラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり。
かれははげしき熱にをかされて、病の床によこたはりつつ、
なほよく死にいたるまで譫話うはごとを口にせざりき。

「今日は五月一日なり、われらの日なり。」
これ、かれのわれにのこしたる最後の言葉なり。
この日のあした、われはかれの病を見舞ひ、
その日のゆふべ、かれは遂に永き眠りに入れり。

ああ、かの広きひたひと、鉄槌てつつゐのごときかひなと、
しかして、また、かの生を恐れざりしごとく
死を恐れざりし、常に直視する眼と、
まなこつぶれば今も猶わが前にあり。

彼の遺骸ゐがいは、一個の唯物論ゆゐぶつろん者として
かの栗の木の下に葬られたり。
われら同志の撰びたる墓碑銘ぼひめいは左の如し、
「われは何時いつにても起つことを得る準備あり。」

  古びたる鞄をあけて

わが友は、古びたるかばんをあけて、
ほの暗き蝋燭らふそく火影ほかげの散らぼへる床に、
いろいろの本を取り出だしたり。
そは皆この国にて禁じられたるものなりき。
やがて、わが友は一葉の写真を探しあてて、
「これなり」とわが手に置くや、
静かにまた窓にりて口笛を吹き出したり。
そは美くしとにもあらぬ若き女の写真なりき。

  げに、かの場末の

げに、かの場末の縁日の夜の
活動写真の小屋の中に、
くさきアセチレン瓦斯ガスただよへる中に、
鋭くも響きわたりし
秋の夜の呼子の笛はかなしかりしかな。
ひょろろろと鳴りて消ゆれば、
あたりたちまち暗くなりて、
薄青きいたづら小僧の映画ぞわが眼にはうつりたる。
やがて、また、ひょろろと鳴れば、
れし説明者こそ、
西洋の幽霊いうれいごとき手つきして、
くどくどと何事を語り出でけれ。
我はただ涙ぐまれき。

されど、そは、三年みとせも前の記憶なり。
はてしなき議論の後の疲れたる心を抱き、
同志の中の誰彼たれかれの心弱さを憎みつつ、
ただひとり、雨の夜の町を帰り来れば、
ゆくりなく、かの呼子の笛が思ひ出されたり。
――ひょろろろと、
また、ひょろろろと――

我は、ふと、涙ぐまれぬ。
げに、げに、わが心のゑてむなしきこと、
今もなほ昔のごとし。

  わが友は、今日も

我が友は、今日もまた、
マルクスの「資本論キヤプタル」の
難解になやみつつあるならむ。

わが身のまはりには、
黄色なる小さき花片はなびらが、ほろほろと、
何故なぜとはなけれど、
ほろほろと散るごときけはひあり。

もう三十にもなるといふ、
身のたけ三尺ばかりなる女の、
赤きあふぎをかざして踊るを、
見世物みせものにて見たることあり。
あれはいつのことなりけむ。

それはさうと、あの女は――
ただ一度我等の会合に出て
それきり来なくなりし――
あの女は、
今はどうしてゐるらむ。

明るき午後のものとなき静心しづごごろなさ。

  家

今朝も、ふと、目のさめしとき、
わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、
顔洗ふ間もそのことをそこはかとなく思ひしが、
つとめ先より一日の仕事をへて帰り来て、
夕餉ゆふげの後の茶をすすり、煙草たばこをのめば、
むらさきの煙の味のなつかしさ、
はかなくもまたそのことのひょっと心に浮び来る――
はかなくもまたかなしくも。

場所は、鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひとかまへ、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなしとても、
広き階段とバルコンと明るき書斎……
げにさなり、すわり心地のよき椅子いすも。

この幾年に幾度も思ひしはこの家のこと、
思ひしごとに少しづつ変へし間取りのさまなどを
心のうちにゑがきつつ、
ランプのかさの真白きにそれとなく眼をあつむれば、
その家に住むたのしさのまざまざ見ゆる心地して、
泣く児に添乳そへぢする妻のひと間の隅のあちら向き、
そを幸ひと口もとにはかなき笑みものぼり来る。

さて、その庭は広くして草の繁るにまかせてむ。
夏ともなれば、夏の雨、おのがじしなる草の葉に
音立てて降るこころよさ。
またその隅にひともとの大樹を植ゑて、
白塗の木の腰掛を根に置かむ――
雨降らぬ日は其処そこに出て、
かの煙く、かをりよき埃及エジプト煙草ふかしつつ、
四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の
本のページを切りかけて、
食事の知らせあるまでをうつらうつらと過ごすべく、
また、ことごとにつぶらなる眼を見ひらきて聞きほるる
村の子供を集めては、いろいろの話聞かすべく……

はかなくも、またかなしくも、
いつとしもなく、若き日にわかれ来りて、
月月のくらしのことに疲れゆく、
都市居住者のいそがしき心に一度浮びては、
はかなくも、またかなしくも
なつかしくして、何時いつまでもつるにしきこの思ひ、
そのかずかずの満たされぬ望みと共に、
はじめより空しきことと知りながら、
なほ、若き日に人知れず恋せしときの眼付して、
妻にも告げず、真白なるランプの笠を見つめつつ、
ひとりひそかに、熱心に、心のうちに思ひつづくる。

  飛行機

見よ、今日も、かの蒼空あをぞら
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、
ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。





底本:「日本文学全集 12 国木田独歩 石川啄木集」集英社
   1967(昭和42)年9月7日初版
   1972(昭和47)年9月10日9版
親本:初版本
入力:j.utiyama
校正:八巻美惠
1998年11月11日公開
2005年12月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

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