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雲は天才である(くもはてんさいである)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-21 16:02:21 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


『それから、其處に立つて居たのが、如何どれ程の時間か自分では知りませんが、氣が附いた時は雨がスッカリ止んで、何だか少し足もとが明るいのです。見ると東の空がボーッと赤くなつて居ましたつけ。夜が明けるんですネ。多分此時まで失神して居たのでせうが、よくも倒れずに立つて居たものと不思議に思ひました。線香ですか? 線香はシッカリ握つて居ました、堅く、しかし濡れて用に立たなくなつて居るのです。
『また買はうと思つたんですが、濡れてビショ/\の袂に一錢五厘しか殘つて居ないんです。一把二錢でしたが……。本を賣つた三十錢の内、國へ手紙を出さうと思つて、紙と状袋と切手を一枚買ひましたし、花は五錢でドッサリ、黒玉も、たゞもう父に死なれた口惜くやしまぎれに、今思へば無考むかんがへな話ですけれども、十五錢程買つたのですもの。仕方がないから、それなり歸つて來て、其時は餘程障子も白んで居ましたが、復此手紙を讀みました。所が可成なるべく早く國に歸つて呉れといふ事が、繰り返し/\書いてあるんです。昨夜はチッとも氣がつかなかつたのですが、無論讀んだには讀んだ筈なんで、多分「父が死んだ」といふ、たゞそれ丈けで頭が一杯だつたせゐでせう。成程、父と同年で矢張五十九になる母が唯一人殘つたのですもの、どう考へたつて歸らなくちやならない、且つ自分でも羽があつたら飛んで行きたい程一刻も早く歸り度いんです。然し金がない、一錢五厘しか無い、草鞋一足だつて二錢は取られまさあアね。新聞社の方も菓子屋の方も、實は何日でも月初めに前借してるんで駄目だし、それに今月分の室賃はまだ拂つて居ないのだから、財産を皆賣つた所で五錢か十錢しか、殘りさうも無い。財産と云つたものの、布團一枚に古机一つ、本は漢文に讀本リーダー文典グランマーと之丈け、あとの高い本は皆借りて寫したんですから賣れないんです。尤もまだ毛布が一枚ありましたけれども、大きい穴が四ツもあるのだから矢張駄目なんです。室賃は月四十錢でした、長屋の天井裏ですもの。兒玉――菓子屋へ行つて話せば、幾何いくらか出して貰へんこともなかつたけれど、然し今迄にも度々世話になつてましたからネ。考へて考へて、去年東京から來た時の經驗もあるし、尤も餘り結構な經驗でもありませんが、仕方が無いから思ひ切つて、乞食をして國まで歸る事に到頭決心したんです。貧乏の位厚顏な奴はありませんネ。此決心も、僕がしたんでなくて、貧乏がさせたんですネ。それでマア決心した以上は一刻の猶豫もなりませんし、國へは直ぐさう云つて手紙を出しました。それから、九時に學校へ行つて、退校願を出したり、友人へ告別したりして。尤も告別する樣な友人は二人しかありませんでしたが、……所が校長の云ふには、「君はたしか苦學して居る筈だつたが、國へ歸るに旅費などはあるのかナ。」と、斯ういふんです。僕は、乞食して行く積りだつて、さう答へた所が、「ソンナ無謀な破廉恥な事はせん方が可いだらう。」と云ひました。それではどうしたらいゝでせうと問ひますと、「マア能く考へて見て、何とかしたら可ぢやないか。」と拔かしやがるんです。癪に觸りましたネ。それから、歸りに菓子屋へ行つて其話をして、新聞社の方も斷つて、古道具屋を連れて來ました。前に申上げたやうな品物に、小倉の校服の上衣だの、硯だのを加へて、値踏ねぶみをさせますと、四十錢の上は一文も出せないといふんです。此方こつちの困つてるのに見込んだのですネ。漸やくの次第で四十五錢にして貰つて、賣つて了つたが、殘金僅か六錢五厘では、いくら慣れた貧乏でも誠に心細いもんですよ。それに、宿から借りて居た自炊の道具も皆返して了ふし、机も何もなくなつてるし、薄暗い室の中央まんなかに此不具な僕が一人坐つてるのでせう。平常ふだんから鈍い方の頭が昨夜の故でスッカリ勞れ切つてボンヤリして、「老父おやぢが死んで、これから乞食をして國へ歸るのだ」といふ事だけが、漠然と頭に殘つてるんです。此漠然とした目的も手段も何もない處が、無性に悲しいんで、たゞもう聲を揚げて泣きたくなるけれども、聲も出ねば涙も出ない。何の事なしにたゞ辛くて心細いんですネ。今朝飯を喰はなかつたので、空腹ではあるし、國の事が氣になるし、昨夜ゆうべの黒玉をつかんで無暗に頬ばつて見たんです。
『それから愈々出掛けたんですが、一時頃でしたらう、天野君の家へ這入つたのは。天野君も以前は大抵夜分でなくては家に居なかつたのですが、學校をめてからは、一日外へ出ないで、何時でも蟄居ちつきよして居るんです。』
『天野は罷めたんですか、學校を?』
『エ? 左樣々々、君はまだ御存じなかつたんだ。罷めましたよ、到頭。何でも校長といふ奴と、――僕も二三度見て知つてますが、鯰髭なまづひげの隨分變梃へんてこ高麗人かうらいじんでネ。その校長と素晴しい議論をやつて勝つたんですとサ。それでに二三日經つと突然免職なんです。今月の十四五日の頃でした。』
『さうでしたか。』と自分は云つたが、この石本の言葉には、一寸顏にのぼる微笑を禁じ得なかつた。何處の學校でも、校長は鯰髭の高麗人で、議論をすると屹度きつとけるものと見える。
 然し此微笑も無論三秒とは續かなかつた。石本の沈痛なる話が直ぐ進む。
『學校を罷めてからといふもの、天野君は始終考へ込んで許り居たんですがネ。「少し散歩でもせんと健康が衰へるんでせう。」といふと、「馬鹿ツ。」と云ふし、「何を考へて居るのです。」ツて云へば、「君達に解る樣な事は考へぬ。」と來るし、「解脱げだつの路に近づくのでせう。」なんて云ふと、「人生は隧道トンネルだ。行くところまで行かずに解脱の光が射してくるものか。」と例の口調なんですネ。行つた時は、平生いつものやうに入口の戸がしまつて居ました。初めての人などは不在かと思ふんですが。戸を閉めて置かないと自分の家に居る氣がしないとアノ人が云つてました。其戸を開けると、「石本か。」ツて云ふのが癖でしたが、この時はしんとして何とも云はないんです。不在かナと思ひましたが、歸つて來るまで待つ積りで上り込んで見ると、不在ぢやない、居るんです。居るには居ましたが、僕の這入つたのも知らぬ風で、木像の樣に俯向いて矢張り考へ込んで居るんですナ。「うしました?」と聲をかけると、ヒョイと首を上げて「石本か。君は運命の樣だナ。」と云ふ。何故ですかツて聞くと、「さうぢやないか、不意の侵入者だもの。」と淋しさうに笑ひましたツけ。それから、「なんだ其顏。陰氣な運命だナ。そんな顏をしてるよりは、死ね、死ね。……それとも病氣か。」と云ひますから、「病氣には病氣ですが、ソノ運命と云ふ病氣に取附かれたんです。」ツて答へると、「左樣さうか、そんな病氣なら、少し炭を持つて來て呉れ、湯を沸すから。」と又淋しく笑ひました。天野君だつて一體サウ陽氣な顏でもありませんが、この日は殊に何だか斯う非常に淋しさうでした。それがまた僕は悲しいんですネ。……で、二人で湯を沸して、飯を喰ひ乍ら、僕は今から乞食をして郷國くにへ歸る所だツて、何から何まで話したのですが、天野君は大きい涙を幾度も/\こぼして呉れました。僕はモウ父親の死んだ事も郷國の事も忘れて、コンナ人と一緒に居たいもんだと思ひました。然し天野君が云つて呉れるんです、「君も不幸な男だ、實に不幸な男だ。が然し、餘り元氣を落すな。人生の不幸をかすまで飮み干さなくては眞の人間になれるものぢやない。人生は長い暗い隧道だ、處々に都會といふ骸骨の林があるツり。それにまぎれ込んで出路を忘れちや可けないぞ。そして、脚の下にはヒタ/\と、永劫の悲痛が流れて居る、恐らく人生の始よりも以前から流れて居るんだナ。それに行先をはゞまれたからと云つて、其儘歸つて來ては駄目だ、暗い穴が一層暗くなる許りだ。死か然らずんば前進、唯この二つの外に路が無い。前進が戰鬪だ。戰ふには元氣が無くちやかん。だから君は餘り元氣を落しては可けないよ。少なくとも君だけは生きて居て、そして最後まで、壯烈な最後を遂げるまで、戰つて呉れ給へ。血と涙さへれなければ、武器も不要いらぬ、軍略も不要、赤裸々で堂々と戰ふのだ。この世を厭になつては其限それつきりだ。少なくとも君だけは厭世的な考へを起さんで呉れ給へ。今までも君と談合かたりあつた通り、現時の社會で何物かよく破壞の斧に値せざらんやだ、全然破壞する外に、改良の餘地もない今の社會だ。建設の大業は後に來る天才に讓つて、我々は先づ根柢まで破壞の斧を下さなくては不可いかん。然しこの戰ひは決して容易な戰ひではない。容易でないから一倍元氣がる。元氣を落すな。君が赤裸々で乞食をして郷國くにへ歸るといふのは、無論遺憾な事だ、然し外に仕方が無いのだから、僕も賛成する。尤も僕が一文無しでなかつたら、君の樣な身體の弱い男に乞食なんぞさせはしない。然し君も知つての通りの僕だ。ただ、何日か君に話した新田君へ手紙をやるから新田には是非逢つて行き給へ。何とか心配もしてくれるだらうから、僕にはアノ男と君の外に友人といふものは一人も無いんだからなあ。」と云つて、先刻差上げた手紙を書いてくれたんです。それから種々いろ/\話して居たんですが、暫らくしてから、「どうだ、一週間許り待つて呉れるなら汽車賃位出來る道があるが、待つか待たぬか。」と云ふんです。如何どうしてと聞くと、「ナーニ此僕の財産一切を賣るのサ。」と云ひますから、ソンナラ君は何うするんですかツて問ふと、暫し沈吟してましたつけが、「僕は遠い處へ行かうと思つてる。」と答へるんです。何處へと聞いても唯遠い處と許りで、別に話して呉れませんでしたが、天野君のツてすから、何でも復何か痛快な計畫があるだらうと思ひます。考へ込んで居たのも其問題なんでせうネ。屹度大計畫ですよ、アノ考へ樣で察すると。』
『さうですか。天野はまた何處かへ行くと云つてましたか。アノ男も常に人生の裏路許り走つて居る男だが、※(「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2-94-57)どんな計畫をしてるのかネー。』
『無論それは僕なんぞに解らないんです。アノ人の言ふ事る事、皆僕等凡人の意想外ですからネ。然し僕はモウ頭ツから敬服してます。天野君は確かに天才です。豪い人ですよ。今度だつて左樣でせう、自身が遠い處へ行くに旅費だつて要らん筈がないのに、財産一切を賣つて僕の汽車賃にしようと云ふのですもの。これが普通の人間に出來るツてすかネ。さう思つたから、僕はモウ此厚意だけで澤山だと思つて辭退しました。それからまた暫らく、別れともない樣な氣がしまして、話してますと、「モウ行け。」と云ふんです。「それでは之でお別れです。」と立ち上りますと、少し待てと云つて、鍋の飯を握つて大きい丸飯ぐわんぱんを九つこしらへて呉れました。僕は自分でやりますと云つたんですけれど、「そんな事を云ふな、天野朱雲が最後の友情を享けて潔よく行つて呉れ。」と云ひ乍ら、涙を流して僕には背を向けて孜々せつせと握るんです。僕はタマラナク成つて大聲を擧げて泣きました。泣き乍ら手を合せて後姿を拜みましたよ。天野君は確かに豪いです。アノ人の位豪い人は決してありません。……(石本は眼を瞑ぢて涙を流す。自分も熱い涙の溢るるを禁じ得なんだ。女教師の啜り上げるのが聞えた。)それから、また坐つて、「これで愈々お別れだ。石本君、生別又兼死別時せいべつまたかねしべつのとき、僕は慇懃に袖を引いて再逢さいほうの期を問ひはせん。君も敢てまたその事を云ひ給ふな。ただ別れるのだ。別れて君は郷國くにへ歸り、僕は遠い處へ行くまでだ。行先は死、然らずんば戰鬪たたかひ。戰つて生きるのだ。死ぬのは……否、死と雖ども新たに生きるのいひだ。戰の門出に泣くのは兒女じぢよの事ぢやないか。別れよう。いさぎよく元氣よく別れよう。ネ、石本君。」と云ひますから、「僕だつて男です、潔くお別れします。然し何も、生別死別を兼ぬる譯では無いでせう。人生は成程暗い坑道ですけれど、往來皆此路わうらいみなこのみち、君と再び逢ふ期がないとは信じられません。逢ひます、屹度再び逢ひます、僕は君の外に頼みに思ふ人もありませんし、屹度再た何處かで逢ひます。」と云ひますと、「人生はさう都合よくは出來て居らんぞ。……然し何も、君が死にに行くといふではなし、また、また、僕だつて未だ死にはせん……決して死にはせんのだから、さうだ、再逢の期が遂に無いとは云はん。ただ、それを頼りに思つて居ると失望する事がないとも限らない。詰らぬ事を頼りにするな。又、人生の雄々しき戰士が、人を頼りにするとは弱い話だ。……僕は此八戸に來てから、君を得て初めて一道の慰藉と幸福を感じて居た。僅か半歳の間、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そう/\たる貧裡半歳ひんりはんさいの間とは云へ、僕が君によつて感じ得た幸福は、とこしなへに我等二人を親友とするであらう。僕が心を決して遠い處へ行かんとする時、君も又飄然として遙かに故園に去る、――此八戸を去る。し、行け、去れ、去つて再び問ふこと勿れ。たゞ、願はくは朱雲天野大助と云ふ世外の狂人があつたと丈けは忘れて呉れ給ふな。……解つたか、石本。」と云つて、ヂッと僕を凝視みつめるのです。「解りました。」ツて頭を下げましたが、返事がない。見ると、天野君は兩膝に手をついて、俯向うつむいて目をつむつてました。解りましたとは云つたものの、僕は實際何もかも解らなくなつて、唯斯う胸の底を掻きむしられる樣で、ツイと立つて入口へ行つたです。目がしきりなく曇るし、手先が慄へるし、仲々草鞋が穿けなかつたですが、やう/\紐をどうやら結んで、丸飯の新聞包を取り上げ乍ら見ると、噫、天野君は死んだ樣に突伏つつぷしてます。「お別れです。」と辛うじて云つて見ましたが、自分の聲の樣で無い、天野君は突伏した儘で、「行け。」と怒鳴るんです。僕はモウ何とも云へなくなつて、大聲に泣きながら驅け出しました。路次の出口で振返つて見ましたが、無論入口には出ても居ません。見送って呉れる事も出來ぬ程悲しんで呉れるのかと思ひますと、有難いやら嬉しいやら怨めしいやらで、丸飯の包を兩手に捧げて入口の方を拜んだとまでは知つてますが、アトは無宙むちうで驅け出したです。……人生は何處までも慘苦です。僕は天野君から眞の弟の樣にされて居たのが、自分一生涯の唯一度の幸福だと思ふのです。』
 語り來つて石本は、痩せた手の甲に涙をぬぐつて悲氣かなしげに自分を見た。自分もホッと息をいて涙を拭つた。女教師は卓子テーブルに打伏して居る。





底本:「石川啄木作品集 第二巻」昭和出版社
   1970(昭和45)年11月20日発行
※底本の疑問点の確認にあたっては、「啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房、1967(昭和42)年7月30日初版第1刷発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2003年3月20日作成
2005年11月12日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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