惜しみなく愛は奪う |
角川文庫、角川書店 |
1969(昭和44)年1月30日改版初版 |
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版 |
私が改造の正月号に「宣言一つ」を書いてから、諸家が盛んにあの問題について論議した。それはおそらくあの問題が論議せらるべく空中に漂っていたのだろう。そして私の短文がわずかにその口火をなしたのにすぎない。それゆえ始めの間の論駁には多くの私の言説の不備な点を指摘する批評家が多いようだったが、このごろあれを機縁にして自己の見地を発表する論者が多くなってきた。それは非常によいことだと思う。なぜならばあの問題はもっと徹底的に講究されなければならないものであって、他人の言説のあら探しで終わるべきはずのものではないからである。 本当をいうと、私は諸家の批評に対していちいち答弁をすべきであるかもしれない。しかし私は議論というものはとうてい議論に終わりやすくって互いの論点がますます主要なところからはずれていくのを、少しばかりの議論の末に痛切に感じたから、私は単に自分の言い足らなかった所を補足するのに止めておこうと思う。そしてできるなら、諸家にも、単なる私の言説に対する批評でなしに――もちろん批評にはいつでも批評家自身の立場が多少の程度において現われ出るものではあるが――この問題に対する自分自身の正面からの立場を見せていただきたいと思う。それを知りたいと望む多数の人の一人として私もそれから多分の示唆を受けうるであろうから。 従来の言説においては私の個性の内的衝動にほとんどすべての重点をおいて物をいっていた。各自が自己をこの上なく愛し、それを真の自由と尊貴とに導き行くべき道によって、突き進んで行くほかに、人間の正しい生活というものはありえないと私自身を発表してきた。今でも私はこの立場をいささかも枉げているものではない。人間には誰にもこの本能が大事に心の中に隠されていると私は信じている。この本能が環境の不調和によって伸びきらない時、すなわちこの本能の欲求が物質的換算法によって取り扱われようとする時、そこにいわゆる社会問題なるものが生じてくるのだ。「共産党宣言」は暗黙の中にこの気持ちを十分に表現しているように見える。マルクスは唯物史観に立脚したと称せられているけれども、もし私の理解が誤っていなかったならば、その唯物史観の背後には、力強い精神的要求が潜んでいたように見える。彼はその宣言の中に人々間の精神交渉(それを彼はやさしいなつかしさをもって望見している)を根柢的に打ち崩したものは実にブルジョア文化を醸成した資本主義の経済生活だと断言している。そしてかかる経済生活を打却することによってのみ、正しい文化すなわち人間の交渉が精神的に成り立ちうる世界を成就するだろうことを予想しているように見える。結局彼は人間の精神的要求が完全し満足される環境を、物質価値の内容、配当、および使用の更正によって準備しうると固く信じていた人であって、精神的生活は唯物的変化の所産であるにすぎないから、価値的に見てあまり重きをおくべき性質のものではないと観じていたとは考えることができない。一つの種子の生命は土壌と肥料その他唯物的の援助がなければ、一つの植物に成育することができないけれども、そうだからといって、その種子の生命は、それが置かれた環境より価値的に見て劣ったものだということができないのと同じことだ。 しかるに空想的理想主義者は、誤っていかなる境界におかれても、人間の精神的欲求はそれ自身において満たされうると考える傾きがある。それゆえにその人たちは現在の環境が過去にどう結び付けられてい、未来にどう繋がれようとも、それをいささかも念とはしない。これは一見きわめて英雄的な態度のように見える。しかしながら本当に考えてみると、その人の生活に十分の醇化を経ていないで、過去から注ぎ入れられた生命力に漫然と依頼しているのが発見されるだろう。彼が現在に本当に立ち上がって、その生命に充実感を得ようとするならば、物的環境はこばみえざる内容となってその人の生命の中に摂受されてこなければならぬ。その時その人にとって物的環境は単なる物ではなく、実に生命の一要素である。物的環境が正しく調節されることは、生命が正しく生長することである。唯物史観は単なる精神外の一現象ではなくして、実に生命観そのものである。種子を取りまいてその生長にかかわるすべての物質は、種子にとって異邦物ではなく、種子そのものの一部分となってくるのと同様であろう。人は大地を踏むことにおいて生命に触れているのだ。日光に浴していることにおいて精神に接しているのだ。 それゆえに大地を生命として踏むことが妨げられ、日光を精神として浴びることができなければ、それはその人の生命のゆゆしい退縮である。マルクスはその生命観において、物心の区別を知らないほどに全的要求を持った人であったということができると私は思う。私はマルクスの唯物史観をかくのごとく解するものである。 ところが資本主義の経済生活は、漸次に種子をその土壌から切り放すような傾向を馴致した。マルクスがその「宣言」にいっているように、従来現存していたところの人々間の美しい精神的交渉は、漸次に廃棄されて、精神を除外した単なる物的交渉によっておきかえられるに至った。すなわち物心という二要素が強いて生活の中に建立されて、すべての生活が物によってのみ評定されるに至った。その原因は前にもいったように物的価値の内容、配当、使用が正しからぬ組立てのもとに置かれるようになったからである。その結果として起こってきた文化なるものは、あるべき季節に咲き出ない花のようなものであるから、まことの美しさを持たず、結実ののぞみのないものになってしまった。人々は今日今日の生活に脅かされねばならなくなった。 種子は動くことすらできない。しかしながら人は動くことと、動くべく意志することができる。ここにおいてマルクスは「万国の労働者よ、合同せよ」といった。唯物史観に立脚するマルクスは、そのままに放置しておいても、資本主義的経済生活は自分で醸した内分泌の毒素によって、早晩崩壊すべきを予定していたにしても、その崩壊作用をある階級の自覚的な努力によって早めようとしたことは争われない(一面に、それを大きく見て、かかる努力そのものがすでに崩壊作用の一現象ということができるにしても)。そして彼はその生活革命の後ろに何を期待したか。確かにそれは人間の文化の再建である。人々間の精神的交渉の復活である。なぜなら、彼は精神生活が、物的環境の変化の後に更生するのを主張する人であるから。結局唯物史観の源頭たるマルクス自身の始めの要求にして最後の期待は、唯物の桎梏から人間性への解放であることを知るに難くないであろう。 マルクスの主張が詮じつめるとここにありとすれば、私が彼のこの点の主張に同意するのは不思議のないことであって、私の自己衝動の考え方となんら矛盾するものではない。生活から環境に働きかけていく場合、すべての人は意識的であると、無意識的であるとを問わなかったら、ことごとくこの衝動によって動かされていると感ずるものである。 私はかつて、この衝動の醇化された表現が芸術だといった。この立場からいうならば、すべての人はこの衝動を持っているがゆえにブルジョアジーとかプロレタリアートとかを超越したところに芸術は存在すべきである。けれども私は衝動がそのまま芸術の萌芽であるといったことはない。その衝動の醇化が実現された場合のみが芸術の萌芽となりうるのだ。しからば現在においてどうすればその衝動は醇化されうるであろうか。知識階級の人が長く養われたブルジョア文化教養をもって、その境界に到達することができるであろうか。これを私は深く疑問とするのである。単なる理知の問題として考えずに、感情にまで潜り入って、従来の文化的教養を受け、とにもかくにもそれを受けるだけの社会的境遇に育ってきたものが、はたして本当に醇化された衝動にたやすく達することができるものであろうか。それを私は疑うものである。私は自分自身の内部生活を反省してみるごとにこの感を深くするのを告白せざるをえない。 かかる場合私の取りうる立場は二つよりない。一つは第三階級に踏みとどまって、その生活者たるか、一つは第四階級に投じて融け込もうと勉めるか。衝動の醇化ということが不可能であるをもって、この二つに一つのいずれかを選ぶほかはない。私はブルジョア階級の崩壊を信ずるもので、それが第四階級に融合されて無階級の社会(経済的)の現出されるであろうことを考えるものであるけれども、そしてそういう立場にあるものにとっては、第四階級者として立つことがきわめて合理的でかつ都合のよいことではあろうけれども、私としては、それがとうてい不可能事であるのを感ずるのだ。ある種の人々はわりあいに簡単にそうなりきったと信じているように見える。そして実際なりきっている人もあるのかもしれない。しかし私は決してそれができないのを私自身がよく知っている。これは理窟の問題ではなく実際そうであるのだからしかたない。 しからば第三階級に踏みとどまっていることに疚しさを感じないか。感ずるにしても感じないにしてもそうであるのだから、私には疚しさとすらいうことはできない。ある時まではそれに疚しさを感ずるように思って多少苦しんだことはある。しかしそれは一個の自己陶酔、自己慰藉にすぎないことを知った。 ただし第三階級に踏みとどまらざるをえないにしても、そこにはおのずからまた二つの態度が考えられる。踏みとどまる以上は、極力その階級を擁護するために力を尽くすか、またはそうはしないかというそれである。私は後者を選ばねばならないものだ。なぜというなら、私は自分が属するところの階級の可能性を信ずることができないからである。私は自己の階級に対してみずから挽歌を歌うものでしかありえない。このことについては「我等」の三月号にのせた「雑信一束」(「片信」と改題)にもいってあるので、ここには多言を費やすことを避けよう。 私の目前の落ち着きどころはひっきょうこれにすぎない。ここに至って私は反省してみる。私のこの態度は、全く第三階級に寄与するところがないだろうか。私がなんらかの意味で第三階級の崩壊を助けているとすれば、それは取りもなおさず、第四階級に何者をか与えているのではないかと。 ここに来て私はホイットマンの言葉を思い出す。彼が詩人としての自覚を得たのは、エマソンの著書を読んだのが与って力があると彼自身でいっている。同時に彼は、「私はエマソンを読んで、詩人になったのではない。私は始めから詩人だった。私は始めから煮えていたが、エマソンによって沸きこぼれたまでの話だ」といっている。私はこのホイットマンの言葉を驕慢な言葉とは思わない。この時エマソンはホイットマンに向かって恩恵の主たることを自負しうるものだろうか。ホイットマンに詩人がいなかったならば、百のエマソンがあったとしても、一人のホイットマンを創り上げることはできなかったのだ。ホイットマンは単に自分の内部にある詩人の本能に従ってたまたまエマソンを自分の都合のために使用したにすぎないのだ。ホイットマンはあるいはエマソンに感謝すべき何物をか持つことができるかもしれない。しかしながらエマソンがホイットマンに感謝を要求すべき何物かがあろうとは私には考えられない。 第三階級にのみおもに役立っていた教養の所産を、第四階級が採用しようとも破棄しおわろうともそれは第四階級の任意である。それを第四階級者が取り上げたといったところが、第四階級の賢さであるとはいえても、第三階級の功績とはいいえないではないか。この意味において私は第四階級に対して異邦人であると主張したのである。 明日になって私のこの考え、この感じはどう変わっていくか、それは自分でも知ることができない。しかしながら「宣言一つ」を書いて以来今日までにおいては、諸家の批判があったにかかわらず、他の見方に移ることができないでいる。私はこの心持ちを謙遜な心持ちだとも高慢な心持ちだとも思っていない。私にはどうしてもそうあらねばならぬ当然な心持ちにすぎないと思っている。 すでにいいかげん閑文字を羅列したことを恥じる。私は当分この問題に関しては物をいうまいと思っている。
●表記について
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