父は後ろを振り向きもせずに、いきなりわたしを叱りつけました。のみならず兄も意地悪さうに、わたしの顔を睨めて居ります。わたしはすつかり悄気返つた儘、そつと又奥へ帰つて来ました。すると母は何時の間にか、熱のある眼を挙げながら、顔の上にかざした手の平を眺めてゐるのでございます。それがわたしの姿を見ると、思ひの外はつきりかう申しました。 「お前、何をお父さんに叱られたのだえ?」 わたしは返事に困りましたから、枕もとの羽根楊枝をいぢつて居りました。 「又何か無理を云つたのだらう?……」 母はぢつとわたしを見たなり、今度は苦しさうに言葉を継ぎました。 「わたしはこの通りの体だしね、何も彼もお父さんがなさるのだから、おとなしくしなけりやあいけませんよ。そりやあお隣の娘さんは芝居へも始終お出でなさるさ。……」 「芝居なんぞ見たくはないんだけれど……」 「いえ、芝居に限らずさ、簪だとか半襟だとか、お前にやあ欲しいものだらけでもね、……」 わたしはそれを聞いてゐる中に、悔やしいのだか悲しいのだか、とうとう涙をこぼしてしまひました。 「あのねえ、お母さん。……わたしはねえ、……何も欲しいものはないんだけれどねえ、唯あのお雛様を売る前にねえ、……」 「お雛様かえ? お雛様を売る前に?」 母は一層大きい眼にわたしの顔を見つめました。 「お雛様を売る前にねえ、……」 わたしはちよいと云ひ渋りました。その途端にふと気がついて見ると、何時の間にか後ろに立つてゐるのは兄の英吉でございます。兄はわたしを見下しながら、不相変慳貪にかう申しました。 「わからず屋! 又お雛様のことだらう? お父さんに叱られたのを忘れたのか?」 「まあ、好いぢやあないか? そんなにがみがみ云はないでも。」 母はうるささうに眼を閉ぢました。が、兄はそれも聞えぬやうに叱り続けるのでございます。 「十五にもなつてゐる癖に、ちつとは理窟もわかりさうなもんだ? 高があんなお雛様位! 惜しがりなんぞするやつがあるもんか?」 「お世話焼きぢや! 兄さんのお雛様ぢやあないぢやあないか?」 わたしも負けずに云ひ返しました。その先は何時も同じでございます。二言三言云ひ合ふ中に、兄はわたしの襟上を掴むと、いきなり其処へ引き倒しました。 「お転婆!」 兄は母さへ止めなければ、この時もきつと二つ三つは折檻して居つたでございませう。が、母は枕の上に半ば頭を擡げながら、喘ぎ喘ぎ兄を叱りました。 「お鶴が何をしやあしまいし、そんな目に遇はせるにやあ当らないぢやあないか。」 「だつてこいつはいくら云つても、あんまり聞き分けがないんですもの。」 「いいえ、お鶴ばかり憎いのぢやあないだらう? お前は……お前は、……」 母は涙をためた儘、悔やしさうに何度も口ごもりました。 「お前はわたしが憎いのだらう? さもなけりやあわたしが病気だと云ふのに、お雛様を……お雛様を売りたがつたり、罪もないお鶴をいぢめたり、……そんなことをする筈はないぢやあないか? さうだらう? それならなぜ憎いのだか、……」 「お母さん!」 兄は突然かう叫ぶと、母の枕もとに突立つたなり、肘に顔を隠しました。その後父母の死んだ時にも、涙一つ落さなかつた兄、――永年政治に奔走してから、癲狂院へ送られる迄、一度も弱みを見せなかつた兄、――さう云ふ兄がこの時だけは啜り泣きを始めたのでございます。これは興奮し切つた母にも、意外だつたのでございませう。母は長い溜息をしたぎり、申しかけた言葉も申さずに、もう一度枕をしてしまひました。…… かう云ふ騒きがあつてから、一時間程後でございませう。久しぶりに見世へ顔を出したのは肴屋の徳蔵でございます。いえ、肴屋ではございません。以前は肴屋でございましたが、今は人力車の車夫になつた、出入りの若いものでございます。この徳蔵には可笑しい話が幾つあつたかわかりません。その中でも未に思ひ出すのは苗字の話でございます。徳蔵もやはり御一新以後、苗字をつけることになりましたが、どうせつける位ならばと大束をきめたのでございませう、徳川と申すのをつけることにしました。ところがお役所へ届けに出ると、叱られたの叱られないのではございません。何でも徳蔵の申しますには、今にも斬罪にされ兼ねない権幕だつたさうでございます。その徳蔵が気楽さうに、牡丹に唐獅子の画を描いた当時の人力車を引張りながら、ぶらりと見世先へやつて来ました。それが又何しに来たのかと思ふと、今日は客のないのを幸ひ、お嬢さんを人力車にお乗せ申して、会津つ原から煉瓦通りへでもお伴をさせて頂きたい、――かう申すのでございます。 「どうする? お鶴。」 父はわざと真面目さうに、人力車を見に見世へ出てゐたわたしの顔を眺めました。今日では人力車に乗ることなどはさ程子供も喜びますまい。しかし当時のわたしたちには丁度自働車に乗せて貰ふ位、嬉しいことだつたのでございます。が、母の病気と申し、殊にああ云ふ大騒ぎのあつた直あとのことでございますから、一概に行きたいとも申されません。わたしはまだ悄気切つたなり、「行きたい」と小声に答へました。 「ぢやあお母さんに聞いて来い。折角徳蔵もさう云ふものだし。」 母はわたしの考へ通り、眼も明かずにほほ笑みながら、「上等だね」と申しました。意地の悪い兄は好い塩梅に、丸佐へ出かけた留守でございます。わたしは泣いたのも忘れたやうに、早速人力車に飛び乗りました。赤毛布を膝掛けにした、輪のがらがらと鳴る人力車に。 その時見て歩いた景色などは申し上げる必要もございますまい。唯今でも話に出るのは徳蔵の不平でございます。徳蔵はわたしを乗せた儘、煉瓦の大通りにさしかかるが早いか、西洋の婦人を乗せた馬車とまともに衝突しかかりました。それはやつと助かりましたが、忌々しさうに舌打ちをすると、こんなことを申すのでございます。 「どうもいけねえ。お嬢さんはあんまり軽過ぎるから、肝腎の足が踏ん止らねえ。……お嬢さん。乗せる車屋が可哀さうだから、二十前にやあ車へお乗んなさんなよ。」 人力車は煉瓦の大通りから、家の方へ横町を曲りました。すると忽ち出遇つたのは兄の英吉でございます。兄は煤竹の柄のついた置きランプを一台さげた儘、急ぎ足に其処を歩いて居りました。それがわたしの姿を見ると「待て」と申す相図でございませう、ランプをさし挙げるのでございます。が、もうその前に徳蔵はぐるりと梶棒をまはしながら、兄の方へ車を寄せて居りました。 「御苦労だね。徳さん。何処へ行つたんだい?」 「へえ、何、今日はお嬢さんの江戸見物です。」 兄は苦笑を洩らしながら、人力車の側へ歩み寄りました。 「お鶴。お前、先へこのランプを持つて行つてくれ。わたしは油屋へ寄つて行くから。」 わたしはさつきの喧嘩の手前、わざと何とも返事をせずに、唯ランプだけ受け取りました。兄はそれなり歩きかけましたが、急に又こちらへ向き変へると、人力車の泥除けに手をかけながら、「お鶴」と申すのでございます。 「お鶴、お前、又お父さんにお雛様のことなんぞ云ふんぢやあないぞ。」 わたしはそれでも黙つて居りました。あんなにわたしをいぢめた癖に、又かと思つたのでございます。しかし兄は頓着せずに、小声の言葉を続けました。 「お父さんが見ちやあいけないと云ふのは手附けをとつたばかりぢやあないぞ。見りやあみんなに未練が出る、――其処も考へてゐるんだぞ。好いか? わかつたか? わかつたら、もうさつきのやうに見たいの何のと云ふんぢやあないぞ。」 わたしは兄の声の中に何時にない情あひを感じました。が、兄の英吉位、妙な人間はございません。優しい声を出したかと思ふと、今度は又ふだんの通り、突然わたしを嚇すやうにかう申すのでございます。 「そりやあ云ひたけりやあ云つても好い。その代り痛い目に遇はされると思へ。」 兄は憎体に云ひ放つたなり、徳蔵にも挨拶も何もせずに、さつさと何処かへ行つてしまひました。 その晩のことでございます。わたしたち四人は土蔵の中に、夕飯の膳を囲みました。尤も母は枕の上に顔を挙げただけでございますから、囲んだものの数にははひりません。しかしその晩の夕飯は何時もより花やかな気がしました。それは申す迄もございません。あの薄暗い無尽燈の代りに、今夜は新しいランプの光が輝いてゐるからでございます。兄やわたしは食事のあひ間も、時々ランプを眺めました。石油を透かした硝子の壺、動かない焔を守つた火屋、――さう云ふものの美しさに満ちた珍しいランプを眺めました。 「明るいな。昼のやうだな。」 父も母をかへり見ながら、満足さうに申しました。 「眩し過ぎる位ですね。」 かう申した母の顔には、殆ど不安に近い色が浮んでゐたものでございます。 「そりやあ無尽燈に慣れてゐたから……だが一度ランプをつけちやあ、もう無尽燈はつけられない。」 「何でも始は眩し過ぎるんですよ。ランプでも、西洋の学問でも、……」 兄は誰よりもはしやいで居りました。 「それでも慣れりやあ同じことですよ。今にきつとこのランプも暗いと云ふ時が来るんです。」 「大きにそんなものかも知れない。……お鶴。お前、お母さんのおも湯はどうしたんだ?」 「お母さんは今夜は沢山なんですつて。」 わたしは母の云つた通り、何の気もなしに返事をしました。 「困つたな。ちつとも食気がないのかい?」 母は父に尋ねられると、仕方がなささうに溜息をしました。 「ええ、何だかこの石油の匂が、……旧弊人の証拠ですね。」 それぎりわたしたちは言葉少なに、箸ばかり動かし続けました。しかし母は思ひ出したやうに、時々ランプの明るいことを褒めてゐたやうでございます。あの腫れ上つた唇の上にも微笑らしいものさへ浮べながら。 その晩も皆休んだのは十一時過ぎでございます。しかしわたしは眼をつぶつても、容易に寝つくことが出来ません。兄はわたしに雛のことは二度と云ふなと申しました。わたしも雛を出して見るのは出来ない相談とあきらめて居ります。が、出して見たいことはさつきと少しも変りません。雛は明日になつたが最後、遠いところへ行つてしまふ、――さう思へばつぶつた眼の中にも、自然と涙がたまつて来ます。一そみんなの寝てゐる中に、そつと一人出して見ようか?――さうもわたしは考へて見ました。それともあの中の一つだけ、何処か外へ隠して置かうか?――さうも亦わたしは考へて見ました。しかしどちらも見つかつたら、――と思ふとさすがにひるんでしまひます。わたしは正直にその晩位、いろいろ恐しいことばかり考へた覚えはございません。今夜もう一度火事があれば好い。さうすれば人手に渡らぬ前に、すつかり雛も焼けてしまふ。さもなければ亜米利加人も頭の禿げた丸佐の主人もコレラになつてしまへば好い。さうすれば雛は何処へもやらずに、この儘大事にすることが出来る。――そんな空想も浮んで参ります。が、まだ何と申しても、其処は子供でございますから、一時間たつかたたない中に、何時かうとうと眠つてしまひました。 それからどの位たちましたか、ふと眠りがさめて見ますと、薄暗い行燈をともした土蔵に誰か人の起きてゐるらしい物音が聞えるのでございます。鼠かしら、泥坊かしら、又はもう夜明けになつたのかしら?――わたしはどちらかと迷ひながら、怯づ怯づ細眼を明いて見ました。するとわたしの枕もとには、寝間着の儘の父が一人、こちらへ横顔を向けながら、坐つてゐるのでございます。父が!……しかしわたしを驚かせたのは父ばかりではございません。父の前にはわたしの雛が、――お節句以来見なかつた雛が並べ立ててあるのでございます。 夢かと思ふと申すのはああ云ふ時でございませう。わたしは殆ど息もつかずに、この不思議を見守りました。覚束ない行燈の光の中に、象牙の笏をかまへた男雛を、冠の瓔珞を垂れた女雛を、右近の橘を、左近の桜を、柄の長い日傘を担いだ仕丁を、眼八分に高坏を捧げた官女を、小さい蒔絵の鏡台や箪笥を、貝殻尽しの雛屏風を、膳椀を、画雪洞を、色糸の手鞠を、さうして又父の横顔を、…… 夢かと思ふと申すのは、……ああ、それはもう前に申し上げました。が、ほんたうにあの晩の雛は夢だつたのでございませうか? 一図に雛を見たがつた余り、知らず識らず造り出した幻ではなかつたのでございませうか? わたしは未にどうかすると、わたし自身にもほんたうかどうか、返答に困るのでございます。 しかしわたしはあの夜更けに、独り雛を眺めてゐる、年とつた父を見かけました。これだけは確かでございます。さうすればたとひ夢にしても、別段悔やしいとは思ひません。兎に角わたしは眼のあたりに、わたしと少しも変らない父を見たのでございますから、女々しい、……その癖おごそかな父を見たのでございますから。
「雛」の話を書きかけたのは何年か前のことである。それを今書き上げたのは滝田氏の勧めによるのみではない。同時に又四五日前、横浜の或英吉利人の客間に、古雛の首を玩具にしてゐる紅毛の童女に遇つたからである。今はこの話に出て来る雛も、鉛の兵隊やゴムの人形と一つ玩具箱に投げこまれながら、同じ憂きめを見てゐるのかも知れない。
(大正十二年二月)
●表記について
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