日本文学全集28芥川龍之介集 |
集英社 |
1972(昭和47)年9月8日 |
「――黄大癡といえば、大癡の秋山図をご覧になったことがありますか?」 ある秋の夜、甌香閣を訪ねた王石谷は、主人の南田と茶を啜りながら、話のついでにこんな問を発した。 「いや、見たことはありません。あなたはご覧になったのですか?」 大癡老人黄公望は、梅道人や黄鶴山樵とともに、元朝の画の神手である。南田はこう言いながら、かつて見た沙磧図や富春巻が、髣髴と眼底に浮ぶような気がした。 「さあ、それが見たと言って好いか、見ないと言って好いか、不思議なことになっているのですが、――」 「見たと言って好いか、見ないと言って好いか、――」 南田は訝しそうに、王石谷の顔へ眼をやった。 「模本でもご覧になったのですか?」 「いや、模本を見たのでもないのです。とにかく真蹟は見たのですが、――それも私ばかりではありません。この秋山図のことについては、煙客先生(王時敏)や廉州先生(王鑑)も、それぞれ因縁がおありなのです」 王石谷はまた茶を啜った後、考深そうに微笑した。 「ご退屈でなければ話しましょうか?」 「どうぞ」 南田は銅檠の火を掻き立ててから、慇懃に客を促した。
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元宰先生(董其昌)が在世中のことです。ある年の秋先生は、煙客翁と画論をしている内に、ふと翁に、黄一峯の秋山図を見たかと尋ねました。翁はご承知のとおり画事の上では、大癡を宗としていた人です。ですから大癡の画という画はいやしくも人間にある限り、看尽したと言ってもかまいません。が、その秋山図という画ばかりは、ついに見たことがないのです。 「いや、見るどころか、名を聞いたこともないくらいです」 煙客翁はそう答えながら、妙に恥しいような気がしたそうです。 「では機会のあり次第、ぜひ一度は見ておおきなさい。夏山図や浮嵐図に比べると、また一段と出色の作です。おそらくは大癡老人の諸本の中でも、白眉ではないかと思いますよ」 「そんな傑作ですか? それはぜひ見たいものですが、いったい誰が持っているのです?」 「潤州の張氏の家にあるのです。金山寺へでも行った時に、門を叩いてご覧なさい。私が紹介状を書いて上げます」 煙客翁は先生の手簡を貰うと、すぐに潤州へ出かけて行きました。何しろそういう妙画を蔵している家ですから、そこへ行けば黄一峯の外にも、まだいろいろ歴代の墨妙を見ることができるに違いない。――こう思った煙客翁は、もう一刻も西園の書房に、じっとしていることはできないような、落着かない気もちになっていたのです。 ところが潤州へ来て観ると、楽みにしていた張氏の家というのは、なるほど構えは広そうですが、いかにも荒れ果てているのです。墻には蔦が絡んでいるし、庭には草が茂っている。その中に鶏や家鴨などが、客の来たのを珍しそうに眺めているという始末ですから、さすがの翁もこんな家に、大癡の名画があるのだろうかと、一時は元宰先生の言葉が疑いたくなったくらいでした。しかしわざわざ尋ねて来ながら、刺も通ぜずに帰るのは、もちろん本望ではありません。そこで取次ぎに出て来た小厮に、ともかくも黄一峯の秋山図を拝見したいという、遠来の意を伝えた後、思白先生が書いてくれた紹介状を渡しました。 すると間もなく煙客翁は、庁堂へ案内されました。ここも紫檀の椅子机が、清らかに並べてありながら、冷たい埃の臭いがする、――やはり荒廃の気が鋪甎の上に、漂っているとでも言いそうなのです。しかし幸い出て来た主人は、病弱らしい顔はしていても、人がらの悪い人ではありません。いや、むしろその蒼白い顔や華奢な手の恰好なぞに、貴族らしい品格が見えるような人物なのです。翁はこの主人とひととおり、初対面の挨拶をすませると、早速名高い黄一峯を見せていただきたいと言いだしました。何でも翁の話では、その名画がどういう訳か、今の内に急いで見ておかないと、霧のように消えてでもしまいそうな、迷信じみた気もちがしたのだそうです。 主人はすぐに快諾しました。そうしてその庁堂の素壁へ、一幀の画幅を懸けさせました。 「これがお望みの秋山図です」 煙客翁はその画を一目見ると、思わず驚嘆の声を洩らしました。 画は青緑の設色です。渓の水が委蛇と流れたところに、村落や小橋が散在している、――その上に起した主峯の腹には、ゆうゆうとした秋の雲が、蛤粉の濃淡を重ねています。山は高房山の横点を重ねた、新雨を経たような翠黛ですが、それがまたを点じた、所々の叢林の紅葉と映発している美しさは、ほとんど何と形容して好いか、言葉の着けようさえありません。こういうとただ華麗な画のようですが、布置も雄大を尽していれば、筆墨も渾厚を極めている、――いわば爛然とした色彩の中に、空霊澹蕩の古趣が自ら漲っているような画なのです。 煙客翁はまるで放心したように、いつまでもこの画を見入っていました。が、画は見ていれば見ているほど、ますます神妙を加えて行きます。 「いかがです? お気に入りましたか?」 主人は微笑を含みながら、斜に翁の顔を眺めました。 「神品です。元宰先生の絶賞は、たとい及ばないことがあっても、過ぎているとは言われません。実際この図に比べれば、私が今までに見た諸名本は、ことごとく下風にあるくらいです」 煙客翁はこういう間でも、秋山図から眼を放しませんでした。 「そうですか? ほんとうにそんな傑作ですか?」 翁は思わず主人のほうへ、驚いた眼を転じました。 「なぜまたそれがご不審なのです?」 「いや、別に不審という訳ではないのですが、実は、――」 主人はほとんど処子のように、当惑そうな顔を赤めました。が、やっと寂しい微笑を洩すと、おずおず壁上の名画を見ながら、こう言葉を続けるのです。 「実はあの画を眺めるたびに、私は何だか眼を明いたまま、夢でも見ているような気がするのです。なるほど秋山は美しい。しかしその美しさは、私だけに見える美しさではないか? 私以外の人間には、平凡な画図に過ぎないのではないか?――なぜかそういう疑いが、始終私を悩ませるのです。これは私の気の迷いか、あるいはあの画が世の中にあるには、あまり美し過ぎるからか、どちらが原因だかわかりません。が、とにかく妙な気がしますから、ついあなたのご賞讃にも、念を押すようなことになったのです」 しかしその時の煙客翁は、こういう主人の弁解にも、格別心は止めなかったそうです。それは何も秋山図に、見惚れていたばかりではありません。翁には主人が徹頭徹尾、鑑識に疎いのを隠したさに、胡乱の言を並べるとしか、受け取れなかったからなのです。 翁はそれからしばらくの後、この廃宅同様な張氏の家を辞しました。 が、どうしても忘れられないのは、あの眼も覚めるような秋山図です。実際大癡の法燈を継いだ煙客翁の身になって見れば、何を捨ててもあれだけは、手に入れたいと思ったでしょう。のみならず翁は蒐集家です。しかし家蔵の墨妙の中でも、黄金二十鎰に換えたという、李営丘の山陰泛雪図でさえ、秋山図の神趣に比べると、遜色のあるのを免れません。ですから翁は蒐集家としても、この稀代の黄一峯が欲しくてたまらなくなったのです。 そこで潤州にいる間に、翁は人を張氏に遣わして、秋山図を譲ってもらいたいと、何度も交渉してみました。が、張氏はどうしても、翁の相談に応じません。あの顔色の蒼白い主人は、使に立ったものの話によると、「それほどこの画がお気に入ったのなら、喜んで先生にお貸し申そう。しかし手離すことだけは、ごめん蒙りたい」と言ったそうです。それがまた気を負った煙客翁には、多少癇にも障りました。何、今貸してもらわなくても、いつかはきっと手に入れてみせる。――翁はそう心に期しながら、とうとう秋山図を残したなり、潤州を去ることになりました。 それからまた一年ばかりの後、煙客翁は潤州へ来たついでに、張氏の家を訪れてみました。すると墻に絡んだ蔦や庭に茂った草の色は、以前とさらに変りません。が、取次ぎの小厮に聞けば、主人は不在だということです。翁は主人に会わないにしろ、もう一度あの秋山図を見せてもらうように頼みました。しかし何度頼んでみても、小厮は主人の留守を楯に、頑として奥へ通しません。いや、しまいには門を鎖したまま、返事さえろくにしないのです。そこで翁はやむを得ず、この荒れ果てた家のどこかに、蔵している名画を想いながら、惆悵と独り帰って来ました。 ところがその後元宰先生に会うと、先生は翁に張氏の家には、大癡の秋山図があるばかりか、沈石田の雨夜止宿図や自寿図のような傑作も、残っているということを告げました。 「前にお話するのを忘れたが、この二つは秋山図同様、※苑[#「糸+貴」、174-下-19]の奇観とも言うべき作です。もう一度私が手紙を書くから、ぜひこれも見ておおきなさい」 煙客翁はすぐに張氏の家へ、急の使を立てました。使は元宰先生の手札の外にも、それらの名画を購うべき金を授けられていたのです。しかし張氏は前のとおり、どうしても黄一峯だけは、手離すことを肯じません。翁はついに秋山図には意を絶つより外はなくなりました。
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王石谷はちょいと口を噤んだ。 「これまでは私が煙客先生から、聞かせられた話なのです?」 「では煙客先生だけは、たしかに秋山図を見られたのですか?」 南田は髯を撫しながら、念を押すように王石谷を見た。 「先生は見たと言われるのです。が、たしかに見られたのかどうか、それは誰にもわかりません」 「しかしお話の容子では、――」 「まあ先をお聴きください。しまいまでお聴きくだされば、また自ら私とは違ったお考が出るかもしれません」 王石谷は今度は茶も啜らずに、々と話を続けだした。
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