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僕は三泊の予定通り、五月十九日の午後五時頃、前と同じ 江丸の甲板の欄干によりかかっていた。白壁や瓦屋根を積み上げた長沙は何か僕には無気味だった。それは次第に迫って来る暮色の影響に違いなかった。僕は葉巻を銜えたまま、何度もあの愛嬌の好い譚永年の顔を思い出した。が、譚は何の為か、僕の見送りには立たなかった。 江丸の長沙を発したのは確か七時か七時半だった。僕は食事をすませた後、薄暗い船室の電灯の下に僕の滞在費を計算し出した。僕の目の前には扇が一本、二尺に足りない机の外へ桃色の流蘇を垂らしていた。この扇は僕のここへ来る前に誰かの置き忘れて行ったものだった。僕は鉛筆を動かしながら、時々又譚の顔を思い出した。彼の玉蘭を苦しめた理由ははっきりとは僕にもわからなかった。しかし僕の滞在費は――僕は未だに覚えている、日本の金に換算すると、丁度十二円五十銭だった。
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