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袈裟と盛遠(けさともりとお)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-15 16:17:15 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



        下

 夜、袈裟けさ帳台ちょうだいの外で、燈台の光にそむきながら、袖を噛んで物思いに耽っている。

     その独白

「あの人は来るのかしら、来ないのかしら。よもや来ない事はあるまいと思うけれど、もうかれこれ月が傾くのに、足音もしない所を見ると、急に気でも変ったではあるまいか。もしひょっとして来なかったら――ああ、私はまるで傀儡くぐつの女のようにこの恥しい顔をあげて、また日の目を見なければならない。そんなあつかましい、よこしまな事がどうして私に出来るだろう。その時の私こそ、あの路ばたに捨ててある死体と少しも変りはない。はずかしめられ、踏みにじられ、揚句あげくの果にその身の恥をのめのめと明るみにさらされて、それでもやはりおしのように黙っていなければならないのだから。私は万一そうなったら、たとい死んでも死にきれない。いやいや、あの人は必ず、来る。私はこの間別れ際に、あの人の目をのぞきこんだ時から、そう思わずにはいられなかった。あの人は私をこわがっている。私を憎み、私をさげすみながら、それでもなお私を怖がっている。成程私が私自身を頼みにするのだったら、あの人が必ず、来るとは云われないだろう。が、私はあの人を頼みにしている。あの人の利己心を頼みにしている。いや、利己心が起させる卑しい恐怖を頼みにしている。だから私はこう云われるのだ。あの人はきっと忍んで来るのに違いない。……
 しかし私自身を頼みにする事の出来なくなった私は、何と云うみじめな人間だろう。三年前の私は、私自身を、この私の美しさを、何よりもまた頼みにしていた。三年前と云うよりも、あるいはあの日までと云った方が、もっとほんとうに近いかも知れない。あの日、伯母様の家の一間で、あの人と会った時に、私はたった一目見たばかりで、あの人の心に映っている私の醜さを知ってしまった。あの人は何事もないような顔をして、いろいろ私をそそのかすような、やさしいことばをかけてくれる。が、一度自分の醜さを知った女の心が、どうしてそんなことばに慰められよう。私はただ、口惜くやしかった。恐しかった。悲しかった。子供の時に乳母うばに抱かれて、月蝕げっしょくを見た気味の悪さも、あの時の心もちに比べれば、どのくらいましだかわからない。私の持っていたさまざまな夢は、一度にどこかへ消えてしまう。後にはただ、雨のふる明け方のような寂しさが、じっと私の身のまわりを取り囲んでいるばかり――私はその寂しさにふるえながら、死んだも同様なこの体を、とうとうあの人に任せてしまった。愛してもいないあの人に、私を憎んでいる、私をさげすんでいる、色好みなあの人に。――私は私の醜さを見せつけられた、その寂しさに堪えなかったのであろうか。そうしてあの人の胸に顔を当てる、熱に浮かされたような一瞬間にすべてを欺こうとしたのであろうか。さもなければまた、あの人同様、私もただ汚らわしい心もちに動かされていたのであろうか。そう思っただけでも、私は恥しい。恥しい。恥しい。殊にあの人の腕を離れて、また自由な体に帰った時、どんなに私は私自身を浅間あさましく思った事であろう。
 私は腹立たしさと寂しさとで、いくら泣くまいと思っても、なく涙があふれて来た。けれども、それは何も、みさおを破られたと云う事だけが悲しかった訳ではない。操を破られながら、その上にもいやしめられていると云う事が、丁度らいを病んだ犬のように、憎まれながらもさいなまれていると云う事が、何よりも私には苦しかった。そうしてそれから私は一体何をしていたのであろう。今になって考えると、それも遠い昔の記憶のようにおぼろげにしかわからない。ただ、すすり上げて泣いている間に、あの人の口髭くちひげが私の耳にさわったと思うと、熱い息と一しょに低い声で、「わたるを殺そうではないか。」と云うことばが、ささやかれたのを覚えている。私はそれを聞くと同時に、いまだに自分にもわからない、不思議に生々いきいきした心もちになった。生々した? もし月の光が明いと云うのなら、それも生々した心もちであろう。が、それはどこまでも月の光の明さとは違う、生々した心もちだった。しかし私は、やはりこの恐しいことばのために、慰められたのではなかったろうか。ああ、私は、女と云うものは、自分の夫を殺してまでも、猶人に愛されるのが嬉しく感ぜられるものなのだろうか。
 私はその月夜の明さに似た、寂しい、生々した心もちで、またしばらく泣きつづけた。そうして? そうして? いつ、私は、あの人の手引をして夫を討たせると云う約束を、結んでなどしまったのであろう。しかしその約束を結ぶと一しょに、私は始めて夫の事を思出した。私は正直に始めてと云おう。それまでの私の心は、ただ、私の事を、はずかしめられた私の事を、一図いちずにじっと思っていた。それがこの時、夫の事を、あの内気うちきな夫の事を、――いや、夫の事ではない。私に何か云う時の、微笑した夫の顔を、ありあり眼の前に思い出した。私のもくろみが、ふと胸に浮んだのも、恐らくその顔を思い出した刹那せつなの事であったろう。何故と云えば、その時に私はもう死ぬ覚悟をきめていた。そうしてまたきめる事の出来たのが嬉しかった。しかし泣き止んだ私が顔を上げて、あの人の方を眺めた時、そうしてそこに前の通り、あの人の心に映っている私の醜さを見つけた時、私は私の嬉しさが一度に消えてしまったような心もちがする。それは――私はまた、乳母と見た月蝕げっしょくの暗さを思い出してしまう。それはこの嬉しさの底に隠れている、さまざまのもの一時いちどきに放ったようなものだった。私が夫の身代りになると云う事は、果して夫を愛しているからだろうか。いや、いや、私はそう云う都合つごうの好い口実のうしろで、あの人に体を任かした私の罪のつぐのいをしようと云う気を持っていた。自害をする勇気のない私は。少しでも世間の眼に私自身を善く見せたい、さもしい心もちがある私は。けれどもそれはまだ大目にも見られよう。私はもっといやしかった。もっと、もっと醜かった。夫の身代りに立つと云う名のもとで、私はあの人の憎しみに、あの人のさげすみに、そうしてあの人が私をもてあそんだ、そのよこしまな情欲に、かたきを取ろうとしていたではないか。それが証拠には、あの人の顔を見ると、あの月の光のような、不思議な生々いきいきしさも消えてしまって、ただ、悲しい心もちばかりが、たちまち私の心を凍らせてしまう。私は夫のために死ぬのではない。私は私のために死のうとする。私の心をきずつけられた口惜くやしさと、私の体を汚された恨めしさと、その二つのために死のうとする。ああ、私は生き甲斐がいがなかったばかりではない。死に甲斐さえもなかったのだ。
 しかしその死甲斐のない死に方でさえ、生きているよりは、どのくらい望ましいかわからない。私は悲しいのを無理にほほ笑みながら、繰返してあの人と夫を殺す約束をした。感じの早いあの人は、そう云う私のことばから、もし万一約束を守らなかった暁には、どんなことを私がしでかすか、大方おおかた推察のついた事であろう。して見れば、誓言せいごんまでしたあの人が、忍んで来ないと云う筈はない。――あれは風の音であろうか――あの日以来の苦しい思が、今夜でやっと尽きるかと思えば、流石さすがに気の緩むような心もちもする。明日の日は、必ず、首のない私の死骸の上に、うすら寒い光を落すだろう。それを見たら、夫は――いや、夫の事は思うまい、夫は私を愛している。けれど、私にはその愛を、どうしようと云う力もない。昔から私にはたった一人の男しか愛せなかった。そうしてその一人の男が、今夜私を殺しに来るのだ。この燈台の光でさえそう云う私には晴れがましい。しかもその恋人に、さいなまれ果てている私には。」
 袈裟けさは、燈台の火を吹き消してしまう。ほどなく、暗の中でかすかにしとみを開く音。それと共にうすい月の光がさす。

(大正七年三月)




 



底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月23日公開
2004年3月8日修正
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