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彼(かれ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-15 15:41:36 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 芥川龍之介全集6
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年3月24日
入力に使用: 1993(平成5)年2月25日第6刷

底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

     一

 僕はふと旧友だった彼のことを思い出した。彼の名前などは言わずともい。彼は叔父おじさんの家を出てから、本郷ほんごうのある印刷屋の二階の六畳に間借まがりをしていた。階下の輪転機りんてんきのまわり出す度にちょうど小蒸汽こじょうきの船室のようにがたがた身震みぶるいをする二階である。まだ一高いちこうの生徒だった僕は寄宿舎の晩飯をすませたのち、度たびこの二階へ遊びに行った。すると彼は硝子ガラス窓の下に人一倍細いくびを曲げながら、いつもトランプの運だめしをしていた。そのまた彼の頭の上には真鍮しんちゅう油壺あぶらつぼりランプが一つ、いつもまるい影を落していた。……

        二

 彼は本郷の叔父さんの家から僕と同じ本所ほんじょの第三中学校へかよっていた。彼が叔父さんの家にいたのは両親のいなかったためである。両親のいなかったためと云っても、母だけは死んではいなかったらしい。彼は父よりもこの母に、――このどこへか再縁さいえんした母に少年らしい情熱を感じていた。彼は確かある年の秋、僕の顔を見るが早いか、どもるように僕に話しかけた。
「僕はこの頃僕の妹が(妹が一人あったことはぼんやり覚えているんだがね。)えんづいた先を聞いて来たんだよ。今度の日曜にでも行って見ないか?」
 僕は早速さっそく彼と一しょに亀井戸かめいどに近い場末ばすえの町へ行った。彼の妹の縁づいた先は存外ぞんがい見つけるのにひまどらなかった。それは床屋とこやの裏になった棟割むねわ長屋ながやの一軒だった。主人は近所の工場こうじょうか何かへつとめに行った留守るすだったと見え、造作ぞうさくの悪い家の中には赤児あかご乳房ちぶさを含ませた細君、――彼の妹のほかに人かげはなかった。彼の妹は妹と云っても、彼よりもずっと大人おとなじみていた。のみならず切れの長い目尻めじりのほかはほとんど彼に似ていなかった。
「その子供は今年ことし生れたの?」
「いいえ、去年。」
結婚したのも去年だろう?」
「いいえ、一昨年おととしの三月ですよ。」
 彼は何かにぶつかるように一生懸命に話しかけていた。が、彼の妹は時々赤児をあやしながら、愛想あいそい応対をするだけだった。僕は番茶のしぶのついた五郎八茶碗ごろはちぢゃわんを手にしたまま、勝手口の外をふさいだ煉瓦塀れんがべいこけを眺めていた。同時にまたちぐはぐな彼等の話にある寂しさを感じていた。
にいさんはどんな人?」
「どんな人って……やっぱり本を読むのが好きなんですよ。」
「どんな本を?」
講談本こうだんぼんや何かですけれども。」
 実際その家の窓の下には古机が一つ据えてあった。古机の上には何冊かの本も、――講談本などもっていたであろう。しかし僕の記憶には生憎あいにく本のことは残っていない。ただ僕は筆立ての中に孔雀くじゃくの羽根が二本ばかりあざやかにしてあったのを覚えている。
「じゃまた遊びに来る。兄さんによろしく。」
 彼の妹は不相変あいかわらず赤児に乳房を含ませたまま、しとやかに僕等に挨拶あいさつした。
「さようですか? では皆さんによろしく。どうもお下駄げたも直しませんで。」
 僕等はもう日の暮に近い本所の町を歩いて行った。彼も始めて顔を合せた彼の妹の心もちに失望しているのに違いなかった。が、僕等は言い合せたように少しもその気もちを口にしなかった。彼は、――僕はいまだに覚えている。彼はただ道に沿うた建仁寺垣けんにんじがきに指をれながら、こんなことを僕に言っただけだった。
「こうやってずんずん歩いていると、妙に指がふるえるもんだね。まるでエレキでもかかって来るようだ。」

        三

 彼は中学を卒業してから、一高いちこうの試験を受けることにした。が、生憎あいにく落第らくだいした。彼があの印刷屋の二階に間借まがりをはじめたのはそれからである。同時にまたマルクスやエンゲルスの本に熱中しはじめたのもそれからである。僕は勿論社会科学になんの知識も持っていなかった。が、資本だの搾取さくしゅだのと云う言葉にある尊敬――と云うよりもある恐怖きょうふを感じていた。彼はその恐怖を利用し、度たび僕を論難した。ヴェルレエン、ラムボオ、ヴオドレエル、――それ等の詩人は当時の僕には偶像ぐうぞう以上の偶像だった。が、彼にはハッシッシュや鴉片あへんの製造者にほかならなかった。
 僕等の議論は今になって見ると、ほとんど議論にはならないものだった。しかし僕等は本気ほんきになって互に反駁はんばくを加え合っていた。ただ僕等の友だちの一人、――Kと云う医科の生徒だけはいつも僕等を冷評れいひょうしていた。
「そんな議論にむきになっているよりも僕と一しょに洲崎すさきへでも来いよ。」
 Kは僕等を見比べながら、にやにや笑ってこう言ったりした。僕は勿論内心では洲崎へでも何でもきたかった。けれども彼は超然ちょうぜんと(それは実際「超然」と云うほかには形容の出来ない態度だった。)ゴルデン・バットをくわえたまま、Kの言葉に取り合わなかった。のみならず時々は先手せんてを打ってKの鋒先ほこさきくじきなどした。
「革命とはつまり社会的なメンスツラチオンと云うことだね。……」
 彼は翌年の七月には岡山おかやま六高ろっこうへ入学した。それからかれこれ半年はんとしばかりは最も彼には幸福だったのであろう。彼は絶えず手紙を書いては彼の近状を報告してよこした。(その手紙はいつも彼の読んだ社会科学の本の名を列記していた。)しかし彼のいないことは多少僕にはものらなかった。僕はKと会う度に必ず彼のうわさをした。Kも、――Kは彼に友情よりもほとんど科学的興味に近いある興味を感じていた。
「あいつはどう考えても、永遠に子供でいるやつだね。しかしああ云う美少年の癖に少しもホモ・エロティッシュな気を起させないだろう。あれは一体どう云うわけかしら?」
 Kは寄宿舎の硝子ガラス窓をうしろに真面目まじめにこんなことを尋ねたりした、敷島しきしまの煙を一つずつ器用に輪にしてはき出しながら。

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