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湯ヶ原ゆき(ゆがわらゆき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:10:51  点击:  切换到繁體中文

 



        四

 大船おほふなくや老夫婦としよりふうふ逸早いちはやおしずしと辨當べんたうひこんだのを自分じぶんその眞似まねをしておなじものをもとめた。頸筋くびすぢぶたこゑまでがそれらしい老人らうじん辨當べんたうむしやつきすこ上方辯かみがたべんぜた五十幾歳位いくさいぐらゐ老婦人らうふじんすし頬張ほゝばりはじめた。
 自分じぶんおしずしなるものを一つつまんでたがぎてとてもへぬのでおめにしてさら辨當べんたうの一ぐうはしけてたがポロ/\めし病人びやうにん大毒だいどくさとり、これも御免ごめんかうむり、元來ぐわんらい小食せうしよく自分じぶんべつにもならずすべてを義母おつかさんにおまかせしてちやばかりんで内心ないしん一のくいいだきながら老人夫婦としよりふうふをそれとなく觀察くわんさつしてた。
何故なぜ「ビールに正宗まさむね……」のそのいづれかをれなかつたらう』といふがひとつくいである。大船おほふなはつしてしまへば最早もう國府津こふづくのをほか途中とちゆうなにることは出來できないとおもふと、淺間あさましいことには殘念ざんねんたまらない。
さけへばかつた。しいことをた』
『ほんとに、さうでしたねえ』とだれ合槌あひづちうつれた、とおもふと大違おほちがひ眞中まんなか義母おつかさんいましもしたむい蒲鉾かまぼこいでらるゝところであつた。
 大磯おほいそちかくなつてやつ諸君しよくん晝飯ちうはんをはり、自分じぶんは二空箱あきばこひとつには笹葉さゝつぱのこり一には煮肴にざかなしるあとだけがのこつてやつをかたづけて腰掛こしかけした押込おしこみ、老婦人らうふじんは三空箱あきばこ丁寧ていねいかさねて、かたはら風呂敷包ふろしきづつみ引寄ひきよそれつゝんでしまつた。もつと左樣さうするまへ老人らうじん小聲こゞゑ一寸ちよつ相談さうだんがあつたらしく、金貸かねかしらしい老人らうじんは『勿論もちろんのこと』とひたげな樣子やうすくびかたせてたのであつた。
 此二このふたつ悲劇ひげきをわつて彼是かれこれするうち大磯おほいそくと女中ぢよちゆうが三にんばかり老人夫婦としよりふうふ出迎でむかへて、その一人ひとりまどからわたしたつゝみ大事だいじさうに受取うけとつた。其中そのなかには空虚からつぽ折箱をりも三ツはひつてるのである。
 汽車きしや大磯おほいそるとぐ(吾等われら二人ふたりぎりになつたので)
義母おつかさんいま連中れんちゆふ何者なにものでしよう。』
いまのツてに?』
いま大磯おほいそりた二人ふたりです。』
『さうねえ』
必定きつと金貸かねかしなんかですよ。』
『さうですかね』
『でなくても左樣さうえますね』
婆樣ばあさん上方者かみがたものですよ、ツルリンとしたかほ何處どつかに「間拔まぬけ狡猾かうくわつ」とでもつたやうなところがあつて、ペチヤクリ/\老爺ぢいさん氣嫌きげんとつましたね。』
『さうでしたか』
めかけ古手ふるてかもれない。』
貴君あなた隨分ずゐぶんくちわるいね』とかなんとか義母おつかさんつてれると、益々ます/\惡口雜言あくこうざふごん眞價しんか發揮はつきするのだけれども、自分じぶんのは合憎あいにうまことをトン/\拍子びやうしふやうな對手あひてでないから、けるのも是非ぜひがない。

        五

 箱根はこね伊豆いづ方面はうめん旅行りよかうするもの國府津こふづまでると最早もはや目的地もくてきちそばまでゐたがしてこゝろいさむのがつねであるが、自分等じぶんら二人ふたり全然まるでそんな樣子やうすもなかつた。不好いやところへいや/\ながらかけてくのかとあやしまるゝばかり不承無承ふしようぶしようにプラツトホームをて、紅帽あかばう案内あんないされてかく茶屋ちやゝはひつた。義母おつかさんうさぎにつまゝママれたやうなかほつきをして、自分じぶんおほかみにつまゝママれたやうママかほをして(多分たぶんほかからると其樣そんなかほであつたらうとおもふ)『やれ/\』とも『づ/\』ともなんともはず女中ぢよちゆうのすゝめる椅子いすこしおろした。
 自分じぶん義母おつかさんに『これから何處どこくのです』とひたいくらゐであつた。最早もう我慢がまんきれなくなつたので、義母おつかさん一寸ちよつたつようたしつた正宗まさむねめいじて、コツプであほつた。義母おつかさんとき最早もうコツプも空壜あきびんい。
 おもひきやこの藝當げいたうながら
『ヤア、これはめづらしいところで』と景氣けいきよくこゑをかけてはひつものがある。
 可愛かはいさうに景氣けいきのよいこゑ肺臟はいざうからこゑいたのは十ねんぶりのやうながして、自分じぶんおもはず立上たちあがつた。れば友人いうじんM君エムくんである。
何處どこへ?』かれふた。
はらつもりでたのだ。』
はらか。はらいが此頃このごろ天氣てんきじやアうんざりするナア』
きみ如何どうしたのだ。』
ぼくは四五日まへから小田原をだはら友人いうじんうちあそびにいつたのだが、あめばかりで閉口へいかうしたから、これから歸京かへらうとおもふんだ。』
はらたまへ。』
御免ごめん御免ごめん最早もうき/\した。』
 平凡へいぼん會話くわいわじやアないか。平常ふだんなら當然あたりまへ挨拶あいさつだ。しか自分じぶんともわかれて電車でんしやつたあとでも氣持きもちがすが/\して清涼劑せいりやうざいんだやうながした。おまけに先刻さつき手早てばや藝當げいたうその效果きゝめあらはしてたので、自分じぶん自分じぶんはらまり、車窓しやさうから雲霧うんむうもれた山々やま/\なが
はしはし電車でんしや、』
 圓太郎馬車ゑんたらうばしやのやうに喇叭らつぱいてれるとさらめうだとおもつた。

        六

 小田原をだはらまちまでながその入口いりぐちまでると細雨こさめりだしたが、それもりみらずみたいしたこともなく人車鐵道じんしやてつだう發車點はつしやてんいたのが午後ごゝ何時なんじ半時間はんじかん以上いじやうたねば人車じんしやないといて茶屋ちやゝあが今度こんどおほぴらで一ぽんめいじて空腹くうふく刺身さしみすこしばかりれてたが、惡酒わるざけなるがゆゑのみならず元來ぐわんらい以上いじやうねつある病人びやうにん甘味うまからうはずがない。こと/″\くやめてごろりころがるとがつかりして身體からだけるやうながした。旅行りよかうして旅宿やどいてこのがつかりするあぢまた特別とくべつなもので、「疲勞ひらう美味びみ」とでもはうか、しか自分じぶん場合ばあひはそんなどころではなくやまひ手傳てつだつてるのだからはなからいきねつ今更いまさらごとかんじ、最早もは身動みうごきするのもいやになつた。
 しかし時間じかんればうごかぬわけにいかない人車鐵道じんしやてつだうさへをはれば最早もうゐたも同樣どうやうそれちからはこはひると中等ちゆうとう我等われら二人ふたりぎりひろいのは難有ありがたいが二時間半じかんはん無言むごんぎやうおそるとおもつてると、巡査じゆんさ二人ふたりはひつてた。
 一人ひとり張飛ちやうひやせよわくなつたやうな中老ちゆうらう人物じんぶつ一人ひとり關羽くわんう鬚髯ひげおとして退隱たいゝんしたやうな中老ちゆうらう以上いじやう人物じんぶつ
 ※(「月+叟」、第4水準2-85-45)せた張飛ちやうひ眞鶴まなづる駐在所ちゆうざいしよ勤務きんむすることすでに七八ねん齋藤巡査さいとうじゆんさしようし、退隱たいゝん關羽くわんう鈴木巡査すゞきじゆんさといつてはら勤務きんむすることじつに九ねん以上いじやうであるといふことは、あとわかつたのである。
 自分じぶん注文通ちゆうもんどほり、喇叭らつぱこゑ人車じんしや小田原をだはら出發たつた。

        七

 自分じぶん如何どういふものかガタ馬車ばしや喇叭らつぱきだ。回想くわいさう聯想れんさう面白おもしろい。はる野路のぢをガタ馬車ばしやはしる、はなみだれてる、フワリ/\と生温なまぬるかぜゐてはなかほりせままどからひとおもてかすめる、此時このとき御者ぎよしや陽氣やうき調子てうし喇叭らつぱきたてる。如何いくよめいびり胡麻白ごましろばあさんでも此時このときだけはのんびりして幾干いくら善心ぜんしんちかへるだらうとおもはれる。なつし、清明せいめい季節きせつ高地テーブルランド旦道たんだうはしときなどさらし。
 ところが小田原をだはらから熱海あたみまでの人車鐵道じんしやてつだうこの喇叭がある。不愉快ふゆくわい千萬なこの交通機關かうつうきくわんこの鳴物なりものいてるけで如何どうきようたすけてるとはかね自分じぶんおもつてたところである。
 づ二だいの三等車とうしやつぎに二等車とうしやが一だいこのだいが一れつになつてゴロ/\と停車場ていしやぢやうて、暫時しばらくは小田原をだはら場末ばすゑ家立いへなみあひだのぼりにはひとくだりにはくるまはしり、はしとき喇叭らつぱいてすゝんだ。
 ※(二の字点、1-2-22)いよ/\平地へいちはなれて山路やまぢにかゝると、これからがはじまりとつた調子てうし張飛巡査ちやうひじゆんさ何處どこからか煙管きせる煙草入たばこいれしたがマツチがない。關羽くわんうもつない。これを義母おつかさんおもむろたもとから取出とりだして
『どうかお使つかくださいまし。』
丁寧ていねいつた。
『これは/\。如何どうもマツチをわすれたといふやつは始末しまつにいかんもので。』
巡査じゆんさいつぷく點火つけてマツチを義母おつかさんかへすと義母おつかさん生眞面目きまじめかほをして、それをうけ取つて自身じしん煙草たばこいはじめた。べつ海洋かいやう絶景ぜつけいながめやうともせられない。
 どんよりくもつてり/\小雨こさめさへ天氣てんきではあるが、かぜまつたいので、相摸灣さがみわんの波しづか太平洋たいへいやう煙波えんぱゆめのやうである。噴煙ふんえんこそえないが大島おほしまかげ朦朧もうろうかんでる。
義母おつかさんどうです、景色けしきですね。』
『さうねえ。』
むかうにかすかえるのが大島おほしまですよ。』
『さう?』
 此時このとき二人ふたり巡査じゆんさ新聞しんぶんんでた。關羽巡査くわんうじゆんさ眼鏡めがねをかけて、人車じんしやのぼりだからゴロゴロと徐行じよかうしてた。

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