一
今より六七年前、私はある地方に英語と数学の教師をしていたことがございます。その町に
頂上には城あとが残っています。高い
私は草を敷いて身を横たえ、
ある日曜の午後と覚えています、時は秋の末で、大空は水のごとく澄んでいながら
私はしばらく見おろしていましたが、またもや書物のほうに目を移して、いつか小娘のことは忘れてしまいました。するとキャッという女の声、驚いて下を見ますと、三人の子供は何に恐れたのか、枯れ木を背負ったままアタフタと逃げ出して、たちまち
手に太い棒切れを持ってあたりをきょろきょろ見回していましたが、フト石垣の上を見上げた時、思わず二人は顔を見合わしました。子供はじっと私の顔を見つめていましたが、やがてニヤリと笑いました。その笑いが尋常でないのです。
「先生、何をしているの?」と私を呼びかけましたので私もちょっと驚きましたが、元来私の当時教師を勤めていた町はごく小さな城下ですから、私のほうでは自分の教え子のほかの人をあまり知らないでも、土地の者は都から来た年若い先生を大概知っているので、今この子供が私を呼びかけたも実は不思議はなかったのです。そこへ気がつくや、私も声を優しゅうして、
「本を読んでいるのだよ。ここへ来ませんか。」と言うや、子供はイキなり石垣に手をかけて
「名前はなんというの?」と私は問いました。「
「いくつかね、年は?」と、私が問いますと、けげんな顔をしていますから、いま一度問い返しました。すると妙な口つきをしてくちびるを動かしていましたが、急に両手を開いて指を折って
「十一だ。」と言う様子は、やっと五つぐらいの子の、ようよう数を覚えたのと少しも変わらないのです。そこで私も思わず「よく知っていますね。」「おっかさんに教わったのだ。」「学校へゆきますか。」「行かない。」「なぜ行かないの?」
子供は頭をかしげて向こうを見ていますから考えているのだと私は思って待っていました。すると突然子供はワアワアと
「からす、からす」と叫びながら、あとも振りむかないで天主台を駆けおりて、たちまちその姿を隠してしまいました。
二
私はそのころ
田口というは昔の家老職、城山の下に立派な屋敷を昔のままに構えて
ところで驚いたのは、田口に移った日の翌日、朝早く起きて散歩に出ようとすると、城山で会った子供が庭を掃いていたことです。私は、
「六さん、お早う」と声をかけましたが、子供は私の顔を見てニヤリ笑ったまま、草ぼうきで落ち葉を掃き、言葉を出しませんでした。
日のたつうちに、この怪しい子供の身の上が次第にわかって来ました、と言うのは、
子供は名を六蔵と呼びまして、田口の
田口の
なるほど詳しく聞いてみると、姉も
しかるに
白痴教育というがあることは私も知っていますが、これには特別の知識の必要であることですから、私も田口の
けれどもその後、だんだんおしげと六蔵の様子を見ると、いかにも気の毒でたまりません。不具のうちにもこれほど哀れなものはないと思いました。
おしげはともかく、六蔵のほうは子供だけに
すると田口の
「先生、お
「そろそろ寝ようかと思っているところです。」と私が言ううち、婦人は
「先生私は少しお願いがあるのですが。」と言って言い出しにくい様子。「なんですか。」「六蔵のことでございます。あのようなばかですから、ゆくさきのことも案じられて、それを思う私は自分のばかを
「ごもっともです。けれどもそうお案じなさるほどのこともありますまい。」とツイ私も慰めの文句を言うのはやはり人情でしょう。
三
私はその夜だんだんと母親の言うところを聞きましたが、何よりも感じたのは、親子の情ということでした。前にも言ったとおり、この婦人とてもよほど抜けていることは一見してわかるほどですが、それがわが子の白痴を心配することは、普通の親と少しも変わらないのです。
そして母親もまた白痴に近いだけ、私はますます哀れを催しました。思わず私ももらい泣きをしたくらいでした。
そこで私は、六蔵の教育を骨を折ってみる約束をして気の毒な婦人を帰し、その夜はおそくまで、いろいろと
第一に感じたのは、六蔵に数の観念が欠けていることです。一から十までの数がどうしても読めません。幾度もくり返して教えれば、二、三と十まで口で読み上げるだけのことはしますが、道ばたの石ころを拾うて三つ並べて、いくつだとききますと、考えてばかりいて返事をしないのです。無理にきくと初めは例の怪しげな笑い方をしていますが、後には泣きだしそうになるのです。
春の鳥(はるのとり)
作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
相关文章
湯ヶ原より(ゆがわらより)
湯ヶ原ゆき(ゆがわらゆき)
武蔵野(むさしの)
都の友へ、B生より(みやこのともへ、ビーせいより)
節操(みさを)
疲労(ひろう)
非凡なる凡人(ひぼんなるぼんじん)
二老人(にろうじん)
二少女(にしょうじょ)
怠惰屋の弟子入り(なまけやのでしいり)
富岡先生(とみおかせんせい)
竹の木戸(たけのきど)
たき火(たきび)
空知川の岸辺(そらちがわのきしべ)
石清虚(せきせいきょ)
女難(じょなん)
酒中日記(しゅちゅうにっき)
少年の悲哀(こどものかなしみ)
号外(ごうがい)
郊外(こうがい)
恋を恋する人(こいをこいするひと)
源おじ(げんおじ)
牛肉と馬鈴薯(ぎゅうにくとばれいしょ)
窮死(きゅうし)
画の悲み(えのかなしみ)