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二老人(にろうじん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:06:17  点击:  切换到繁體中文

 

       上

 秋は小春のころ、石井という老人が日比谷公園ひびやこうえんのベンチに腰をおろして休んでいる。老人とは言うものの、やっと六十歳で足腰も達者、至って壮健のほうである。
 日はやや西に傾いて赤とんぼの羽がきらきらと光り、風なきに風あるがごとくふわふわと飛んでいる、老人は目をしばたたいてそれをながめている、見るともなしに見ている。空々寂々くうくうじゃくじゃく心中なんらの思うこともないてい
 老人の前を幾組かの人が通った。老えるも若きも、病めるも健やかなるも。されどたれあってこの老人を気に留める者もなく、老人もまた人が通ろうと犬が過ぎ行こうと一切いっせつおかまいなし、悠々ゆうゆう行路の人、縁なくんば眼前千里、ただ静かな穏やかな青空がいつもいつも平等におおうているばかりである。
 右の手を左のたもとに入れてゴソゴソやっていたが、やがて「朝日」を一本取り出して口にくわえた。今度はマッチを出したが箱がなかばこわれて中身はわずかに五六本しかない。あいにくに二本すりそこなって三本目でやっと火がついた。
 スパリスパリといかにもうまそうである。青い煙、白い煙、目の先に透明に光って、うずを巻いて消えゆく。
「オヤ、あれはとくじゃないか。」
と石井翁は消えゆく煙の末に浮かび出た洋服姿の年若い紳士を見て思った。芝生しばふを隔てて二十けんばかり先だから判然しない。判然しないが似ている。背格好かっこうから歩きつきまで確かにたけしだと思ったが、彼は足早に過ぎ去って木陰こかげに隠れてしまった。
 この姿のおかげで老人は空々寂々のさかいにいつまでもいるわけにゆかなくなった。
 おい山上やまかみ武は二三日にさんち前、石井翁をうて、口をきわめてその無為主義を攻撃したのである。武を石井老人はいつも徳と呼ぶ。それは武の幼名を徳助と言ってから、十二三のころ、徳の父が当世流に武と改名さしたのだ。
 徳の姿を見ると二三日にさんち前の徳の言葉を老人は思い出した。
 徳の説く所もまんざら無理ではない。道理はあるが、あの徳の言い草が本気でない。真実彼奴きゃつはそう信じて言うわけじゃない。あれは当世流の理屈で、だれも言うたと、言わば口前くちまえだ。徳の本心はやっぱりわしを引っぱり出して五円でも十円でもかせがそうとするのだ、その証拠には、せんだってごろまでは遊んで暮らすのはむだだ、足腰の達者なうちは取れる金なら取るようにするがとくだ、叔父おじさんが出る気さえあればきっと周旋する、どうせ隠居仕事のつもりだから十円だって決して恥ずるに足らんと言ったくせに、今度はどうだ。人間一生、いやしくも命のある間は遊んで暮らす法はない、病気でない限り死ぬるまで仕事をするのが人間の義務だと言う。まるで理屈の根本が違って来たじゃないか、――やっぱりわしをかせがすつもりサ……とまで考えて来た時、老人はちょうど一本の煙草たばこをすい切った。
 石井翁は一年前に、ある官職をやめて恩給三百円をもらう身分になった。月に割って二十五円、一家は妻に二十はたちになるお菊と十八になるお新の二人娘で都合四人ぐらし、銀行に預けた貯金とても高が知れてるから、まず食って行けないというのが世間並みである。けれども石井翁は少しも苦にしない。
 例を車夫や職工にとって、食って行けないはずはないと主張するのである。むろん食うに食われない理屈はない、家賃、米代以下お新の学校費まで計算して、なるほど二十五円で間に合わそうと思えば間に合うのである。
 それで石井翁の主張は、間に合いさえすれば、それでやってゆく。いまさらわしが隠居仕事でそうろうのと言って、腰弁当で会社にせよ役所にせよ病院の会計にせよ、五円十円とかせいでみてどうする、わしは長年のお務めを終えて、やれやれ御苦労であったと恩給をいただく身分になったのだ。治まる聖代みよのありがたさに、これぞというしくじりもせず、長わずらいにもかからず、長官にも下僚にも憎まれもいやがられもせず勤め上げて来たのだ。もはやこうなれば、わしなどはいわゆる聖代の逸民だ。恩給だけでともかくも暮らせるなら、それをありがたく頂戴ちょうだいして、すっかり欲から離れて、その日その日を一家むつまじく楽しく暮らすのがあたりまえだ。よしんば二十五円に十円ふえたらどれだけの贅沢ぜいたくができる。――みんな欲で欲には限りがない――役目となれば五円が十円でも、雨の日雪の日にも休むわけにはいかない、やっぱり腰弁当で鼻水をたらして、若い者の中にまじってよぼよぼと通わなければならぬ。オヽいやな事だ!
 というのである。だから役をひいた時、知人やら親族の者が、隠居仕事を勧め、中には先方にほぼ交渉わたりをつけて物にして来てまで勧めたが、ことごとく以上の理由で拒絶してしまったのである。細君は気軽な人物で何事もあきらめのよいたちだから文句はない。愚痴一つ言わない。お菊お新の二人も、母を助けて飯もたけば八百屋やおやへ使いにも行く。かくてこそ石井翁の無為主義も実行されているのである。
 ところが武の母は石井翁の細君の妹だけに、この無為主義をあやぶみ、姉は盲従してこそおれ、女はやっぱり女、石井さんの隠居仕事で二十五円の上に十円ふえるならどのくらい楽と思うか知れないと、武をして石井翁を説き落とさすつもりでいるのである。
 彼は変物だと最初世話をしかけた者が手をひいた時分。ある日曜日の午後二時ごろ、武は様子を見るべく赤坂区あかさかく南町みなみちょうの石井をたずねた。くるまのはいらぬ路地の中で、三軒長屋の最端はしがそれである。中古ちゅうぶるの建物だから、それほど見苦しくはない。上がり口の四畳半が玄関なり茶の間なり長火鉢ながひばちこれに伴なう一式が並べてある。隣が八畳、これが座敷、このほかには台所のそばに薄暗い三畳があるばかり。南向きの縁先一間半ばかりの細長い庭にはたなを造り、翁の楽しみの鉢物はちものが並べてある。手狭であるが全体がよく整理されて乱雑なさまは毛ほどもなく、敷居も柱も縁もよくふきこまれて、光っている。
「御免なさい。」と武は上がり口の障子をあけたが、茶の間にだれもいない。
「武です。」とつけ加えた。すると座敷で、
「徳さんかえ、サアお上がり。」と言ったのが叔母おばである。
 武は上がってふすまをあけると、座敷のまん中で叔父おじ叔母おばさし向かいの囲碁最中! 叔父はちょっと武を見て、微笑わらって目で挨拶あいさつしたばかり。叔母は、
「徳さん少し待っておくれ。じき勝負がつくから」と一心不乱のていである。
「どうかごゆっくり。」と徳さんの武もこのほかに挨拶のしようがない。ただあきれ返って、しょうことなしに盤面を見ていた。
「徳さんは碁が打てたかね。」と叔父は打ちながら問うた。
「まるでだめです。」
「でも四つ目殺しぐらいはできるだろう。」
「五目並べならできます。」
「ハハヽヽヽヽ五目並べじゃしかたがない。」
「叔母さんが碁をお打ちになることは、僕ちっとも知りませんでした。」
「わたしですか、わたしはこれでずいぶん古いのですよ。」と叔母は言ったが振り向きもしない。
「しょっちゅう打っていらっしゃったのですか。」
「いいえ、やたらに打ちだしたのは此家ここへ引っこんでからですよ。――ちょっとこれを待ってちょうだい。」
「なりません。」と石井翁、一ぷくつけてスパリスパリと悠然ゆうぜんたるものである。
「だってこの切断きりは全くわたしの見落としですもの。」
「だからさっきから、わしは「待ちませんよ、」「待ちませんよ」と二三度も警告を発しておいたじゃないか。」
「待ちませんはあなたの口癖ですよ。」
「だれがそんな癖をつけました、わたしに。」
 武は思わずクスリと笑った。
「それじゃどうあっても待ってくださらんの。」
「マア待ちますまい、癖になるから。」
 と言われて、叔母は盤面を見渡してしばらく考えていたが、
「それじゃ投げましょう。そこが切れては碁にはなりませんもの。」
「まずそう言ったような形だね。」
 そこで叔母は投げ出した。これから改まって挨拶あいさつが済むと、雑談に移り、武は叔父おじ叔母おばさし向かいで、たいがい毎日碁を打つ事、娘ふたりはきょう上野公園に散歩に出かけた事など聞かされた。
 右の次第で徳さんの武もついに手をひいて半年余りもたつと、母はやっぱり気になると見えて、どうにかして石井さんを説き落としてくれろと頼む。そこで武も隠居仕事の五円十円説では到底夫婦さし向かいの碁打ちを説き落とすことはできないと考え、今度は遊食罪悪説を持ち出して滔々とうとうとまくし立ててみた。
 石井翁はさんざん徳さんの武に言わしておいたあげく、
「それじゃ、山に隠れて木の実を食い露を飲んでおる人はどうする。」
「あれは仙人せんにんです。」
「仙人だって人だ。」
「それじゃ叔父おじさんは仙人ですか。」
「市に隠れた仙人のつもりでおるのだ。」
 これで武はまたも撃退されてしまったのである。

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