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二少女(にしょうじょ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:05:35  点击:  切换到繁體中文

 

       上

 夏の初、月色ちまたに満つる夜の十時ごろ、カラコロと鼻緒のゆるそうな吾妻下駄あずまげたの音高く、芝琴平社しばこんぴらしゃの後のお濠ばたを十八ばかりの少女むすめ赤坂あかさかの方から物案じそうに首をうなだれて来る。
 薄闇い狭いぬけろじの車止くるまどめの横木をくゞって、彼方むこうへ出ると、琴平社の中門の通りである。道幅二間ばかりの寂しい町で、(産婆)と書いた軒燈がすが二階造の家の前についている計りで、暗夜やみよなら真闇黒まっくらな筋である。それも月の十日と二十日は琴平の縁日で、中門を出入ではいりする人の多少すこしは通るが、実、平常ふだん、此町に用事のある者でなければ余り人の往来ゆききしない所である。
 少女むすめぬけろじを出るや、そっと左右を見た。月は中天にかゝっていて、南から北へと通った此町を隈なく照らして、しんとしている。人の住んで居ない町かと思われる程で、少女が(産婆)の軒燈の前まで来た時、其二階で赤児あかんぼの泣声が微かにした。少女は頭を上げてちょっと見上げたが、其儘すぐ一軒おい隣家となりの二階に目を注いだ。
 隣家の二階というのは、見た処、極く軒の低い家で、下の屋根と上の屋根との間に、一間の中窓ちゅうまどが窮屈そうにはさまっている、其窓先に軒がさも鬱陶しく垂れて、陰気な影を窓の障子に映じている。
 少女は此二階家の前に来ると暫時しばら佇止たちどまって居たが、窓を見上げて「江藤えとうさん」と小声で呼んだ、窓は少しあいていて、薄赤い光が煤にきばんだ障子に映じている。
「江藤さん、」と返事が無いから、少女は今一度、やはり小声で呼んだ。
 障子がすっと開いたかと思うと、年若い姿が腰から上を現わして、
どなた?」
わたし。」
「オヤ、田川たがわさん。」
「少し用事があって来たのよ、最早もうやすみ?」
「オヤそう、お上がんなさいよ、でも未だ十時が打たないでしょう。」
おそく来てお気の毒様ねエ」と少女は少しもじもじして居る。
 二階の女の姿が消えると間もなく、下の雨戸を開ける音がゴトゴトして、建付たてつけゆがんだ戸がやっと開いた。
「オヤ好い月だね、田川さんお上がんなさいよ」という女は今年十九、歳には少し老けて見ゆる方なるがすらりとした姿の、気高い顔つき、髪は束髪に結んで身には洗曝あらいざらしの浴衣を着けて居る。
「ちょっと平岡ひらおかさんに頼まれて来た用があるのよ、此処でも話せますよ、もう遅いもの、上ると長座ながくなるから。……」と今来た少女は言って、笑をふくんんでいる。それで相手あいての顔は見ないで、月をあおいだ目元は其丸顔に適好ふさわしく、品の好い愛嬌のある小躯こがらの女である。
「用というのは大概解って居ますが、色々話もあるから一寸お上んなさいよ。」
「そう、あの局の帰りに来るといゝんだけど、家に急ぐ用が有ったもんだから……」
 といい乍ら二人は中にはいった。
 入ると直ぐ下駄直しの仕事場で、脇の方に狭い階段はしごだんが付ていて、仕事場と奥とは障子で仕きってある。其障子が一枚かっていたが薄闇くって能く内が見えない。
「遅くあがって御気毒様、」と来た少女はかろく言った、奥にむかって。
「どう致しまして、」と奥でしわがれた声がして、つゞい咳嗽せきがして、火鉢の縁をたたく煙管きせるの音が重く響いた。
「この乱暮さを御覧なさい、座る所もないのよ。」と主人あるじの少女はみしみしと音のする、急な階段を先にたっのぼって、
何卒どうぞ此処へでも御座おすわんなさいな。」
 と其処らの物を片付けにかかる。
「すこし頼まれた仕事を急いでいますからね、……げんちゃん、お床を少し寄せますよ。」
「いいのよ、其様そうしてお置きなさいよ、源ちゃん最早もうお寝み、」と客の少女は床なる九歳ここのつばかりの少年を見て座わり乍ら言って、其のにこやかな顔に笑味を湛えた。
「姉さん、氷!」と少年は額を少し挙げて泣声で言った。
「お前、そう氷を食べて好いかね。二三日前から熱が出て困って居るんですよ。源ちゃんそら氷。」
 主人の少女は小さな箱から氷のかけを二ツ三ツ、皿に乗せて出して、少年の枕頭まくらもとおいて、「もう此限これぎりですよ、また明日あした買ってあげましょうねエ」
「風邪でもおひきなさったの!」と客なる少女は心配そうに言った。
「もう快々いゝんですよ。熱いこと、少し開けましょねエ」と主人の少女は窓の障子を一枚開け放した。今まで蒸熱かった此一室ひとまへ冷たい夜風よかぜが、音もなく吹き込むと「夜風に当ると悪いでしょうよ、わたしは宜いからお閉めなさいよ、」と客なる少女、少年の病気を気にする。
「何に、少しは風を通さないと善くないのよ。御用というのは欠勤届のことでしょう、」と主人の少女は額から頬へ垂れかかるをうるさそうに撫であげながら少し体駆からだを前にかがめて小声で言った。
「ハア、あの五週間の欠勤届の期限が最早きれたから何とか為さらないとけないッて、平岡さんが、是非今日私に貴姉あなたのことを聞いて呉れろッて、……明朝あしたは私が午前出だもんだから……」
「成程そうですねェ、真実ほんとに私は困まッちまッたねエ、五週間! もう其様そんなになったろうか、」と主人の少女は嘆息ためいきをして、「それで平岡さんが何とか言って?」
「イイエ別に何ともおっしゃらないけエど、江藤さんは最早もう局を止すのだろうかって。貴姉どうなさるの。」
「ソー、夫れで実は私も迷っているのよ」と主人の少女は嘆息をついた。
 客の少女はそっと室内を見廻した。そして何か思い当ることでも有るらしく今まで少し心配そうな顔が急に爽々さえ/″\して満面の笑味えみを隠し得なかったか、ちょッとあらたまって、
「実は少々貴姉にきいて見ることがあるのよ、」
 と一段小声で言った。
「何に?」と主人の少女も笑いながら小声で言った。これも何か思い当る処あるらしく、客なる少女の顔をじっと見て、又たそっと傍の寝床を見ると、少年は両腕うでまくり出したまま能く眠っている、其手を静に臥被ふとんの内に入れてやった。
おこっちゃけないことよ」と客の少女はきまり悪るそうに笑って言出し兼ねている。
「凡そ知ッているのよ、いって御覧なさい、怒りもなにもしないから。お可笑かしな位よ、」と言う主人の少女の顔は羞恥はずかしそうな笑のうちにも何となく不穏のところが見透かされた。
「私の口から言い悪くいけれど……貴姉大概解かっていましょう……」
「私が妾になるとか成ったとかいう事なんでしょう。」
 と言った主人の少女の声は震えて居た。

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