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富岡先生(とみおかせんせい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:03:58  点击:  切换到繁體中文

 

       一

 何公爵こうしゃくの旧領地とばかり、詳細くわしい事は言われない、侯伯子男の新華族を沢山出しただけに、同じく維新の風雲に会しながらも妙なはずみから雲梯うんていをすべり落ちて、ついには男爵どころか県知事の椅子ひとつにもありつき得ず、むなしく故郷くにに引込んで老朽ちんとする人物も少くはない、こういう人物に限ぎって変物かわりものである、頑固がんこである、片意地である、尊大である、富岡先生もその一人たるを失なわない。
 富岡先生、と言えばその界隈かいわいで知らぬ者のないばかりでなく、恐らく東京に住む侯伯子男の方々の中にも、「ウン彼奴やつか」と直ぐ御承知の、そしてまゆをひそめらるる者も随分あるらしいほどの知名な老人である。
 さてしからば先生は故郷くにで何をていたかというに、親族が世話するというのもこばんで、広い田の中の一軒屋の、五間いつまばかりあるを、何々じゅくなづけ、近郷きんじょの青年七八名を集めて、漢学の教授をしていた、一人の末子ばっし対手あいてに一人の老僕に家事を任かして。
 この一人の末子は梅子という六七むつななつの頃から珍らしい容貌佳きりょうよしで、年頃になれば非常の美人になるだろうと衆人みんなからうわさされていた娘であるが、果してその通りで、年の行くごと益々ますます美しく成る、十七の春も空しく過ぎて十八の夏の末、東京ならば学校の新学期の初まるも遠くはないという時分のこと、法学士大津定二郎おおつていじろうが帰省した。
 富岡先生の何々塾から出て(無論小学校に通いながら漢学を学び)遂に大学まで卒業した者がその頃三名ある、この三人とも梅子さん乃公おれの者と自分で決定きめていたらしいことはほぼ世間でもぎつけていた事実で、これにはたれも異議がなく、ただし三人のうち何人だれが遂に梅子さんを連れて東京に帰りるかと、他所よそながら指をくわえて見物している青年わかものも少くはなかった。
 法学士大津定二郎が帰省した。彼は三人の一人である。何峠から以西いせい、何川辺までの、何町、何村、あざ何の何という処々しょしょの家の、種々の雑談に一つ新しい興味ある問題が加わった。愈々いよいよ大津の息子はお梅さんをもらいに帰ったのだろう、うまく行けばあとの高山のぶんさんと長谷川の息子が失望するだろう、何に田舎いなかでこそお梅さんは美人じゃが東京に行けばあの位の女は沢山やれにありますから後の二人だってお梅さんばかりねらうてもおらんよ、など厄鬼やっきになりて討論する婦人連もあった。
 或日の夕暮、一人の若い品のい洋服の紳士が富岡先生の家の前えに停止たちどまって、しきりと内の様子をうかがってはもじもじしていたが遂に門をはいって玄関先に突立つったって、
「お頼みします」という声さえ少しふるえていたらしい。
「誰か来たぞ!」と怒鳴ったのはたしかに先生の声である。
 ふすましずかに開いて現われたのが梅子である。紳士の顔も梅子の顔も一時いちじにさっとこうをさした。梅子はわずかに会釈して内に入った。
「何だ、大津の定さんが来た?、ずんずんお上りんさいと言え!」先生の太い声がありありと聞えた。
 大津は梅子の案内で久しぶりに富岡先生の居間、即ち彼がそのかみ漢学の素読そどくを授ったへやに通った。無論大学に居た時分、一夏帰省した時もうた事はある。
 老漢学者と新法学士との談話はなしの模様は大概次の如くであった。
「ヤア大津、帰省かえったか」
「ともかく法学士に成りました」
「それが何だ、エ?」
「内務省に出る事に決定きまりました、江藤さんのお世話で」
「フンそうか、それで目出度めでたいというのか。然し江藤さんとは全体誰の事じゃ」
「江藤侯のことで……直文ちょくぶんさんのことで」
「ウーン三輔さんすけのことか、そうか、三輔なら三輔と早く言えばえに。時に三輔は達者かナ」
「相変らず元気で御座います」
「フンそうか、それは結構じゃ、狂之助は?」
「御丈夫のようで御座います」
「そうか、今度ったら乃公わしく言ったと言っとくれ!」
「承知致しました」
「ちっと手紙でもよこせと言え。エ、侯爵面こうしゃくづらして古い士族を忘れんなと言え。全体彼奴あいつ等に頭を下げぺこぺこと頼み廻るなんちゅうことは富岡の塾の名汚なよごしだぞ。乃公わしに言えば乃公から彼奴等に一本手紙をつけてやるのに。彼奴等は乃公の言うことならかん理由わけにいかん」
 先ずこんな調子。それで富岡先生は平気な顔して御座る。大津は間もなく辞して玄関に出ると、梅子が送って来た。大津は梅子の顔を横目で見て、「またその内」とばかり、すたこらと門を出てほっと息をいた。
「だめだ! まだあの高慢狂気きちがいなおらない。梅子さんこそつらの皮だ、フン人を馬鹿にしておる」と薄暗い田甫道たんぼみち辿たどりながらつぶやいたが胸の中は余りおだやかでなかった。
 五六日つと大津定二郎は黒田の娘と結婚の約が成ったという噂が立った。これを聞いた者の多くは首を傾けて意外という顔色かおつきをした。然し事実全くそうで、黒田という地主の娘玉子嬢、容貌きりょうは梅子と比べると余程落ちるが、県の女学校を卒業してちょうど帰郷かえったばかりのところを、友人なにがしの奔走で遂に大津と結婚することに決定きまったのである。妙なものでこう決定きまると、サアこれからは長谷川と高山の競争だ、お梅さんは何方どっちの物になるだろうと、大声で喋舌しゃべ馬面うまがおの若い連中も出て来た。
 ところで大津法学士は何でも至急に結婚して帰京の途中を新婚旅行ということにしたいと申出たので大津家は無論黒田家の騒動さわぎ尋常ひととおりでない。この両家とも田舎では上流社会に位いするので、祝儀しゅうぎの礼が引きもきらない。村落に取っては都会にける岩崎三井の祝事いわいごとどころではない、大変な騒ぎである。両家は必死になって婚儀の準備に忙殺されている。
 その愈々いよいよ婚礼の晩という日の午後三時頃でもあろうか。村の小川、海に流れ出る最近まぢかの川柳しげれる小陰に釣をたるる二人の人がある。その一人は富岡先生、その一人は村の校長細川繁、これも富岡先生の塾に通うたことのある、二十七歳の成年男子である。
 二人は間を二三間隔てて糸を垂れている、夏の末、秋の初の西に傾いたあざやかな日景ひかげは遠村近郊小丘樹林をくまなく照らしている、二人の背はこの夕陽ゆうひをあびてそのかたぶいた麦藁帽子むぎわらぼうしとその白い湯衣地ゆかたじとをともに照りつけられている。
 二人とも余り多く話さないで何となく物思に沈んでいたようであったが、突然校長の細川は富岡老人の方を振向いて
「先生は今夜大津の婚礼に招かれましたか」
「ウンばれたが乃公おれは行かん!」と例の太い声で先生は答えた。実は招かれていないのである。大津は何と思ったかその旧師を招かなかった。
貴様おまえはどうじゃ?」
「大津の方からこの頃は私を相手にせんようですから別によびもしません」
「招んだって行くな。あんな軽薄なやつのとこに誰が行く馬鹿があるか。あんな奴にゃア黒田の娘でも惜い位だ! あれから見ると同じ大学を出ても高山や長谷川は人間が一等上だのう、そのうちでも高山は余程見込がある男だぞ」
 細川繁は黙って何にも言わなかった、ただ水面を凝視みつめている。富岡老人も黙ってしまった。

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